みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#384 神の法第二戒

2019年08月12日 | 神の法
第2戒
聖潔と律法

◇◇

衣服に関連する聖潔について。

服装倒錯は、主が忌み嫌われる行為の一つ(申命記22:5)。

神の創造の秩序に対する不毛かつ邪悪な敵対行為のひとつ。

羊毛と亜麻という異なる素材を織りまぜた衣服を着ることも禁止(申命記22:11、レビ記19:19)。

種類の異なるものを不自然に組み合わせることは、神の創造秩序を無視する行為。

土地に関して。

それ自体は聖い。

処刑された死体を次の日まで吊したままにしておくことはできない。

これは、土地を汚す行為(申命記21:22~23)。

土地は神に対して聖別され、献げられたもの。

今日のクリスチャンは個人的な聖潔について大変関心があるが、聖書(神)は国民の聖潔に大きな関心がある。

聖い民たれとの呼びかけは、聖い国民たれという意味(出エジプト記19:6)。

ある国民が聖いか否かは、その国の法によって左右される。

国が神の法を施行しなければ、国民は聖い民となることはできない。

法の効力は、国民の聖潔の基本である。

この法の基礎がなければ、聖潔はあり得ない。

神の法によって、国家は生命を得、神の法がなければ、それはひたすら死に向かう。

唯一の生命原理から切り離される。

聖潔を獲得しようとする者は、あらゆる面において物質に関する律法と対峙せざるを得なくなる。

聖書律法はすべて聖潔と関係している。

すべての法は、ものごとを二つに分ける。

それは、法を守る民と法を破る民とに二分する。

法がなければ分離もない。

現代人は法を憎む。

公然と敵対するのは、聖潔を嫌っているから。

法を廃棄することによって、彼らは善悪の境界線を消し去ろうとしている。

法は万物の構造の中に書き込まれている。

法を消し去ることはできない。

法は必ず施行される。

人間が拒んでも、神が確実に施行する。