活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

本来の自己

2015年08月02日 | 
ものが見えた、今何か聞こえたという事は、既に【事実】というものは過ぎてしまって【自分の考えの中だけ】で見えた、聞こえたというものが残る訳です。

どこにもない自分を認めて有ると思っている。

その有ると思っている自分が意識を起こして、自分が見た、今自分が聞いたかのように妄想を起こしているのです。


私達衆生の修行 (今の事実に徹する) は、「本来の自己」に目醒める事です。

本来の自己というのは認めようのない、認めることの出来ない、際限のない、大きな自分という事です。

それに目醒める事、これは又、無我とか、無心とか、空とか、自己を忘じるとかいう言葉でも表現されています。


人も、一切のものも、いつでも同じ状態というものはありません。

いつでも移り変わっているという事 (無常) で、絶えず変化し続けているものには「自我」というような、これだというもの、中心となるものを認める事は出来ません。