函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館・早慶戦

2015年04月21日 10時39分45秒 | えいこう語る

▼前回の函館市長選は、京大卒の市長に、1歳下の早大卒の副市長が挑んだ。「函館湾・仁義なき戦い」の様相を呈したが、政治手法はお互い役人出身だったので、公約の違いで結果が出たわけではなかったように思う。おとなしい性格とそうでない性格、その差が実効力というイメージに置き換わった、以外に単純な選挙だったように思う。今の市政は、行政出身の市長が連続3人、職についている。国際海洋都市を目指す「ハイカラ開港都市・ハコダテ」としては、ちょっぴり地味な市長の連続のようにも感じる。

▼ 函館市の津軽海峡の対岸に建設中の大間原発。1期目の工藤函館市長は、市議会の全会派をまとめ、自治体初の建設差し止め訴訟を国に起した。全会派一致を取り付けたのは「建設反対」ではなく「建設凍結」という文言にしたからだという。自公の市議がいる中で合意を取り付けたのは、市議会対策に長けた、大幹部を登用したからだともいわれている。一般的には市長に苦言を呈する共産党も、原発問題では翼賛状態というのも、戸惑う市民も少なからずいるはずだ。

▼米軍基地問題で国と対立している沖縄県。国家安全保障に関する問題が、一県が国に勝てるかと思っている国民もいるだろう。特に年齢が高くなるほど(戦前生まれ)、国家のほうが国民より上位に位置すると思っている人のほうが、多いような気もする。私の属する函館市町会連合会も、年齢が高いほど、国策であるエネルギー政策に、市が提訴して勝てはしないだろうと、口には出さぬが思っている会長さんも少なくないような気がする。

▼ 市町連が実施した大間原発反対署名運動。函館市が提訴したのだから、市民も一丸となって協力するという体制に見えたが、実際、私が運動の事務局長として市内各団体を訪問して感じたのは、拒否感を示す団体もいたのだ。その団体を公表すると、少なくとも市長選挙に影響するので“市町連秘密保護法適用”としたい。

▼ 市民の中では、原発訴訟についても反対の意見があるはずだが、市が提訴したことで、表面きって話すことがはばかれるという閉塞感もあるはずだ。そんな雰囲気の中で、市長選は対抗馬なしと思われたが、出身地は道内だが、函館中部高校から慶応大学に進んだ元衆議員秘書の広田氏が立候補した。現市長(早大)VS対抗馬(慶大)の、函館・早慶戦の始まりである。その衆議員議員というのが、今は人気下降中だが、次期の民主党エースといわれる細野豪志だという。ちょっぴり盛り上がりそうな雰囲気が出てきた。

▼ とはいっても、知略と豪腕に長けた工藤市長には一刀両断に切って捨てられよう。いまや函館山より人気の高そうな工藤市長だ。もし大間原発が敗訴となっても、自らヘリコプターを運転し、大間原発に突っ込むのではないかと、私にも夢を見せそうな勢いの工藤市長だからだ。

▼ だが、新聞での広田氏の主張は「大間原発訴訟など取り下げて、国と話し合うことが必要だ」と豪語する。沖縄県知事のように国と戦っても、地域振興にとって何のプラスもないのではないか、それとも国と対等に話し合いをするのが市民にとって、最もよい判断ではないかというものだ。敵も然る者だ。原発訴訟取り下げという、随分思い切った戦略に出たものだ。

▼ 工藤市長は「控訴を取り下げるとは、原発推進ではないか」と、猛牛のように怒りをあらわにする。有権者としては「国策とは何か」ということを問う、知的な論戦を期待したい。アベ政権がこのまま持続すると「九条改正」という、国柄を変更しなければならない「踏み絵」を、国民は強いられることになる。その前哨戦として、函館市長選は今までの市長選にない「政治哲学」を期待している私だ。

▼函館・早慶戦。勝ち負けではない「政治とは何か」という、レベルの高い論戦に期待したいものである。団塊の世代である私は、新幹線が来ることだけが、地域振興ではないような気がするからだ。


小さな春

2015年04月19日 14時39分11秒 | えいこう語る

 

浜からの風は、海水温が低いせいか肌に突き刺さる。

それでもよく晴れた日は、浜風が遮られる場所には春の暖かさが立ち止まっている。

桜の老木を見上げると、はちきれそうに蕾が膨らんでいる。・・・春だな。

間もなく周囲の山々がセピア色から薄緑色に衣替えをするのだ。

深呼吸をしてみた。村中に干されている昆布の香の中に、春の若い息吹が、かすかに匂っていた。

家に戻ると、大振りの壺に放り込んでいた桜の枝に、一つ花が咲いていた。

小さな春見つけた。


誤魔化されてはならない

2015年04月18日 12時24分41秒 | えいこう語る

▼胡麻胴乱(ごまどうらん)という、小麦粉にごまを混ぜて焼きふくらましたもので、中は空のお菓子が、文化・文政時代(1800年代前半)にあった。胡麻菓子。外見だけよくて中身の伴わないもの。だまして人目をまぎらかすこと。目先ばかりをつくろうこと。護摩化しは当て字。「広辞苑」

▼ 訪米の前に急遽、沖縄県翁長知事と面談したアベ総理。今まで面接を断り続けていたので「沖縄県民とひざを交えて説得を重ねています」と、オバマ大統領に言うために、目先ばかりをつくろったのではないか。どう見てもそんな感じがするちょいの間の会談だ。

▼ アベさんの著書「美しい国へ」には、私は政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは「戦う政治家」と「戦わない政治家」である。「戦う政治家」とは、ここ一番、この国のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「戦わない政治家」とは「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、決して批判の矢面に立とうとしない政治家だと、記述している。

▼ この考えから推察すると、沖縄県民の意向など歯牙にもかけないという、戦う政治家のアベさんの、本心が見えていやしないだろうか。知事が「米国に行ったらオバマさんに、県民は基地反対だということを伝えて欲しい」といったそうだ。アベさんはそれには応えなかったという。「知事、あなたのいうことは正しい」と同調などせず、だまして人目をまぎらかすことはしなかったようだ。あべさんは、自分の考えにはぶれのない人なのかもしれない。なんだか、アベ総理は芯の強い誠実な人のように私は思ってきた。でも、そういうことが誤魔化されているということなのだろうか。

▼ 裁判所とは「正義」を判断するところだという。大飯原発に次ぐ高浜原発も再稼動を認めなかった裁判所は、正義は、命を守り人格権を主張する住民側にあるとの判決を下した。だが、この判決に、大きな過誤があると、原子力規制委員会や政府そして関西電力がi異議を唱え、関電が提訴した。正義の判定を覆そうという、極悪人の仕業だ。最高裁まで持ち込んで、総理が任命した裁判長で、判決をひっくり返してやるという魂胆なのだろう。一部に最低裁判所といわれるのも、納得がいくところだ。沖縄の基地問題も最終的には同様なのだろう。

▼ 世界最高厳しい基準と、規制委員会が言い張り、最高裁判所といわれる、政府側の利益を守る最後の砦がある。我が国の最高という名称は、最高の誤魔化しではないかと思ってしまう。

▼原子力発電なら「ATMIC.POWER・PLANT」というが、正式には「NUCLEAR・PLANT」というそうだ。ニュークリアとは『核』だ。だから『核発電所』というのが正しい。戦後、原子力の平和利用を掲げたことで、原子力発電所という呼び名が親しみやすいのでそうつけたのだろう。本来は『核発電所』というのが正しいのだから、これからはそう呼ぶようにしようと投げかけたのは、作家の村上春樹さんだ。ここにも名称の誤魔化しがあったのだ。

▼ 『原発』改め『核発』素晴らしい提案だ。5月1日の函館市町会連合会の大間原発反対作戦会議の時、このことを話題にしなければならない。『大間核発電所反対』こうでなければ、市民も電力が必要だから、世界一安全な基準をクリアーすれば大丈夫じゃないのと、誤魔化されてしまうのだ。

▼ 先日、市町連が経済産業省と電源開発に、14万人の反対署名を持参し、ついでに「原発の住民説明会」を要望してきた。ところが引率してくれた地元代議士が「住民説明会をやってしまうと、相手側は十分安全を説明したという、宣伝に使われるので、やめたほうがいい。それより、地元で勉強会や集会を」といってきたそうだ。国や電力会社は、函館市民が命をかけて反対するから、説明会など来たくはないのだ。だから、今まで来なかっただけだ。ここにも、誤魔化し思考がはたらいていやしないだろうか。住民説明会に呼んで、徹底的に反対を叫んでやればいいだけだ。それが相手側の一番嫌がることだからだ。

▼『核発電所』と言い換えれば『正義』は、住民側にあるという判断を司法はしやすくなるのではないか。そんなことをふと思う、鶯が鳴く、さわやかな漁村の朝の始まりだ。


二極化への懸念

2015年04月17日 13時17分32秒 | えいこう語る

▼多様性が良とされた時代から、二極化の対立構造が顕著になった感じがするこの頃だ。多様性が尊重される時代は、誰もが存在感を持て自由な空気を味わえるが、二極化となれば、どちらかに所属しなければ疎外感を覚え、息苦しい時代になってきたような感じがしてくる。二極化が進むと、表現の自由が徐々に制限される時代がくるかもしれない。

▼ 憲法の中でも、最も国民に愛されていた「九条」を改正しようとするアベ総理が出てきて、二極化に拍車がかかっているのは間違いないようだ。「他国から攻められたら、戦うか戦わないか」というような選択を国民に投げかけると、総理の発言に国民は選択を迫られる。さらに「戦後レジュームの解体」を叫び、平和ボケ国家から自衛国家への変貌を叫ぶと、国民の意識もいやようなしに二分されてしまう。日本人とは何かの「踏み絵作戦」のようにみえる。

▼ 電力を確保し国富を守るに、原発は必要だと主張する。経済の低迷という重荷を背負うのなら、脱原発を選べばいいという。どちらかを選ぶという単純な選択を提示し、多様性は曖昧で国富に欠けると声高に発言し、決断が総理としての、重要な要素であることを国民に浸透させる。そのための外遊は、世界の中で日本のアベを印象付けるには、格好の材料だ。

▼ という私も、アベ総理を支持するか支持しないかの選択に迫られると、アベ不支持と即答する。私も多様性を失っているのだ。宇宙人といわれる、後に総理になった鳩山由紀夫さんと、話したことがある。原発・国旗・国歌などについて、普段考えていることを尋ねてみた。国民という同レベルで話し合えたのが印象的だった。その後の鳩山さんは、物議をかもす発言や行動が多かったが、いまだ、好感を持っている。アベ総理なら、私の意見を否定するに違いない。こちらがアベさんに、迎合する姿勢を見せない限り、対話は成立しないに違いない。

▼ アベ総理の訪米前の今日、翁長知事と総理の会談があるという。翁長知事は「米国に行ったら、辺野古基地は作らないでほしい」とお願いすると話している。知事は補助金で日和るタイプではない。さて、総理はどんな奇策を練っているのだろうか。聞き分けのない知事はには「恫喝」を試みるのか、会談が注目される。

▼ もうひとつ、注目することが今日行われる。NHKとテレ朝を政府が呼びつけ、報道の在り方に注文をつけるそうだ。アベ総理がテレビで堂々と「戦う国」発言をする。これだって公共の電波を使い、憲法を軽視する行為だ。これを一般的には「アベこべ」という。

▼ 二極化は、選択肢が狭まり「冤罪」を作りだす状態によく似ている。多様性は即断にはならない代り、良いものを見極める可能性を有している。自衛のためといえ、戦争すれば人殺しをする羽目になる。人を殺してはならないというのが、人間であることの資質だ。

▼私はアベ総理が嫌いだ。もちろん、アベ総理だって私ごときは大嫌いに違いない。そこで、私はアベ総理の脳みそを解剖してみようとおもい、総理の著「美くしい国へ」を読んでいる。私が多様性を失っているかいないかは、アベ総理の考え方次第だが。


見逃せない選挙結果がある

2015年04月16日 15時12分24秒 | えいこう語る

▼ 今回の道議会選挙での特質したことは、定数101で、自民49・公明8で、57議席を確保したということだ。この結果で道民が懸念するのは、自公が推薦し4選を果たしたはるみ知事が、泊原発再稼動に前向きになる可能性が大きくなったということだ。何度も繰り返すが、はるみ知事は元通産省官僚だからだ。大間原発を目の前にする函館市民にとっても、歓迎する選挙結果ではない。

▼ 函館市の知事選の結果は、はるみさんは、原発反対を訴える対立候補に、4千票の差まで追い込まれた。肉薄されたとはいえ、原発容認派と見られるが知事が勝利したことは、市民の原発に対する危機意識は、まだまだ希薄のような気がする。これからの、市町会連合会の反対運動の検討課題だ。

▼ ところで、道議選の結果で、見逃せないものがある。新幹線駅となる函館市の隣、定数1の北斗市だ。4選を狙う民主党候補に、自民党公認をめざした新人が立候補した。自民上げ潮ムードの中、激戦になると思ったが、民主党候補が、自ら離党し選挙戦に望んだのだ。当選後には自民党に入るという流れだ。この候補が勝つと見込んだため、自民は新人の公認を見送ったのだろう。

▼ 複雑なのは選挙民だ。どちらが勝っても自民党の議席になる。悩みぬいた市民の心を表わすのが、無効票1004票だ。多分、誠実な民主党支持者が反旗を翻したのだろう。内訳は、白票「651」、候補者以外の名前を書いたもの「136」の中には「どちらも自民なんですね」や「大間反対」「該当者なし」などの文字で書いたものがあるという。

▼ 北海道新幹線の到着駅となり、新駅も出来た。少なくても夢も希望も、他の町より大きいはずだ。それらを実現に向けて活躍しなければならない議員が、市民の混乱を招いた。原発再稼動や憲法改正を、新幹線に乗せたように急発進しようとする自公。時代の風を読んで、新幹線に便乗しようとしたのだろうか。

▼ 前回の、道議会議員選挙の無効票の総数は『610票』だという。それに比べて今回の北斗市の『1004票』。単なる無効票とすませることができない、詳しく解剖しなければならない数字のようだ。