goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

コロナ戦争で露見した男女平等問題

2021年02月21日 16時38分47秒 | えいこう語る

▼戦争になれば、国家や国民を守るため、男は最前線に立たされる。死ぬか生きるかの極限に駆り出されるのだ。

▼女性は家庭を守るため、男性の分まで仕事が増える。しかし女性の方が命の危険性が少ないので、女性の方が得かと、一瞬考える。

▼だが、慰安婦問題ともなれば、戦って命を失っても、男は大義名分を果たしたような気がするので、男の方がいいかと思ったりもする。

▼私は今度生まれてくる時も男でいたいと思う。だが、女性の場合は、次は男性に生まれてみたいと言う人が多いように思う。

▼つまり日本は【男尊女卑社会】だからだ。私もその部類に入るので、そのことは否だとは言わない。私の妻は、離婚裁判ともなれば、そう主張するはずだからだ。

▼というわけで、今はコロナ戦争の最中だ。そこで、男女平等問題というのが浮上してきたとみている。

▼モリ元五輪委員長の女性蔑視発言も、コロナの発生がなく五輪が開催されていれば、なかったことだ。

▼開催か中止の土壇場に立たされたので、自分の一存で開催を考えたかったが「女性が多いと会議が長引く」という発言が出たのだ。

▼それを機に、自民党の大御所からの『女性蔑視発言』が相次いだ。スガ総理、アソウ副総理・ニカイ自民幹事長等々、さらにその部下も、国民に自粛を求めていながら、自分たちは特権でもあるように“夜遊び”をしている。

▼竹下派のドンも、国に意見を申した地元の知事に対し「そのような発言に注意しなければならない」という、今度は、国会議員が知事より偉いという「知事蔑視」発言を平気でいう。

▼そんな状況に過敏になったのか、自民党女性議員有志が【重要な会議での女性参加が少ない】と、二階幹事長に、申し入れをした。

▼コロナ戦争下での極端に自粛させられている生活の中で、森喜朗発言が我が国の「男尊女卑」体質に、大きな波紋を投げかけたようだ。

▼五輪委員長は、単に女性に変わっただけで、それもお互い父と娘の関係だと公言するのであれば【森聖子五輪委員長】だとするのが、私の考えだ。

▼ここで、ジュンイチロウとシンゾウの顔が浮かぶ。ジュンちゃんは「自民党をぶっ壊す」と叫んだが、結果壊れたのが、野党第一党の「民主党」だった。

▼次のシンゾウだ。彼は、自分に不利なことはすべて棚に上げ「戦後レジームの解体」を叫んだ。それに対し、戦後も70年近くなったので「古くなった」と国民も思ったに違いない。

▼8年近くも政権の座に座らせてしまったおかげで、隠れていたものが表に出てきた。それが政権与党自民党の、古い体質やそれに基づく考えだ。それが前述した「男尊女卑」や「上から目線」だ。

▼私はそれらの問題をとやかく言う資格がないのを自覚しているので、この問題を別の角度からたら考えたい。

▼シンゾウが言う「戦後レジームの解体」とはジュンイチロウがなしえなかった【戦後自民党政治レジームの解体】ではないかと、ふと考えた。

▼私はなぜか砂漠に立っていた。「シンゾウありがとう」と叫んだところで、昨夜の夢は終了した。

  砂漠に国会議事堂がかすんでみえた
                三等下

函館観光に文学と絵画を

2021年02月21日 16時38分47秒 | えいこう語る

▼函館山山麓にある、旧ロシア領事館の保存を巡り、函館市の方針と市民の考えに大きな溝が生まれているようだ。

▼市側は、名古屋の自動車部品卸業者に3千万円で譲渡した。この会社の村瀬社長は、函館にある北大水産学部の出身だ。

▼札幌出身の作家、谷村志穂さんも北大出身なので、谷村さんから旧ロシア領事館のことを聞いて、購入を決めたという。改修やホテル経営については、谷村さんが担当するようだ。

▼谷村さんは、函館や周辺町に関する小説も書いてる。函館に対する深い洞察力と、深い愛情が感じられる作家だ。歴史と文化の街函館を、文学者の目で新たな掘り起こしを期待したい。

▼19日、市民会館で行われた【どうする!旧ロシア領事館】という、市民主催の勉強会に出かけた。講師の長谷部さんは、元函館市の職員で、博物館勤務やも中央図書館の館長を務めた方だ。

▼函館の歴史を役所と個人の同時目線で、バランスよく学んでいる方のように思えた。1時間半の講話では足りないほどの、的確なまちづくりへのヒントを与えてくれた。

▼講話の要約は「売ってしまえば一巻の終わり」、「一過性ではない未来を見据えた都市整備構想と計画」と言う内容だった。

▼私も、函館市のまちづくり計画が、市民に理解されていないというのを感じるし、都市計画の哲学が見えてこないと考えていた。

▼私は、NHKラジオ番組の「こころをよむ」を編集した【風景からのまちづくり】という、2008年に刊行された、東工大、中村良夫名誉教授のこの本を、まちづくりのバイブルとしている。

▼【日々の暮らしの無意識な背景として、私たちを包む国土は、絵画や文学、舞台芸術あるいは造園などの文化的な表現を通して意識され、風景になります。母の胎内で過ごした生命が、世界に躍り出て、その荒波にもまれてのちに、大いなる母体の安息に気づいて、その面影を文学や絵画にうつし、さらのまたそれを安らかな風景に重ねるのに似ています。文化と環境とのこの神秘的な交渉を思うとき、環境は文化の母体であり、風景とは文化になった環境だと言いたいのです】。

▼翌日の20日、函館美術館で「海と山との対話」というテーマで、函館の風景画に対する学芸員による解説があったので参加した。

▼今回の展示は、同館所蔵の道南ゆかりの作家による、風景画だ。解説前に絵を鑑賞した。すでに何度も観た絵もあるが、あらためて函館は、絵になるまちだというのを実感する。

▼学芸員(女性)の説明では、私の隣町で生まれた作家、池谷寅一が、函館近郊のトラピスト修道院を書いた作品の説明が印象に残っている。

▼修道院の上の丘から、私が住む地域(山が描かれている)に向かっての絵だ。池谷がスケッチした時に、数名の人がスケッチをしているのも描かれている。

▼この数名は描かなくてもいいはずだが、それだけトラピスト周辺の風景が、人々に親しまれているということを表現したかったに違いないと、解説した。

▼この修道院だが、詩人三木露風が教師を務めていた。その時に書いた詩が、童謡「♪赤とんぼ」だ。山田耕作が作曲し、日本で最も愛唱される曲となった。

▼露風は兵庫県龍野町の生まれだ。6歳の時、母“かた”と別れ、その母は再婚し碧川姓になった。露風を調べていくと、母子の物語に涙する。

▼函館は名の知れた小説家や画家の多いところだ。それは、先に中村教授が言い表したように【環境は文化の母体であり、風景とは文化になった環境】ということではないかと思う。

▼池谷の一枚の絵が「三木露風」さらに実母「碧川かた」につながる。素晴らしい風景が、文学と絵画のつながりを実証している。

▼2004年、函館市との市町村合併により、村民から函館市民になった私だが、函館は誇るべき「素晴らしい風景」のまちだと、つくづく実感させられる。

▼願わくば【函館は歴史と文学と絵画】の文化都市として、普遍的なまちづくりに挑戦してほしいと思う。

▼さらに言えば【哲学する観光都市】としての存在を、確立してほしいと思う。日本近代史において、日本人が忘れてきたものを、訪れる者が取り戻すことができる、そのようなまちづくりだ。

▼作家・谷村志穂さんと伝統建築物の保存の仕方について、一緒に学ぶという仕組みを整えることが、これからの函館市のまちづくりに、大切な要素ではないかと考えた。

▼合併から函館市民となり16年。「旧ロシア領事館保存」に関する、私の感想と期待だ。

  函館は日本近代史の生きた博物館
               三等下

森聖子五輪委員長誕生!

2021年02月20日 06時37分56秒 | えいこう語る
▼我が北海道出身の、五輪メダリストの橋本聖子が、日本初の女性五輪委員長になった。人権無視の象徴的存在である、元自民党総理、森喜朗の立派な“後釜”だ。

▼橋本も自民党の国会議員だ。森は橋本を娘だと言い、橋本は森を政治の父親だと公言する。そこで私は、五輪委員長就任は、橋本が森の養女となったことを、記者会見したと思っている。

▼つまり「森聖子五輪委員長」なのだ。世間は女性の地位向上だと騒いでいるが、親子で引き継いだだけなので、何も変わらない。

▼7月開催のシナリオはほとんど完了しているので、その方向で進めばいい。コロナで中止になったとしても、誰も女性委員長を攻めることはない。

▼つまり、森喜朗で始まり森喜朗で、五輪は終わるのだ。聖子は議員辞職しても、2年ほど職について、また女性にバトンタッチをして、政界に返り咲くに違いない。

▼私の以前からの“妄想”では、森喜朗五輪委員長就任は「自民党憲法改正」の総仕上げのための【政治資金確保の集金マシン】だと考えているからだ。憲法改正時の国民投票時には、CM資金が多い方が勝ちだからだ。

▼福島の復興予算も、用途変更で使われているのは、時々新聞に報道されている。つまり国家的大事業は、時の政権の【政治資金備蓄計画】が、同時進行しているというのが、私の中に住む腹黒さが、そう思わせるからだ。

▼かつての副総理、金丸信を思い出すからだ。彼が関わった公共事業の金額の数%が、彼に還流される仕組みになっていたという。金庫に金の延べ棒が入っていたのは、記憶に新しい。

▼森から橋本の委譲は、その計画を覆い隠すためだ。名前を公表しない推薦委員など、その計画を、表面化させないために、利用された委員なのだ。こんな時代劇的交代劇は、笑止千万だ。

▼女性の人格権向上などという、おめでたい話ではない。「自民党(スガ政権)の政治戦略に乗せられた、人事なのだ!」と大きい声を出して、目が覚めたのだ。

▼この交代劇は『女性蔑視発言から起きた女性の地位向上』のように見えるが、単なる【政治の五輪利用】だということは、テレビの報道だけでは気が付かなかった。

▼夢の世界に入ったら、真実が見え、目覚まし代わりの大声を出して、覚醒したのだ。「真実は夢の中にあり」というのが、どうやら私の近年の格言のようだ。

▼最近はブログが長いのが私の欠点になっている。ここで結論を述べたい。五輪委員長交代劇は、単なる茶番劇だ。親と子へ、長女である森聖子に代わっただけだ。

▼五輪委員会の体質は、自民党を解体しなければ、解決しない問題だ。さりとて野党にその力がないという,我が国の現状を見せつけたのが、今回の交代劇の真相だ。

▼森聖子は、森喜朗の立派な政治後継者だ。ガンバレ日本!!!。

   五輪より五輪書が面白そうだ
               三等下

歴史的建造物の保存とまちづくり

2021年02月17日 20時05分02秒 | えいこう語る
▼優れた歴史的建造物と、立派な新しい建物の前に立った時、人はどちらとの会話を好むだろうか。私は歴史を語ってくれる古い建物だ。

▼デザインも優れた新しいものは、未来への会話に向いているが、未来は不確かなものなので、
会話はあまりはずまないからだ。

▼過去を学び現在を正確に見つめ、その連続性から未来へと思いを馳せる。その中に揺るぎない価値を見出す。過去には人々が正しく生きるための、様々な教えが詰まっているからだ。

▼北海道で歴史的建造物が多く残るのが、函館市と小樽市だ。その景観保存で、観光都市への再生を目指している。

▼歴史的建造物が劣化すれば、保存か解体かの問題が起きる。どちらを選ぶかは、まちの未来の成否を左右する。

▼まちづくりはある種、住民の知的レベルが問われる、極めて重要な問題ではないかと、思っている。


▼初めて訪れたまちで感じるのは、町並みの保存の仕方で、その町の行政レベルを理解できるからだ。

▼さらに、そのまちで庁舎が一番立派なところは、住民参加のまちづくりがうまくいっていないところだと、判断している。

▼函館は開港都市で、異国文化溢れる建造物がある。ロシアとの関係は非常に深い。大正に建てられたロシア領事館が老朽化したので、市は民間に譲渡し保存するという。

▼一方市民の中には、歴史的文化財としての価値が高いというので、市が保存管理するのを望んでいるようだ。近く、市民による勉強会があるというので、参加しようと思う。

▼一方、町並みが函館と似ていて、運河沿いに歴史的建造物が並ぶ小樽市。まちの顔ともいわれる古い大きな工場が,存続か解体かで揺れているようだ。

▼私は前は海、後ろは山という田舎で育った。なので「風景との対話」という習慣が、いつの間にか身についてしまった。

▼函館には幕府軍が最後に立てこもって戦った、五稜郭がある。城ではなく奉行所があったという。

▼確か明治の初めに解体された。空き地となった周囲には、松の古木が奉行所跡を囲むように生えていた。

▼そこのベンチに腰を掛けると、さわやかな海風が吹き抜け、目をつむると榎本武揚や土方歳三らが、蝦夷共和国建設の情熱を熱く語った声が聞こえてきた。

▼数年前、この場所に当時の奉行所が再現された。当時より縮小されたものだった。いまだに私はこの奉行所に入っていない。

▼江戸末期から明治になるまでの歴史が、この場所から聞こえなくなってしまったからだ。それは新しい建物が、歴史の会話を遮断してしまったのだ。

▼歴史的建造物の保存は、それぞれの思惑はあるだろうが、出来うればその建物との会話ができるように保存してほしいものだ。つまり想像力を搔き立て「歴史を語れる場」であってほしい。

▼「旧ロシア領事館を考える講座」の第一回目の講師は、元函館市図書館長の長谷部一弘さんだ。建物を売却する行政の対応や、市民運動の在り方なども話すという。

▼こんな「市民による市民のための勉強会」が開かれる時、15年前に市町村合併で、村民から市民になったことに、うれしさを覚える瞬間だ。

   日本の夜明け港函館よいところ
               三等下

明治元年~〔昭和20年〕~令和3年

2021年02月16日 11時34分53秒 | えいこう語る

▼昭和20年は日本が壊滅させられた年だ。この年を真ん中とすれば、前後はちょうど「77年」だ。こういう数字の並びが、世の中が大変動を起こす要因になるかもしれない。

▼戦争に負けたことで憲法が変わって、天皇主権から国民主権となった。個人の人権が軽視されていた帝国憲法から、個人の人権が最優先される憲法に代わった。

▼これは私の“妄想”なのだが、東京五輪がコロナ戦争の拡大で中止に追い込まれれば、国民の中に「危機管理意識」が増大される。

▼先日の福島沖地震は、10年前の余震だと言われる。今後も要注意らしい。この余震で首都圏への大地震の発生が、より現実化してきた。

▼総理就任以来、受け身一方の菅総理は、解散選挙以外に、活路は見いだせない。ではいつ解散なのだろうか。

▼※新年度予算成立後の3月。※都議選(7月末)とのダブル。※東京五輪終了後の9月末※自民党総裁選の9月末。のどれかだ。

▼五輪が開催されれば、終了後の9月末だが、五輪中止となれば、国民の敗戦気分?とコロナ戦争での「危機管理」を掲げての「防災強化解散」だ。

▼五輪が中止と決まるのは、遅くても2~3ヶ月前だろう。ということは、五輪開催が7月なので4月か5月の解散だろう。

▼自民党の選挙ポスターには、総理はじめ閣僚が、満開の桜をバックに、日の丸の鉢巻きを締めての撮影だ。

▼タイトルは「日本国の興廃この一戦にあり。国民一層奮励努力せよ」という、勇ましきポスターで、戦わない野党は、殲滅させようという内容だ。

▼我が函館(8区)は、現職の野党議員が、元職の自民党議員に敗れる。前回と同様、市長が対抗馬の応援に、最初から最後まで駆けつけたためだと、翌朝の新聞に大きく出た。

▼というのが昨夜の私の夢だった。テレビでは相変わらず森問題を扱っている。新委員長選びの選考委員の名前も、記者団をシャットアウトする秘密会も、さらにこの組織の閉鎖さを、国民に晒している。

▼これが五輪を通し、我が国が非民主主義的な国家体質だということを、世界中に暴露していのだ。こういう五輪は、国民が中止をさせなければならない。

▼というわけで、五輪は中止と見ているので、解散は5月頃が妥当だと思う。ただ国民の危機管理意識の高揚を、自民党は「憲法改正」を選挙の争点に掲げ、自衛隊の国軍への昇格を、国民に問うかもしれない。

▼そうであれば、戦後77年の2023年が、国家大改造の年になるかもしれない。憲法とは【国家の基本秩序】だと言うことを忘れてはならない。

▼自民党の「憲法改正」とは、現憲法とは真逆な秩序になることを意味する。それが、アベシンゾウの「戦後レジームの解体」ということだ。

▼早朝から、そんな妄想にふけっていたら、台風のような風が吹き荒れ、停電となった。風がゴーと走る音と、真っ暗闇の室内。室内に設置している防災無線の放送が流れる。

▼一瞬【空襲警報発令】という、大きな声が聞こえたような気がした。

  改憲は帝国憲法への引っ越し
             三等下