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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

教誨師さんに尋ねた

2008年04月24日 13時48分44秒 | えいこう語る
昨日、ある御住職とお話する機会があった。
光母子殺害事件の判決が出されたが、仏教では「死刑」について、どのように考えているのかを聞きたかったからだ。
偶然にもその御住職は、教誨師(刑務所で受刑者に対し、徳性の育成をする)であるという。
※ 死刑囚は、皆がよい人ばかりである。しかし刑務所にいるときであり、外に出るといい人とは限らない。
※ 今の刑務所は、盆栽の様なものである。針金をかけて曲げたりし、姿よく見せかけている。国のかくあるべき人物像に、あてはめているだけだ。
※ 犯罪者の約4割は、知的障害者か学力の著しく劣る人らしい。一般犯罪者とその人たちを分けて収容した方がよい。
※ 裁判員制度については、取調べの過程がわからないまま、報告され審理に入るので、判断が左右されやすい。
※ 光母子殺害事件は、世論や裁判全体がある一定の流れに乗せられたような気がするので、納得のいかないところもある。
※ 死刑制度については、死刑囚は何時執行されるかと思い、毎日を暮らしている。制度はある程度の犯罪抑止力にはなるのではないかと思う。
刑務所や裁判のあり方を、根本から考え直す必要があることも強調されていた。
裁判員制度が来年5月から始まるが、それに先立ち年内にも「被害者参加制度」が実施されるという。
光母子事件の被害者のご主人のような、公明正大で沈着冷静な方ばかりではないと思う。人は感情に流されやすい。私も年齢を重ねるたびに、涙腺がゆるみやすくなっているのを実感する。時には演歌を聴いただけでもウルウルする事がある。このようなことで、実際に裁判員に指名されたら、責任を果たせるのだろうかと、心配ばかりが先に立ってしまう。
この頃国も、ずいぶん国民に重い負担を押し付けてくるものである。
御住職はこんな事も話された。
78歳の男性、金庫泥棒の常習犯である。人柄はとても良い。出所が近づくと体力練成を開始する。金庫を盗むため足腰を鍛えるためだという。金庫を盗む事が生き甲斐になっているという。
実に興味深い貴重なお話を聞かせていただいた。
私はその晩の酒席で、この話を話題にし真面目に酒を飲んだ。


国民の視点を鮮明にしてほしい

2008年04月23日 16時27分32秒 | えいこう語る
これほど国民が注目した裁判は近年ないであろう。
9年前の光母子殺害事件は、一審・二審で無期懲役を宣告されたが、最高裁差し戻し後の昨日の広島高裁は「死刑の選択を回避する事情があるとは思えない」として「死刑」を言い渡した。
来年から始まる「裁判員制度」や「死刑の存廃問題」と重ねながら、この裁判を見守っていた人も多かったに違いない。人が人を裁く事への重い問題を提起させられた裁判である。
死刑を強く望んでいた被害者の父親本村さん。その張り裂けそうになる胸のうちを、あらん限りの理性で抑えようとする姿に、目頭を熱くさせられる。
「被告は初めから素直に供述してくれたら、死刑は免れたかもしれない」。
その言葉に「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉を、あらためて思い出した。この長い裁判の中で、本村さんが人間として大きな成長をしてきたことに、敬意を称したい。
この事件はまるで最近起きたように鮮明に記憶にある。本村さんの裁判に臨む真摯な姿を、マスコミが連続的に報道したことによるものだろう。
「死刑廃止」を前面に押し出した大弁護団。この弁護団の言動が、かえって被告を死刑に追いやったのではないかとも思う。「死刑廃止」の運動を訴えるには、この事件は適当でなかったと思うが、弁護側の死刑を回避する主張から、私たちは何をもって公平とするのか、命とは何かを学びさせられた様な気もする。
本村弥生さんと夕夏ちゃんのご冥福を、心からお祈りしたい。
国民の目と心をひきつけたこの事件が済むと、マスコミはどこに視聴者の目を向けるのだろうか。
上記の事件の判決が出た翌朝の朝日新聞には「暫定税率復活へ・税収の穴回避優先・再決議―地方配慮」との見出しが出た。これでは税率の復活を、容認しているとみられるのではないか。
ガソリン税の暫定税率廃止は、使用外目的を廃止し、税金の無駄使いを改める事が主旨である。減収になり地方の経済が混乱するとの内容で、国民の目をそらしてはいけない。
もし数の力で、衆議院で再決議するなら、国民のほとんどが納得しない「後期高齢者医療制度」も、民意を汲み取り、廃止にする覚悟も必要だと、書いて欲しい。
益々曖昧化する今の我が国にあって、世界一の借金国という事実を国民に自覚させ、この国の将来を過たないよう国民の視点をそらさない事が、マスコミの最大の使命ではないだろうか。
本村さんのご主人から一番感銘を受けたのは、人間にとって一番大切なものを守り通すという信念である。


スポーツマンシップについて考える

2008年04月22日 12時01分19秒 | えいこう語る
北京オリンピック出場選手が、次々に発表されている。
その中で、女子柔道で78㌔超級で代表選手に選ばれた、塚田真希選手の言動に深い感動を覚える。
決勝戦は、無二の親友で1歳年上の薪谷選手だ。
「一緒に温泉に行ったり、おそろいのTシャツを作ったり、美味しい御飯もたくさんご馳走になり、強いのに優しい先輩だ」と話す。
戦いを終えた畳の上で二人は抱き合い、柔道人生に幕を引いた薪谷選手に「ありがとうございました」と声をかけたという。
戦いは常に真剣勝負である。しかし戦いを終えた時、お互いの健闘を称えあう「思いやりの精神」が観客に感動を与え、武道の心を伝えていくものだと思う。
前回のオリンピックで金メダルを取った後、会社の上司に報告した時の塚田選手を思い出す。
「もっと体重を増やし、次も金メダルを頑張るように」との激励に対し「それってセクハラじゃありません」と笑顔で返し、その場は笑に包まれた。
世界一強い彼女は心まで強くて優しいと、その時感心させられたものだ。
塚田選手の切れのある、みごとな「技あり1本」である。
ここで心に引っかかっているものを、少し述べてみたい。
日本期待の星、柔らちゃんこと、谷亮子選手の五輪選出についてである。
谷選手については、誰もが認める歴史に名を残す選手である。
しかし決勝戦で若手に敗れた。素人の私が見ても、相手選手の技の切れは、はるかに谷選手をしのいでいた。
私は密かに心の中で、ある結論を勝手に想像していた。谷選手は自ら引退を決意し、相手選手を日本代表にするのではないかと。
JOCや柔道を取り巻くあらゆる組織、それに日本中の谷フアンの応援に、谷選手も言葉を飲み込むのであろう。そのプレッシャーが谷選手の肩にさらにのしかかり、その重さは連続金メダル獲得よりも、はるかに重いはずである。
他の競技での選考は、水泳の最終勝負で選考するという方式が、潔いのかもしれないが、4年間の努力と実績も、捨て難い様な気がする。
マラソンの代表発表では、選手の名を告げた委員が、選考理由については、私に質問しないでとの発言までした。
撰ぶ者、撰ばれる者、そして選考に漏れる者、悲喜こもごもの人生模様がある。8月の中国北京オリンピックにはスポーツマンシップを存分に発揮し、多くの感動を世界中の人々に与えて欲しいものである。


春が来た、山にも里にも海にも、そして心にも

2008年04月21日 14時28分59秒 | えいこう語る
例年、桜前線が北上していると言う話題に接すると、北海道に住んでいる私は、桜も最終地点にやって来るのだという、心静かな思いでいた。
しかし、ブログ仲間が桜の開花状況を詳細に知らせてくれる今年は、桜を待つ気持ちが微妙に変化している。南の方は散ってしまい、こちらはこれから満開になるのだと思うと、心がウキウキしている。
視点が少し変っただけで、心の動きが「静から動」に変るものである。
今年は花見をとても楽しみにしている。
3日ほど前、北海道で最初の桜が、松前城下で咲いたと報道された。
我が家の桜の古木も、後数日、暖かな日差しをあびると、はちきれてしまいそうな状態にある。
4月19日。今年初の鶯の第一声が、声高らかに庭に響き渡った。
平成16年12月1日。函館市に吸収合併された私の村は、椴法華村(とどほっけ)という。
遠い鎌倉時代、法華宗の日蓮大聖人の六高弟で、日持という上人が北方布教の為、私の地にやって来た。上人はやがてこの地から、唐土めざし、日本初の海外布教に旅立つ。旅立ちの際、村人にお世話になったとお礼に、ある魚を大漁させてくれた。村人は法華の上人がくれた魚なので「ホッケ」と名付け、唐土の渡った法華の上人から、この地が「渡唐法華」と呼ばれ、山々にトド松が多い事から、現在の「椴法華」となったという。
私はこのロマン溢れる伝説の土地と、村名の由来に誇りを持っていた。
しかし過疎の村は、将来財政の見通しが立たないという理由だけで、鼻先にぶら下がった合併特例債に飛びつき、由緒ある地名までも捨ててしまった。
「ほー法華経」鶯の第一声は、私にとって物悲しさを覚える響きでもある。
4月20日。村内の防災無線が、国道を熊が渡っていたと、注意を呼びかけた。
先日私が山菜取りに出かけた近くである。
熊の通る道も昔から変らないのが、熊に対し親しみも湧いてくる。同じ一家が住み続けているのだろうか。
庭の小鳥の餌場に餌を置くのを止めたら、鳥たちも山に戻ったようだ。また雪が積もる頃飛来し、可愛い姿で私たちを楽しませてくれるに違いない。
前浜は太平洋にあった低気圧の影響で、まだうねりが残っている。沖では養殖昆布の作業船が、春の光に輝く海の上に浮かんでいる。浜に流れ着いた昆布の匂いが、春風に混じり漂っている。
人口1,300人。私の生まれた小さな村に、今年もすべてのものに命を吹き込む、春がやって来た。
桜の開花のカウントダウンが始った、この頃である。


日曜朝の結論の無い討論会

2008年04月20日 13時24分14秒 | えいこう語る
朝からテレビで、与野党の議員が後期高齢者医療制度について、討論をおこなっている。
与党側は、75歳以上の医療費が年間11兆円?にもなり、応分の負担が必要とみんなで支える医療制度を訴える。団塊世代が後期高齢者になる頃には、30兆円?も医療費が膨らむと訴える。与党の話は団塊世代の夢も希望も奪い取る内容だ。
一方野党各議員は、高齢になると誰もが体が悪くなるので、人権を無視する最悪の制度と主張し、国民に理解しやすい内容である。与党をいじめるのはこの時ばかりと、笑みさえ浮かべる余裕ぶりだ。
しかし与党は、財源が無いのにどうするのだと言う。無駄使いを削減すれば済むと反論する。
ガソリンは安くなったが、その税収の2兆6,000万円が無くなったため、各地で工事のストップがおこなわれ、地域経済が混乱している。私の地域の国道を維持管理している人に尋ねたら、予算の目途が立たないので、非常に困っていると話した。生活が厳しい中、働く人たちも待機状態だそうだ。
私はそれも困るが、ガソリンの最値上げも困るねと言ったら、そうですねと、返事が返ってきた。
つまり国民自体も何が正しいのか、はっきり判断出来なくなっているのだ。
この状態だと、衆議院で再可決されて、再びガソリンの値上げが始まっても、どうでも勝手にしてくれという、投げやりな気分に陥ってしまうのではないだろうか。それに暖かくなってきたので、灯油の消費も減る事で、今までの怒りも自然に薄れていくような気がする。
テレビの次の話題は、中国大使が出演しチベット問題に触れた。
これもまた中国側の主張は一貫していて、私たちの人権に対する一般論とは平行線である。
オリンピックが始まると、競技の素晴らしさに感動させられ、チベット問題は世界中の注目の外に、置かれてしまうのであろう。中国4千年の歴史は、微動だにもしない感じがする。
最近の世の中、何でこのような虚脱感に包まれるのだろうかと考えてみた。
消えた年金問題で、国民の前に無能呼ばわりをされたのは厚生官僚である。後期高齢者医療制度が始まると、国民の誰もが「姥捨て山制度」だと批判してくるに違いない。官僚にとってはもはや与党議員も、自分たちを擁護出来なくなった。つまり万年与党が錆ついているのだ。
こうなれば野党に政権を取らせ、大臣の椅子に座らせ喜んでいる隙に、手懐けてしまい、官僚による傀儡制度を新たに構築した方が、よりやり易いのではないかと、方針転換したのではないだろうか。
社会党政権になった時、1年も持たず手放したのではないか。官僚の自分たちがすべての制度を作っているのである。政治家など総理や大臣でさえ、その複雑な仕組みはわかりっこないのだ。
まずは、最悪な制度を作り「自民党をぶっ壊す」といった、あの首相を見習おうではかとの、厚生官僚の大反撃が始まったのではないかと、春の陽気とともに、またまた私の妄想シリーズが頭をもたげてきた。
あの田中真紀子さんを、簡単に引き摺り下ろした、外務官僚がいる。
国民の命を守る厚生官僚が、自分たちの命を守れないでどうするのだと、霞ヶ関の一室で「団結頑張ろう」を叫ぶ官僚たちの声が、かすかに聞こえたたような気がした。
日曜朝の「結論の無い討論会」である。