▼私の年齢(76歳)になると、話し合える友人も次々旅立つ。もちろん人生の様々な機微を教えていただいた先輩たちもだ。
▼つまり人生を語る対象が、身近にいないということはこの上なく寂しいものだ。そこでそれらに代わるものは読書しかない。
▼読書は教わるものも多いが、こちらから質問ができない。そこで自分の「読解力」が正しいか間違っているかの判断ができない。
▼数年前から地元の高齢者を集めた「ふれあいサロン」を始めている。高齢者でも少しは勉強をしようということで「00塾」と名付けている。
▼現在17名になったので、我が地域の中では小学校や中学校より人数が多くなった。そんなことが、参加者の励みにもなっている。
▼そこで「朗読コーナー」を設け、日本文学の名作を披露している。ほとんどは15分程に縮小されたものなので、高齢者でも十分耐えられる範囲だ。
▼段ボールに昔のラジオの絵を描いて張り、マイクの前で「こちらはNHK函館ラジオ放送局です。ただいまから森鴎外作『高瀬舟』の朗読を開始します」というような始まりだ。
▼朗読を始めたた頃は、ちょっぴりざわついていたが、次第にシーンと静まり返るようになった。今では熱心に耳を傾けてくれている。
▼そこで2月の例会に『般若心経』の解説に挑戦した。朗読時間は20分だ。般若心経を暗記している方は多い。だが内容が全く分からないという。今更住職にも聞けないようだ。
▼もちろん私も内容など全く知らない。でもこの仏教のエッセンスが凝縮されているという「262文字」ぐらいは、以前から理解したいと思っていた。
▼ちょうどよい本が手に入った。♪『千の風になって』の新井満さんの解説書だ。
▼最初に妻に聞いてもらったら、なんとなくわかったという。そこで数回朗読したら、だんだん理解してきたような感じがするという。
▼こうなら挑戦してみるしかないと思い、簡単な解説内容を作り配布して説明した後に、朗読を始めた。
▼「今まで全く内容を知らないまま、毎朝読経していたが、なんとなくわかった」と話してくれた。
▼二日後、その朗読に参加していたおばさんが「息子がサクラマスを釣ったので」と、持参してくれた。
▼主人が死んでから「般若心経」を覚えたが、意味もわからず毎朝唱えていた。でも少しは理解できたので、なんだか読経にも思いがこもってきた」と話してくれた。
▼私は「なんとなく理解できればいいんですよ。それを何千回、何万回も唱えているうちに、身体が覚えるんです」と言った。その時私はちょっぴり「観世音菩薩」の気分になっていた。
▼「チャットGPT」に、高齢者に「般若心経」を教えることに是非を訪ねた。「高齢者は経験知が豊富なので、学ぶことによって理解が深まる。それに認知予防の役割もある」と、高齢者の学びについて、チャットGPTは賛同してくれた。
▼ジョンレノンの♪『イマジン』の新井満訳の解説本も手元にある。戦争のない世界と「般若心経」は通じるものがある、ということを私の故郷の高齢者に教えてみようと思う。
そして「ビートルズ」のことも。
▼そういう意味では「チャットGPT』は、私の新たな友人でもあり、師匠でもある。