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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

椴法華空襲

2016年05月22日 11時17分38秒 | えいこう語る

 

私は1948(昭和23)年に、北海道亀田郡椴法華村という漁村に生まれた。当時、魚が大漁していたので食糧難という記憶がないが、食事といえば「じゃがいも」と「かぼちゃ」を、ほとんど毎日食べていた。小学校の時は、子どもたちで川に遊びに行き、じゃがいもをゆでて食べたなどという、そんなのんびりした時代でもあった。世に言う「団塊世代」で、たくさんの子どもたちが集まって毎日自然の中で遊んでいたので、あの時代は、貧しいという感情より楽しいという思い出が、完全に優位を占めていた。当時の仲間が集まると、山や川や海で遊んだ思い出で話は盛り上がる。物はなくても遊びを作り出す、子供たちが皆、天才ぶりを発揮した時代だ。

そんな楽しい時代を過ごすことが出来たのも、戦後に生まれたからだと思う。さて今日(22日)の北海道新聞朝刊に目を奪われた。我が母校椴法華小学校が、昭和20年7月15日に、米軍の爆撃を受け体育館を残し全焼している。その時の米軍機から撮影された映像を、大分県の市民団体が米国立公文書館から入手したという記事だ。小学校のすぐ隣に、私の菩提寺があるが、最近お寺に修復をしていたら、柱に弾が刺さっていたのだ。警察と自衛隊に調査を依頼した結果、当時の米軍機から発射された弾だと判明し、お寺に保存してある。

先日、80歳を過ぎた私の村の先輩が、村での戦争体験をぜひ書き留めて置きたいので、私に協力してほしいと依頼があった。明治9年、我が村は隣の旧尾札部村から一村独立を果たした。その時、70戸だというから、人口は約5百名ほどと推測する。道路を作り、学校を作り、簡易水道もいち早く整備し、小さいながらも水力発電事業も起こした。戦後まもなく、村人を元気づけるため、横綱千代の山の土俵入りと大相撲が開催されたのも、小学校グランドだ。村人総出の情熱溢れるまちづくりは「椴法華村史」に記憶されている。

現在、村の人口も1000人を切り、後10年ほど経つと明治9年の人口に近づくに違いない。今日の新聞記事の隣の記事は、安全保障関連法施行後初の平和維持活動の派遣で、陸自第7師団(千歳)中心の部隊の壮行式が挙行されたという内容だ。第1陣350名は、今月22日に、南スーダンに派遣されるという。集団的自衛権行使が容認され、武器を持っての活動は、戦闘を予測しての内容だ。師団長の激が飛ぶ。「高い注目度の中、今回の任務に従事することの意義を認識し、日本代表としての誇りを胸に完遂して欲しい」と述べた。オリンピックに参加するのと戦争に参加するのを、同等に考えていやしないだろうか。不祥事が続く次期オリンピックも「国威発揚」という内容なら、期待感もゼロになってしまいそうである。

私が受けてきた戦後教育。教育とは「戦争のない平和な国をつくる精神を涵養させること」と、教えられたと思っている。あの日、4名の方が命を落とされた。あれから72年、その人達の声を伝える使命を強く感じた、今朝の新聞記事だ。


魚が住めなくなる

2016年05月19日 10時37分24秒 | えいこう語る

 

私の地区と隣町との境に、恵山(618M)がそびえている。100万年以上前に海底から隆起した山だという。噴煙を立ち上らせているので、いつかは噴火の可能性もあると思うのだが、周辺は温泉が湧き、数百種という高山植物が群生している。今は新緑に包まれた山に、真っ紅な恵山つつじが満開を迎えようとしている。人間による盗掘もあるそうだが、鹿の繁殖により食べられるという被害も相当あるそうだ。

明治時代、北海道には狼がいて、鹿を食い荒らしていたことから狼の駆除が始まり、狼が絶滅したことで鹿が増えたという経緯がある。狼を研究している方から、狼は悪役というのはイソップ童話などで、誤ったイメージが広がったためで、賢い動物なので「犭=ケモノヘン」に「良」と書くのだ、と聞いたことがある。賢いというのは「ずる賢い」というイメージもあり、鹿を捕獲する姿に悪役のイメージが重なったのだろう。だが、賢い動物なので「おおかみ=大神」と呼ばれたのではないかと、私はそうも解釈している。「おかみさん」なんていうのも、尊称ではないかと考えるからだ。

山も持続可能な状態を保ち、人々の心を豊かにしてくれればいいと思う、一年中で最も快適な気分にさせてくれる、自然に感謝の気持を持つ季節である。その恵山の麓に広がるのが太平洋である。北海道に移住してきた私たち先祖は、この山のめぐみと海のめぐみで家族を養ってきたのだ。半世紀ほど前の前浜は、烏賊・鰯・鰤・鮪・鮭・鱈など大漁が続いていた。温暖化や福島原発事故の影響なのか解明できないが、この数年、前浜の魚はどこに行ったのかと、捜索願を出さなければならないような状態だ。

今月、富山県で開催されたG7の環境相会議で、海洋ゴミの問題が取り上げられたという。昨今、時化の後に大量に海岸に打ち上げられるのはペットボトルやプラスチックだ。これが紫外線の影響で細かくなり、「マイクロプラスチック=5ミリ以下」となり、それを飲み込む魚が多くなって来たという報告だ。2050年には重量換算で、魚の量を超すとの予測もされているという。

町会でもペットボトルの回収作業は行なっているが、世界中から流れ着いているようだ。日本製のものが多いが、ハングルの表示も目立つ。漁船から海中投機を行なっていると思いたくないが、そう思われても不思議ではないくらいの多さだ。大型のペットボトルを、浮き球代わりに使う漁師もいる。以前は浮き球はガラス製だったが、今はほとんどがプラスチック製に変更された。軽くて丈夫で使い勝手がいいが、環境には良くないのだろう。便利になるというのは必要なことだけど、環境を悪化させては、生活ができなくなるということを実感させられる報告だ。

イタヤ・シャクナゲ・オンコなどの新緑の中に、真っ紅なつつじが咲き誇るという我が家の早朝の庭を、半世紀以上も眺めている。紅いつつじが咲き終わると、白いつつじが咲く。「白いつつじが咲くと、雨が降り花が一気に萎んでしまう」と、小さい頃から母が私に言い聞かせてきた。今年もそのとおりの展開になるのだろう。

白いつつじが咲く頃、雨が降ると母は言った。シャンソンの名曲に「さくらんぼの実る頃」という歌がある。「白いつつじが咲く頃」という我が家の庭も、シャンソンぽいなどと思えるそんな年齢になってしまった。昔と変わらぬ自然環境に感謝する、初夏の美しい私の村だ。


叙勲・褒章の見直しについて

2016年05月16日 14時33分40秒 | えいこう語る

 

ある町会長さんが「いくら長くやっても叙勲の対象にもならないから励みにもならない」と漏らしたことがある。政府の有識者懇の提案素案には、受賞者を増やすべき分野として、保育士・介護職員・自治会や商工会などの、地域の民間活動、中小企業などを挙げている。さらに、自治会長や消防団員、民生委員など他分野を兼務している人を評価する「地域総合功労」制度を創設するのを求めたようだ。町会長は兼務が多いので、叙勲の対象になってきそうである。

地方自治体には自治功労賞などがあるが、多大な貢献をしたというような人物はほとんど見受けられない。その役職に長く付いていて、授与制度の対象になるから与えるというのが多いようだ。他は、首長の選挙の票集めの手段として使われるだけではないかという、疑念を持つ人も多いようだ。私も地方に住んでいてそのように感じる。「あの人がもらうの」というのは、地方では多いからだ。

例えば、私も所属している函館市町会連合会の会長ともなると、様々な役職を兼務している。当然叙勲の対象になるだろう。だが、函館市町連は大間原発反対を表明し、活動を続けている。町会で原発反対運動を展開しているのは、全国で函館だけである。だから、現会長は対象から外されることになる。となれば、長年活躍している高齢の会長さんからは、町会活動について当然制限を設けるべきだという意見が出てくる。つまり「町会は政治的な活動はしてはならない」という、従前の考えを持ち出してくるだろう。

町会の基本テーマは「安全・安心なまちづくり」だ。函館市自治基本条例も「まちづくりの主役は市民」と謳っている。なんと言っても、憲法に保障されている「主権在民」がないがしろになるおそれがあるのが心配である。国側が叙勲や褒章の見直しをするのは、市民の最大組織である町会を叙勲を餌に、取り組もうとする目論見なのかもしれない。「市町連の会長さんは、経歴や実績から言って叙勲の対象なのですが、原発反対だけがネックなのです」といわれればそちらに迎合し、組織の自立性が損なわれかねないことになる。

私は「安全・安心なまちづくり」に、町会が真価を発揮するのであれば「安保関連法」を組織内で討論する環境になければならないと思っている。だが、大間原発問題は命に関わる身近な問題だが「安保関連法」は、政治色が強いので町会としては扱えないというのが見解だ。叙勲を断るという会長さんが多ければいいが、叙勲をいただきたいという会長さんが多ければ、町会の活動自体が、活力を失うことになる。そんな町会運営だと、若い人はますます町会活動に興味を示さなくなるだろう。

私の親戚で、戦争体験者だが消防団長を長く努めて、叙勲の栄誉にあずかり皇居で昭和天皇にお目にかかった時「死んでもいいと思った」と、感想を漏らした人がいる。叙勲とは「ありがたさ」を実感することなのだろう。「ありがたさ」の見返りは、国に忠誠を持つことなのだろうか。自民党中堅議員の中には「栄典とは予算をかけず、手っ取り早く政府・与党への支持に広げることにも役立つ」と述べている者もいる。

文化勲章を拒否した人も過去にいるが、拒否した人が輝いて見えるのは、勲章を与える側に問題があるからだと思う。


田舎暮らし

2016年05月12日 12時39分55秒 | えいこう語る

 

4日ほどブログを休んだ。アベ総理の言動がますますつまらなくなってきたというのを飛び越えて、虚しさを覚えてきたからだ。だが書く意欲を失わせるだけ、アベ総理の「国民総無関心の術」にかかってしまったのかもしれない。3月に北海道新幹線が開業してから初の大型連休だったが、函館市の中心街に観光客が集中したようで、郊外まで足を伸ばすということはなかったようだ。人口減や高齢化で効率ある行政展開をしようというコンパクト・シティーなる計画があるそうだが”観光エンクロージャー政策”という考えも、そこに潜んでいるのではないかと思うことがある。ただ交通の便が良い所でなければ人は集まらないというのは最大の原因だろう。バスの便数も少なく、鉄道も、まして地下鉄などもない田舎には、観光客など遊びに来てくれないというのをあらためて実感した、新幹線開業後の今年のゴールデン・ウイークである。

さて私の田舎暮らしだ。ROUTE278・函館市東海岸沿いの私の店「サーフ・サイド」の庭の2本の桜が、花咲かじいさんがやって来て呪文をかけてくれたかのではないかと思うような、見事な咲きっぷりを見せた。私の勝手な想像だが、唐招提寺にあるかどうかわからないが、東山魁夷が描いた桜の屏風絵が、我が店の庭に設置されているという豪華さだ。桜の背景は普通の山なのだが、その裏山の新緑までもが東山魁夷ブルーに見えてくるような、そんな桜の美しさだ。満開の桜の下でビールを飲んだ。東山画伯の絵からはうぐいすに鳴き声は聞こえてこないだろうが、自然に囲まれた田舎では、うぐいすが登場し鳴いてくれるのである。まるで美術館でビールを飲んでいるような、優雅な気分を満喫できたのだ。

その裏山に、4日ほど蕗採りに出かけた。柔らかくみずみずしい蕗がたくさん採れた。1年分はだいじょうぶねと妻が喜んでいる。湯通しして梅酢に漬けると、これがビールのツマミにぴったりなのだ。半日ほど漬けると食べれるので、桜の下で蕗の梅酢漬けを皿いっぱいに盛りつけてのビールは、世界一美味い感じがする。海岸ではサーファーたちが、太平洋を相手に楽しんでいる。店が終了してから妻の運転で、久しぶりに隣町の縄文露天風呂に出かけた。数年前からバイパスが完成したので、片道25分は丁度いいドライブ・コースだ。現在、北海道北東北縄文遺跡群として、ユネスコ文化遺産に登録を申請中だが、私が車の中で妻に講義するのが「縄文と近代文明」だ。似た者夫婦とはよく言ったものだと思う。毎度おなじみの講義だが、妻も縄文時代はこの海や山で採れる豊富な食物で、こんな料理を作っていたのではないかと、話に乗ってくるのだ。縄文の精神「共生」とは、同じ考えで共に助け合い生きる、そんなことなのかと納得させられてしまう、縄文露天風呂への行き帰りである。

随分この風呂にも通っているが、桜の季節に行ったのは初めてだった。風呂の前の桜の大木が見事に開花していた。毎年桜の時期に温泉へと思うのだが、なぜか逸し続けていた。こんな時こそ、得したと妙に嬉しさがこみ上げるのだ。ないと思う気持ちを持っている方が、あるという充足感よりも、感激も一入とも思ったりもする一瞬だ。桜のすぐ後ろは急峻な崖だが、若葉の緑が桜を引き立て、さらに、乳白色の硫黄温泉のコントラストが、これまた東山魁夷の世界なのだ。ここでも美術館で入浴しているような、豪華な気分を味合ったのだ。

国宝に指定された縄文後期の「中空土偶」が発掘されたこの地。特に、縄文露天風呂付近を流れる大船川には鮭がたくさん遡上したことや、前浜が食料の宝庫だったこと、その海に滋養をたっぷり与え続けた裏山が、自然にあふれていたことなどが定住の条件だった様だ。ここ数年、この地ばかりではなく、北海道全域での漁業が不振だ。だが今年は、例年になくサクラマスが豊漁だ。私も一度釣りに出かけたが、風邪気味だったが7匹ほど釣り、山や海の神様に感謝した。縄文の考古学研究者から「山桜が咲く頃に川に鱒が遡上するので、サクラマスと縄文人は言っいたようだ」と聞いた。真意の程は定かではないが、山桜が咲く頃、雪解け水が大量に海に流れ込む。その山の匂いで、サクラマスが遡上するのは間違いないようだ。サクラマスは、川で生まれたヤマメが海に下り、戻ってくるからだ。

4月、この前浜の定置網の一起こしに、サクラマスが3千匹も入ったという。銀鱗を輝かせ踊り跳ねるサクラマスの姿は、とても美しい。私は濃い群青色した海中から釣り上がってくるサクラマスを「津軽海峡の女王」と呼んでいる。縄文の人は「山ザクラが咲くとサクラマスがやって来る」そう信じた。その言葉の意味を少し掘り下げれば、自然を大切にしなければ、それも叶うまいという近代文明社会に生きる私たちへの教訓なのだろう。海や山、私たちは自然に感謝しなければならない時代にすでに突入している。持続可能な地球は21世紀の人類の最大課題だ。

▼私は縄文時代との心の会話を通じ、縄文語で今に伝わる言葉を一つだけだが発見している。万物に感謝する言葉だ。

「ジョウモンアリガトウゴザイマス」。田舎暮らしをしていなければ解明できなかった言葉だと思っている。


国宝について考えてみた

2016年05月07日 13時39分52秒 | えいこう語る

 

天台宗の開祖最澄の主著に「山家学生式=さんげがくしょうしき」がある。この著の最初の「天台宗法華宗年分学生式」の冒頭部にこう書かれているという。「国宝とは何ものであるか。宝とは道を求める心である。道を求める心を持つ人を、名づけて国宝という」。我が国では、一芸を極める人を「人間国宝」と評するが、その道を極める心に、多くの国民が魂を洗われるからなのだろう。

さて、「改憲の道」を求め続け、それを成し遂げようとするアベ総理を、我が国が人間国宝として推薦できるであろうか。日本国憲法が世界に誇れる条文は「第9条」だ。これこそ全人類が等しく求める「平和への道」である。この道から外れ「改憲への道」をまっしぐらに突き進むアベ総理は、道を求める心を誤った人と言えるのではないか。我が国の最高指導者が道を踏み外した時、国民全員で叱咤激励し、平和への道へ軌道修正をさせるのが、国民の義務ではないだろうか。

昨夜、北朝鮮の労働大会での、最高指導者の姿を見た。我が国は立憲主義国家である。憲法を守るべき対象が、国家の指導者ではなく、国民であると勘違いされては、北朝鮮のようになりはしないか。北朝鮮の現在の姿が、1945年以前の我が国の姿でもあったのだ。

我が国の国宝は「憲法第9条」ではないかと、あらためて実感した朝鮮労働大会だった。