報恩
2015年08月26日 | 禅
私達衆生がおシャカ様を始めとして、歴代の覚者と言われる方々の恩に報いるには、「自分の坐禅を誰かに伝えていく」という、“菩提心” といいますか、「志」をもって頂かなければいけないのです。
“此の事” は、拵 (こしら)えて出来る事ではありません。
拵えた物とは、手で作り上げたものということです。
拵えた物ならば、早晩なくなってしまいます。
“此の事” とは、そういうものではありません。
「自らが【法】を自分の物としなければならない」
ということです。
「こういう法があるのだ」と【知った人】は、もうその人の責任です。
いい加減なところで挫折してしまって、
「誰か自分の代わりになって、やってくれる人が居るだろう」
と、簡単に考えないようにしてもらいたいのです。
「自分は坐禅をさせてもらっているのだから、その喜びを誰かに伝えて、共に坐禅弁道の出来るような人を作らなければ」
と、そういう「志」を起こしていただきたいと思います。
“此の事” は、拵 (こしら)えて出来る事ではありません。
拵えた物とは、手で作り上げたものということです。
拵えた物ならば、早晩なくなってしまいます。
“此の事” とは、そういうものではありません。
「自らが【法】を自分の物としなければならない」
ということです。
「こういう法があるのだ」と【知った人】は、もうその人の責任です。
いい加減なところで挫折してしまって、
「誰か自分の代わりになって、やってくれる人が居るだろう」
と、簡単に考えないようにしてもらいたいのです。
「自分は坐禅をさせてもらっているのだから、その喜びを誰かに伝えて、共に坐禅弁道の出来るような人を作らなければ」
と、そういう「志」を起こしていただきたいと思います。