第2戒
律法と平等
p95~
Law and Equality
The Second Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
死は争いの結末。
偽りの平和を求める社会は死を求めている。
争いは有益。
社会は争うことなしには成り立たない。
しかし、争いを制御できない社会は成り立たないだけではなく、さらに悪い結果を生み出す。
性(交渉)を例に取ることにしよう。
性(交渉)を規則によって管理しなければ社会は成り立たない。
どの程度性に対して制限を設けるかは、社会によって様々である。
性を完全に制限すると社会は消滅してしまう。
逆に、制限を撤廃しても社会は崩壊してしまう。
同様に、争いを完全に抑制すると、完全に自由にした場合と同様に、社会は無政府状態に陥る。
今日、われわれ西洋人は、争いの意味を正しく理解していない。
われわれは争うことを恐れている。
われわれの回りにある離婚や暴動や戦争に対して、われわれは争うことを拒否している。
本来ならば争いを取り扱うはずの人間の諸制度が、それらを処理できなくなっている。
また、それらを処理できる代替制度も持ち合わせていない。
争いの解決には二つの解決法がある。
規則と戦闘、すなわち法律と戦争。
これらは、本来自らが守り、強化すべきはずのものを逆に破壊している。
この見解はヒューマニズム的であり、相対主義的。
社会の内部で発生する紛争は、無政府状態を生み出す。
万人にとって自分が決定した法だけが法であり、人間の意思の他にいかなる絶対的な意思も存在しないとすれば、全体主義は避けられない。
しかし、全体主義を避けようとすると、完全な闘争状態と完全な無政府状態に陥るほかはない。
相対主義社会は争いの問題を解決できない。
いくら正しく秩序ある方法で処理したとしても、相対主義社会は争いを正しく処理できない。
もし、あらゆる見解、宗教、哲学を合法化し、万人を市民と認めるならば、あらゆる法律・文化を認めなければならない。
その場合、結果は二つしかない。
抑圧的で全体主義的な国家が万人を支配するか、万人が自由奔放に振る舞う無政府状態に陥るか。
個人主義と集団主義はいずれも自由主義の産物である。
律法と平等
p95~
Law and Equality
The Second Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
死は争いの結末。
偽りの平和を求める社会は死を求めている。
争いは有益。
社会は争うことなしには成り立たない。
しかし、争いを制御できない社会は成り立たないだけではなく、さらに悪い結果を生み出す。
性(交渉)を例に取ることにしよう。
性(交渉)を規則によって管理しなければ社会は成り立たない。
どの程度性に対して制限を設けるかは、社会によって様々である。
性を完全に制限すると社会は消滅してしまう。
逆に、制限を撤廃しても社会は崩壊してしまう。
同様に、争いを完全に抑制すると、完全に自由にした場合と同様に、社会は無政府状態に陥る。
今日、われわれ西洋人は、争いの意味を正しく理解していない。
われわれは争うことを恐れている。
われわれの回りにある離婚や暴動や戦争に対して、われわれは争うことを拒否している。
本来ならば争いを取り扱うはずの人間の諸制度が、それらを処理できなくなっている。
また、それらを処理できる代替制度も持ち合わせていない。
争いの解決には二つの解決法がある。
規則と戦闘、すなわち法律と戦争。
これらは、本来自らが守り、強化すべきはずのものを逆に破壊している。
この見解はヒューマニズム的であり、相対主義的。
社会の内部で発生する紛争は、無政府状態を生み出す。
万人にとって自分が決定した法だけが法であり、人間の意思の他にいかなる絶対的な意思も存在しないとすれば、全体主義は避けられない。
しかし、全体主義を避けようとすると、完全な闘争状態と完全な無政府状態に陥るほかはない。
相対主義社会は争いの問題を解決できない。
いくら正しく秩序ある方法で処理したとしても、相対主義社会は争いを正しく処理できない。
もし、あらゆる見解、宗教、哲学を合法化し、万人を市民と認めるならば、あらゆる法律・文化を認めなければならない。
その場合、結果は二つしかない。
抑圧的で全体主義的な国家が万人を支配するか、万人が自由奔放に振る舞う無政府状態に陥るか。
個人主義と集団主義はいずれも自由主義の産物である。