みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Temptation And Failure, The Challenge To Faith, #5

2015年04月24日 | 聖書研究・信仰
「罪に対する圧倒的勝利」よりも「罪からの解放」という考え方の方が聖書的だ。

ロマ書6:7と6:11に見られる「罪から自由」「罪に死んでいる」という表現は、いまだに顕在かつきわめてリアルな存在である、ある種のパワーからの解放を意味する。

もはや消滅してしまった何かからの解放ではない。

原罪はいまだにそこに在る。

しかし、日々度量が増すにつれて、ますますそのパワーからの解放を自覚するようになるであろう。





Temptation And Failure, The Challenge To Faith, #4

2015年04月24日 | 聖書研究・信仰
犯された罪の取り扱いについて、神の方法は直接的だ。

主の血潮によって、それらの罪を記憶から吸い上げてしまうという方法。

罪の原理(原罪、単数の罪)やその力からの解放ということになると、神は間接的な取扱い方法をとる。

原罪ではなく、我々の中の罪人を取り除くという方法だ。

我々の古い人は、主とともに十字架に付けられた。

それ故、かつては罪の運搬車だった我々の体は活動を停止している(ローマ6:6)。

原罪という古い主人は死んだふりをしているだけ、この者に仕えていた奴隷が死に渡され、活動を許されないため、その配下にある各器官も休止状態となっているのだ。

ギャンブラーの手は動かず、ののしる者の舌はしゃべらず、さらにこれらに属する各器官が使用できなくなった。

代りに、各器官は神の義のための武具としていつでも使用できるようになった(ローマ書6:13)。

ローマ6:13
あなたがたの体の器官、不義の道具を
罪に献げないで
それぞれを神に献げよ
死者から生きている者のように
あなたがたの体の器官、義の道具を
神に