活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

発心 (ほっしん)

2015年08月14日 | 道元禅師
道元禅師曰く、

「発心 (ほっしん) 正しからざれば、万行 (まんぎょう) 空しく施す」

と。


どういうことかと言いますと、道元禅師の御言葉を借りれば、正しい発心とは

「仏道をならふというは、自己をならふなり」

ということです。


その「自己をならふ」とは、

「無自性、無我 (どこにも自分というものを認めることが出来ないものである、自分というのは本来ないんだ、自己というものはないんだ)」

という、そのことを知ることです。


それに向かって、日日 (にちにち) の生活をする、それを正しい発心というのです。

だからそのためには、「自己を忘るるなり」ということなのです。


「見聞覚知 (けんもん かくち)」する今の自分、これを認めて、「これが自分だ」というふうに考える、それは大変な間違いなのです。

それを、「仏の教え、歴代の覚者の教えによって忘れなさい」と、いっているのです。

そういうふうに、自分で発心しないといけないのです。