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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

初優勝おめでとう

2008年05月26日 10時13分00秒 | えいこう語る
大関琴欧洲が久しぶりで自分の相撲を取りきり、初優勝を成し遂げた。
11日目の横綱朝青龍戦、がっぷり組んで下半身が安定した彼は、いつもの琴欧洲とは違う相撲を、はっきり土俵の上で見せていた。
その違いと言うのは、今までは外国人の相撲を取っていたのだ。
体の大きさと力だけの「ウドの大木」のような相撲である。しかし今場所は、日本相撲の精神を、身体にたたみ込ませた内容であり、見ていて安定感を与えてくれた。
モンゴル相撲出身の両横綱は、相撲道に対しては下地が出来ているので、横綱の資質といわれる「心・技・体」は、会得しやすい環境にある様に思う。
しかし他の外国人相撲は「体」のみで「心と技」がそなわり難いと、私は日頃考えていた。
全勝で迎えた13日の安美錦戦、2度の仕切り直しに、狼狽振りが大関の顔にあらわれるのがわかった。相手に「心」を完全に飲み込まれているのである。長年相撲を観戦していると、こんな時の結果はおおよそ見当がつく。本人が一番口惜しがる負け方をした。
次の日の対戦相手は、相撲界きっての曲者、安馬である。しかし一眠りした後の大関には「心」が戻っていた。千秋楽の千代大海戦も堂々とした「心・技・体」の相撲を見せ、初優勝を飾った。
場内で観戦していた、大きな体の父親が振る小さなブルガリア国旗が「よく辛抱した」と声援を送っていた。
しかし、最後の両横綱の大一番が情けなかった。
負けて土俵に手をついた白鵬に、さらに駄目押ししようとしたのを白鵬がそれを払いのけ、二人が土俵中央でにらみ合ったのである。
その時の二人には、もはや横綱と言う人格の欠片さえ見えなかった。「心・技・体」がバラバラになった、ただの裸の男が土俵の上に立っていただけにしか見えなかった。
両横綱も後で反省をするであろう。琴欧州にはこの場面を心に焼き付け、立派な横綱をめざして欲しい。
外人勢が上位を張る日本の相撲界、寂しい気持ちはぬぐえないが、外国人力士であっても「心・技・体」を兼ね備えた、歴史に残る立派な横綱の登場を期待したい。
2メートル2センチの豪快な土俵入り、ぜひ拝見したいものである。


今日は隣町でつつじ祭り

2008年05月25日 13時09分43秒 | えいこう語る
私の村椴法華(とどほっけ)と隣町の恵山町の間を分断するように、活火山恵山(618m)がそびえている。
山に登ると頂上は大きなすり鉢型をして、そこには5月下旬から6月の初旬にかけて、山全体がつつじで赤く染まる。頂上付近は300種以上とも言われる、高山植物の宝庫だ。
エサンと皆が言っているが、私はそんな素晴らしい山のことを「恵みの山」と名付けている。山麓付近は温泉が豊富だ。私の村には全国的に有名な「水無し海浜露天風呂」がある。満潮には海水が入り、干潮の時しか入れない。
800年ほど前に法華宗の高僧が発見したと言う、村名の由来にもなった伝説の露天風呂である。
恵山町の海岸近くには「目腐れ湯」という露天風呂がある。目に効く温泉という意味だが、私は「御崎の湯」と呼んでいる。町のはずれの御崎と呼ばれる地区にあるからだ。
この温泉は道路の拡張に伴い、その工事費に含んでもらい、整備したと聞いた。今話題の道路特定財源ということだろうが、地域住民のために、粋な計らいをしてくれたものだと、うれしく思う。またバイクや車で観光に訪れる人たちの、癒しの場ともなっている。税金の効果的な「使い道」であろう。
山の頂上で、お互いの自治体の境界線が別れていたが、実際に境界をめぐる戦いは起きなかったが「百年戦争」と言われ、10数年前まで解決しなかった。
境界線が災いしていたのか、行政や議会がお互い、あまり仲がよくなかったようだ。
平成16年両町村は函館市に吸収合併された。
お互い恵山の表と裏で、つつじ祭りを開催していたが、私の村の祭りは中止され「恵山つつじ祭り」だけが残った。その祭りが今日おこなわれている。
祭りの物産で一番人気なのが「バキバキ根ボッケ」と言う、魚のホッケである。
隣の漁師さんが活きのよさを「バキバキ」とネーミングしたら、瞬く間に人気ブランドになった。
しかし、ホッケは椴法華が元祖である。海浜露天風呂を発見した法華宗の高僧が、村人にお世話になったお礼にと大漁させた魚である。このロマン溢れる伝説の魚を、私は村おこしの核にしようと、マスコミにもたくさん取材してもらった。
合併して4年が経ち、つつじ祭りがなくなって、ホッケの名産地まで失った。
今日は雨降り、恵山は霧に覆われ姿が見えない。村の家々の庭にあるつつじは、周囲の緑に囲まれ情熱的な赤に咲き誇っている。
合併で失ったものは少なくない。5月の雨が過疎の村を1日中ぬらす。


天国と地獄

2008年05月24日 12時04分43秒 | えいこう語る
昨日、渓流好きのTさんが、千葉県から来た男性を連れ我が村にやって来た。
車から降りた二人の姿は渓流釣りのスタイルだ。
千葉県の方の足元を見ると、プラスチック製の地下足袋を履いている。年齢は私より少し先輩に見える。全身から自然派の雰囲気が漂っている。
函館空港からまっすぐ来て、川に入ったと言う。空港から私の村まで車で45分なので、羽田を離陸してから僅か2時間後には、村の元気なヤマメやイワナと会話している事になる。
五月の村の空は青く、山々は新緑に囲まれ、川面を吹く風はやさしく、小鳥のさえずりと川のせせらぎは、旅人を大歓迎してくれたに違いない。
25センチ級のヤマメの美しさには、目を輝かせて語っていた。
私もその感動ぶりに、Tさんに釣り場所を教えていた甲斐があったと、うれしくなった。さらに、私の村の水が美味しいとほめてくれた。
生命の源である水が美味しいとほめられるのは、この村の全てが素晴らしいと言われている事である。私はその言葉に、故郷に対する感謝の念を新たにした。
自然派の二人は、もちろんキャッチ&リリースだ。
就寝前の11時。家の前に広がる海の波の状況と、星の様子を見ようと、外に出た。数メートル離れた神社の鳥居のあたりを、狐が一匹歩いていた。口笛を吹くと、一瞬こちらの方を振り返ったが、そのまま道路の真ん中を悠然と歩いていった。飼い犬が外の犬小屋にいれば、狐も人家近くまで降りてこないだろうが、今やお犬(居ぬ)様である。
翌朝の新聞を開くと、またこんな馬鹿な事を、という記事が目に付いた。
大阪の羽曳野市役所の職員が、生活保護の申請をしていた女性にセクハラした事件で,裁判命令が出て、市が110万円の損害賠償を支払った。
その後である。訴訟費用を支払った後に残った24万円を「収入」とみなし、生保費から差し引いていたというのである。
役所側からの規則解釈から言えば「収入」に該当するが、職員の犯罪行為に対し支払った費用である。それを没収しては「役所が非を認めていないのではないか」と思われると言う事を、なぜ考えることが出来なかったのか、ということである。
ここには役人のこんな心理が働いている。
市民から集めた税金は、正しい支出をしなければならない。規則に当てはまるので「徴収」できる。無駄な支出は大勢の市民のために、避けなければならない、と。
しかし役人の福利厚生費などの考えはその反対である。「その費用に該当するものについては、職員厚生の為に全てを使い切ってしまわなければならない」である。
この自己矛盾に気が付かない。もしくは、気付いていても、注意されるまで権利を行使しているというのが、役人の役人たるゆえんである。
役人にとって規則とは、自分たちに対しては柔軟に適用し、市民に向かって適用を厳しくするものなのである。
市民から身ぐるみ剥いても、大阪のどこかの職員厚生費で、背広を購入していたというのもあったではないか。
各地の役所でも、人事評価がおこなわれ、給料に格差をつけるということが言われている。市民からは当たり前だと言う賛成の声も聞こえる。しかしちょっと待って欲しい。
上司から信頼が厚く、給料の多い職員と言うのは、もしかして規則を厳重に振りかざす、市民の味方でないということも、大いに有り得ることでもある。
昨夜公道を堂々と歩いていた狐。もしかして、世の中には悪い人間もたくさん居ると言う事を、示唆していたのかもしれない。
でも、千葉が良くて、大阪が悪いという話では決してない。


平成21年5月、裁判員制度スタート

2008年05月23日 11時19分02秒 | えいこう語る
来年から始まる裁判員制度、他人の人生を左右する役割を担う事に、不安以外の何ものもない。
最高裁判所では、この制度の広報用の映画「審理」を作成した。映画は見ていないが、そのパンフレット(10ページ)が、図書館に置いてあったので持ち帰って読んだ。
今年の秋頃、地方裁判所ごとに管内の市町村の選挙管理委員会が、くじで選んで作成した名簿で、翌年の裁判員候補名簿を作成する。
12月頃には候補者名簿に記載されたことが、本人に通知される。
事件ごとに名簿の中からくじで選び「呼出状」が送付される。
裁判員6名と裁判官3名がチームとなり、毎回審理の終了後、評議室に集まりその日のおさらいを行いながら、裁判員は裁判官と話し合う。(来年からは被害者参加制度が施行され、被害者の遺族等が意見を述べる事になる)
最終評議=被告人が有罪かどうか、有罪の場合にはどのような刑にするのかを議論をして結論を出す。評議では自分の意見を述べることが大切です。他人の意見を聞いて納得できれば、自分の意見を変えてもよいのです。議論を尽くしても全員一致で結論が得られない場合には、多数決で決めるとある。
量刑判断=その後評議は、被告人をどのような刑にするかの判断を、過去の同種の事件における量刑の傾向を、グラフ化した資料をもとに判断する。
判決宣言=評議の結果に基づき、法廷で判決が宣告される。この時点で裁判員の仕事が終了する。
こんな内容であるが、自分に置き換えて考えてみると、今まで様々な判断ミスがあったのに、人を裁く自信はない。たぶん裁判官や、人生経験が豊富で弁舌のたつ裁判員がいたら、その方に導かれてしまうに違いない。この頃は涙もろくなっているのも、正確な判断をする自信がない。
映画「審理」の裁判ストーリーも、突然激しく暴行された夫婦が、身重の妻を守るため、持っていたナイフで夫が暴行した男を殺してしまう、との想定である。正当防衛を主張するが、この夫には傷害事件で保護観察処分になった過去がある。
自分がこの夫なら、正当防衛を主張したいところである。また自分が死んだ男の父親なら、簡単に許せるはずもない。
心の天秤が激しく左右に揺れてしまう。
宝くじにはまったく弱いが、このように恐れているものに限って、なぜか真っ先に当りそうな気がする。
心の重い制度である。
ちなみに、函館市は年間346名が裁判員候補となる。


常識というパンツのゴムが切れた国

2008年05月22日 12時27分05秒 | えいこう語る
国土交通省所管の、治水事業の特別会計に関する無駄使いについて、その追求がテレビで放送されていた。
霞ヶ浦の事業に絞ったものだが、庶民の感覚からは程遠い、見事な無駄使いである。「親水政策」で、水に親しんで環境問題を理解してもらおうという事業が、逆に自然の生態系を壊し、危険でその場に近寄れないような事業が展開されている。
しかし担当の係官は、よかれと思ったものが結果的にはそのようになったが、氾濫防止の役目は果たしているので、必要であると訴える。
10数年前に建てた建物の金額もわからないと言う。10年で書類は廃棄できると言う規定なので、規則に則っていると落ち着き払っている。
見た感じは一般人と変らない誠実そうな役人である。レポーターの常識的な疑問に対し、自分たちの考えも常識的だと主張する。自分たちの仕事には失敗というのがないと胸を張り、誇りをもって仕事をしているという風にも見えた。
こうなると線路のように、どこまで行っても交わらない会話になる。
国の一般会計予算が83兆円でお金が足りないと、後期高齢者からもお金をむしりとる。それに比べ特別会計は、360兆円もあると言う。予算が余っても翌年に繰り越して使えるという。余ったお金を医療費に回せば、後期高齢者分はすぐ処理できる。簡単な話であるが、政治の世界では最も難しい問題なようだ。
裁判員制度で国民の判断を仰ぐと言うのもいいが、税の使い方を国民の目で裁く制度のほうを先に設けて欲しい。
オンブズマン制度はスエーデンで始まり、国家が自らを監視してもらうために設けた制度だ。それは市民が主役と言う民主主義の基本に、則っているからである。
表現や言論の自由が保障され、様々な確信犯的言論が目に付く。今まできつかったゴムがのびきって、非常識までもが大手を振るって、常識を凌駕する。
この頃、常識と言うパンツのゴムが切れた国になったように思う。
さてどうしたらいいものかと思案する。
自分が住んでいる函館市に目を向けてみる。
函館市は今年の12月まで自治体の憲法と言われる、自治基本条例を策定すると言う。市民が期待するのは、函館の将来を決めるこの条例を、美文を並べ連ねるのではなく、より実効性のあるものにして欲しいとのことである。
しかし、条例策定の議員のメンバーは、5月に発表された。遅すぎはしないだろうか。
自治基本条例とは、その自治体の伸びたパンツのゴムを、どう締め付け直すかにかかっていると思うのだが。
少しは非常識がはみ出ないように、パンツのゴムを締めてみてもいいのではないだろうか。