▼「日本国憲法は1度も改正されない、世界で珍しい時代にそぐわない古い憲法だ」と、アベ政権が声を大に「日本国憲法」をイジメている。その真の狙いは『第9条』の平和憲法が邪魔だからだ。
▼今や相次ぐ大災害に自衛隊の存在は欠かせず、自衛隊は国民の支持と尊敬を受けている。だが、周辺事態が緊張している中で、国民の生命・身体の保全のためには、自衛力だけでは覚束ない。そこで軍事力が行使できる、積極的な使命を与えるべきだという理論に誘導する。
▼現実重視の一見納得させられそうな理論だが、私たちの記憶に新しい「昭和の戦争」を思い出せば、軍隊とはどのような存在なのかが理解できる。軍隊とは「大量殺人」を引き起こすというのが実体だからだ。
▼軍隊は「大量殺人部隊」だというのは、決して過言ではない。それは国民の生命を守る軍隊に対し、不敬ではないかといわれるが、その考えそのものが、大量殺人を容認する最大の要因なのだ。軍人というのは戦う相手を殲滅するのが使命だからだ。
▼とはいうものの、我が国は敗戦からずっと米軍基地が全国各地にある。沖縄のように、米軍基地が28ヶ所もあるようなところでは、我が国の法律は適用されないというのが現状だ。
▼日米安全保障条約が、我が国の憲法の上位にあるからだ
。沖縄県民の基本的人権は「地位協定」と呼ばれる特別法で無視されている。事故や事件があるたびに改正を求めるが、米軍に味方するのが日本国政府なのだ。沖縄は米国に提供した単なる基地なのだ。
▼福島原発事故後、電力は足りているので、原発中止を要求しても、政府は再稼働をやめない。これも「日米原子力協定」があり、日本単独では判断できないことになっている。我が国の「原子力基本法」でも「この法律は安全保障に資する」という条項が入っている。
▼つまり【米軍基地ゼロ】も【原発ゼロ】も「日米安全保障条約」がある限り、無駄だということだ。それに我が国の最高裁判所も『統治行為論』なるものを掲げ「日米安保」や「原子力エネルギー」などの高度な政治性を有するものが、違憲であるか否かの判断は、裁判所の司法審査権の範囲以外にあたるという、解釈が出来上がっているからだ。
▼沖縄の米軍基地に関する最高裁判決でも「原告門前払い」扱いにされ、沖縄県民に「最低裁判所」と罵声を浴びせられたらしい。
▼ちなみに原発事故に関する法律の例だが「大気汚染防止法」には「この法律の規定は放射性物質による大気汚染およびその防止については適用しない」。「水質汚染防止法」も「この法律の規定は放射性物質による大気汚染及びその防止については適用しない」となっている。
▼こんな法律が実際に存在しているから、東京電力の弁護士が「福島原発の敷地外に出た放射性物質は、すでに東京電力の所有物ではない【無主物】である」という無能な弁護をするのだ。
▼我が国は【法治国家】と呼べる代物ではないようだ。我が国が世界に誇れる『第9条』だって「陸海空軍その他の戦力は保持しない」とあるが、これだって今の兵器の増強から見れば、嘘っぱちに決まっている。
▼アベ政権はもはや「憲法違反」をしっぱなしの政権なのだ。ナチスの【全権委任法第2条=ドイツ政府によって制定された法律は、国会及び第二院の制度そのものにかかわるものでない限り、憲法に違反することができる】そんなナチスと似通ってきているのがアベ政治ではないか。
▼北海道庁によるIR法(カジノ法)の説明会で「違法(カジノ)を合法に変えた」と、耳を疑うことを話したのを、私は確かに聞いた。アベ総理の憲法解釈は間違っているという日本の多くの憲法学者の指摘は、間違いがないようだ
。
▼アベ政治は「政府は憲法に違反する法律を制定できる」というナチスの政治と、何ら変わらなくなっているのだ。
▼では我々国民は、どうしたら日本を守れるかということになるが「憲法改正」しか方法はないようだ。それは「9条」を改正せず「原子力発電所の設置は永久に廃止する」というのと「米軍基地の完全撤退」を憲法に明記することだ。
▼とはいうが、どうしたらいいのかというと、フリッピンに見習えばいい。1992年フィリッピンは「憲法改正」によって「米軍の完全撤退」を実現したからだ。
▼その主旨というのは「米国の違法な戦争に付き合う必要がない」ということだそうだ。だが、米国との安全保障条約は継続する」という賢明な処理を成功させたのだ。これが「真の主権国家」なのだ。
▼これらの考えは、矢部宏司著「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」という本を、夜が明けるまで読んでしまったからだ。
▼私は子供の頃から大人になるまで、嫌いなものはバナナとスイカだった。だが、この頃バナナが好きになった。今後もフィリッピンバナナを食べようと思う。「そんなバナナ」という、時代遅れのダジャレはやめて。