みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#656 神の法第六戒

2021年08月20日 | 創世記
第6戒
堕胎

264~
Abortion
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

プラトン界は、この事についてはっきりと述べている。

20歳から40歳までに、女性は国家のために子を宿すべきだと考える。一方、男性は、人生における最高潮を終える頃まで、つまり50歳までに国家のために子をもうけるべき。

この年齢以下か、またはこの年齢を超えている男が、社会のために子をもうけるという行為を行なうなら、宗教および正義に反する行為と宣言されてしかるべき。国家のために育てられている子どもだというが、その子は、発覚することが避けられ、正当な犠牲や祈り(それは司祭や女司祭、町全体によってすべての結婚および祝宴の席で捧げられるべきであるが)の下でもうけられたのではなく、両親よりもより崇高でありかつ有用であるという趣旨において、差し迫った不摂生のために暗闇の蔽いの下で授けられたのだろう。

行政長官の紹介もなく、いまだに父たりうる年の男が妊娠適齢期の女性に手を出した場合、法がそのような男に適応されるだろう。国家に対して、保証人がおらず、邪悪な私生児を国家のためにもうけた罪によって告発されるだろう、

しかしながら、男性であれ女性であれ、規定の年齢を過ぎた人は、娘や母、娘の子どもあるいは祖母以外の誰とでも交際しても良いと想像する。同様に、息子や父、あるいは直系の親戚でなければ、女性も誰とでも関係を持つことを許可される。偶発的な懐妊を避けるために、また、そのような結合の果実は育てるべきではないという理解に基づいて胎児を処理するために、全力を挙げて厳格な秩序を達成する場合においてのみ関係を持つことが許される。

その計画は道理にかなっている。しかし、父、娘、ここで記載した関係者をどのように区別するのか。実は不可能ではあるが、次のように答えておく。家族の一人が結婚した日から7か月と10か月の間に出生した場合、その男の子どもであるとする。男子なら息子、女子なら娘と、その男は呼ぶ。彼らはその男を父と呼び、子どもの子どもを孫と呼ぶ。彼らは彼を父、花婿と花嫁、祖父と祖母と呼ぶ。同様に、父と母が彼らを世に送り出す同時期に生まれたがゆえに、お互いを兄弟姉妹と認める。ここで説明したように、これらの人たちはすべて、お互いに性交渉はできない。しかし、運命の機会がそのようになるなら、アポロンの神信託が許せば、法は兄弟姉妹間の性交を許可するであろう。

コメント:

当たり前のことが難しく説明されているが、これが法律(≒定義)というもの。

子どもを設けることができる男女の適齢期について定義されている。

彼らは法的な制限を設けていたようだ。

国家のために子供を作れと書いてある。

父母、兄弟、姉妹、祖父母、孫、親戚が法的に定義され、近親相姦も法的な許可が得られれば違法ではない。

これがプラトン界(Plato's Republic)の法律。




#21 信仰の防衛:パート1 私の思考パターン

2021年08月20日 | 信仰の防衛
第1章
キリスト教神学

p29~
Chapter 1
Christian Theology
Part One
The Structure of My Thought
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

◇◇

哲学的に議論をするということは、聖書を抜きにして議論を始めるということではない。

理性的、かつ経験に訴えることによって、まず初めに哲学的に有神論を防衛し、その後に知恵を得るために聖書に立ち返り、キリスト教を防衛するのではない。

われわれは、聖書からキリスト教信仰のみならず、有神論を得る。

聖書が語ることすべてにおいて、聖書は権威があると考える。

そして、聖書は万物について語っている。

聖書が、直接、野球について語り、原子について語っていると言っているのではない。

直接的に、あるいは間接的に、聖書は万物について語っている。

聖書が告げていることは、キリストとその御業のみならず、神はどのようなお方であるか、宇宙はどこから来たのかということ。

それは、歴史のみならず歴史原理をわれわれに与えてくれる。

さらに、これらの問題に関する情報は、解決不能な全体へと織り込まれている。

聖書を神のことばとして受け入れることを拒否する場合にのみ、(例えば、物理学的宇宙など)いわゆる宗教的道徳的教えを、聖書が言っていることから分かつことができる。

それ故、われわれが世に対して提示しなければならないのは、聖書に含まれている真理体系だ。

この真理体系を明らかにするための教義上かつ体系的神学分野があり、いくつかの主要項目から成る。

そこで、これらの諸問題を解決できるように、組織神学(systematic theology)の主題をいくつか取り上げることにする。

例として、ルイス・ベルコフ(Louis Berkhof)教授が書いたマニュアルがある。

その中に、神の教理、人間の教理、キリストの教理、教会の教理、救いの教理、最終事項の教理、に関する議論がある。

いずれの場合にも、改革派の立場は、聖書の教えであることが示される。

ローマカソリック、アルミニウス学派、そして他の見解は、あまり聖書的ではない。