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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

私の好きな歌手

2010年04月25日 16時23分09秒 | えいこう語る


写真は座敷牢ではない。
店のすぐ近くに銚子トンネルがある。それと繋がっているのがこの滝ノ沢トンネルである。
結構古いトンネルで狭いし暗い。そこで明り取りに海に向かう穴を掘ったのが、この場所である。
落石の危険があるので、最近鉄枠をはめ出入りできぬようにしたようだ。
でも座敷牢を連想する。見ているうちにこんなことを思い出した。
先日「あなたの大好きな人がテレビに出ていた」と妻が言う。
歌手の桂銀淑さんのことだ。
彼女は覚醒剤の使用で、韓国に強制送還され、高齢の母親と二人で小さなアパートに住んでいた。
日本のテレビ局が取材に行ったら、小さなコンサートホールを貸し切って、元気な歌を披露してくれた。日本の自宅は荷物も持ち出せなかったらしい。早く日本に帰りたいと話していたという。
48歳になったが「日本にいた時よりきれいになったみたい」という、妻の言葉がうれしかった。
弁護士が10年ぐらいで戻れるでしょうと、コメントしていたという。
桂さんの歌をはじめて聴いた時、すぐCDを買いに出かけたほど、その歌声に魅了された。以来最も好きな歌手の一人だ。
逮捕後も変わらずフアンでいる。
今度日本で歌える時は、私が70歳を超えているかもしれないが、テレビに出たときは拍手を持って歓迎したいと思っている。
フアンとはそんなものである。


お寺参り

2010年04月24日 12時02分11秒 | えいこう語る
とどほっけ村にある、北門山慈照院高円寺(浄土宗)ここが私の菩提寺だ。
23日は春のお寺参りである。
昨日は知恩院から説教師が来寺され、南無阿弥陀仏の意味について説かれた。
人間は死を迎えると必ずうろたえる。南無阿弥陀仏を熱心に唱えると、往生が出来る。それを疑うことなく、ただ只管に南無阿弥陀仏を唱えることだ。
私の解釈では、そんな内容であったようだ。
昨年11月信濃善光寺の本堂の地下を通り抜けた。
漆黒の暗闇の中、私は恐怖感にかられ無意識に南無阿弥陀仏を唱えていた。
唱えるうちに自然に心が穏やかになった。南無阿弥陀仏とはこういうことなのかと実感した。
それは母が死んだときにも感じたことだ。どうしようもない悲しみに、ただ南無阿弥陀仏を繰り返した。何日か経って、徐々に心が和らいだのを感じた。

お寺参りの楽しみがある。
念仏講(お寺のお手伝いをする婦人会)の皆さんが作る、精進料理である。


左が山菜や豆腐を煮た「けんちん汁」。
右が豆腐を千切りにした「八杯汁」だ。昆布・椎茸・煮干それらの絶妙な下味が、よく出ている。
台所に出かけ味見をする。心配そうに私の顔をうかがう。
「今日の味は100点満点の、200点」と言うと、おばさんたちの笑顔がこぼれる。
伝統の味をお参りの方々に食してもらい、先祖への感謝を表す。
そんな気持ちがたっぷり入っているので、日本一美味いのである。
私は八杯までいかないが、感謝を込めて3杯はいただく。


ツイッター

2010年04月23日 09時50分07秒 | えいこう語る
「つぶやき」というのだそうだが、まだ見たこともそれを使っている場面も見たことはない。
今日の私の日程。

午後3時まで春のお寺参りのお手伝い。昼食に出される豆腐の「八杯汁」これが最高に美味い。これが楽しみでお寺参りが楽しい。
午後4時から連合町内会総会。単会の町会長であるが、連合の副会長に推薦される予定。
今日の二つの行事の内容は、明日。

こんなのがツイッターと言うのだろうか。
本当は随時ツイッターするらしいが、総会後は懇親会があるので、つぶやく暇はありません。
私には向かないようです。


磯 出現

2010年04月22日 11時49分28秒 | えいこう語る


潮が引き、普段海の中にある海底が顔を出した。
半世紀前・・・恐ろしい響きの言葉だ。
なぜそう思うかというと、私の子供の頃という書き出しをしようと思ったが、50年前と書けばセピア色の懐かしい光景が目に浮かぶ。
でも、私が生きてきた20世紀は、戦争の世紀というイメージが強いので、半世紀前と書けば「ゾクッ」となる。
ただそれだけのことだが、書き始めにチョッピリ感じたことを書いたまでだ。
それにしても自分の子供の頃というのが、相当昔になってしまったのにあらためて驚いてしまう。
そんな時代、この写真の2倍ぐらいの磯があったが、磯は子供たちの格好の遊び場だった。
糸に釣り針、重りは小さな石だった。エサはツブ貝を石で割ってつけた。
岩の間にたらすと、結構大きな魚が釣れた。
引き潮に逃げ遅れたタコもいた。岩の間に手を差し込むと、ウニが取れた。ナマコもだ。岩と岩を飛び跳ねながら走った。怪我もしたが危険への判断力も付いた。
今は磯で遊ぶ子供は誰もいない。
磯も寂しがっているに違いない。
黒ガンが飛来し、磯で海草を食べていた。


春の磯は、海草が入り混じった潮の香りでいっぱいだ。
私は子供の頃から、この匂いが大好きだ。


上野駅が私の村に

2010年04月21日 14時22分17秒 | えいこう語る
よく見ればナズナ花咲く垣根かな
こんな句がある。
ちょっと立ち止まれば発見できるものを、なんとたくさん見逃してきた人生だったことか。
早朝、散歩に出かけた。毎日車で通る水産加工場の前に来た。
工場が出来たのが10年ほど前だと思うが、住宅地のど真ん中である。
漁業の村だからいいというものではない。都会なら環境問題で、設置許可が下りないはずだ。でも住民の雇用の場としては重要である。
働く場所の確保。快適な生活環境。田舎にとっては、そうとう悩ましい存在である。
そんなことを考えて眺めていると、工場の大きな時計が目に付いた。


あっ!上野駅と似ている。
♪ホームの時計を見つめていたら 母の笑顔になってきた
 上野はおいらの心の駅だ お店の仕事はつらいけど
 胸にゃでっかい夢がある♪
昨年の11月に上の駅に行った。アメ横側の駅の上に、昔と変わらぬ丸い時計が合った。それとよく似ているではないか。
昭和39年、椴法華中学校を卒業した多くの同級生も、連絡船で津軽海峡を渡り、夜行列車に乗り継ぎ本州各地へ就職した。
同じクラスのフミちゃんとユミちゃんもその中にいた。
彼女たちは今この水産工場で元気に働いている。
二人はこの工場の時計をどう思っているのか、今度聞いてみようと思う。
私はここを通るたび、上野周辺を思い浮かべることができる。
なんだかうれしい発見である。
と、ブログを書いていたら「アイスコーヒーありますか」と、外国人が店に入ってきた。
フロリダ出身だという。
昨年は3カ国の方が入店した。
開店1週間にして、水平線の向こうのアメリカからやって来た。
私の店の噂を対岸でもしているのだろうか。
そんなことはないと思うが、ど田舎にわざわざ足を運んでいただき、とても感謝している。