みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#380 神の法第二戒

2019年08月06日 | 神の法
第2戒
聖潔と律法


◇◇

聖潔holinessと律法の間のつながりは、非常に実際的で重要な問題にもかかわらず、今日大変軽視されている。

それは、神の「超越的属性」の一つであり、神との関係の中で定義されなければならない。

聖書によれば、聖潔とは、「侵すべからざる分離」であり、「献身」を含意している。

神の不可侵性、主権、全能性と関係している。

神との関わりの中での倫理的善良性を意味する。

申命記14:1~2
あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。死人のために自分の身に傷をつけたり、また額をそり上げたりしてはならない。 あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。 

イスラエルが聖い者とされたのは、神が、その選びの恵みによって、契約の民を御自分の子として受け入れられたから。

「聖潔」には「分離」(もっと字義通りに訳せば、「切離」)の意味が含まれる。

聖潔と律法の間には、本質的・基本的な関係が存在する。

律法には、常に分離が伴う。

逆に、律法がなければ、けっして分離はない。

それゆえ、あらゆる聖書律法は聖潔と関係している。

律法はすべて、律法の民と無律法の民(律法の外にいる人々)との間に隔てを設けることによって、神の御心にかなった分離の原則を築き上げる。

文字どおりの分離を示す場合もあれば、象徴的な分離を示す場合もある。

民数記19:11~12
どのような人の死体にでも触れる者は、七日間、汚れる。その者は三日目と七日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない。三日目と七日目に罪の身をきよめないなら、きよくなることはできない。 

死からの分離を要求しているが、同時に、死体に触れた後で聖めの儀式を行うように指示している。

関連聖句:
レビ記5:2~3、11:8
民数記31:19~20、9:10
レビ記21:1~4、22:4、6

イスラエルは、聖い民となるように召し出された。

出エジプト記19:6、22:31、23:24、
レビ記19:2
申命記7:6、14:2、21、26:18~19

マタイ22:32
神は死者の神ではなく、生ける者の神である

神の契約の民であるということは、死そのものから永久に分離されていることを意味する。

律法の中にこの分離が宣言されている。

それゆえ、死とは、契約の民にとって近づいてはならない領域。

モーセ律法は、伝染病の感染を防ぐために隔離の規則を定めている。

病気が伝染する性質を持つという事実が理解されていた。