みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Path of Progress: Reckoning, #2

2015年04月10日 | 聖書研究・信仰
ローマ書6章6節を十分理解したら、次に何が起きるのだろうか。

ローマ6:11
事実であると受け入れなさい(*)
罪に死んでいることを
イエスキリストにある神に生きていることを

(*)λογίζομαι:
Middle voice from G3056; to take an inventory, that is, estimate (literally or figuratively): - conclude, (ac-) count (of), + despise, esteem, impute, lay, number, reason, reckon, suppose, think (on).
訳出の大変困難な単語。上のような訳出とした。ほかに「結論する」「計算する」「見なす」「見積もる」「認識する」「考える」など。


我々がキリストとともに十字架に付けられたと知ったなら

次のステップは、それを事実として受け入れることである。

Chapter 4: The Path of Progress: Reckoning, #1

2015年04月10日 | 聖書研究・信仰
キリスト者の間の考え方にある種の混乱がある。

主の十字架の価値が分かった上で生じる混乱だ。

くどいようだが、再度ローマ6:6に注目したい。

ローマ6:6b,c
本当に分かっているのか、このことを
我々の古い人は主とともに十字架に付けられた
罪の体が廃棄されるように
もはや我々が罪に縛られることがないように
(Nee訳+意訳)

この聖句において次のことが分かる。

あの出来事を、過去の、まさにあの場所へと回帰させていく動詞時制となっている。

しかも、最初で最後、ただ一回のみのイベント。

事は必ず完了し、なされないままでは終わらない。

我々の古い人は、ただの一度、そして永遠に十字架に付けられてしまった。

よって、二度と十字架に付けられることはない。

これが知識であり知恵だ。