goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

頭痛の種というものは

2008年05月05日 13時48分54秒 | えいこう語る
頭痛の種というものは周囲にたくさん散らばっていて、しばしば自分を苦しめるものだ。
私たちは頭痛の種の畑に生まれ出た、と言っても過言がないようだ。
その種が、時折発芽し急成長して、自己の精神や肉体を蝕む。
発芽の急激な生育を上手くコントロールできなければ、自分自身の命をちじめかねない厄介なものでもある。
その反対に、自分に降りかかる頭痛の種を全て抹消しようとすれば、社会的な大問題を生じかねない事にもなる。
頭痛の種というものは、私たちが生きていくうえで避けて通れぬものであり、その重みは自分に与えられた人生修行だと思い、置き去りにすることなく背負いながら、どこかで折り合いをつけて、生きていかざるを得ないものなのだと、そんなふうに思っている。
なぜいまさらこんなことを考えたのかと言うと、昨日O夫妻との会話から、夫人の言葉が心に響いたからである。
ご夫婦は70歳少し前である。何度お逢いしても、仲の良さは実感出来る。
会話は夫人がリードしているが、夫人はご主人を尊敬し、実際は一歩下がって歩いているような人柄と、お見受けしている。
夫人の母は、私の村に住んでいて今年で98歳になる。昨日は「母の日」が近いので、花束を持ってきたという。二人とも素敵なスーツ姿である。
「これから銀座にデートですか」と私が口にしたほどの、カッコ良さである。
「天気がいいので虫干しですよ」と、二人が揃って答えた。
母上の長寿の話から、自分たちの人生を思い出しながらの会話になった。
まさに人それぞれ「人生いろいろ」である。
「私は10%良いと思えたら、それで良しとして暮らしてきました」と言った。
私も私の妻も、いつも明るく朗らかにしている夫人の、その言葉の重さについて、その夜語り合った。
私たちは50%以上満足しなければ、不満な顔をして暮らして来たに違いないからだ。
O夫妻は、今日(5日)。岩手県の天台寺にお参りに行き、そこで瀬戸内寂聴さんの法話を聞くという。
お二人は愛用の4WD車で、いつも仲良く温泉旅行を楽しんでいる。
お酒の好きな奥さんと、お酒が飲めず運転が好きなご主人。とっても組み合わせの良いご夫婦である。
次回お逢いする時は、寂聴さんのお話しで、私の頭痛の種をなん粒か拾って欲しいものである。


花見寄席

2008年05月04日 11時36分33秒 | えいこう語る
庭の桜が咲いたので、一人花見に興じた。
庭の真ん中に七輪を置き、ビールの空箱の上に板を置きテーブルにした。
北海道室蘭市は「焼き鳥のマチ」で名が通っている。豚のバラ肉と玉ねぎを串に刺すという。今日は鉄の街室蘭の焼き鳥でいこう。玉ねぎは焼き焦げが付くと、思いのほか甘くなかなかいける。
庭の木々には若葉がふき出し、早春の清清しい香りがする。冷蔵庫に冷やしていた日本酒も美味しい。
静かな花見もいいが、すぎるのも花見らしくない。携帯ラジオをかけると、一人花見にはもってこいの「落語名人会」が流れてきた。
桂三木助の「化け物使い」・柳亭痴楽の「八百屋お七」・古今亭志ん生の「風呂敷」である。それぞれ何代目かは忘れたが、名人達の話に乗せられ、客席の元気な笑い声からは、戦後の復興時代の様子が伝わってくる。雑音は処理され聞きやすかった。
痴楽師匠は、今でいう綾小路きみまろさんの先駆けの様な感じである。
風もなく最高の花見になった。
日が暮れる頃になると、やはり5月初旬の北海道である。
日中の温度が例年より高いといっても、海水温はまだ冷たい。その温度差が海霧(北海道ではガスという)を発生する。
ガスが海から流れ、村全体を包んでいく光景は、ロマンチックでもあるが、現実はそう優雅ではない。一気に寒くなる。
しかしこのくらいの寒さで、花見をおひらきにしては、浜の男の名がすたる。
ジャンバーを着込んで、七輪を足元に近づけ、落ちている枯れ枝を集めて燃やす。七輪の中も焚き火状態だ。
妻が酒の肴をこしらえて持ってきてくれた。
寒すぎると言って、赤松の下に落ちていた松ぼっくりを集めて火に放り込んだ。
松脂がついているのかよく燃える。それが不思議な光景を見せてくれた。
燃え始めてから、1,5センチほどに小さくなった松ぼっくりが、その形のままで真赤になって、まるで妖精みたいに七輪の中で輝いているのである。
妻も私も、その可愛らしさに魅せられてしまった。
妻はダンボールに松ぼっくりをたくさん拾い、七輪の中に放り込んでは「60年も生きて来ても、知らない事ってたくさんあるのね」と、とても感激していた。
花見寄席のトリは「松ぼっくりの火遊び」なんて、粋な「楽語」で、おひらきになった。


5月の3日間

2008年05月03日 11時38分27秒 | えいこう語る
1日。北海道各地で31度の暖かさを記録した。桜前線も例年より10日ほど早く、沖縄より暖かいとは、不思議な感じがする。もしかして、夏の甲子園は、北海道と沖縄の戦いがあるのではないかと思ってしまう。とにかく今年は、天候の異常が、話題をさらいそうだ。
2日。早朝ストーブをつけなくてもよい暖かさになったが、まだ室内は冷気を感じる。隣家の80歳の夫婦は、まだストーブを燃やしている。
外に出ると、生あったかい感じで室内より暖かだ。うっすらと汗ばんでくる。こんな気候もほとんど過去に記憶がない。
庭に出ると、梅と桜が咲いていた。花の咲きから見て、たぶん昨日開花したようだ。庭にはつつじは何種類か植えてあるから、桜から始まり1ヶ月ほどは、我が家の庭は毎日が花見だ。
午後に、隣町のK夫人に逢った。Kさんは美容師で、年齢は60歳中頃である。私の知る限り、30万都市函館では、NO1の美人だと思っている。もし東京に住んでいたら、間違いなく女優になっていたに違いない。
Kさんの趣味は陶芸である。作風は形の美しさにこだわらない大胆さが魅力だ。彼女の目の輝きが、意欲的な作品を生み出す意志を語っている。
私の妻も、Kさんの美しさに驚いているので、私の重い過ごしではない事を付け加えておきたい。梅と桜と水仙が咲く時期に、美人のKさんが突然現れ、華やいだ1日になった。
3日は憲法記念日だ。函館市内では様々な催し物があると思うが、今年は用事があるので欠席する事にした。
朝日の朝刊には、世論調査の結果、九条改正反対が66%で、賛成23%との差が拡大したとあった。小泉―安倍と改憲の旗が空にはためいたが、その後の政治の混乱で、旗竿が折れてしまったようだ。
全国で700の組織に拡大している「九条の会」の活動も、大きな力になっているようだ。
2004年7月に開催された「九条の会発足記念講演会」の中から、井上ひさしさんの言葉を思い出し、2008年の私の憲法記念日にしたい。
「日本国憲法はもちろん主権在民ですから、私たち主権者が、ときの政府、ときの権力に対して発する命令です。それで、ときの政府が国民に命令するのが法律です。では、その国民の命令と政府の命令がぶつかった場合どうするか。つねに憲法の方が優越する。私たちの選んだ議員が国会で、いろいろな政党に分かれて論戦をしたり相談をしたりして法律をつくりますが、その法律を見て、それが憲法に違反していないかというのをきちんと判断していくのが最高裁判所です。」


葬儀委員長の挨拶

2008年05月02日 10時51分03秒 | えいこう語る
昨日76歳の男性の告別式に参列して来た。
民間人であるが公的機関の役職に長期についていたため、弔辞も業績を称えた丁寧なものだった。
葬儀委員長の挨拶が始まった。「00さんは、00癌のため手術を受けたが、家族の熱心な看病のかいもなく・・・」
私はいつも思うが、遺族の身になれば癌で亡くなったというのは、言わないほうがいいのではないかと思う。葬儀に参列する人は、大半が入院していた事や、病気の内容は知っていると思う。
遺族にとっても、癌で苦しんだ事を再び思い出され、悲しみも増してくるのではないかと思うからだ。
ましてその遺族の中で、以前に癌で亡くなった人がいる場合、この家は癌になりやすい体質の人が多いのでは、と思われかねない。
以前ある町の町長が、支持者に頼まれ葬儀委員長を引き受けた時、癌で亡くなったことを詳しく話したと言う。その時遺族が大変憤慨し、町長に抗議したと言う話を聞いたことがある。
「私の家にはまだ嫁に行かない娘もいる。父親が癌で死んだと知れ渡れば、結婚にも差し支える」との、内容であったらしい。
狭い地域社会では、良い情報は伝わらず、悪い情報ほど早く広まるのが特徴だ。
そんな地域は、行政や議会の良識も今一のようだ。
ガソリン税が僅か1月で復活し、国民生活が混乱を招いている。その内容についての首相の説明は、まったく国民の心には届いてこない。
内閣支持率が20%にまで落ち込んでも、それは国民の考えですから、仕方ない事ですと言う感じであろう。
遺族の悲しみを深く理解しない、葬儀委員長の挨拶に似ている様な気がする。
一般的には社会的な地位が高いから、葬儀委員長を頼まれる。福田首相も、自らが声を上げたのではなく、周囲から頼まれて首相になった人である。
どうやら我が国は、葬儀委員長タイプを、首相にしているような感じがしてならない。
衆議院での再可決の光景は、出焼香に似ている様な気がしてきた。
桜散る日本列島。国会にも線香の匂いが漂ってきた気配がする。


昨夜、最上川の舟遊びに興じた

2008年05月01日 14時37分17秒 | えいこう語る
地元に80歳少し前の、民謡好きのSさんがいる。
昨夜知人宅で、そのSさんも交えて酒を飲んだ。Sさんと飲むのは、これが4度目である。Sさんは若い時から民謡が上手で、お祭りやお祝い事に呼ばれ、ご祝儀を頂いていたという本格派だ。
私は今夜も渋い喉を聴かせてもらおうと思った。
しかし、年をとり声量がないので、もう人前では歌わないと言うのが、毎回の前置きである。さて今夜はどうやって歌わせるか、思案のしどころである。
まずは村の中の少子高齢化問題から発し、後期高齢者医療制度、それにガソリン税と、身近な話題に触れる。今年の小学校の新入生は、6人しかいないと話すと、さすがにSさんも驚いている。
ここまでくると昔の村内の情景が、Sさんの脳裏に再現される。
戦後の生活から始まり、村が大漁で賑わった事の思い出に話が弾む。このあたりで1度目の軽い仕掛けを施す。
「我々北海道人は、「♪ソーラン節」を大声で歌っているが、♪沖のカモメに潮時問えば わたしゃ立つ鳥 波に聞けチョイ♪。私はこの歌詞がなかなか粋な文句だと思っているんですよ」
「またまた、君は今日も俺に歌わせようとしているな」と、酒が浅いので勘が鋭い。
「君と飲むといつも歌わせられるけど、今日は絶対歌わないぞ」と釘をさしてくる。
そこに山形生まれのこの家のご主人が「最上川舟歌も味があっていいですよ」と、合いの手を入れる。
「ソーラン節も最上川舟歌も労働歌ですよね」
「五月雨を集めて早し最上川」という句も、さりげなく付け加える。
昔鰊場に出稼ぎをしていたSさん。烏賊や鮭や鰯の大漁時代を過ごした浜の男は、すでに最上川を船で下る船頭の顔付きになっていた。
渋い喉が唸りを上げ、最上川に船は出され、船頭の船捌きも快調だ。
「今のテレビで歌う民謡歌手は、声がきれい過ぎて、歌の魂を感じない」との指摘も的確である。「漁をする現場を見ていないから」だとも言う。ごもっともである。
「網を一気に手繰る時は、気合を入れて歌い漁師を疲れさせない、それが労働歌の歌い方だ」と言い「ソーラン節」「沖上げ音頭」と、ワンマンショーは続く。
「また歌わせられてしまった」と照れ笑いを見せ、一足先に腰を上げた。
Sさんのお陰で、村にいながらにして、最上川の舟遊びを楽しませていただいた。
私の帰り道は、船酔いも手伝ってか、いつもより足元がふらついていた。