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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

なんといってよいやら

2014年05月16日 11時33分05秒 | えいこう語る
▼2014年5月15日午後6時、集団的自衛権行使容認について、アベ総理自ら国民に向け説明を行った。「自国民の生命に危害を及ぼすような事態が発生したら、戦って守る強い国にする」と、まるで小学生に語るような内容だ。これを受け、内閣支持率が急降下しないようであれば、国民の憲法解釈は小学生レベルといえよう。戦争は、相手を殺すことだ。大量に殺さないと、相手は降伏しないのだ。戦争に過剰防衛は適用されない。過剰防衛が戦争の実態だから。
▼ジョン・レノンの「イマジン」が、頭の中を流れている。アベ総理は想像性の貧弱過ぎる人物なのだろう。強い国にするために、高価な武器を次々に購入する、そんな子供じみた人物に違いない。隣国の家族の命を奪うこともいとわない国家は、1945年で放棄したのではないか。ジョンの詩はこう続く。「原発を再稼動し、憲法九条まで改正しようとすれば、地球は日本が滅ぼす」と、私は、そう想像するが。
※巣をつくっているようだけど、増水すると水没する場所なので心配だ。


▼吉田茂首相が共産党野坂議員の質疑に答えた文言だ。「野坂議員は、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、わたしはかくの如きことを認めることは有害であると思うのであります。近年の戦争は、多くは国家防衛権の名において行われたることは、顕著なる事実であります。・・・故に正当防衛、国家防衛権による戦争を認むるということは、偶々(たまたま)戦争を誘発する考えである・・・」と。
▼さらに吉田はこうも発言している。「戦争放棄に関する本条の規定は、直接には自衛権を否定してはおりませぬが、第9条2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。・・・故にわが国に置いては、如何なる名義を以ってしても交戦権はまず第一,自ら進んで放棄する」決意を、9条で宣言したのであります、と。
▼一度も変えない憲法は古いというが、人を殺し戦うことが新しいことだといえば、この国は裁判も教育も成り立たなくなる。憲法は「正しい国家と正しい国民」を育てるための規範である。「憲法第9条」が、ユネスコの世界遺産に登録されようとしている昨今、アベ総理自らが登録の障害になっては、世界中の笑いものになるに違いない。その総理の治世下にある国民も同様だけど。


恥ずかしい言葉

2014年05月13日 11時56分20秒 | えいこう語る
▼朝日新聞のコラムは「天声人語」だが、北海道新聞のコラムは「卓上四季」だ。「千の風になって」という曲が流行る前、私がこの物語を知ったのが「天声人語」でだった。本を手に入れ、知人(おばさん二人)と協力し、地元中学校で朗読会をしたことが、道新に掲載された。「卓上四季」の筆者の訪問を受け、コラムに私の名前が掲載されたという経緯がある。
▼前置きが長くなるのが私の欠点だが「朝日」から「道新」に切り替えて、最近の「卓上四季」の内容が充実してきたことを、ちょっぴり伝えたかっただけのことだ。
※五稜郭タワーの一階にいる土方歳三。北海道上陸時に、私の海の沖を通過している。


▼今朝の「卓上四季」は、作家の故江口滋氏が、著書「日本語八つ当たり」で「賢人会議」なる名称を「ぬけぬけと、という一語につきる。見たいのは命名者や“賢人”諸氏のお顔だ」と痛罵した事に関し、アベ総理の「安保法制懇」の「有識者」という言葉が、総理の「言うとおり識者」だと、これまた痛罵している。
▼「ダボス賢人会議」に出席した、当時の民主党党首ハトヤマさんから、私に葉書が届いたことがある。自分は「世界賢人会議」に招待され、賢人の仲間に入ったのだという、そんな喜びが伝わってきた。だが、字が下手だったので、秘書に「賢人なら字をもっときれいに書かなければ」と、話したことお思い出した。私の場合い「蛇足会議」のメンバーに入れそうだけど。
▼ある小さな町の役所に勤務していた、友人から聞いた話だ。役所の婦人たちが集まる会が「奥様会」という。友人は妻が「奥様会に行ってきます」というと「自分たちのことを奥様だなんて、恥ずかしくないのだろうか」と話していた。
▼もう一つは、私が以前会議に出て感じたことだ。「学識経験者」なる枠があり、どう見てもそんな人物とは思えない人が、その枠で参加している。役職がそうさせるのだろう。私の隣に、校長先生が一般委員でいたので「先生は学識経験者には当てはまらないようですね」と、囁いたら「そうみたいですね」と笑っていた。
椴法華新聞?のコラム「天声四季」の筆者としては、こんな程度だが。


流れ星

2014年05月11日 13時20分39秒 | えいこう語る
昨夜、8時頃温泉に出かけた。
内風呂から露天風呂に行くと、誰も入っていない。
昼間は風もなくさわやかな日和だったので、月も星も輝いている。
とてもいい気分だ。
目を疑いたくなるような大きな流れ星が、左から右へと走った。
今までたくさん流れ星を見てきたが、こんなに近いところを飛んだのを見たのは初めてだ。
芝居の舞台で裏方が操作する、流れ星という感じの大きさだ。
星型もはっきり見えた感じがした、そんな大きさだ。
なんだかうれしくなってきた。
※1週間前の五稜郭公園。今年は築城150年だ。


そこに、茶髪の若者が一人入ってきた。
その若者に、大きな流れ星が目の前を通過したことことを話し「何かいいことが起きる前兆だ。この話を聞いた君にもいいことが起きる」というと「まじすか」という言葉が返ってきて、その若者は結構喜んだ。
まもなく仲間が二人入ってきた。
眉毛を剃り、髪は短く左肩から腕にかけて刺青がある。
その仲間に「見たこともない大きな流れ星が今通過したと聞いた。この話を聞いた者にもいいことがある」と話している。
二人とも「まじすか」を連発している。
はじめに入ってきた若者は「先に聞いた俺が一番いいことがあり、お前たちはだんだんいいことが少なくなるんだ」とも話していた。
サーファーにも、刺青をしている者が近年多くなってきた。
ヤクザとは違い「タツー」というそうだが、私の年代ではまだ違和感がある。
温泉の番台のおばさんに聞くと、最近は若いお母さんにも、刺青をしている人がいるという。
そういえばこんな話を聞いたことがある。
私も知っている若い奥さんだが、どこかの街で生まれた人で、上背もありスタイルもいい。
ある日温泉に子供を抱っこして入ってきたそうだ。
臍にはピアスが付いていて、肩には手ぬぐいが。
ところが、手ぬぐいが肩から落ちたら、刺青が見えたという。
なんとも粋な話のように思えるが、私の年代では顔をしかめたくなる光景だ。
でも、大きな流れ星の話を聞いていいことがあると信じ、はしゃいでいる若者を見ると、刺青はたんなる「フッション」なのだろう。
だが、刺青など堅気の人は入れないで欲しいと思う親心が湧いてくる。
刺青を背負っていたら「大きな流れ星なんて、いい話をききやした。おやっさん、ありがとうござんす」なんて、粋な台詞を吐いて欲しいと思う、高倉健さんフアンの私だけど。


試される大地・北海道

2014年05月10日 13時30分15秒 | えいこう語る
以前、北海道ピーアールに使われた、キャッチコピーが「試される大地・北海道」だ。
このコピーの発案者は、確か劇作家の倉本聰さんだと聞いたことがある。
本当かどうか、知っている人がいたら教えていただきたい。
「様々な可能性を秘めた広大な土地。そこに生きる道民も、北海道のために何をなすべきなのかを試される」そんな意味ではないかと、私は理解していた。
今朝の新聞を見て、この言葉が真っ先に浮かんできた。
太田国土交通省(公明党)の、来道日程だ。
※盗聴器をつけて飛ばせたい感じだ。


10日:北海道入。苫小牧港―白老アイヌ博物館―札幌移動―JR北海道本社訪問―知事や経済界トップとの会談―各団体の要望聴取。
11日:函館移動。函館新外環状線の視察―新幹線建設駅や車両基地の工事状況の視察―西部地区歴史的建造物視察。
函館市長との懇談の記載が無いが大臣の来函だ、市長は出迎え案内役に徹するに違いない。
そこで交わされる会話は、どんな内容なのか。
もし、自分が大臣だったら、もし、自分が市長だったらと想像すると、その会話の内容が見えてくるのではないだろうか。
さらに、その会話内容を予測できる記事が、昨日の夕刊に載っている。
9日の東京での太田大臣の記者会見だ。
「北海道と北陸新幹線の延伸区間の工事短縮に、財源確保や工程の課題があるので、与党と連携して議論をするように事務方に指示した」と述べた。
財源確保が難しいと、北海道の視察前に公言している。
北海道では知事や経済界挙げて、短縮をお願いするだろう。
「難しいが、北海道のためにやってやる」というメッセージなのだろう。
その見返りはなにか。
その夕刊の別の記事に、さらに答えが隠されている。
見出しは「15日、札幌市内での知事と函館市長の会談」だ。
内容は「函館市の大間原発差し止め訴訟で協議」とある。
これで今回の大臣の来道の、真の目的が見えてきたのではないだろうか。
新幹線短縮を条件に「大間原発と泊原発再稼働の対応」を知事に、背負わせたのではないだろうか。
先日、函館市町会連合会の会長研修会で市の担当者を呼んで「外環状線」の説明を受けた。
そこで私は質問した。「これらの工事には莫大な補助金が必要とされるが、大間原発の訴訟を起こすことで、影響はないか」と。
もちろん市担当者は「そんなことはありません」と答えた。
外環状線は、新幹線駅と函館空港を結ぶ重要なバイパスだが、国土交通大臣からみれば、わずかな距離の道路だ。
それをわざわざ視察するという。
大臣が語らずとも市長は大臣の意向を汲み取るだろう。
知事選・市長選も来年だ。
試されているのは、知事と市長と我々道民なのだと思う、今朝の新聞記事だ。


学者の目

2014年05月09日 11時16分48秒 | えいこう語る
学者(研究者)とは、誰よりも多く知識を学んだ人ではなく、批判精神(探究心)を持って、定説を覆すぐらいの成果を上げる人のことをいうのではないだろうか。
STAP細胞を発表した小保方さん、論文の画像の捏造と改ざんの研究不正があったとして、所属する理化学研究所は、彼女を呼びつけての釈明もさせないまま、一方的に処分を決める方針のようだ。
このままでは小保方さん、学者としては「嘘つき者」のレッテルを貼られることになりそうだ。
画像の引用などは、この世界では間々あるという。
間々あるというが,不正は不正だ。
組織の中にどっぷり浸かっていると、組織内での常識が一般常識からかけ離れていることに気付かないことがある。
気付いていても、その社会がそれを常識とすれば、不正と思わぬようになってしまうのだ。
組織内で優秀だといわれる人に、よく見られる傾向だ。
でもこの事件、優秀な研究者を育てられない理研という組織が問題だと思うが。
こんな日本のけちな組織ではなく、STAP細胞に理解を示す海外の組織で、この理論を確立させることが真の学者の道だろう。
人類の役立つ研究なのだから、常に小保方スマイルで突き進んで欲しい。
※砂の上の植物群の中にいた、磯シギ?


以前購入した「梅原猛全集」を、今読み出している。
全集物は「積ん読」が多いが、読みたいと思った時が読み時だと思っている。
縄文文化に哲学の目線を入れたのが、梅原猛さんだ。
北海道初の国宝になった「中空土偶」の両足との間にある小さな穴を「子宮ではないか」と、以前講演で話された。
この土偶、中が空洞になっているので、焼いた時に中まで火が入るように穴を開けたという説が常識的だ。
私は、梅原さんも歳をとられたものだと、その時は思った。
考古学関係者にそのことを話すと、先生は才人だけど奇人でもあるからというようなことを言っていたのが記憶にある。
全集を読んでいて、梅原さんの言葉でふと思い出したのがある。
「学者が職を退く時“大過なく過ごした”ということをいうが、それは前任者の説を踏襲しただけで、自分では何も挑戦し発見しなかった者の言い草だ」という言葉だ。
私の隣町で出土した「中空土偶」だが、全国出土の土偶の中でも極めて精巧なものだ。
当時の発掘担当者から聞いたが、周辺を掘り起こしたが、それに似たような欠片さえなかったという。
私には素朴な疑問がある。「本当にここで生まれたのか、それともどこからやってきたのか」と。
この土偶に逢うたびに話しかけるが、土偶は口を閉ざしたままだ。
国宝に指定されたことで、この地で生まれたというのが、疑いの無い域に達しようとしている。
今回も、ユネスコの世界文化遺産登録に漏れたが、世界遺産になったらそれは永久に謎となってしまう気がする。
※海上を行くカモメ。


縄文時代は、津軽海峡を挟んで北海道と東北の交流は盛んだったといわれる。
下北半島を望む地域に生まれた私は、自分が縄文人なら晴れた日は海峡を行き来し、おみやげを持ってきたと思う。
「おみやげ」とは「お土産」と書き、私は土から産まれた土偶を連想してしまうのだ。
あの講演で「子宮」といって、会場から失笑がこぼれた梅原さん。
真実の追究には、そんな目線が必要なのだということを強調したかったのではないかと、梅原さんの本を読みながら、考えも新たにしている。
小保方さんの近くには、STAP 細胞が早く日の目を見たいと、足踏みをしているに違いない。
私にもいつか「中空土偶」が、その出自をこっそり教えてくれそうな気もするが、私の場合「定説・それでいいのだ」という、バカボンの親父の声が聞こえてきそうな気もする。