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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

憲法改正に死者の声を

2019年09月24日 08時33分34秒 | えいこう語る

▼中島岳志著「保守と憲法」という本を読んでいる。私は若い時、自分は保主的な人間ではないと思っていた。新しいものを考えて行動することが、革新的だと思っていたからだ。

▼保守的な人を軽蔑していたと言ってもいいほどだ。保守的な人間と言えば、例えていえば公務員だ。前例主義で、新たな秩序を積極的に作り出さない体質を持った、人物が多くみられるからだ。

▼組織ありきで、個を自ら没してしまっているように思えるからだ。個人的には魅力的な人物もいるが、組織という刑務所の中で規則に従って生き、ほとんどが懲役40年程の刑に服する。

▼娑婆に出ても、務所暮らしの考えから抜け出れない人が多いようだ。つまり保守的な人間に矯正されてしまっているからだ。私の周囲にもたくさんそんな人がいるからだ。

▼公務員の欠点を述べてしまったが、さらに手に負えないのは、議員経歴の長い人物だ。保守・革新問わず、保守的になっている。市民の代表という上に、権力をぶら下げてしまうからだ。

▼「人は年齢を重ねて老いるのではない。理想を失った時老いるのだ」というウルマンの詩も、実は「人は年齢を重ねて老いるのではない。理想を持っていても、それが保守的になった時に老いるのだ」ということなのかもしれない。

▼というわけで、保守というものがどんなものか、最近よくわからないでいる。そこで図書館に出かけたら【保守と立憲】という本が待っていたのだ。

▼左派の革命のように「これが正しい」と一気に世の中を改造しようとするのでなく、歴史の中の様々な英知に耳を傾けながら、徐々に変えていくことが望ましい。改革はつねに斬新的でなければならない。保守が重視するのは「革命」ではなく【永遠の微調整】です。そこには人間の魅力に対する過信をいさめ、過去の人間によって蓄積されてきた暗黙知に対する畏敬の念が反映される。

▼と述べるのは、イギリスの政治家エドマンド・バークだ。バークはフランス革命を【革命を支えた左派的啓蒙主義が、人間の理性を無謬の存在とみなしている】と批判する。

▼アベ総理は保守だと思うが、彼の「9条の改正」は【微調整】どころではない。「戦争の放棄」という秩序の破戒だ。9条に3項を加え、自衛隊を明記するだけというが【後法は前法に優先する】という憲法の原則からすれば、ペテン的な憲法改正だ。

▼憲法は常に過去によって支えられている。私たちは憲法を通じて過去を引き受け、それに肉付けしつつ未来の世代へとバトンタッチしていく。私たちは過去に縛られることを通じて、未来に開かれる。憲法を読み解くことは【過去との対話】を意味する。先人たちの格闘と経験によって紡がれてきた教訓を受け止め、その蓄積を現在の国家運営に生かすことが、憲法の運用である。【憲法とは死者の声】なのだ。

▼ちょっと引用が長くなったが、私の解釈では、締まりがなく長くなるので、引用させてもらった。ここでふと思うのだが、アベ総理の憲法解釈を、多くの憲法学者が間違いだと指摘する意味は何なのだろう。

▼アベ総理は「保守」と思われているが、どうやら【革新に近い保守】のようだ。これが野党を骨抜きにしている原因のようだ。【革新にも保守に近い】人間がいるからだろう。

▼昨年自死した、保守の論客西部邁さんは、アベ総理が病気で退陣した後、保守についてレクチャ―したと話していた。だが「アベは真の保守ではない」と言い残した。

▼西部さんの娘が「父は死にたい」と漏らしていたという。若い時革新だった西部さんは、やがて保守本流に転向した。そこでアベ総理はいくら教えても理解できず、真の保守ではないと見破ったのだろう。

▼憲法改正に、死者の声に耳を傾けることができないアベ総理に、憲法改正などさせてはならない。それが西部さんの遺言のような気もする。

▼年齢を重ね過ぎたら、私も実は保守的な人間ではないかと、最近ちょっぴり感じている。なぜかというと、15年前に市町村合併により函館市になったが、郷土愛が意外と強いものがあると感じているからだ。

秋刀魚哀歌

2019年09月23日 11時37分38秒 | えいこう語る

▼秋は四季の中で、最も好きな季節だと書いてみたが、新緑が萌える春、海岸で若者たちがサーフィンを楽しむ夏、水墨画の絵のような雪景色も、もちろん好きだ。

▼なぜ秋が最も好きと冒頭に書いてしまったかと言えば、もちろん畑物が美味しい季節だし、読書や思索する秋だからだ。というよりも、秋刀魚の美味しい季節だからだ。

▼以前は、大ぶりの秋刀魚を七輪に炭をおこし、護岸の上で太平洋を眺めながら、塩焼きにしビールを飲んだことがある。これが最高にうまい秋刀魚の食べ方だ。

▼生きのいい秋刀魚は、口先が黄色く尻尾の方をつかんでも、まるで刀のようにすくっと立つ。字のごとく「秋刀魚」だと実感できる。

▼だが、10年ほど前から、大振りで脂ののった秋刀魚は「刺身」で食すことにしている。大皿にふぐ刺しのように盛り付けると、食欲より酒が進むからだ。

▼その秋刀魚の刺身が近年手に入らなくなった。私の村からも1隻、道東の秋刀魚漁に出かけている。テレビや新聞は、今年はまるっきり不漁と、報道しいている。村からの漁船も、船員二人を下ろしたとも聞いている。

▼その矢先の秋刀魚船の転覆事故だ。近海は捕れないので、遠く公海まで出ていたが、横波をうけ一人は死亡、他の7人は行方不明のままだ。捜査も打ち切りになった。新聞には【稼ぐ魚、代わりがなく、サンマ漁それでも公海へ】という見出しが載っていた。

▼佐藤春夫の「秋刀魚の詩」が浮かんできた。佐藤本人の女性関係と、家族へのやるせない思いが「秋刀魚」を通して、しみじみ描かれた作品だ。
   
    さんま さんま さんま苦いか塩っぱいか

▼働き盛りの男性8人を失った家庭を考えると、秋刀魚の味を喜ぶ気持ちにはなれない。私が小学校の頃の60年程前の前浜は、イワシもイカも、お金を出して買うということなど思いもよらなかった。

▼「イカのまち函館」も「幻のイカのまち」となり、秋の風物詩【漁火銀座】を知る若者も少なくなってきた。地球環境が悲鳴を上げているにも関わらず、また中東で戦闘による環境悪化が進んでいる。

▼【自然との共生】で、戦争もなかった縄文時代。その流れを汲むのがアイヌ民族だ。今年北海道に【民族共生象徴空間=ウポポイ】が、国主導で完成した。

▼にもかかわらず、札幌市で【アイヌは先住民族か疑義がある】とした講演会が開催された。会場の使用を許可したのは札幌市だ。市民からは、差別に当たると抗議が出たが、主催者側は『自分たちと異なる意見だからやめろというのは表現の自由に反する』と反撃に出た。

▼ここは環境大臣・小泉進次郎が登場し、ウポポイで【地球環境と表現の自由と人権を考える】という、フォーラムを開催してはいかがだろうか。

▼ウポポイとは「大勢で歌う」という意味だ。市民の声の主張の場こそが、民主主義の原点であり【民族共生象徴空間】の、真の在り方ではないかと思うからだ。

▼それにしても今年の秋刀魚は、仏前に供えたいような気持にさせている。

憲法改正について一言

2019年09月22日 21時08分56秒 | えいこう語る

▼使者たちは死んではいない。このことは、われわれが生きていることからじゅうぶん明らかである。死者は考え、語り、そして行動する。かれらは助言することも、意欲することも、同意することも、非難することもできる。これは本当だ。しかし、それには、耳を傾けることが必要である。すべてはわれわれの内部にあるのだ。われわれの内部に生きているのだ。  アラン「幸福論」宗左近訳

▼図書館から借りてきた中島岳志著「保守と立憲」の中にあった、アランの「幸福論」の言葉だ。すぐに思い付いたのは、20年近く前に靖国神社に出かけた時のことだ。

▼出兵していたが無事帰還し、64歳で亡くなった私の父親の写真を持参した。写真のほかに憲法手帳も持っていき、本殿で「憲法第9条」を読み上げた。

▼その時私は、靖国に祀られている多くの兵士と会話が出来た。「戦争は絶対してはならない」と、兵士たちが言っていたのだ。

▼先の参議員選挙で、札幌駅前でのアベ総理の演説を、批判しただけで警察が排除した事件があった。そのことについて、いまだに道警も知事も道民に理解できる説明がない。

▼と思っていたら、また札幌市で【あなたもなれる?みんなでアイヌになろう?】というテーマの講演会の施設利用を、市が許可したという。主催は【日本会議北海道本部】だ。日本会議はアベ総理擁護の日本最大の右翼団体だ。

▼愛知県での国際芸術祭「表現の不自由展」では、反対者の脅迫電話などで、中止に追い込まれた。その後、表現の自由をめぐり名古屋市でフォーラムが行われたが、その中でこんな意見が出た。

▼出展の元慰安婦の【平和の少女像】についても「あの作品のどこが芸術なのか。表現の自由を利用した犯罪だ」という意見だ。

▼様々な考えがあるが【表現の自由】について、日本人はじっくり討論することがなかったのではないか。それは【昭和天皇の戦争責任】を口に出せない、我が国の政治風土に、原因があるからだ。などと、憲法改正が政治問題の前面に出てきた現在【表現の自由】をめぐる論争が次々出始めている。

▼アベ総理の本丸は【憲法第9条改正】だ。だが冒頭のアランの幸福論のように、70数年前の戦争で亡くなった人たちの声を聞く耳を、アベ政権は全く持っていないようだ。

▼デモクラシーの重要なポイントは、死者の声に耳を傾けることである。私たちは伝統によって使者とつながり、常識によって死者と対話し続けている。独断的サプライズを進める政治家の声よりも、まずは自己の内にこだまする過去の声を受け止めることから、デモクラシーを立て直すべきではないだろうか。【死者のデモクラシー】こそが、真の民主主義を健全に機能させる。 中島岳志著「保守と立憲」の中の言葉だ。

▼アランの「人生論集」という本を、私も持っているような気がした。やはり本棚の隅にあったが、かび臭い匂いを放っていた。

▼この本は串田孫一の編集で、1964年、東京オリンピックの年に発刊されている。私が高校1年の時だ。それを数年後に私は、古本屋で購入したらしい。

▼池袋西武デパート前『盛明堂書店』という名札が付いている。すぐに50年も前の池袋の風景が浮かんできた。その小さな古本屋の中に、私が立っていた。

▼だがこの本を読んだ記憶が全くない。アベ政権下での『憲法改正』に対し、靖国に眠る兵士たちの声が、50数年前に購入したこの本を読めと、私に囁きかけてきたのではないかだろうか。

▼外敵をつくり、自衛のためと国防強化を主張する私の周りの人たちに【戦死者の声に耳を傾ける】ということを、伝えたいと思う。靖国の戦没者は、私に【戦争は絶対してはならない】と、話しかけてきたからだ。

ラクビ―W杯と我が母校

2019年09月21日 19時18分55秒 | えいこう語る

▼昨日の【日本VSロシア戦】、久しぶりに血圧が上昇した。私の年代では、ロシアが死守する「203高地」を果敢に攻める【日露戦争】を思い浮かべながらの観戦だったからだ。

▼というのは、観客席にアベシンゾウ大元帥閣下が、日本代表のユニホーム(戦闘服)を着て観戦し、その少し離れた場所に、天皇陛下の弟夫妻の姿も見えたからだ。

▼先週の日曜、マラソンの五輪代表選出大会のスタート前に「君が代」の独唱があり、五輪の裏の顔である「国威発揚」を前面に出し“戦闘モード”を演出したのにも、私は強烈に違和感を覚えた。

▼1964年、私が高校1年の時の東京五輪。日本の未来が輝かしいものに感じ【明るく平和な日本】を実感した。だが、2020年の東京五輪、アベ総理は『国旗・国歌』を最大限に利用し【憲法改正】をサブテーマに「国威発揚」を前面に出しているようだ。

▼この考えが、団塊世代と呼ばれる、戦後民主主義教育を受けた私たち世代に共通する、意識ではないかと思う。何もそこまで妄想しなくてもいいのではないかという人も、いるかもしれない。

▼だが、アベ政権下の次期五輪は、1936年のヒットラー政権下での「ベルリン五輪」を思い出してしまうのも、団塊世代の共通認識ではないだろうか。

▼函館市内にあった私の出身校、K高校のラクビ―部も、五輪後北海道代表で花園に出場した。私の同級生もたくさん出場した。その中の1級上のI先輩は、後にラクビ―全日本の監督に選ばれ、我が母校のスーパースター的存在だった。

▼昨夜のロシア戦で3トライした松島選手の活躍ぶりに、高校時代ラクビ―の応援に行き、友人S君にボールが渡ると、相手のタックルを巧みにかわしてトライに持ち込む、雄姿を思い出し胸を熱くしていたのだ。

▼S君の奥さんは、後に知ったのだが、私が高校時代に住んでいたアパートの大家さんの娘さんだった。さて、私たちの後輩に、現在函館市会議員のK君がいる。彼もラクビ―選手だった。

▼そのつながりで、市内のフットボール協会の役員をしていた。昨年から会長職に就いたが、その協会は市から競技場の管理委託料を貰っていたのだ。

▼しかし、議員は兼職が禁止されている。会長職に就く前にも役員をしていたことから、市議会が違反だとし、先日「辞職勧告」が可決された。辞職勧告に賛成した議員の中には、同じ出身校の議員も二人いる。

▼「辞職勧告」で、法的に辞職はしなくてもいいが、そう滅多にあることではない。函館市議会の歴史に不名誉な出来事として残ることになる。

▼K議員は現市長の政策に、厳しい批判をする姿を議会でよく見る。市長としても煙たい存在のようだ。そんな対立も今回の「議員辞職勧告」の裏に潜んでいるような気もする。

▼だが、K議員も会長職を降りなければ、市との委託料契約はできないことになる。会長職は降りることになるだろうというのが私の見解だ。

▼だが、ラクビ―が大好きなK議員、会長の席を他に譲るというのは潔しとしないだろう。我がK高校ラクビ―の伝統を、他に譲りたくないに違いないからだ。ラクビ―W杯以上に、気になる函館市の熱き戦いだ。

▼元全日本のキャプテンI先輩が存命なら、こんな事態にはならなかったはずだ。だがI先輩は69歳で病死した。都内の病院で、手術のため救急車で転院する日に息を引き取ったのだ。

▼その葬儀で、弔辞を読んだのもK議員だ。I先輩の後継者とみなされたからだ。それだけにK議員も「辞職勧告」を拒否したのだろう。無報酬のスポーツ団体なので、通常の兼業には当たらないというのがK議員の主張だ。

▼というわけで、昨日の「日露戦争」は、そんな複雑な思いで観戦していた。それにしてもスタンドで観戦していたアベ総理に「北方領土は奪還できないのか」と、テレビ向かって、罵声を浴びせることも忘れなかった。

▼テレビで一緒に観戦していた妻も、私の場外戦も聞かされ、熱戦に集中できなかったようだ。

▼来年の五輪まで、300日足らずになってきたが、今後メディアが「国威発揚」にどんなかかわりを持つか、注視していきたい。それが、私たち世代が次期五輪を観戦する、最大の使命だと思うからだ。

▼昨日のアベ総理と秋篠宮ご夫妻の観戦場面を、一度しかカメラを向けなかったテレビ局に、拍手を送りたい。

東京裁判と東電裁判

2019年09月20日 13時40分47秒 | えいこう語る

▼東日本大震災による福島第一原発事故で、放射性物質が環境に放出された。事故現場周辺の住民は、いまだに故郷を奪われたままの状態だ。

▼日本人の歴史感覚では【ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ】と連想する方も多いに違いない。もちろん私もその一人だ。

▼広島・長崎は戦争で原子爆弾が投下され、それが敗戦につながった。トップの戦争責任は、東京裁判でA級戦犯として処刑だ。戦後、原子力は兵器から【電力】として平和のエネルギーに変身した。

▼だが、原発が事故を起こすと、広島・長崎と同様の結果になるには誰もが知っていた。そこで、原子力発電は【安全・安心で持続可能なクリーン・エネルギー】として、国がお墨付きを与えた。さらに政府が率先して、国民に「安全・安心」を広報した。

▼戦争も勝つつもりで始まった。戦局が不利になっても大本営発表という広報活動で、勝っていると嘘を付く。結果、自国も敵国にも多大な死者を出し、東京裁判となった。判決は戦争責任を問うものだったので、死刑判決も出た。

▼さて東電裁判だ。戦争同様の悲惨な事故だ。原発事故は原爆投下と同様であることが実証された。その東電裁判が19日、東京地裁での判決がでた。

▼【被告らは無罪】だ。電力は国策だから、無罪にしなければ国まで責任が及ぶということなのだろう。こうなれば函館市が東京地裁に【大間原発建設反対】を、建設会社と国に提訴していた案件など【敗訴】は、間違いないということになる。まだ稼働もしていない原発など、事故の心配など考えられないので裁判することにもならず、まして判決などというのもあり得ないということになるだろう。

▼以前にもブログで書いたことがあるが、英国の作家、ギルバート・キイス・チェスタントが【死者のデモクラシー】という言葉を使っている。

▼もちろん使者は発言することができないが、戦争裁判で死者たちの声なき声にも耳を傾けるのが、民主主義の基本ということなのだろう。

▼そうであれば、今回の東電裁判は、帰還困難者や放射性物質を浴びせられた、福島県民の声も反映されなければならない。

▼放射能汚染に見舞われた被災者たちは、東電の責任を全員が訴えるに違いない。その意見を裁判に反映させれば、判決はおのずと変わってくるだろう。

▼事故を起こした東京電力が、無罪などという判決は却下だ。罪のない被害者側に利を与えるのが裁判所の正義ではないか。こんな判決を言い渡す裁判所は、もはや司法の番人とは言えない。

▼東京地裁は、国家や大企業の番人(いや番犬)と言ってもいい存在だ。待ったく納得がいかない、福島原発事故の裁判結果だ。