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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

責任はどこにあるのか

2024年10月20日 08時54分05秒 | えいこう語る

▼物価高で生活が困窮する日本。こんな国ににしたのは、戦争が終わり民主主義を最良の考えだと信じた、私たち国民のせいではないかと、自問自答するこの頃だ。

▼近年民主主義が最良かどうかが、問われる事象が多くなっている。世界では戦争が勃発し拡大傾向にある。

▼とはいっても自衛のために憲法まで変えて、戦争ができる国に戻ろうとするのは、いくら何でもご免だ。結論は民主主義ではない国になりたいとは、思わないからだ。

▼そこで自分の民主主義の熟知度を考えてみる。とはいっても田舎に住みっぱなしのおやじでは、何が民主主義なのか即答は不可能だ。

▼そう大上段に構えれば、思考が停止してしまう。そこで近年起きた事件を取り上げ、民主主義とは何かということを考えてみたい。

▼袴田事件が58年目に無罪となった。事件の内容は皆さんが知っているので省くが、冤罪で死刑宣告をされ、本人は精神まで壊されてしまった事件だ。

▼裁判長は冤罪を認めたが、検察側になんの罰則もない。死の恐怖を与え続けた側が裁かれないのは、正義がどこにあるのかを究明しない、司法というものの存在に疑問を持つ。

▼もっと身近なことでは、我が北海道で最近こんな二つの事件が起きた。これなど民主主義国家として、真っ当なものかということの疑問を抱かせる。

▼2018年砂川市で、熊が民家付近に出没したというので、市側がハンターを要請し駆除を依頼した。

▼ハンターは熊に発砲した。だが付近に建物があるというので、道警は「鳥獣保護管理法」の疑いで、ハンターを書類送検し、その後公安委員会がハンターの銃の所持許可を取り消した。

▼一審では公安委員会の処分を違法としたが、道警を管理する道側が、判決を不服として控訴した。

▼高裁での二審判決は『一審判決取り消し』を言い渡した。ハンターは当然不服として上告する構えだ。

▼私は以前ベテランのハンターに尋ねたことがあるが「野生の熊の恐ろしさは尋常ではない」と語っている。

▼市からの要請で駆除に出たが、現場での判断で発砲したのは、充分に周囲の環境も考慮した適正な判断だったのではないか。見逃せば民家に侵入され、ハンターも襲われる可能性もあるからだ。

▼以前にも熊が国道に出没し、警察が目の前にいても発砲しない場面が放映されていた。警官は直接命の危険にさらされる以外は、発砲してはいけないとなっているようだ。

▼それに一発発射すると、始末書を提出するのが複雑で厄介だというのも聞いたことがある。そうであればよっぽど身の危険にならければ、拳銃の使用はできないことになる。

▼また拳銃の威力では熊は即死せず、襲ってくる可能性は大だ。だがこのクマへの発砲では『同行者が弾が別のハンターの銃に当たった』とする表現もあるという。

▼このことは別として、私が二審が道警の判断を認めたことに対し、妙に引っかかるものがある。発砲の判断は依頼されたハンターに任されているということだ。

▼高裁の裁判長の発言だ。『猟友会の献身的活動に公的機関が依存してきた実態は否定できず、駆除について議論の余地はあるが、処分がどうかの問題とは別だ』と話している。

▼これに対しハンターは『現場を理解しない不当な判決だ。駆除が処罰の対象となるのならば、全道のハンターはクマを撃てなくなるだろう』と憤ったという。

▼ここでふと思い出したのは、知床沖で遊覧船が嵐にあい沈没した事件だ。当時気象状態が悪かったが、社長は船を出せといった。船長は社長の命令に従った。

▼突然波が高くなり、船の整備不良も重なって沈没し、全員が命を失った。だがテレビで観る社長の言動が、多くの視聴者のイメージを悪くした。

▼弁護士に言われているのだろうが、責任はは現場にいる船長にあるということだ。そこで戦争を考えてみた。

▼作戦本部から命令が出て、現場の隊長は命令に従う。そこで敵の大反撃を受けたとする。
隊長は必要以上の力を発揮し、敵を殲滅させた。

▼やがて戦争が終わり、結果敗れたとする。その残虐行為に対し、やはり責任を問われるのは現場の隊長だ。作戦本部ではない。我が国の敗戦では「大元帥閣下」も、責任が問われなかったからだ。

▼遊覧船の社長は、証拠隠滅の恐れがあるというので「拘留」されたが、すぐ保釈金を払い釈放された。これは拘留させる側の理由に、無理があったということではないか。

▼弁護側は、社長の管理責任は問われるが、直接の責任はないという考えに思える。一見理不尽な考えだが、今の裁判ではあり得るということではないか。

▼熊の駆除を頼まれたハンターが、責任を負わさせられるそんな司法の判断だからだ。司法は国民主権である民主主義の世を、公平に裁く唯一正義の場だ。

▼巨大化した自衛隊を、多くの国民は【憲法9条違反】だと考えている。だが最高裁判決の多くは「国策に関する問題は司法判断には馴染まない」という考えを示す。やけに自衛隊には甘い考えだ。

▼北海道の二つの事件から、そこまで考えることはないのではと言われるかもしれないが、
『正義』とは何か『民主主義』とは何かということを、もう少し敏感に考える時代がやってきたのではないかと思う、今回の解散総選挙の真っただ中だ。

自民党に騙されていた

2024年10月19日 08時26分48秒 | えいこう語る
▼妻がスーパーで米を購入し、車に戻ってきた。顔を見たら目が吊り上がり、鼻息が荒くなっている。10キロで7000円を超えていたという。

▼飲食店を営んでいるので、2袋購入したのたので、他の食品の仕入れができないと、頭からは角が生えていた。妻はコメの値段の高騰で「怪獣のような顔」になってしまったのだ。

▼すこし前には大雨の被害で米の不作が叫ばれると、瞬く間に店頭から米が消え、スーパーを探して歩いた。農水大臣はまもなく新米が出るので、心配はありませんと言っていた。

▼北海道は被害がないので、心配ありませんと店員も話していた。ところが新米の価格が跳ね上がっている。それに野菜や他の物価が高すぎて‟啄木生活”を余儀なくされる。

▼「働けど働けど、じっと手を見る」と、毎日の食器洗いでふやけた手を見つめている妻も、「もしかして私たちは、自民党に騙されていたのでは」とつぶやいた。

▼振り返れば戦後からづっと我が国は、自民党政権下で暮らしてきた。「自民党による自民党的国家」であり「自民党的国民」だった。

▼所得倍増・高度経済成長、自民党の長期政権下で、国民の体質もすっかり自民党の体質に変化してしまった。

▼戦後の日本は米国を長男として、すこし不良っぽい次男の自民党に、国の運命を託した。
ちょっぴり悪さもするが、一生懸命国民の暮らしを支えてくれた、憎めない体質が自民党だった。

▼多少ずるさもみせるが、他党から見れば品格も備えていた。どこか坊ちゃん的な鷹揚な雰囲気もあった。

▼だがシンゾウ政権からだろうか、品格も薄れ、でたらめな言動が多くなった。憲法学者たちに、憲法の理解力がなっていないと指摘される。

▼お金と女性にだらしないのは政治家の特質だが、総理が国家の基本秩序である【憲法】の解釈がでたらめだと言われては、国家は荒廃する。

▼にも関わらず【憲法改正】を政治課題のトップに据えた。自分だけが望む『美しい国』を夢見、政治から倫理観や道徳観を退け、自分の思うような政治を行った。

▼その結果、銃弾に倒れたといっても過言ではない。だが生まれは血統がいい。頭は決して良いとは言えないが、人柄はそう悪くはなかった。

▼次が最も質の悪そうなスガ総理だ。高級官僚の人事を官邸主導にし、さらに日本の頭脳集団である、日本学術会議の人事まで口をはさむ。

▼だがこの腹黒さは短命に終わり胸をなでおろした。自民党がさらに‟悪党”と呼ばれないで済んだと思いきや、いいのか悪いのか見分けがつかない、キシダ総理の誕生だ。

▼おとなしそうに見えたが『敵基地攻撃能力の保有』などという物騒な発言をする。そしてシンゾウの政策を継承するとまで言う。

▼戦後間もない頃からからずっと生きている我が夫婦も、昨今の物価高には相当参っている。主食である米も、国家備蓄米があるというのにそれすら出さず、国民は兵糧攻めを受けている。

▼特別好きな党でもなかったが、自民党は国民を飢えさせる、そんなでたらめな政党ではなかったはずだ。だから国民の多くが支持し、戦後の日本を任せていた。

▼自民党の何が悪いのかと考えてみた。やはりシンゾウ政権から、いやテロとの戦争に協力した、ジュンちゃん政権からかもしれないが『対米従属』が過ぎたせいではないかと思う。

▼「米」に頼りすぎたからか?!。もしかして「米不足」も米国からの要求(年次改革要望書)かもしれないと、くだらないことを考えてしまう。

▼こうなれば、長年連れ添った女房役の公明党まで憎くなる。この党も裏では「米国」に操られ、自民党政権を補佐せよ支持されているのかもしれない。

▼実は「公明党」と言っているが『米党』ではないかと、いらぬ妄想が働く。というところで我が夫婦は、ダジャレでこの怒りをちょっぴり鎮めた。

▼そして、妻はこうつぶやいように感じた。
  
   物価高お酒の量も控えてね
  
▼それに答える私の句。

   米高しもう一本の声が出ず
            三頭下

▼もう一句。
   自民党よくも今まで騙したね

まともな選挙といえるか

2024年10月17日 08時47分51秒 | えいこう語る
▼変な選挙が始まった。軍事オタクのイシバシゲルは総理になった途端、衆議院を解散した。自分が総理にふさわしいかを、国民に問うということか。

▼政治資金不記載問題で公金横領の常習性が発覚した自民党。政教分離にもかかわらず、旧統一教会とずぶずぶの関係だった自民党。

▼こんな体たらくな政党なら、結党以来の党是である【憲法改正】などできっこないと判断したのか、新総理はずいぶん大きな賭けに出たものだ。

▼オタクとは自分の考えに陶酔し、何をしでかすかわからない存在のようだ。『日本再生』を目指すという掛け声は威勢がいいが、心に響いてこない。

▼竹下政権下での「ふるさと創生資金」のように、地方自治体に自由に使えるお金を分配し、地方の自立を図ってみたらと思う。

▼その「ふるさと創生資金」1億円の使い道だったが、まともに地域活性化のために使用された自治体はほとんど見当たらない。

▼我が函館市民だって、1億円がなんに使われたかを思い出せない人が多いと思う。金持ちの自民党が仕掛けた‟妙案”?だったが、自治体の能力も知れたものだというのが露見した政策だった。

▼それからずいぶん経ったが、地方自治体は中身が充実しているのだろうか。少子化・高齢化・人口減少で‟痴呆爺体”となっているようだ。

▼「日本再生」なら、ミサイルや戦闘機の購入はせず、再生資金に回せばいいのではないかと、単純に考えてしまう。

▼経済の悪化は、国民の生活をミサイルで直撃している。先日お米一袋(10キロ)を購入した。7000円を超えていた。

▼国民を飢え死にさせるのかと、小さなレストランを運営している妻は怒り狂っている。とばっちりは元論私にも回ってきた。

▼「お酒の量を減らしたらいいでしょう」という、無差別攻撃を食らってしまった。政治が低下しているため、家庭内の内紛も勃発している。

▼こんな混迷する世の中だが、今度の選挙で、もどの党を選ぶかが鮮明ではない。これが我が国の最大の問題だ。民主主義の危機と言ってもよい。

▼そこで今読んでいる内田樹編著「撤退論」晶文社の中に。政治思想家の白井聡の文章が載っていた。そこには大学の講師も兼ねている映画監督の、森達也の言葉を引用している。

▼2016年の参議院選挙を控えたころの話だ。森は「無知な若者は選挙に来るな」と主張し物議をかもした。

▼当時の学生に支持政党を尋ねたら9割が自民党支持だった。ところが憲法改正について聞くと、半分以上がこのままでいいという。

▼自民党の党是は『自主憲法』制定だ。こんな無知の若者なら、投票しない方がいいと森は主張したという。そして「自民党改憲草案」を読んでいない国民の多いことも。

▼さらに有権者全体に蔓延する、政治的無知も指摘する。メディアが改憲賛成派が『2/3』の議席を得るかが焦点だと報じるが、ほとんどの有権者は『2/3』という数字が何を意味するのか、理解していないというのが問題だという。

▼さらに、日本と軍事同盟国であるアメリカにおいても、無知という温床で育ったフェイクという怪物が、本物の政権についたというのも問題視する。

▼事実を念じ曲げたりする政治主導者は、アメリカにも数えきれないほどいたはずだが、トランプの戴冠は、何かが決定的に一線を超えてしまったという、感覚をもたらしたともいう。

▼アメリカの民主主義を機能させていた暗黙のルール。これを総括して『総合的寛容と組織的自制心』だという。このルールがいったん破られるたのが、2021年の「連邦議事堂襲撃事件」という惨事だという。

▼我々が今目にしているのは、民主主義の残骸なのであろうか。社会に内在する対立がある一定値を超えたとき、民主主義はまっとうに機能しなくなる、ということだと白井は指摘する。

▼今朝は午前3時に目が覚め、この本を読んでいる。だがこの内容では読んでいるうちに睡魔に襲われてくる。だから私も理解したようで理解しきれない状態になってきた。

▼睡魔に襲われながら、白井の最後の主張を読み終えた。

▼【民主主義からの撤退が不可能だとすれば、我々は何を覚悟せなければならないのだろうか。それは端的に言えば他者の耐え難さを耐えなければならないということだ。そしてその先に敵対制の溶解を夢見なければならない、ということだ。民主主義がわれわれに求めるのは、慄然とするほどの困難な事柄なのである。だがその困難は、統治権力が民主主義を否定する国家・地域において、民主主義を要求する人々が直面するそれ・・・すなわち暴力に比べるならば、はるかに小さいことも確かである】ということで、終わっている。

▼読み終えると私の睡魔はすっかり消え去り、政治的白内障を手術した状態になってしまったので、起床し朝刊を開いた。

▼『自民裏金で伸び悩み。立憲議席増うかがう』と一面にある。日本の民主主義は健全を保てるのか。「日本再生」という言葉がうつろに響く、北国の秋の青空だ。

衆議院選で憲法を考える

2024年10月15日 20時18分40秒 | えいこう語る

▼戦後79年を迎え、国民も「戦後」というイメージが薄れているようだ。私の周辺でも「戦後」という言葉を使う人はほとんどいない。

▼なぜ私が戦後という言葉を意識しているかと言えば、終戦後3年目に生まれたので、戦後の雰囲気が残っていた時代に、育った人間だからだ。

▼父も兵役についていたし、周囲の大人も戦争体験者が多かった。その人たちから戦争の体験を直接聞くことができたからだ。

▼私は戦争の残忍さを、後世に伝えることを背負わされた世代だということを、自覚している。戦後50年の時、私は靖国神社を2日間参拝した。

▼それは戦争の実体を自分の目で確かめ、それを背負って生きていくことを、実証するための行動だったのではないかと、今に思っている。

▼それにしても近年の我が国の総理たちが【憲法第9条】を、破壊すようとする行動に出ていることに唖然とする。

▼こんな政権を認めたら、とんでもない日本になると思いながらも、今回の選挙はどうなるやらさっぱり見えてこない。ヘンテコ極まりない選挙だ。

▼司法試験塾の塾長をしている、伊藤真著「記憶する術」サンマーク出版を開いた。冒頭にこんな記述がある。

▼司法試験の伊藤の同じ講義を、何度も繰り返し聞く塾生がいる。そういう塾生の中に、
短期間で試験に合格する生徒がいるという。

▼【同じ事を何度も繰り返すことができるということ。当たり前のことだと思うかもしれないが、これこそが記憶する技術の極意といえる。つまり対象に強い興味を持ち『意識のポイント』を変えることによって、何度となく学びを得ることができるということだ】。

▼伊藤の友人に何度も同じ映画を見るのがいる。見るたびに違う楽しみがあるという。1回目はストーリを追うだけでせいいっぱい。

▼2回目は主役の演技を意識して見ることに集中する。3回目は脇役の演技を見る。4回目はその監督が意識した、小物やCGの作り込みを意識する。

▼5回目は音楽の重ね合わせや、シーンの切り替えに注目するという。映画館に行くたびに意識するポイントが変わるから、毎回新鮮な発見があって面白くてしかたないという。

▼伊藤は人は自らが欲した情報しか得られないという。基礎学習のように同じことの繰り返しであっても、毎回『意識のポイント』を変えることにより、同じことでも新鮮に見えるという。

▼布団に入ってから読んだので、ここで眠くなってしまった。そして翌朝、自分が書き写した「憲法ノート」を開いてみた。

▼【憲法を読み解くことは「過去との対話」を意味する。先人たちの格闘と経験によって紡がれてきた教訓を受け止め、その蓄積を現在の国家運営に生かすことが、憲法の運用である。私たちは憲法を通して過去の経験を共有し、その痛みと苦悶の上に現在の具体的諸権利が存在したことを認識する】と、ノートに書き込んである。

▼【憲法第9条】を破壊しようとするイシバシゲル。今回の選挙の最大の目標は、金権政治ではない。そこを見過ごせば、日本は今回の選挙でも再生できない。

▼憲法を改正しようとする、自民党を解体するための一票でなければならない。さらに私のノートには、こんなことが書かれていた。

▼【デモクラシーは死者との共同作業である。あらゆる国家は過去によって支えられている。そして死者は私たちの精神や常識の中に、秘かに生き続けづけている。『憲法とは死者の声』である】と。

▼政治評論家も今回の選挙は予想がつかないという。こんな時は伊藤真の『記憶する術』を、改めて戦後79年目の日本人が、理解することではないかと思う。

▼靖国神社を参拝した時、246万余柱の戦士たちは、私に【戦争は二度としてはならない】と囁いたことを、記憶しているからだ。

国家総動員で核禁止の先頭に

2024年10月13日 17時30分48秒 | えいこう語る

▼ドジャースVSパドレスのプレーオフよりも、衆院選の各党首論戦よりも、我が国の未来に希望を持たせたのが「日本原水爆被害者団体協議会」の【ノーベル平和賞】の受賞だ。

▼この歴史的快挙に心の動揺がおさまらないので、もう一度気持ちを整理するために書かせてもらいたい。

▼軍事拡大を目指すイシバ総理は『国家・国民の命を守るため』に、政治生命を賭けると明言する。まるで暴力団レベルの発想だ。


▼そのために軍事同盟国米国の核兵器を国内に配備し、共同で運用する『核共有』を主張する。

▼それは被爆国日本として、決して許されるべき発言ではない。総理としての資格の欠片さえない。イシバ総理を『戦争大魔王』と呼ばなければならない。

▼日本が核武装すれば、中国やロシア、北朝鮮などの仮想敵国は、使われる前に使用するという可能性があるからだ。

▼『神の国』日本の歴代の政権は、いまだに靖国神社参拝にこだわっている。それは過去に日本に侵略された国々は、武装国家日本の再来への参拝と受け止めるだろう。

▼【憲法第9条】を変えようとする動きが、活発化している現状を見れば、仮想敵国とみなされる国は「真珠湾攻撃」を思い出し、日本軍の戦闘開始の常套手段が『先制攻撃』にあったのを思い出す。

▼受賞した「被団協」は、イシバ総理の【核共有】は論外だと断じる。もちろん我が国が核兵器禁止条約に批准していないことも、常識を逸脱していると考える。

▼国連の軍縮担当上級代表の中満泉事務局次長は、この受賞は『核の悲惨さを世界の人々が分かち合うことを決意し、核兵器禁止条約の推進にも追い風となる』と後押しをする。

▼イシバ総理は目玉政策として【日米地位協定改定】を華々しくぶち上げた。だがその前にやるべきことは『核禁止条約の批准』だ。

▼そして核禁止の世界のリーダを目指すことだ。イシバ総理ならできる。得意のキャンディーズの♪『微笑み返し』で、各国を黙らせる眼力(にらみ)を備えているからだ。

▼野党各党も出来もしないことを並べるのではなく、一致団結してイシバ政権が『核禁止条約』に参加することに協力すべきだ。

▼なので今回の選挙でイシバ新政権に対抗するのは『核禁止条約』に参加することを訴えればいい。国民はこれにはほとんどが賛成するからだ。

▼核兵器禁止のイニシアティブは、被爆国日本が背負うべき世界的な責務だ。これを『国家総動員』で行ってほしい。これが今回の選挙の最大のテーマだ。

▼『ノーモア・ヒロシマ』『ノーモア・ナガサキ』『ノーモア・ウォー』。日本が世界で尊敬される国となるために。