▼2014年5月15日午後6時、集団的自衛権行使容認について、アベ総理自ら国民に向け説明を行った。「自国民の生命に危害を及ぼすような事態が発生したら、戦って守る強い国にする」と、まるで小学生に語るような内容だ。これを受け、内閣支持率が急降下しないようであれば、国民の憲法解釈は小学生レベルといえよう。戦争は、相手を殺すことだ。大量に殺さないと、相手は降伏しないのだ。戦争に過剰防衛は適用されない。過剰防衛が戦争の実態だから。
▼ジョン・レノンの「イマジン」が、頭の中を流れている。アベ総理は想像性の貧弱過ぎる人物なのだろう。強い国にするために、高価な武器を次々に購入する、そんな子供じみた人物に違いない。隣国の家族の命を奪うこともいとわない国家は、1945年で放棄したのではないか。ジョンの詩はこう続く。「原発を再稼動し、憲法九条まで改正しようとすれば、地球は日本が滅ぼす」と、私は、そう想像するが。
※巣をつくっているようだけど、増水すると水没する場所なので心配だ。

▼吉田茂首相が共産党野坂議員の質疑に答えた文言だ。「野坂議員は、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、わたしはかくの如きことを認めることは有害であると思うのであります。近年の戦争は、多くは国家防衛権の名において行われたることは、顕著なる事実であります。・・・故に正当防衛、国家防衛権による戦争を認むるということは、偶々(たまたま)戦争を誘発する考えである・・・」と。
▼さらに吉田はこうも発言している。「戦争放棄に関する本条の規定は、直接には自衛権を否定してはおりませぬが、第9条2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。・・・故にわが国に置いては、如何なる名義を以ってしても交戦権はまず第一,自ら進んで放棄する」決意を、9条で宣言したのであります、と。
▼一度も変えない憲法は古いというが、人を殺し戦うことが新しいことだといえば、この国は裁判も教育も成り立たなくなる。憲法は「正しい国家と正しい国民」を育てるための規範である。「憲法第9条」が、ユネスコの世界遺産に登録されようとしている昨今、アベ総理自らが登録の障害になっては、世界中の笑いものになるに違いない。その総理の治世下にある国民も同様だけど。
▼ジョン・レノンの「イマジン」が、頭の中を流れている。アベ総理は想像性の貧弱過ぎる人物なのだろう。強い国にするために、高価な武器を次々に購入する、そんな子供じみた人物に違いない。隣国の家族の命を奪うこともいとわない国家は、1945年で放棄したのではないか。ジョンの詩はこう続く。「原発を再稼動し、憲法九条まで改正しようとすれば、地球は日本が滅ぼす」と、私は、そう想像するが。
※巣をつくっているようだけど、増水すると水没する場所なので心配だ。

▼吉田茂首相が共産党野坂議員の質疑に答えた文言だ。「野坂議員は、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、わたしはかくの如きことを認めることは有害であると思うのであります。近年の戦争は、多くは国家防衛権の名において行われたることは、顕著なる事実であります。・・・故に正当防衛、国家防衛権による戦争を認むるということは、偶々(たまたま)戦争を誘発する考えである・・・」と。
▼さらに吉田はこうも発言している。「戦争放棄に関する本条の規定は、直接には自衛権を否定してはおりませぬが、第9条2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。・・・故にわが国に置いては、如何なる名義を以ってしても交戦権はまず第一,自ら進んで放棄する」決意を、9条で宣言したのであります、と。
▼一度も変えない憲法は古いというが、人を殺し戦うことが新しいことだといえば、この国は裁判も教育も成り立たなくなる。憲法は「正しい国家と正しい国民」を育てるための規範である。「憲法第9条」が、ユネスコの世界遺産に登録されようとしている昨今、アベ総理自らが登録の障害になっては、世界中の笑いものになるに違いない。その総理の治世下にある国民も同様だけど。