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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

つかみ所のない男

2016年05月06日 10時39分43秒 | えいこう語る

 

戦後70年の昨年、我が国は憲法第9条があるにもかかわらず、自国から出て戦争が出来る、集団的自衛権を行使を可能うとした安保関連法を制定した。自民党創設以来の念願だった憲法改正。憲法学者ばかりではなく、義務教育を終了した日本国民なら誰もが判断できる、憲法違反をアベ総理は犯してしまったのだ。法が成立してしまっては、もはや違憲ではない。裁判所では、正義の規準として判断されることになる。なぜ正義の規準を変えてしまうほどの変化が、我が国で起きたのだろうか。

憲法制定70年の5月3日。テレビも新聞も、総力をあげその解明をしなければならないはずが、反アベ政権への強烈なメディアの総攻撃は、足並みが揃わないばかりか、すでにその戦力はアベ総理により、分断させられ弱体化してしまったのではないか。そんなメディアの敗北感を見せつけられたような、今回の憲法記念日である。私といえば片田舎にいて、ユーチューブで、ある評論家の講演会を観ていた。

「自民党に天罰を、公明党に仏罰を」と講演者は叫び、聴衆の鬱憤を晴らす。もはや神仏頼みにしか、平和を頼ることが出来ない我が国に、無力感と同時に、一抹の寂しさを覚えた。そんな国民を尻目に、アベ総理は外遊に出かけた。ヨーロッパではテロ対策について、次期日本でのサミットでの、合意形成をしようとしているようだ。今回の大きな目的は、ロシア首相との「北方領土返還交渉」である。ほとんど無理と思われる領土交渉に挑戦するアベ総理こそ、我が国の誇りではないか、などと思う国民も増えてきそうである。

最近のアベ総理の行動は、評価に与えするものが多い。7月の天下分け目の戦いと言われる参議院選挙の前哨戦である、北海道5区の衆補選も、適切な布陣で勝利を収めた。その間総理は、熊本県の地震の陣頭指揮にあたり、自衛隊、警察、消防などの大部隊の派遣、オスプレイ導入で日米安保の協力体制の強化を発揮した。一国の総理としては及第点だ。

今回の日ロ会談で、ロシア首相の来日ぐらいは取り付けて、5月の伊勢志摩サミットに望むのだろう。衆参同時選挙は、まったく眼中にないと言われるが、戦いは勢いである。この千載一遇のチャンスを、果たして逃すだろうか。「米国の大統領が誰になっても私の考えは揺らぐことはない。我が日本の国民の生命と平和を守るのは、アベ政権以外にありません」と総理が叫んだところで、私も拍手する寸前で、これは夢の中だと気付いた。危うく拍手をして、朝弱い妻を起こすところだった。

米国のトランプ候補。中国の習さん。北朝鮮の若大将。ロシアのプーチンさん、それに大日本帝国のアベちゃんである。世界はつかみ所のない男たちで、つかみ所のない地球に変貌しているような気がする。

今朝は、新聞が休みだ。新聞記者たちも、つかみ所のない男たちに振り回されて、疲労困憊しているに違いない。十分に鋭気を養い、国民を戦争のない国へと、誘導してもらいたいものである。

 

時は過ぎて記憶は淡く

2016年05月03日 11時04分07秒 | えいこう語る

 

▼先日、私の店に、私と同年代と思われる白髪の男性が入ってきた。「私をわかるかい」という。思い出すには時間がかからなかった。高校時代の友人、S君だ。その夜、S君夫妻と私たち夫婦と4人は、函館ベイサイドのビヤホールで会食をした。大学は違ったが、彼が東京でアパートを探す間、数ヶ月私のアパートに住んでいたのだ。だが人生は不思議なものだ。それから一度も逢うことなく、今再び青春時代を過ごした函館の地で、お互い夫婦で時間を共にしているのだ。

▼1964年は、私が道南の漁村から函館市の高校に入学した時だ。東京オリンピックが開催され、我が国に初の新幹線が走ったのもこの年だ。団塊世代の私たちは、身体中からエネルギーがほとばしっていた時代でもある。彼の家は、鎌倉で文士が住まいしているような純和風の一軒家だった。母上は私の母と同じ大正生まれで、当時和服を着ていた。S君を思い出すと必ず彼の家が浮かんでくるのだ。学校帰り彼の家に寄ると、彼がギターを弾いて、私が歌うというそんな音楽を通じた友人だった。

▼ビールを傾けながら、ビートルズなどの音楽談義が始まった。突然彼の奥さんが、すごいことを言った。「私はビートルズの日本初公演に、武道館へ行った」と。すかさず私の妻が「奥様も不良だったのですね」というと、4人はそこで心が打ち解けあって、笑ってしまったのだ。当時、ビートルズに熱狂する若者は、大人から不良だと言われたからだ。4人は共に団塊世代だったのだ。

▼S君が切り出した。君が是非観に行こうと映画に誘ったのが「シェルブールの雨傘」だ。自分は映画があまり好きでなかったが、あの映画のラストシーンと映画音楽は素晴らしかったという。私の青春時代の最も思い出に残る映画が「シェルブールの雨傘」だ。1964年製作のこのフランス映画は、ミシェル・ルグランの洒落た音楽と、カトリーヌ・ドヌーブの匂い立つようの若さと美しさ、ラストシーンの雪が降るクリスマスの夜の場面は、一生私の脳裏から消えることはない。

▼私は一人で映画を観に行ったと思っていた。だが彼は自分と一緒だと言い張る。今はない映画館の名も、場所も知っているのだ。しかも、私が覚えている映画館とは違うのだ。彼は、映画に興味がなかった自分が鮮明に覚えているのだから間違いはないという。私はうろたえた。私はその映画を何度も観た。今でもルグランの演奏が大好きで聴いている。私はこの映画は、フランスから函館の私に届けてくれた映画だと思ってきたのだ。

▼話は、私たちが別れてからの話題に進む。彼の職業は、水道管を作っている本社が東京の会社で、彼の勤務は現在神戸で取締役の肩書きを持っていた。熊本の震災の復興でさらに仕事が忙しくなるとも話していた。原発の炉心を冷やす海水から組み上げる配管の工事も自社が行っているという。地震に強い配管の工事が得意分野だそうだ。私の妻は、飲む前に、相手がどんなん仕事についているのかわからないので「原発や安全保障などの過激な発言は、控えてほしい」との強い助言があった。そのおかげで、大間原発は函館市を守るために反対するというのでは、思いが一致した。妻の忠告は、私の性格を知り尽くしているから当たるのだろうと驚きもしたが、ちょっぴり心を読まれている恐ろしさも感じた、妻の的確な忠告だった。

▼私の記憶で最も大事な「シェルブールの雨傘」が、私の記憶違いが判明した。私は彼に頼んだ。「あの映画を君と男同士で観たというのは、私の美しい思い出が壊れてしまうので、君の記憶を抹消してほしい」と。記憶を抹消してほしいという友の願いを、S君夫婦はどのように思ったのだろうか。昔不良と言われた彼の奥さんなら、理解してくれると思う。なぜかというと、二人と待ち合わせてビヤホールまで歩いて行った時、二人が仲良く手をつないで歩いていたのを見たからだ。多分奥さんはS君にこう言うだろう。「あなたの記憶を消してやって」と。私たちは高校時代ビートルズのフアンで、共に大人たちから不良だと言われた仲間だからだ。

▼S君夫婦と別れてから、ベイサイドの街並みを歩いてみた。♪時は過ぎて 記憶は淡く♪そんなシャンソンが流れてきそうな港函館。旧友と昔話を語るには、とてもやさしく迎えてくれる懐かしい街でもある。



政治的中立

2016年05月02日 12時08分11秒 | えいこう語る

 

選挙権を18歳に拡大したことにより、高校で「主権者教育」なるものが実施されている。北海道は、私立高校ではさほど問題ではないが、公立高校では教員たちが国や道の「政治的中立」を求める圧力に苦慮しているのが、5月2日の道新に掲載されている。十勝管内の道立高校で、すでに終了した管内の立候補者の政策を生徒に比較させ、模擬投票を実施させようとしたが、生々しすぎるというので、道選管から計画を変更をさせられたという。

「中立」とはなにか。「広辞苑」には、いずれにも味方せず、いずれにも敵対しないこと。国際法上、国家間の紛争や戦争に関与しないこと。いかなる軍事同盟にも参加しないこと、とある。与党と野党の候補者の比較をさせ、模擬投票をさせるのは「主権者教育」では、極めて中立ということではないか。私が担当教師なら、憲法学者を呼んで、現憲法と自民党改憲案を比較してもらう。学者が講義するのなら問題はないだろう。だが、我が国の憲法学者の3分の2以上がアベ総理の憲法解釈を違憲としている現状では、文科省がこの企画を却下するに違いない。

国際法上、中立とは軍事同盟に参加せず、戦争に関与しないことだとすれば、安保関連法で集団的自衛権を行使できるとしたこの憲法は、現憲法違反だというのは高校生でも判断できるだろう。「政治的中立」を振りかざす文科省自体が「政治的中立」を強制することが、すでにおかしいのである。文科省の「政治的中立」という言葉は、主権者が国家であるという立場からものを言っているに過ぎない。現憲法では主権者は国民である。国民が国家に圧力をかけられては「主権者教育」など成り立たないのだ。などと、今朝の新聞記事に、朝から強い拒否反応を示してしまったのだ。

憲法制定70年目の今年、安保関連法や集団的自衛権などの人命に係る問題を、あらゆるところで話し合える環境こそが「主権教育」というものだろう。私が参加する函館市町会連合会では、安保関連法は政治的問題なので、町会になじまないというのが大半の意見だ。さらに函館市社会福祉協議会でも、この問題は政治的なので好ましくないという。もう一つ、私は、函館市社会教育委員として「主権者教育」についての質問を試みてみたいと思う。今、最も重要な社会教育は、市民に日本国憲法を学ばさせることではないかと」。

▼「安保関連法」に反対する決議が2度市議会に提出された。だが、函館市議会は2度とも否決した。「15対14」の僅差である。このことを市民はどれほど知っているのだろうか。少なくとも函館市は「集団的自衛権を行使し、他国での戦いを容認する戦争法を支持した」ということだ。このような命に関わることを話し合わない雰囲気を持つ函館市民は、すでに、戦争に賛同しているということになるのではないだろうか。私は函館市民としてそう思うが、そこまで話をさせない市民が、私の周囲にはたくさんいる。

▼たぶん、戦争に賛成している市民などいないはずである。ただ日本国憲法をよく知らない日本人が多いだけのように思う。函館市民の憲法と言われる「函館市自治基本条例」だって、制定されても市民に理解をさせない行政では、絵に描いた餅だ。絵に描いた餅でいいと思っている行政がいるから「15対14」になるのではないかと思う。

▼私憤を述べてしまったが、憲法制定70周年の今年は、酒の肴に必ず一品「憲法」という、固そうだが噛めば噛むほど味がある一品を注文し、みんなで食したいと思っている。


「大地」に狙われる・北海道

2016年05月01日 12時00分32秒 | えいこう語る

▼4月29日の北海道新聞の、憲法に対する道民調査だ。戦後、憲法が果たした役割を評価するが【88%】を占めた。戦争放棄を掲げた現憲法、それを理解する道民が多いような気がして、心強く感じる気分だ。だが改憲は必要が39%で、必要ないの58%に迫っている。30歳以下では今年成立した「安保法」の廃止が32%、違反ではなく存続とするが【65%】と、若者の「国防意識」が高いのが数字から伺える。

だが、この数字に「ゲーム没頭世代の若者は、戦争の悲惨さを実感できないでいるからだ」と大人は考えがちだが、現実の数字が憲法9条の改正に動き始めていると考えたほうがいいようだ。憲法改正に関する第96条は、衆参両議院の3分の2以上のの賛成で、国民の過半数が賛成で改正できるとするが、選挙権を18歳までにしたことは、どうやらアベ政権に有利に働いているのかもしれない。選挙権を広げたことを機会に、道民の中でもっと憲法や安保法に対し、積極的に話し合う機会を持たなければならないようだ。

さて、私が所属する函館市町会連合会だが、先日30名の会長が集まった会議の席上「安全・安心なまちづくりが町会活動の基本テーマだが、安保関連法について話し合ってもいいのではないか」と私が主張したが、反対大多数!?で却下された。函館市町会連合会は、国内の町会組織で初めて大間原発反対運動を始め全国の注目を浴びている。大間原発は市民の命を守る問題で政治問題ではなく、安保関連法は話しあう事そのものが、政治問題だという解釈のようだ。戦後生まれの私には、理解できない解釈だけど。

▼町会の若者加入が叫ばれる中、もっと政治的なことに関心を持たせる町会活動が必要ではないかと思うのだが、大多数が反対であれば、喉まで出かけた言葉を飲み込まなければならないのも辛いものだ。そのうち私は、喉詰まりを起こし酸欠状態で、救急車で運ばれるかもしれない。籾井会長に睨まれるNHK職員も、私と同じ気持ちを味合っているのだろうなと思いながら、私もじっと我慢の大五郎だ。

▼4月28日に、国会内でアベ総理と新党「大地」のムネオさんが会談している。昨年12月から、新聞記事で知るだけだが、3度目の会談だ。「アベ・ムネオ、ライン」は相当太いラインと化しているような気がする。北海道5区の補選で自民党公認候補の勝利に対し、ムネオさんに感謝の意を伝えたようだ。近づく日ロ首脳会談について、ムネオさんからアベ総理に「今回は慌てず信頼を醸成し、プーチン来日につなげればいい」と伝え、アベ総理は「歴史をつくるべき頑張りたい」と話し、夏の北海道参議院選挙の強力を頼んだという。

▼この時点で、北海道担当大統領、スズキムネオのポストは確保され、道自民党選挙対策本部長も任されたということだろう。つまり、道知事より私の方が、権力を持ったという瞬間だと、ムネオさんは“胸を張って”北海道に凱旋したに違いない。ムネオさんには政治家としての野望がいっぱいあるのだ。それはムショ暮らしの中で、じっくり「新北海道改造計画」を練りに練ったからだ。ムネオさんが札幌市内を眼下にする、藻岩山の頂上で「道民よ大志を抱け」と叫んだところで、昨夜の私の夢は終了した。

▼ムネオさんの「新北海道改造計画」なるものは、なんだろうかと心配にもなる。多分、角栄さんの手法を真似たものだろうが、夢は果てしなく大きいものに違いない。この頃のムネオさん、なにをやっても成功するという、笑顔にあふれているからだ。

▼5月1日の北海道新聞の小さな記事だ。政府が辺野古沿岸部で、埋め立て工事のために海上立ち入り禁止区域を示すフロートを撤去し始めたという。翁長知事は「一定の評価をしている」としているが、そこに政府がどんな企みをしているのか、心配になる。沖縄県民が辺野古基地に反対なら、国内移設しかないだろう。

▼日本一広い軍事演習場といわれる、根室関内別海町・陸自矢臼別演習場と同時に、ムネオさんの顔も浮かんだ。さらに、今その近くにある、ホリエモンが計画するロケット発射場もなぜか浮かんできたのだ。「アベ・ムネオ・ホリエモン・ライン」も、私の中では強烈なラインを形成しつつあるのではないかと、そんな気がしてならない。

▼ムネオさんもホリエモンも「タエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノビ」のムショ暮らしだ。出所後の二人に共通する言葉は「我が辞書に不可能はない」に違いない。この二人がカラオケで歌う曲、高倉健さんの「網走番外地」だなんて、間違っても夢にも見たくない。

▼今日から5月に突入だ。夏も近づく八十八夜、「安保法反対」の声が全国から聞こえるメーデーの朝でもある。