▼原発事故は、核爆弾の使用と同じ状態になる。と分かっていながら地震大国なのに、50基以上の原発をつくった。
▼大地震といえば大津波が発生する。原子炉を冷やすには海水を浄化して循環させるので、原発は海岸近くに設置する。この時点で「福島第一原発事故」は、起こるべきして起きた事故だ。
▼起こしたのは原子力ムラの住民だ。このムラには、お金が無尽蔵に入る仕組みになっている。このムラ何より心強いのは、国家が後ろについているからだ。
▼それを規制するのが「原子力規制委員会」だ。以前は通産省(現経産相)の管轄で、推進の「資源エネルギー庁」と、規制の「原子力安全保安院」が同じ省内にあったため、人事交流を重ねていた。電力会社への天下りも、あきれるほどあからさまだった。
▼福島原発事故以降、環境省の外局としてできたのが「原子力規制委員会」だ。これとて国の機関に過ぎない。
▼エネルギー問題は国策なので、そうせざるを得ない。「規制」は「推進」をコントロールしているかに見せ、推進が規制をコントロールしているという構図だ。
▼この構図が表ざたになったのが、規制委員会の【原発稼働30年、10年ごとの許可、上限撤廃案】だ。
▼先日政府が、60年までの稼働を容認する方向転換を示した。それに“規制”?!をかけるつもりらしいが、中身は原発を限りなく稼働させる内容だ。
▼「規制委員会」が「推進委員会」に変身したというより、元の通産省時代の本来の役割に戻ったというかたちだ。
▼こんな子供だましのようなテクニックに、乗ってはならない。頭脳明晰?な原子力ムラの復活であり、強靭な新原子力ムラの始まりだ。
▼原子力といえばエネルギー(電気)と考えがちだが、原子力政策は核爆弾製造の目的で、始まったということを忘れてはならない。
▼かつて米国だけが核使用を行った。今度はロシアがウクライナを併合するのに、使用をほのめかし恐怖を与えている。
▼核はどこで製造されるか。“原子力発電所”が、その製造兵器工場だ。その原発から出るゴミの中に、我が国は長崎原発6000分もの製造可能なプルトニウムを、貯蔵している。
▼世界から見れば異常な国だ。そこで今必死になり、地下埋設計画を行っている。お金のない自治体にお金をばらまいて、受け入れ先を選定中だ。
▼我が政権は「憲法第9条」を改正し、軍隊を持ち“自衛”という名の戦争ができる国に、変身させようとしている。
▼その先には、極東の島国が生きのびようとするためには「核保有」しかない。軍隊には最強兵器が必要だからだ。北朝鮮のように核をちらつかせ、攻められない国をめざしてだ。
▼1953年の国連総会でのアイゼンハワー米大統領の演説【Atoms of peace】で、世界は原発をつくり始めたた。
▼だが人類最大・最強のこのクリーン・エネルギー?!は、その意に反し【Atoms for War】に向かって突き進んでいる。
▼【官・産・軍・学】共同の国家規模のプロジェクトが「原子力ムラ」を構成した。キシダ政権は「官・産・軍(自衛隊)」との連携を強固にしている。
▼残るは学だが、日本学術会議も政府による任命拒否問題から、軍事目的に利用される技術開発の面で、政府とのすり合わせを見せてきた。
▼実は今日テーマは「旭川市で起きたいじめ殺人事件」と「原子力規制委員会」の関連性について考察しようと思った。
▼だがこの辺で、私の少ない脳のエネルギーが尽きてしまったので、まとめが出来にくい状況となったので,充電してから再度挑戦としたい思います。
▼環境庁と規制委員会。教育委員会と学校。「原子力ムラ」はあるが「教育ムラ」も存在するではないかと、ふと考えてみたからです。
※長い表現に悩む三頭下。・・・ふと早朝の庭に目をやると、北海道ブルーの秋空に見事な紅葉!。私が館長の「自然美術館」所蔵の名作だ。