みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Path of Progress: Reckoning, #8

2015年04月17日 | 聖書研究・信仰
聖書を徹底的に理解するための秘訣は何か。

ひとことで言うと、それは啓示だ。

我々キリスト者は神ご自身からの啓示が必須だ。

マタイ16:17b
血肉ではなく
天におられる私の父が言われた

エペソ1:17
我々の主イエスキリストの神
栄光の父が
我々に与えますように
神の知識の中にある知恵と啓示の霊を

我々は、主とひとつであるという事実に対して眼が開かれる必要がある。

それは、もちろんキリスト教教理として知ることではない。

そのような啓示は、あいまいな形で与えられることはない。

我々は皆、キリストが我々のために死んだということを自分の目で見て知ったはずだ。

キリストとともに死んだことを見て知った時のことも同様。

鮮明に啓示を与えられたはずだ。

我々が通過すべき基本中の基本だ。

私が死んでいるのかどうかや死ぬであろうことを吟味してもしようがない。

私は、今この時、神がキリストにある私に為して下さった御業を見たのだ。

故に、私は、自分が死んでいることを吟味できる。

以上が、reckoning(吟味すること)という正確な意味だ。

「死ぬであろう」に向かって吟味するのではなく、「死んだ」事実(を知ったこと)から吟味が始まるのだ。