活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

坐禅は坐禅なり 3

2015年08月11日 | 坐禅
坐るなら、本当に坐らなければなりません。

「本当に坐る」とは、【坐るものがなくなるまで、坐り尽くす】ということです。


人の考えが入ると、「只 (ただ)」坐る事になります。

「只」というのは、人の考えです。

それだけ、坐というものに「人の考え、我見」というものが、くっついているのです。
ですから、「只、坐ろう」という意識が添うのです

それでは、「本当の坐」にはなりません。


「坐禅は坐禅なり」 です。

ここには「只」もなければ「坐禅」もない有り様です。

ですから、「只」という我見を交えないようにして坐る。

「坐禅は坐禅なり」 です。


そのときを「見性 (けんしょう)」とか、「脱落」、「解脱」というふうに説明をしているということです。

一度【その事実】に成らないと「そのままでいい」ということにはならないのです。


いくら観念的にそうしても、【自分自身が承知できない】訳です。

ですから、「坐禅は坐禅なり」、そういう坐に徹して頂かないといけない訳です。