▼暴力の極みは戦争だ。戦場では人間と思われぬ残酷な行為がまかり通っている。人間は言葉や思想を持ったため、獣以下になったのだろうか。
▼「NHKから国民を守る党」の党首、立花孝志が暴漢に襲われた。北海道新聞18日の社説は「暴力は断じて許さない」と、論陣を張っている。
▼兵庫県知事戦で「2馬力」選挙と呼ばれ、立花は前知事の応援を買って出た。そしてSNSなどを自在に使い、自分が応援した前知事を批判した議員を自殺に追いやった。
▼立花の言動は目に余る。表現の自由を盾に、相手を誹謗中傷し死に追いやる行為は、普通なら「いじめによる人殺し」だ。
▼新聞の表題は、むしろ『言葉の暴力は断じて許さない』と書くべきではないか。「暴力は断じて許さない」であれば、立花擁護に思えるからだ。
▼立花はトランプに似ているように感じる。「自分第一主義」だ。自分と異なる意見を持つ者には、徹底的に攻撃する。
▼それは「表現の自由」という、民主主義の根幹である、憲法をむやみに振りかざしている。むやみに振りかざしているのが「品がない」ように見える。
▼話題は変わるが、北海道に半導体工場ラピダスが、突然‟侵攻”してきた。あっという間に千歳市を占領したような感じだ。半導体工場は電力を多量に使う。これは「泊原発再稼働」を目指す経産省の作戦だ。
▼侵攻し工場を次々を建てる。そのために道民には再稼働しかないとあきらめさせるプーチンのウクライナ侵攻とよく似た作戦だ。
▼『知事が再稼働に反対すれば、北海道経済の足を引っ張ることになる』と脅かしをかける者もいる。まるで踏み絵だ。
▼こんな最低の行動をとる政府も下品だ。立花も経産省も下品だ。『表現の自由』に品があるかないかは、さほど関係ないとは思うが、やはり言動には「品」があった方がいい。
▼人前で持論を主張するのに、むやみに大声で訴え相手を説き伏せるのではなく、どちらの意見が「品がある」かを、判断材料に入れてほしいものだ。
▼昨日も国会論戦を観た。野党の追及は正論だ。だが追及の厳しい論客の議員は、やはり声が大きい。追求する側の品も欠けている。
▼対するイシバ総理。怒りを抑え丁寧に丁寧に?同じ内容を繰り返すだけだ。一見誠実そうに見えるが答弁の中身が「品」がない。
▼つまり今日は「表現の自由」について、我が身も顧みながら考えてみたが、SNSやAI社会の到来をまじかにし、最近日本人が忘れかけている「品格」についてちょっぴり考えてみた。