小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

一過性記憶喪失

2009-12-26 00:27:57 | 医学・病気
天才と、何とやらは紙一重という諺があるが、それを逆にとって、何とやらという性格が自分に少しでも、あることを、自分が天才の資質がある証明のように誇る傾向の人がいる。私は、それが嫌いである。一番の理由は、本当の患者は地獄の苦しみの中でのたうちまわっているのに、それを、面白半分に使う点である。だから私は、そんな事、無考えに誇ったりしない。ただ、私には、いくつかの脳が失調状態におちいる時がある。それを大げさでもなく、過少でもなく書いておこう。最近は無いが、私は、子供の頃から、一過性記憶喪失になることがあった。一年に一度か二度くらいだった。ある時、時と所をかまわず、ふっと自分が誰なのか、ここは何処なのか、わからなくなってしまうのである。ただ言葉や概念はわかる。だから、ちょうど漫画とかにあるような、いわゆる記憶喪失である。そうなると、当然、物凄い恐怖感に襲われる。「オレは一体、誰なのだ」名前も、年齢も、何処に住んでいるかも、全てわからなくなってしまうのである。そのため、必死に自分が誰なのか、思い出そうと必死になって、色々と自分を知る手がかりを探し出す。子供の頃は、「オレはクリスチャンだ」というのが、手がかりになった。親に言ったら、「それは立派だ」と笑っていた。もちろん私はクリスチャンではないが、宗教という感覚的な概念は、思い出せるのである。そこから、だんだん、芋づる式に、名前や年齢、住所、どこの学校の生徒か、などが、思い出されてくるのである。そして、10分~20分くらいで完全に自分のidentityにたどりつける。現実に戻れるのである。そうすると、ほっとする。大学の時にも、それはあった。しかし、わからない自分から、わかる自分にもどると、自分が自分であることが、嬉しい場合と、嬉しくない場合があった。子供の頃は、ただ自分に戻った安心感だけで、ほっとするだけだった。しかし大学の時は、「ああ。オレは過敏性腸症候群があるんだ。この病気を持って生きていかなくてはならないんだ」と気づくと、がっかりした。さて、最近は起こらないが、今、起こったら、私は、喜ぶか、失望するか。それはわからない。これは精神医学にも書いてある一過性記憶喪失である。自殺した漫画家の山田花子さんも、これがあった。

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