活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

声聞根性 (しょうもん こんじょう)

2015年08月17日 | 法理
どんなに素晴らしいおシャカ様の御言葉であろうと、歴代の覚者の御言葉であろうと、そういう【知っている言葉】を先に立ててそれに沿っていこうとすることを「声聞根性 (しょうもん こんじょう)」といいます。

それをしていても、決して仏道の修行にはならないのです。

「発心 (ほっしん)」にならないということです。


『発心、修行、菩提、涅槃』 発心がなければ修行は出来ません。

修行が出来なければ菩提もないし、涅槃もないということです。


これは当然のことです。

何故なら【求めるところが違う】からです。


ものをよく知っている人は「自分はよくわかっているんだ」という自信を持つものです。

それは危険なのです。

自信というものは【持つべきものではない】のです。

そんなものは【持てない】のです。


「これでいいんだ、こうしていけば間違いないんだ」という、そういう自信、それ自体が【誤り】だということに気が付いて頂きたいと思います。