テニススクールでの指導というものに疑問を感じる。というより間違っていると思う。運動の上達の基本は量質転化である。空手道の空突き、空蹴り、がいい例である。この地味極まりない反復練習を何万回と繰り返さねばならない。それは他のスポーツでも言える。コーチなど、はずしてはならない運動の原則を、何回か教えれは、もう必要ない。あとは、反復練習である。しかし、何も言わないで生徒にまかせているというのは、コーチらしくなく、コーチとしての体裁が悪いから、ゴチャゴチャ同じ事を教えるのである。これがプロのスポーツのコーチと選手では全然、違ってくる。プロでは、金やランキングがかかっているから真剣そのものである。コーチは、ほとんど何も言わない。だろう。選手は技術が完成されていて、技術的な指導は慎重にしなければ危険であることを分かっているからだ。コーチは生徒の体力強化の監督のようなものだろう。コーチが見ているという事だけで、緊張して気合が入る。選手が、あまり無理しすぎないよう体調を管理するのが、プロのコーチの役割だろう。しかしテニススクールでは違う。いかにフォームを完成させるか、ではなく、いかに、尤もらしく教えた、という満足感をコーチが味わいたいため、レパートリーに富んだ事をやるのである。フォームの完成には、慎重で地味な反復練習が大切なのだが、それではコーチの出る幕がなくなってしまうからである。そして、試合では相手の打ちにくい所に打つセコいショットも平気でしている。し、生徒にも勧めている。これも、おかしい。上達ということを考えれば、相手の打ちやすい所に球を返して、出来るだけラリーをつづける試合というのもあっていいと思うのだが。武道でも、技が出来ていないのに、いきなり乱取り、真剣勝負をするのはよろしい事ではない。カンフー映画で見られるような、徹底的な、約束組み手で、攻防の論理を身につけなくてはならない。医療においても、何もしない、というのも治療の選択肢の一つである。医者に行ったら薬を出してもらうのが当たり前であり、患者も医者から薬をもらって飲むものだという既成観念が出来てしまっている雰囲気がある。が何もしない、様子観察というのも治療の選択肢の一つなのである。
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