みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#657 神の法第六戒

2021年08月21日 | 神の法
第6戒
堕胎

265~
Abortion
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

このような見方において、国家は究極の秩序であり、その体系を操る神。

何故なら、国家は中絶、子殺し、近親相姦を命ずることができる。

国家が認めた出生数が過剰となった場合には中絶は必要であるという点で、アリストテレスの意見もこのような考え方と同じだった。

中絶が違法であったローマでは、究極的な法的根拠によってではなく、法律で認められた子どもの父親を欺くために中絶が行なわれた。

極めて早い時期には、教会は堕胎を非難した。

使徒法典(Apostolic Constitutions)は次のように言明している。

「堕胎によって子を殺してはならない。授かりし子を殺してはならない。すべては形づくられ、神から魂を与えられた。殺すなら、不義に破壊されたがゆえに報復されるであろう」

出エジプト記21:23
しかし、殺傷事故があれば、いのちにはいのちを与えなければならない。 

テルトゥリアヌスは次のように言明した。

「クリスチャンは堅く立つ。出生を妨げることは単なる殺人ではない。生まれる命を取り去るかどうか、あるいはこの世に生まれ出るものを破壊するかどうかが問題なのではない。それは一つの個体となろうとしている一人の立派な人間。その種の中に立派な果実を持っている。」

人工中絶に対する現代人の態度は、次第に寛容になっている。

A.E.Crawleyは、その主な理由は貧困にあると考え、「頻度は高くはないが、一つの理由は貧困」と述べた。

ハブロック・エリスは、生活が合理的かつ科学的になれば、文化生活は中絶減少へ進んでいくと考えた。

言い換えると、中絶は罪ではなく、経済的困窮や無頓着な性行為に対する古臭い治療薬。