▼中島岳志著「保守と憲法」という本を読んでいる。私は若い時、自分は保主的な人間ではないと思っていた。新しいものを考えて行動することが、革新的だと思っていたからだ。
▼保守的な人を軽蔑していたと言ってもいいほどだ。保守的な人間と言えば、例えていえば公務員だ。前例主義で、新たな秩序を積極的に作り出さない体質を持った、人物が多くみられるからだ。
▼組織ありきで、個を自ら没してしまっているように思えるからだ。個人的には魅力的な人物もいるが、組織という刑務所の中で規則に従って生き、ほとんどが懲役40年程の刑に服する。
▼娑婆に出ても、務所暮らしの考えから抜け出れない人が多いようだ。つまり保守的な人間に矯正されてしまっているからだ。私の周囲にもたくさんそんな人がいるからだ。
▼公務員の欠点を述べてしまったが、さらに手に負えないのは、議員経歴の長い人物だ。保守・革新問わず、保守的になっている。市民の代表という上に、権力をぶら下げてしまうからだ。
▼「人は年齢を重ねて老いるのではない。理想を失った時老いるのだ」というウルマンの詩も、実は「人は年齢を重ねて老いるのではない。理想を持っていても、それが保守的になった時に老いるのだ」ということなのかもしれない。
▼というわけで、保守というものがどんなものか、最近よくわからないでいる。そこで図書館に出かけたら【保守と立憲】という本が待っていたのだ。
▼左派の革命のように「これが正しい」と一気に世の中を改造しようとするのでなく、歴史の中の様々な英知に耳を傾けながら、徐々に変えていくことが望ましい。改革はつねに斬新的でなければならない。保守が重視するのは「革命」ではなく【永遠の微調整】です。そこには人間の魅力に対する過信をいさめ、過去の人間によって蓄積されてきた暗黙知に対する畏敬の念が反映される。
▼と述べるのは、イギリスの政治家エドマンド・バークだ。バークはフランス革命を【革命を支えた左派的啓蒙主義が、人間の理性を無謬の存在とみなしている】と批判する。
▼アベ総理は保守だと思うが、彼の「9条の改正」は【微調整】どころではない。「戦争の放棄」という秩序の破戒だ。9条に3項を加え、自衛隊を明記するだけというが【後法は前法に優先する】という憲法の原則からすれば、ペテン的な憲法改正だ。
▼憲法は常に過去によって支えられている。私たちは憲法を通じて過去を引き受け、それに肉付けしつつ未来の世代へとバトンタッチしていく。私たちは過去に縛られることを通じて、未来に開かれる。憲法を読み解くことは【過去との対話】を意味する。先人たちの格闘と経験によって紡がれてきた教訓を受け止め、その蓄積を現在の国家運営に生かすことが、憲法の運用である。【憲法とは死者の声】なのだ。
▼ちょっと引用が長くなったが、私の解釈では、締まりがなく長くなるので、引用させてもらった。ここでふと思うのだが、アベ総理の憲法解釈を、多くの憲法学者が間違いだと指摘する意味は何なのだろう。
▼アベ総理は「保守」と思われているが、どうやら【革新に近い保守】のようだ。これが野党を骨抜きにしている原因のようだ。【革新にも保守に近い】人間がいるからだろう。
▼昨年自死した、保守の論客西部邁さんは、アベ総理が病気で退陣した後、保守についてレクチャ―したと話していた。だが「アベは真の保守ではない」と言い残した。
▼西部さんの娘が「父は死にたい」と漏らしていたという。若い時革新だった西部さんは、やがて保守本流に転向した。そこでアベ総理はいくら教えても理解できず、真の保守ではないと見破ったのだろう。
▼憲法改正に、死者の声に耳を傾けることができないアベ総理に、憲法改正などさせてはならない。それが西部さんの遺言のような気もする。
▼年齢を重ね過ぎたら、私も実は保守的な人間ではないかと、最近ちょっぴり感じている。なぜかというと、15年前に市町村合併により函館市になったが、郷土愛が意外と強いものがあると感じているからだ。