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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館のイワシと福島汚染水

2023年12月12日 13時26分38秒 | えいこう語る

函館市の太平洋側に、鰯の大群が押し寄せたニュースを聞いたのは、今月7日だ。私の近くの海岸だったので、早速現場の確認に出かけた。

 

今まで見た鰯の中で最も大きく、丸々に太っていた。私の記憶では昭和30年代までは、冬になると頻繁に海岸に押し寄せていた。

 

当時の大人の話では、鰯は鰤や鮪に追われて海岸に打ち寄せられると聞いていた。今回のも、沖にイルカが跳ねていたという目撃もある。

 

さらにこの海岸は津軽海峡にあり、鮪の良場でもある。大鰯をたくさん食べた巨大な鮪が、正月の初セリを賑わすことを想像する。

 

だが12日の北海道新聞を見て驚いた。英国大衆紙が【函館市への魚の大量漂着が、福島の処理水放出の3カ月後だった】という内容の記事を発表し、SNS上で『核の魚』というのも拡散しているという。

 

原発反対派の私も、福島汚染水のことを一時忘れていたのだ。そこで今までの原発の温排水に関わる、知り合いからの情報を思い出した。

 

普通炉心を冷やした温排水は、大量に海中投棄される。原発周辺で釣りをした知人から聞いたが、原発地域の魚は大きいと言っていた。

 

温排水を毎日観察を続けていた知人は、その周辺のアワビが異常に大きいとも話していた。どちらも科学的に正確な情報ではないが、

本人が言うのだから、疑問を持ってもいい情報だろう。

 

それに英国紙は、福島と函館が近いという位置関係を示す写真や地図も掲載し、関連性を強く印象付けているという。

 

これについては福島原発事故直後、ベルギーに移住していた友人から電話があり「まだ非難していないのか!地図上で見ればすぐ近くの事故ではないか」と驚かれた記憶がある。

 

視点の違いで、危機感も相当違うということを実感した電話だった。そこで地球儀を見たが、福島と函館は隣だ。

 

しかし函館市民には、福島は海を隔てた遠いところというイメージがある。そして遠いところだから、自分たちは安心だというのが、心の奥に潜んでいる気がする。

 

津軽海峡をはさんで、すぐ近くに見える下北半島に、世界最大級の大間原発が建設されようとしている。

 

燃料に使うのは、広島原発の核爆弾の原料「ウラニウム」と、長崎原発の核爆弾の原料「プルトニウム」の混合燃料だ。

 

事故が発生したり、敵国からミサイルの着弾があった場合、想像を絶する被害になる。だが函館市民の大間原発に対する考えは、函館市が建設反対を国に提訴しているので、任せておけばいいという考えが多い様に思う。

 

人口減と経済が低迷する函館市が、大きな予算獲得で提訴を取り下げたら、市長を交代させるだけでは済まない。

 

大間原発問題は、函館市に任せておくだけではだめだということだ。市民がイニシアチブを取るべき問題だからだ。それが「国民の権力」、つまりデモクラシーの、本来の姿だからだ。

 

今の国会の混乱状況は、なにも議員だけの問題ではない。彼らを代表と送る国民側の責任でもあり「民主主義の劣化」がここに来て極まっているということだ。

 

ちょっぴりはみ出してしまったが、英国からの「鰯と原発汚染水」の記事。ただの中傷ととらえるより、もう一度原発の危険性を覚醒させる、指摘ととらえてみることが必要ではないかと考えてみた。

 

さらに津軽海峡は真ん中が公海だ。様々な国の船舶や軍艦、そして潜水艦の通り道だ。函館は江戸幕府以来、軍港化の目的でまちづくりがなされたという。

 

ペリーも函館に入港している。近年港は整備され、大型クルーズ船の入港で市民は喜んでいる。

 

米艦艦隊の入港も十分可能となった函館港。キシダ内閣下で異常に煽る敵国の脅威。日米安保下では、函館港に米空母が接岸するのも時間の問題のような気がする。

 

入港許可は港湾管理者の函館市長だ。その時、イニシアチブをとるのは、やはり函館市民ではないかと思う。

 

軍靴の足音は私たちの周辺に、今や鰯の大群のように押し寄せている。「仕方がない」と済まされる問題ではない。

 

1984年函館市は「核兵器廃絶平和都市」を高らかに宣言している。来年は40年目の節目だ。

 

核燃料で稼働する大間原発もいらない。核燃料で移動し、核兵器搭載の米空母の入港もいらない。

 

「市民による市民のための市民の市政」を執行できる函館市にするため、市民がイニシアチブをとれる【函館市・民主主義】の年の初夢を見たいものだ。

 

鰯の大量漂着から、函館市民の『安全・安心なまちづくり』について、ちょっぴり考えさせられた。

 

来年で函館市に吸収合併され、函館市民20歳を迎える若輩者の、平和国家存続への思いだ。


試される民主主義

2023年12月10日 17時56分33秒 | えいこう語る

1947年から始まった「民主主義国家日本」。76年経った2023年もあと僅かになった。

 

1948年生まれで、戦後民主主義の中で育った私でも、近年日本民主主義は劣化しているのではないかと感じている。

 

私は2004年に函館市に合併され、函館市民(人口現在約24万人)になったが、函館市民の多くが、民主主義そのものを深く考えていないのではないかと考えている。

 

そんな考えに至った一つに、私が参加する函館市町会連合会(函館市民の最大の組織)の存在がある。市から年間補助金は1000万程いただいている。

 

町会は1940年(昭和15年)内務省訓令第17号で、「万民翼賛ノ本旨ニ則リ地方共同ノ任務ヲ遂行セシムル」ことを目的に整備された。

 

その後に出された内務大臣通牒によれば「市町村ノ補助機関として…必要ナル任務ヲ遂行セシムル」ものとなった。

 

極めつけは1943年(昭和18年)には【国家総動員体制の公的な末端戦争協力組織】となった。

 

戦後はGHQにより、戦争協力組織と認定され廃止された。だが地域においては町会は消滅せず、多くの自治体は、町会は住民の自主的組織と位置付けながら【行政の末端事務を委託】し、助成金を交付し、地域を代表する組織として位置づけてきた。

 

これが町会組織の歴史的な実態だ。しかし、日本国憲法が発布されて以降、国家主権から「国民主権」となった。だが国民は自分が住む自治体の再生のため、行政に協力するという姿勢は捨てなかった。

 

戦後の復興は、国民の協力は欠かせなかった。だがここで国民は民主主義の本質について学ばなかったというより、学ぶことより生活に固執する日本社会となった。

 

「高度経済成長」という、資本主義体制ににめり込んでしまったからだ。国民は経済という新幹線に乗り、ひたすら未来へと突っ走り「民主主義の本質」を顧みなくなってしまった。

 

それが現在における我が国の『民主主義の劣化』につながったのではないかと、戦後生まれの私は総括する。

 

さらに函館市民の自主的組織である「市町会連合会」においても、いまだ「自治体の下部組織」としての使命感から、抜け切れてないものを感じる。

 

市民を束ねる組織だから、行政に協力しなければならないという、旧態依然とした組織使命があるからだ。それを悪いとは言わない。

 

戦後78年経った現在でも、そのような組織運営をしている理由の一つは、函館市長は民間人からではなく、市役所職員から出ているのがその最大の理由ではないかと考える。

 

前市長を7万票という大差で破り、今年4月に当選した市長も職員出身だ。市長と町会組織強化について対話する機会があったが「隣組」という言葉を口に出す。

 

まだ50代の後半の市長だが「隣組のように、市民が協力できる組織が、市の活性化にもつながる」というような意味で、発言はしていると理解する。

 

だがそれは、町会の歴史を正しく理解していない様に感じる。それでなくとも、函館市の町会連合会は、いまだ戦前のお上に協力するという意識が強く感じられる組織だからだ。

 

12月にも市長と町会連合会との話し合いがあった。市政も町会も活動指針は【安全・安心なまちづくり】だ。

 

そこで私は普段から疑問に思っている、大型クルーザー船の入港について尋ねた。「函館港湾は17万トンクラスの大型船の入港が今年もあった。米空母は10トンクラスだが、入港を要請された時、港湾管理者として市長はどのような対応を考えているか」という内容だ。

 

私にとっては一市民として「安全・安心な函館」としては当然の質問だ。だが市長は、これまでの対応と同じ様に行う」という内容だった。

 

1997年の日米安保に係る「新ガイドライン」では、米軍が有事に際に使用できる港に「函館港」が指名されている。国がOKしているものを、函館市長が拒否できるものではないはずだ。

 

さらに函館市は1984年【函館市核兵器廃絶平和都市宣言】をしている。また2015年には函館市議会が「集団的自衛権行使容認決議」を可決している。そのことも付け加えての質問だった。

 

市長がいう「今までと同じ対応」とは、米軍から入港の依頼があると、市が外務省に連絡し「核の搭載がなければ」入港OKというものだ。電話一本らしい。

 

今日(10日)の北海道新聞に、日米韓と豪が北朝鮮のミサイル打ち上げに対し、合同で対処することを確認したという記事が目についた。

 

先日日本海で日韓合同訓練が行われ、米空母カール・ビンソンが韓国の港に寄港した。我が国には敵国が太平洋への進出を阻むため「三海峡封鎖」というのがある。一朝有事には『津軽海峡封鎖』だ。

 

となれば、米空母の函館港の入港は、素人でも理解できる。近くの米軍三沢基地には戦闘機も待機している。

 

大谷選手のドジャース移籍と同様、あっという間に函館港は軍港化するに違いない。

 

問題は私の発言だ。次の幹部会議では、私の発言は町会活動から、逸脱した発言ではないか」と指摘されそうだ。

 

だが、市民と市長との対話集会では、新市長が「安全・安心」について、どのような見解を持っているかを尋ねるのが、市民としては当然だと思う。

 

市長の人格をよくわからないと、良いまちづくりにはならないと思う。函館市民は「議員との対話」がないように思う。

 

市民として、市民の代表にもっと期待するために「市長や議員たちと市民の対話」が、今一番必要だと思う。

 

村民から函館市民になって、来年で20年目を迎える。私の地域は函館市になっても地域内には公共交通も満足に走っていない。

 

新幹線函館乗り入れも大きな希望だが、衰弱する地域にも希望の光を与えてほしいものだ。

 

【試される民主主義】。国ばかりではなく、地方自治体でも待ったなしの命題ではないかと感じる、間もなく迎える辰年の2024年だ。


函館の海岸に大量の鰯!

2023年12月08日 20時35分58秒 | えいこう語る

昨日のテレビのニュースで、函館市浜町(旧戸井町)の海岸に、鰯が大量に押し寄せられた光景が映し出されていた。

 

海がすべて鰯で、鰯の波が打ち寄せているような、異様な光景だ。この海岸は私の住む地域から、車で20分ほどのところだ。

 

私は昭和23年生まれだが、昭和30年代後半ごろまで、冬になると大量の鰯が海岸に押し寄せられた光景を記憶している。

 

鰯はイカに追われ、イカはブリやマグロに追われて海岸に打ち寄せられたという。イカも手つかみで拾ったものだ。

 

中学までは田舎にいて、高校は函館市内に出た。そこで魚屋に鰯やイカが売られているのを見てびっくりした。鰯やイカは漁師の親戚からいただいて、タダだと思っていたからだ。

 

 

鰯の大群が海岸に打ち寄せられた光景を知らない町育ちの妻に、その光景を見せようと、車でその海岸に出かけた。

 

その帰り、近くの温泉に立ち寄った。風呂では年配の男性たちが「こんなに鰯が寄ってきたのは初めて見た」と話していた。

 

それらの男性は、普段私より年上だと思っていた。ほとんどが漁師なので、風貌が私より年上だと思っていたからだ。

 

旧戸井町は、明治から鰯の漁が盛んで、鰯漁の網元がたくさんいた。大正時代に戸井町役場が火災となったが、鰯の網元がお金を出し役場を新築したという歴史まである。

 

でも戦後間もないころの鰯の大漁も知らない、私より先輩だと思っていた漁師の会話に、私は愕然とした。

 

75歳の私は、私より高齢だと思っていたオヤジさんたちより、私が年上だったということを知らされたからだ。

 

私は50代半ばから、白髪が目立ち髪を染めていた。70歳を契機に染めるのをやめようと思っていたが、踏ん切りがつかず、75歳になって白髪染めを中止した。

 

そして短髪にしたので、3ヶ月ほどで一気に頭が白髪になってしまった。そして染めないことで、毛根が生き生きしたためか、薄いところの毛が生えてきた。

 

手鏡で後頭部を見ても、驚くほど髪が生えているに、気づくぐらいになった。髪染めは毛根にダメージを与えていたようだ。

 

75歳で白髪になったが、その同じ年に、死ぬ前に一度は見たかった、海岸に押し寄せる鰯の群れを見ることができた。

 

何の脈略もない二つの出来事。でも私は、なんだかうれしく思えた。些細な決断と、二度と見ることは不可能と思われた鰯の大群を見ることができたからだ。

 

私が生まれてから今までに、ずいぶん周囲の環境が悪化した。そのせいで前浜の魚も獲れなくなった。

 

髪染めを中止したら頭部の環境が戻ってきて、髪が生えてきた。そして全く偶然だけど、前浜にも鰯の大群が押し寄せた。

 

持続可能な地域社会は、それぞれが判断し実行することだと思った。来年は辰年だ。辰が海から舞い踊るように、新年は大漁を期待したい。

 

それに、これも影響したのではないかと思うことがある。私が企画する「高齢者サロン」での11月の朗読は、詩人金子みすゞさんの『大漁』を行ったからだ。

 

 

  朝焼け小焼けだ大漁だ

  大羽鰯の大漁だ

  浜は祭りのようだけど

  海の中では何万の

  鰯のとむらいするだろう

 

函館市は鰯の処理に苦慮しているという。きちんと弔いしてほしいものだ。


司法の読解力は?

2023年12月07日 13時57分26秒 | えいこう語る

OECDが世界81ヶ国の、15歳を対象とした学習到達度調査の結果。2022年、日本が「読解力」第3位に輝いたというから驚いた。

 

ICT化が促進され、活字離れが多くなっていると思っていたが、意外な評価だ。もしかして、他国が低下しているからかもしれない。

 

というような、意地悪爺の発想をするのは、やめにしたい。他にも日本は「数学的応用力」5位。「科学的応用力」2位だという。

 

素直に我が国の将来に希望を持てる人材が、育成されていることに敬意を表したい。

 

翻って、我が国の司法関係者の「読解力」の低下が嘆かれる。集団的行使容認を認めた、安全保障関連法は違憲だという裁判が、全国で22の地裁・支部で起こされた。

 

判決はすべて「原告敗訴」だ。最大の争点は政府の法解釈変更で、集団的自衛権を認めた安保法が【憲法9条】に違反するかどうかだ。

 

「9条」は、2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」とある。

 

これを15歳の学生に解釈してもらえば、政府の決定(閣議決定)の「集団的自衛権行使容認」は、間違いなく憲法違反だと答えるに違いない。それが正常な憲法の「読解力」だ。

 

だが仙台高裁は5日、原告の「憲法9条が実質的に改正されたのに、必要な手続きを取らなかったのは、国民の憲法改正・決定権を侵害する」ものだという主張に対し「安保法は政府の意思決定や立法に過ぎず、憲法を改正してはいない」と退けた。

 

だがこの安保法は、我が国に実質的な攻撃があった場合に、戦争できるという法律だ。さらに抗戦するだけの‟戦力”を持っているので、その法律を制定したということだ。

 

限りなく憲法違反に近づく、我が国の司法の憲法読解力は、15歳にとても及ばぬ現状だ。解釈が乏しいのは司法ばかりではない、我が国の立法府もだ。

 

自民党政治パーティー券の、キックバックと不記載だ。ノルマ以上に集めれば、それは集めた政治家の懐に入れてもいいという、非常識な判断だ。

 

安倍派の大幹部も「今は大臣の立場なので、

それについてコメントする立場ではない」と、どこ吹く風だ。

 

この解釈が司法の「憲法解釈」にもつながっている。「9条に違反するようにも思われるが、9条違反とは言えない」という、逃げの解釈だ。

 

「罪は罪。だが実情を考慮し罪を減じ、江戸所払いにする」という、大岡裁判とは全く解釈が異なる。

 

いくら問われても「現在の立場で私が答弁することではない」という、そんな逃げ口上は許さない。

 

そんな責任のなさでは、大臣の席に座らせてはならないし、それと同様な「憲法裁判」は、もはやその職責は果たしていない。

 

さらに我が国の総理、キシダフミオだ。「9条のある国」の総理なのに「敵基地攻撃」とか「ミサイル400発購入」とか「軍備費の拡大」など、「憲法読解力」がまるでゼロだ。

 

この際【9条を解釈する15歳の会議】を開催し「日本国憲法国民勉強会」を開催して欲しいものだ。

 

もちろん「NHK」でだ。令和6年1月1日の朝9時から正午まで。国民全員がお酒を飲み、おせち料理を食べながら、真剣に日本という国の未来を考えてみたいものだ。


日大と角界と政界

2023年12月05日 11時18分08秒 | えいこう語る

日大フットボールの大麻問題が、メディアを賑わしている。だが「政界の金」問題も、一向にあらためようとしない。

 

国民はいい加減にしてくれという、あきらめ感が蔓延している。どちらもほとぼりが冷めれば、また不祥事が発生してくるだろうという、国民の諦念もあるように思う。

 

これらは伝統を重んじる国柄や、巨大組織にはつきものの現象だ。長く組織が永続するためには、多少の‟悪”は飲み込むのが、組織運営の常識だからだ。

 

政界を論じるには、悪霊の巣窟をいじるようなものなので、今回は捨て置く。だが日本社会の構造的障害は、大相撲界にその源流を見る。

 

相撲界も日大も、組織運営の大筋は‟ごっちゃん”体質だからだ。日大を近年まで牛耳っていたのは、前理事長の田中英寿だ。

 

彼の経歴は、日大相撲部で学生チャンピオン、そしてアマチュア横綱と輝かしい成績を残し、大相撲にはいかないで日大相撲部で君臨する。

 

公益財団法人・日本相撲連盟専務理事兼副会長、国際相撲連盟事務総長兼会長、日本オリンピック協会副会長。文字どうり、アマチュア相撲界に君臨する‟天皇”的存在だった。

 

その権力を十分発揮し「ごっちゃん」精神で、マンモス大学日大の理事長として君臨していた。もちろん暴力団との関係も取りざたされていた。

 

角界と同様の組織運営だ。すべて‟もみ消し”というのが、組織存続の最大の秘訣だ。そこには‟阿吽の呼吸”が大きく働く世界だ。

 

前田中理事長時代は国からの「補助金」や関係業者からの裏金は、すべて‟懸賞金”と呼んでいたのかもしれない。‟ごっちゃんです”だ。

 

とにかく組織の強固さは、権力を持つことで集金能力があり、それを分配することにある。「生産と分配の好循環」だ。

 

キシダ総理のこの言葉を、自民の政治家は、パーティー券の超過分の分配と、考えていたに違いない。

 

こんな仕組みを国民は‟国民性”だとし、簡単に見過ごしているからだ。ちょっとした出来事にも、大きな問題が含まれているが、それらに寛容な国民性が、このような結果として現れるからだ。

 

先場所の「大関豊昇龍VS平幕豪の山」の取り組みを思い出してほしい。豪の山が先に手をついているのに、豊昇龍は相手をにらみ、80秒も立ち会わなかった。

 

それに対し角界は、注意だけで終わったという。一人横綱照ノ富士の連続の休場も、今までの各界の常識では考えられない。

 

これはモンゴルの横綱白鵬以来の、横綱としてみっともない連続休場だ。日本人の横綱なら、このようなことはしない。引退を決意するだろう。

 

だが角界は、次の横綱をつくりたい。組織継続には、横綱はなくてはならない存在だからだ。それでこんな恥じすべき行為も見逃すのだ。

 

日大も角界も、些細なことには目をつむるという風潮が、組織運営の最も必要な要素だというのが、長年の伝統になっていたのだ。

 

「権力は長ければ長いほど腐れる」。プーチンや習近平、金正恩などに象徴される。しっかり丁寧に国民に対し説明できない総理など、もはや国家に取っては‟害”以外の何物でもない。

 

とは言うが、後釜が見つからない。適当な後釜で継続させると、今のような結果になる。

かといって、野党が共闘を組めない状況にまで政界は混迷している。

 

政界も男性トップでは持ちこたえれない状態になった。そこで神輿に女性を担ぐという、手も考えているようだ。

 

だが日大は、林真理子理事長が自ら手を上げて就任したが、この組織は角界同様の男社会だ。女性は土俵に上がらせてはならないからだ。

 

もう勝手な妄想はやめにしたい。古事記を思い出した。なぜ天照大神から始まったのか。

子供を産まなければ、国家は滅亡するという意味ではないか。

 

では天皇家に女性天皇が誕生しなければ、日本は正常にならないという意味なのか。新年を迎えたら、少しその辺を学んでみたいと思う。

 

角界・政界・日大。この巨大組織が、今の日本の体たらくの原因追求に、大切な要素だという視点で、メディアの深掘りした報道に期待したい。