活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

ひたすらに坐る2

2015年08月25日 | 坐禅

「坐る」 という言葉を聞くと、何が何でも足を曲げて、

形通りの坐ということにこだわる人がいます。

しかし、坐禅というのは行住坐臥 (ぎょうじゅう ざが)

だということです。


四六時中、すべてが坐禅になっていなければならないのです。

自分の今していること、考えていることが

全部坐禅になるように心掛けなければいけないのです。


禅宗で、「摂心 (せっしん)」 の 「摂」 という字は、

心を摂(おさ) める、整理するというように解釈されています。


しかし、本来の 「摂」 というのはあるがままに、ありのままに

という意味です。

散り散りバラバラになっているものを、

ある一つの形にはめることではありません。


「あるがままに、そのままに任せておく」

ということを 「摂 (おさ) める」 と、解釈して

いただかなければならない訳です。


摂心で 「坐に親しむ」 ということで、

自分と相手との距離 (隔て) をなくすことなのです。