活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

分別心 (ふんべつしん)

2015年08月23日 | 仏教
「私はまだ未熟な者である。完全な者ではない」

あるいは、

「自分にはこういうところに欠点があるから、その欠点を直そう」

というようなことで坐禅を行うと、ますます自分の病気を、深く、大きくしていくものです。


ですから、良いとか悪いとか、未熟だとか成熟だとか、あるいは、善だとか悪だとかということは、全部「分別心 (ふんべつしん)」なのです。

「分別心」とは、一つのものを認めることです。

「一つのものを認める」のは「自分 (自我)」があるから、そういうものを【認めなければならないようになる】訳です。


ものは決してあるわけではないのです。

一つのものを認めて、分別を起こせば、良ければそれに執着し、悪ければそれを切り離していこうとするものです。

しかし、そういうものではありません。