「三世心不可得 (さんぜしん ふかとく)」という御言葉があります。
過去の心も、現在の心も、未来の心もつかむことは出来ません。
ですから、「畢竟(ひっきょう) 、今」なのです。
坐禅を志す人は、
「今、初めてここで坐る。今、初めて法を耳にする」
そういう態度で坐って頂きたく思います。
坐禅は人のためにするものではありません。
法のためにするものではありません。
自己のためにするものでもありません。
「坐禅は坐禅なり」
「唯務 (ゆいむ) (ただ つとめる)」
ということです。
過去の心も、現在の心も、未来の心もつかむことは出来ません。
ですから、「畢竟(ひっきょう) 、今」なのです。
坐禅を志す人は、
「今、初めてここで坐る。今、初めて法を耳にする」
そういう態度で坐って頂きたく思います。
坐禅は人のためにするものではありません。
法のためにするものではありません。
自己のためにするものでもありません。
「坐禅は坐禅なり」
「唯務 (ゆいむ) (ただ つとめる)」
ということです。