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小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

カラテ通信教育

2009-12-30 21:48:44 | 武道・スポーツ
時たま行く体育館に、ある空手組織のチラシがあった。「気軽に見学または体験してみて下さい」とあったので行ってみた。実に実に久しぶりである。平安の型は、初段と二段と五段は覚えているが、三段と四段は忘れてしまった。私が空手が出来るので、どうやって身につけたの?と聞いてきた。私は二週間ほど松涛館流の道場に通って、あとは一人で訓練したと答えた。それでも彼らは信じられないようだった。「通信教育を受けたの?」と聞いてきた。私は思わず噴き出してしまった。「通信教育。あんなもん、やってる流派はパーですよ」と私は笑って答えた。彼らは黙っていた。私は空手の通信教育など、やってる組織は人格的におかしいと思っているし、通信教育で空手を身につけようと思っている人は、そもそも才能がないと思っている。もっとも私は空手の通信教育というものを知らないので、どんな物なのか知らないが、いついつまでに前蹴りだの上げ受けだのの形を身につけよ、とか、そんなもんだろうと思う。通信教育をやってる方はわかっているだろうが、おそらく脱落率50%は確実に越していると私は確信している。実際の脱落率は80~90%くらいだろう。要するに、そんなものやってる組織は、脱落率を知ってる上で、高い教材を売りつけて儲け、生徒が脱落して、はい、それまーでよ、でおわりだろう。そんなのはインチキ商売である。
空手は通信教育なんかじゃ学べない。10回でいい。みっちり道場に通って先生のパンチとキックを頭に焼きつけて、(というより、頭に焼きついてしまうのだが)外してはならない突きや蹴りの原則を頭に叩き込んだら、あとはもう一人で訓練すれば空手など身につけられる。そのあとも道場に通うのは気合いを入れるためである。私は他のスポーツでも独学で何でも身につけてきた。本を読み、ビデオを見て、実際にやって。むしろ、世には指導力の無いアホなコーチが多いから、私にとっては、そんなもの足手まといになるだけである。勿論これは全てのスポーツに言える事ではない。フィギアスケート、体操、など高度な運動では独学で身につけるのは困難な面がある。またカンフーの発剄などは、空手より相当高度な技術と見受けられるので、これも独学で身につける事は難しいだろう。しかし少なくとも空手ていどのものは、独学でも十分に身につけられる。
では、私がそれを教えよう。
パンチはちょっと上手い教え方が思いつかない。あえて言うなら、高校野球の応援団のような空突きをしてはいけないという事である。右の突きも左の突きも胸の前方の同じ所の一点を突く。これが一番大切な事である。
キックは割りと教えやすい。
蹴りは、前蹴りにせよ、回し蹴りにせよ、横蹴りにせよ、まず踵が尻に着くまで膝を完全に曲げる。そして蹴る。(つまり膝を伸ばす)蹴って止める。そしてまた踵を尻に着けるまで膝を完全に曲げる。そして降ろす。これだけでいい。これが空手の蹴りの原則である。
空手で大切なのは、地面を蹴る反動の力を使って蹴ってはならない、ということなのである。
ちなみに、チラシにはホームページが書いてなかったから、当然、ホームページなど、その組織にはないと思っていた。(あったら普通、書くものである)しかし、会の名前をネットで検索したら、しっかりホームページがあった。しかも何とカラテの通信教育を熱心にやっているのである。入会金五千円、教材3万円だとさ。会長も来ていたが、指導力ゼロ、人格ゼロである。

私が最初に習った松涛館流の道場は平塚にあった。とっくの昔になくなっているが、人格がしっかりした先生だったので少し遠いがそこにした。それまでに3~4つの道場は見学した。が、特に武道では人格も指導力もゼロな指導者が多い。空手を身につけようと思う人はアホな指導者に潰されないよう、人格のしっかりした指導者の組織を探すことが大切である。

こういう傲慢な事を書くと腕で示せ、と戦いを挑まれるかもしれない。私は別にかまわんよ。ただ命の惜しい人は気をつけた方がいいですよ。なぜって私は肉体が凶器である以上に精神が狂気だからね。狂犬に素手で戦いを挑む覚悟をちゃんとしておかないと後で後悔しますよ。

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耐える

2009-12-30 20:48:51 | Weblog
辛い時、苦しい時、一人で悩みを抱え込んでしまうのはよくない。人に話すなり、同じ苦しみを持っている人を探したり、自分の辛い思いを文に書いて表現したりする事はいい事だ。苦しみが軽減されるからだ。むしろ、それはしなくてはならない事だ。
しかしである。そればっかりしていて、それが習慣になってしまうと忍耐力がなくなってしまう。苦しい時には、黙って耐える事も必要である。それは忍耐力を強くする。少なくとも私はそうしている。そして、そういう事は他人にアドバイスすることは出来ない。そういう事は自分が自覚するしか他に方法がないのである。

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ブルース・リーのキックとフルコンタクト系の空手の蹴りの違い

2009-12-30 15:03:59 | 武道・スポーツ
ブルース・リーのキックとフルコンタクト系の空手の蹴りの違い。
これが分かる人がいるだろうか。ちょっと才能のある人なら分かるだろう。日本のフルコンタクト系の空手は、ルールを決めて一対一で戦うスポーツである。掴み、や倒し、などしてはならない技がある。そして、スポーツというものは、ルールが決まると、それに最も合理的な体の動かし方が完成されるのである。それは全てのスポーツで言える。フルコンタクト系の場合、パンチとキックのコンビネーションの洗練さ、が大切なのであり、蹴る時も防御を保ち、いつでもパンチを打てるように構えているのである。そして、相手と接近したショートの間合いであり、お互い間近に向き合った状態からのパンチ、キックの応酬になる。つまり蹴る時も相手のキックに対する自分の手のガードを忘れず、蹴りつつも、すぐパンチを打てるような構えなのである。一方、ブルース・リーのパンチやキックは、と言えば。ブルース・リーが想定しているのは、ルールのある試合ではない。武術、(つまりはストリートファイト)だからである。一切のルールがないのである。相手は柔道家かもしれないし(ドラゴン怒りの鉄拳での戦いは、敵は日本の柔道家)、そもそも敵は一人ではない。しかも、敵は武器をも持っているかもしれない。こういう事を想定しているから、殴る時は、ボクサーのように殴る事のみに専念している。同様に、蹴る時は思い切り蹴る事のみに専念している。手のガードは無い。映画を見てもわかるが、ブルース・リーは蹴る時は、どんな蹴りでも手を大きく開いている。つまりパンチとキックは独立しているのである。ブルース・リーは殴る時はボクサーであり、蹴る時はテコンドーファイターとなっているのである。一方、ルールを決めたフルコンタクト系のスポーツ空手の試合では、パンチとキックと受けのコンビネーションを絶えず意識している事が、勝つためには大切だから、絶えずガードをした構えであり、蹴りつつガードし、敵のキックをガードしつつ、直ぐキックし返すという、ガードとパンチとキックが一体化した体の動かし方となるのである。

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