みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#90 終末預言 by R.C. Sproul

2022年04月29日 | 終末預言 

Jesus Walking on Water (Mark 6:45–56) — A Sermon by R.C. Sproul


訳出時間枠:最初から6分22秒まで

◇◇

前回から改革派神学における聖書理解の基礎を学んでいる。

私的解釈や誤った解釈、異端などから解放されるために、基本に戻って学び直そうということ。

今回も福音書記事からのメッセージを選択した。

◇◇

今朝もマルコ福音書の学びを続けて参りたいと思います。

マルコ福音書6章45節から56節までをお読みします。

聖書を朗読しますので、一同ご起立願います。

直ちにイエスは弟子たちを舟に乗せて、ご自身より先に対岸のベツサイダへと行かせた。一方で、彼は群衆を解散させた。彼らを解散させて、イエスは祈るために山へと向った。さて夕方になると、舟は湖の中央にいた。イエスは陸地に一人でいた。すると、彼は弟子たちが懸命にオールを漕いでいるのを見た。向かい風だったからだ。さて、夜の第4の時刻頃に、イエスは湖の上を歩いて彼らの下へとやってきた。そして、彼らを過ぎ去ろうとしていた。彼が湖の上を歩いているのを見た時、彼らはそれは幽霊だと思い大声を上げた。しかし、彼ら全員がイエスであることが分かり恐れおののいた。しかしすぐに、彼は彼らに話しかけて言った、「元気を出しなさい。私です。恐れるな。」イエスは舟に中へと乗り込むと風は止んだ。彼らはあまりに驚き呆れるほどでだった。というのは、彼らはパンのことについて理解してはおらず、彼らの心が頑なだったからだ。彼らは渡り切って、ゲネサレの地へとやってきてそこに停泊した。彼らが舟を降りるとすぐに人々はイエスと分かり、周辺地域を走り回り、イエスがいると聞いた所は何処へでも病人をベッドに載せて運び始めた。村や町などイエスが入った所は何処でも、人々は市場に病人を置いて、ただ着物の縁に触らせてくれるように彼に懇願した。そして、イエスに触った者は全員元気になった。

神のことばは、大いなる励みであり、一点の曇りもなく、完全なる無謬であります。

お座りください。お祈りしましょう。

ああ、主よ。私たちがこの命の記録、人物、そして、われらの救い主の御業に注意を傾けます。そしてこの出来事における理解と主のご人格の奥義について、私たちの不思議と畏れがさらに深まりますようにお祈りします。これらの願いを主の御名によってお委ねいたします。
アーメン。

主イエスのパンと魚による五千人の給食に関するてんまつと、マルコの福音書におけるこの箇所との間には興味深い関連性があります。

先週の学びに続いて、イエスの水上歩行という驚くべき記事へと移っていきます。

これら二つの記事をつなぐ関連ですが、もちろん極めて重要であります。

そこで、若干の時間を取って、この2つの出来事をつなぐ移行部分を見ていきたいと思います。

45節を見ると、「直ちにイエスは弟子たちを舟に乗せて、ご自身より先に、対岸のベツサイダへと行かせた。一方で、彼は群衆を解散させた」とあります。

さて、何故イエスがそれほどぶっきらぼうだったのか、マルコは語ってくれません。

魚とパンによる大勢の人々の食事が終了した後すぐに、何ゆえにイエスは、あまりにもぶっきらぼうに弟子たちを解散させて、先へと送り出し、舟へと乗らせて、対岸のベツサイダへ行くように指示したのでしょうか。

一方、イエスはそこにとどまり、群衆を解散させた。

マルコは、その理由を教えてくれてはいませんが、その理由を推測することはそれほど難しいことではありません。

テキストにおけるこの話の終わりにあるコメントを見れば分かります。

イエスが本当に苦労しなければならなかったことがひとつありました。

それは、特に大群衆がいる時に、イエスが奇跡を起こすたびに、そこにいる人々がイエスに迫ってきて、自分たちの王に任命し、ローマによる圧政から解放してくれる戦士の如く彼を見ることでありました、

この出来事の際には、群衆の反応がとても強かったので、弟子たちは自ら舟に乗り込まなければならなかったのであり、イエスはこれをご覧になっていた。

群衆と同様に弟子たちも興奮しているのをイエスは見て取り、一方で、イエスはローマ人をこの地から追い出してくれるという願望の眼差しをもって、群衆が自分を見ていることも知っていた。

そのために、イエスは「さあ、ここから離れ、舟に乗りなさい」と命じた。

後で会うことになる、対岸に行きなさい、そこはベツサイダという町(意味は漁夫の家)。」

弟子たちを解散させ、群衆も解散させた。

言うまでもなく、彼を王にしようとする自発的な動きをイエスは終わらせようとしたのです。

賛美:

Abide With Me

 

 

 

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