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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

道徳教育と国防

2017年09月03日 09時21分05秒 | えいこう語る

▼2018年度から小学校で、19年から中学校で道徳が教科化される。先の大戦について、内容をよく理解している人は、安保法制の制定や憲法改正が叫ばれる現政権のでの動きを見ると、道徳教科化が「修身教育」のようになるのではないかと、懸念しているようだ。だが、そんな単純な話ではないと主張するのが、上越教育大副学長の林泰成氏(専門は道徳教育)だ。

▼林氏は「以前は教科書に書かれていることを、ペーパー上に再現するのが学力だったが、今や学力の概念に人間性や協調性、道徳性が入り込んできた。理解したことを人に伝える能力を評価するようになっている」。これが教科化の背景だと、北海道新聞8月28日に掲載している。

▼例えば、賛否を選ぶのではなく、どういう理由付けをするかが重要で、悩むことで考え方の構造が変わり、道徳性が発達するという訓練も教科化の目的だという。今までの考えだと、雪が融けたらどうなるという問いに「雪が融けたら水になる」という考えが正解だと教師が判断すると「雪が融けたら春になる」という感性豊かな答えは誤りになった。

▼どちらが正解かと判断するのは、あくまでも教師に委ねられる。だが、答えが多様化するのが教科化の目的だとしたら、多用な意見を尊重することで、あれもいいこれもいいということになったら、個性的な人格形成につながるだろうが、統一性の欠けた教室になるのではないか。自己主張が強すぎると、いじめが今より増加する可能性もあるのではないかと心配する。

▼とは言いながら、最近の教科書検定では、意外と窮屈な条件で、検定が行われているようだ。もし、憲法が改正されて、我が国も軍隊を持ち戦える国になったら、国防意識を高揚させる内容は、当然教科書にあらわれてくるに違いない。考えを植え付けるのが教育なので、それが道徳教育の最終的な目的なのではないか。

▼どこかの国から、ミサイル攻撃を受ける。国や国民を守るため応戦する。互いに徹底攻撃をすれば、多くの国民が犠牲になる。戦争は、大量殺人を生むという事実を、戦後の歴史教科書は教えている。だが、憲法改正後には「自衛のための戦争」という教え方も出てくるだろう。

▼そこに、道徳教育がどう歯止めをかけるか、心配だ。教師は国の検定を受けた教科書で教える。道徳を教える教師は、果たして多様な判断が可能なのだろうか。文部省推薦のような、四角四面の教師が、道徳教師に任命される可能性もあるのではないか。

▼『戦争は教育から始まる』と言われる。私が学んだ、日本近代史での歴史認識でも、その通りだと思う。「教育」が「強育」となり、やがて「狂育」になりやしないかと、ちょっぴり、道徳教育の教科化を心配している。

最近のメディアについて

2017年09月01日 12時31分53秒 | えいこう語る

▼人気歌手が、突然政治舞台に担ぎ出されて、若くして国会議員になる。「幼稚園児国会議員」だ。自民党今井絵理子参議院議員と神戸市議会の橋本市議が、新幹線内で手をつなぎ眠っている写真が、メディアの格好の餌食になっている。今井さんは独身だが、橋本さんは妻帯者だ。だが、若い二人の新幹線での「お昼寝タイム」は、ほのぼのとした感じもある。

▼そこからメディアの猛烈な攻撃が始まり、政務活動費などの不正まで発覚し、橋本さんは辞職に追い込まれた。一方だんまりを続ける今井さんにも、ビール券を大量に配ったなど、メディアの追及が伸び始めているようだ。悪いことは悪いが、今井さんは子供がいての離婚者で、橋本さんは離婚を考えているさなかの、お手てつないでの若い二人のお昼寝タイムだ。真面目そうに見える未来ある若い二人に「いいじゃないか」と、高齢者と称されることに慣れた私は好意的だ。

▼だが、森友学園や加計学園問題はどうしたのだろうか。メディアはこの二人より、総理が絡むこの問題を徹底究明するのが、正義が身上のメディアの使命ではないかと、憤慨する。「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」と、都都逸の一つもメディアに向かって唸ってみたくもなる。

▼二人の政治家もよくないが、それを必要以上に取り上げるメディアも、我が国をダメにする大元凶だ。不正をただすのがメディアの役割だと思うが、人情が先に立ち、二人より総理の犯罪を実証することがいいなどと思ってしまう。

▼「功罪相半ばす」とは、善悪どちらも決めかねるという意味だが、私も年を取って感情の方が先に立ち「功罪相半ばす」曖昧な存在になっているようだ。メディアはそうあってはならないが、売り上げが先に立ち、本来の使命を逸脱してしまうのだろう。

▼北朝鮮からのミサイル飛来だが、メディアも国防意識を煽ってはいけないと思う。国防予算の際限なき膨張につながるからだ。今後も北朝鮮はミサイル発射を続けるという。それを、やたら軍事脅威として国民の国防意識に火を付けてはならない。メディアの使命は「二度と再び戦争をさせない」ということに尽きるのではないか。先の大戦では、戦争を推進させたのがメディだという事実を、自己反省してほしいものだ。田舎者の私が、とやかく言っても埒が明かないので、メディア論に詳しい、森達也氏の言葉を借りたい。著省「視点をずらす思考術」では、一刀両断にこう述べている。

▼「社会正義や社会の木鐸などの語彙に憑依されたメディアは、自己陶酔を起こし、またもや暴走する。メディアの機能は伝えることで罰することではない。人の不幸を飯の種にする賤業なのだと思うくらいがちょうどよい」と。

▼ブログを書いている私にも、痛みのある言葉だ。