▼いつ頃からだったか記憶に無いが、私は何年生まれと聞かれると、その相手が私より年配であれば、昭和00年生まれと答え、私よりずいぶん若いと思えば西暦で答える。
▼昭和23年生まれの私は、昭和で言う方が時代の様子が、はっきり浮かんでくる。だが、平成になってからは、西暦を使う方が多くなったような気がする。
▼使い方が二つがあるという現実に、若干苛立ちと戸惑いを感じるので、自分が主体的に使い分けるようにしている
。つまり「国民主権」という立場からという、私の極些細な感情によるものだろう。
▼さて2019年4月1日正午近く、新元号が発表された。【令和】だという。私の第一印象を述べてみたい。
▼【令】は、命令という言葉を思い出した。【和】は、平和と言う意味と昭和だ。だが、アベ政権が進める積極的平和主義を実現させるため、命令に従わせるという意味に思えたのだ。
▼「漢語林」を開いてみた。【令】は、命ずる、いいつける、法令などを発布するとある。ふと自民党憲法改正草案を思い出した。
▼改憲草案=天皇は国家【元首】であり、日本国および日本国民統合の象徴である。というのと、前文では「天皇を戴く国家である」となっている。なんだか戦前の昭和天皇が統治していた頃の、国柄にしようとしているようだ。
▼さらに【令】は、象形文字的に言えば、人がひざまずく形で、ひざまずいて神意をきくさまから「いいつける」の意味を表すとある。
▼零・嶺・鈴・齢・領などの漢字は 「ひざまずき神意に耳を傾ける」の意味を共有している。さらに「威令」や「訓令」などの漢字を思いだせば、その意味が実感できる。
▼【令和】は万葉集の「梅」句の一首からとったというが、アベ総理の頭には「同期の桜」が満開に咲いていたのではないか。桜の満開の前の梅に、憲法改正を待ち焦がれる気持ちを重ねたに違いない。
▼アベ総理のそんな思いに、思い重ねるのは西行の句だろう。【ねがわくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ】だ。
▼靖国の桜が満開になっても、英霊の参拝にも行けぬ総理の身は哀れだ。そんな時代は【令和】で変えていこうという、そんな意志の表れか。
▼【和】は昭和の「和」にも通ずる。昭和の前半は戦争へひたむきに走り、地獄へと向かった。だが今の日本は、軍隊を持てば世界最強の軍事力だから、平和を維持できるという、アベ総理の確信なのだろうか。
▼【和】の前に【令】を持ってきた理由は、どんなものなのか。新元号は、やはりアベ総理の「おもい」が強く出た元号のような気がする。
▼そんな元号下で、昭和生まれの私は、間違いなく死んでいく。今まではあまり意識しなかった元号にも、素朴な疑問もわいてくる。
▼学徒出陣の時、学生たちに流行した言葉は「シックザール」というドイツ語だという。運命と訳されるが【従わざるを得なきもの】と解釈したらしい。
▼元号というのも、言わば「シックザール」と同種なのだろうか。【令】という字の「怖さ」が現実化しないように、私たち国民は、政治に釘付けにならなければならないようだ。
▼新元号が「国家主権」に利用されないように「国民主権の元号にしなければならない。立憲主義とは、為政者を野放しにしないという意味だからだ。
▼新元号についての第一印象をまとめてみたが、自分が亡くなる直前に、その印象が立証できるようにならないことを切に願って、得意の「妄想」を磨いていこうと思う。