頭痛の種というものは周囲にたくさん散らばっていて、しばしば自分を苦しめるものだ。
私たちは頭痛の種の畑に生まれ出た、と言っても過言がないようだ。
その種が、時折発芽し急成長して、自己の精神や肉体を蝕む。
発芽の急激な生育を上手くコントロールできなければ、自分自身の命をちじめかねない厄介なものでもある。
その反対に、自分に降りかかる頭痛の種を全て抹消しようとすれば、社会的な大問題を生じかねない事にもなる。
頭痛の種というものは、私たちが生きていくうえで避けて通れぬものであり、その重みは自分に与えられた人生修行だと思い、置き去りにすることなく背負いながら、どこかで折り合いをつけて、生きていかざるを得ないものなのだと、そんなふうに思っている。
なぜいまさらこんなことを考えたのかと言うと、昨日O夫妻との会話から、夫人の言葉が心に響いたからである。
ご夫婦は70歳少し前である。何度お逢いしても、仲の良さは実感出来る。
会話は夫人がリードしているが、夫人はご主人を尊敬し、実際は一歩下がって歩いているような人柄と、お見受けしている。
夫人の母は、私の村に住んでいて今年で98歳になる。昨日は「母の日」が近いので、花束を持ってきたという。二人とも素敵なスーツ姿である。
「これから銀座にデートですか」と私が口にしたほどの、カッコ良さである。
「天気がいいので虫干しですよ」と、二人が揃って答えた。
母上の長寿の話から、自分たちの人生を思い出しながらの会話になった。
まさに人それぞれ「人生いろいろ」である。
「私は10%良いと思えたら、それで良しとして暮らしてきました」と言った。
私も私の妻も、いつも明るく朗らかにしている夫人の、その言葉の重さについて、その夜語り合った。
私たちは50%以上満足しなければ、不満な顔をして暮らして来たに違いないからだ。
O夫妻は、今日(5日)。岩手県の天台寺にお参りに行き、そこで瀬戸内寂聴さんの法話を聞くという。
お二人は愛用の4WD車で、いつも仲良く温泉旅行を楽しんでいる。
お酒の好きな奥さんと、お酒が飲めず運転が好きなご主人。とっても組み合わせの良いご夫婦である。
次回お逢いする時は、寂聴さんのお話しで、私の頭痛の種をなん粒か拾って欲しいものである。
私たちは頭痛の種の畑に生まれ出た、と言っても過言がないようだ。
その種が、時折発芽し急成長して、自己の精神や肉体を蝕む。
発芽の急激な生育を上手くコントロールできなければ、自分自身の命をちじめかねない厄介なものでもある。
その反対に、自分に降りかかる頭痛の種を全て抹消しようとすれば、社会的な大問題を生じかねない事にもなる。
頭痛の種というものは、私たちが生きていくうえで避けて通れぬものであり、その重みは自分に与えられた人生修行だと思い、置き去りにすることなく背負いながら、どこかで折り合いをつけて、生きていかざるを得ないものなのだと、そんなふうに思っている。
なぜいまさらこんなことを考えたのかと言うと、昨日O夫妻との会話から、夫人の言葉が心に響いたからである。
ご夫婦は70歳少し前である。何度お逢いしても、仲の良さは実感出来る。
会話は夫人がリードしているが、夫人はご主人を尊敬し、実際は一歩下がって歩いているような人柄と、お見受けしている。
夫人の母は、私の村に住んでいて今年で98歳になる。昨日は「母の日」が近いので、花束を持ってきたという。二人とも素敵なスーツ姿である。
「これから銀座にデートですか」と私が口にしたほどの、カッコ良さである。
「天気がいいので虫干しですよ」と、二人が揃って答えた。
母上の長寿の話から、自分たちの人生を思い出しながらの会話になった。
まさに人それぞれ「人生いろいろ」である。
「私は10%良いと思えたら、それで良しとして暮らしてきました」と言った。
私も私の妻も、いつも明るく朗らかにしている夫人の、その言葉の重さについて、その夜語り合った。
私たちは50%以上満足しなければ、不満な顔をして暮らして来たに違いないからだ。
O夫妻は、今日(5日)。岩手県の天台寺にお参りに行き、そこで瀬戸内寂聴さんの法話を聞くという。
お二人は愛用の4WD車で、いつも仲良く温泉旅行を楽しんでいる。
お酒の好きな奥さんと、お酒が飲めず運転が好きなご主人。とっても組み合わせの良いご夫婦である。
次回お逢いする時は、寂聴さんのお話しで、私の頭痛の種をなん粒か拾って欲しいものである。