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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

自・公・国民「連立内閣」の実体

2024年12月15日 16時12分12秒 | えいこう語る

▼衆議院選挙が終わり、少数与党になったイシバ内閣。不安定な日本丸の舵取りを任され、
それを喜びながら操縦かんを自在に操り、それを喜んでいるように見える。

▼国会では野党から多くの矢が飛んで来て、毎回身体に数百本の矢が刺さりながらも、懸命に耐えて仁王立ちし、さらにうすら笑いを浮かべる総理がいる。

▼戦後自民党に発症した「政治癌細胞」。これらをすべて自身の栄養として体内に取り組み、巨大化した『自民党‟癌ダム”総理』のような人物だ。

▼世の中のすべての‟矛盾”を呑み込んで、それを嚙み砕き消化する能力を兼ね備えた、新生自民党総裁のようにも見える。本人も‟その気”になっているように思う、時々見せる不気味な笑顔だ。

▼「サドとマゾ」を共有する、打たれ強いタイプのようだ。『シンゾウ+スガ+キシダ=イシバ』だ。イシバ総理のこの‟癌強”さが【憲法第九条】の分厚い壁体を、突破しそうな気もする。

▼ちょっぴり弱体化した旗艦・自民党。そこにはちょっぴり弱体化した護衛艦・公明党。そこを補強する新護衛艦・国民民主党が加わった。

▼イシバ総指揮官は、旗艦を弱体化したように見せ、三艦隊体制をより強固にするだろう。もともと自民党は様々な考えの政治家がいたが、『利権』を与えながら体制を維持してきた、長い間の「体制維持」能力があるからだ。

▼公明党も新党首が落馬した。国民民主の党首も、女性問題で脇が甘いのが露呈した。この弱体化した護衛艦を十分に機能させ、強力な体制を整えるのが、イシバ艦長の巧妙な指揮にかかっている。護衛艦をいつの間にか空母化すると同様にだ。

▼国民最大の注目『103万円の壁』も、先送りした。主張していた国民民主が「増税と減税の同時決定は世論の理解を得られないだろう」と同調したからだという。

▼なんだかんだと言いながら「連立内閣』?の内部だけの打ち合わせで、時間をかけて国民の目をそらしながら、徐々に進行していくのだろう。

▼だが防衛費増大だけは着実に進んでいる。高価な装備品を「複数年契約」で調達し『武器ローン』と呼ばれる支払い方だ。

▼諸物価が高騰しローンが割高になっても、支払いは続くということだ。国民は主食の米が高くなっても、国から手当も受けられないのに米国には優遇する。こんなバカな国などない。

▼さらに次期トランプ大統領は、日本に防衛費の増加を要求してくるようだ。国民は食い扶持を減らしてまでも、米国に尽くす必要があるのか。

▼イシバ総理には『対米従属』を、解消してほしいものだ。それだけがあなたに期待する、唯一の国民としての期待だ。

▼やがてやって来る日米首脳会談。『対米従属の解消』を宣言してほしい。そうであれば「国民栄誉賞」をあなたに差し上げたい。

▼なんだかよく知らない間に『沖縄海兵隊の国外移転』が始まったようだ。現在沖縄にいる1万9千人の海兵隊は、今後1万人になるという。

▼『対米従属の解消』をここで掲げ「日米安保」も、新たな展開を見せるべきだ。だが自衛隊を国軍に昇格するなどという【憲法第九条の改正】ではない。

▼唯一の被爆国として、核爆弾廃絶の先頭に立つ国家像の確立だ。「核」を廃止し「戦争のない地球」を目指すのが、我が国の安全保障の最大の使命だ。

▼我が国の最強の武器は【戦争放棄】だ。戦わずして「勝つ」とは、最大の戦術だからだ。それができるのは世界で『被爆国日本』しかない。

▼来年は『戦後80年』を迎える。世界は再び大戦の危機に呑み込まれているようだ。来年こそ我が国の出番だ。

▼世界の会議に出席し『被爆国』であることと『無益な戦争の中止』を訴えるべきだ。イシバ総理にはトランプ大統領より、説得力がある演説ができると国民は期待している。

▼‟石”をも突‟破”する演説で、世界平和をリードする。そしてその‟きもかわいい”笑顔が【日本のモナリザ】と呼ばれることを、大いに期待したい『戦後80年』の来年だ。

裁判長と市長

2024年12月13日 20時49分50秒 | えいこう語る

▼私は死刑制度には反対だ。袴田事件のように「冤罪」を生む可能性があるからだ。「現行犯逮捕」ではなく「状況証拠」だけで、判決を下すのは危険だ。

▼最近も不可解な事件がある。「ドン・ファン殺害事件」だ。「ドン・ファン」と言えば‟女性の敵”だというイメ―ジが強い。週刊誌でもない新聞が使う言葉でないような気がする。

▼事件の詳しい内容は省くが、若い妻が覚醒剤を使用し夫を殺害し、財産を独り占めにしようとしたという事件のようだ。

▼だが和歌山地裁の裁判長は、彼女に『無罪』の判決を出した。その理由は「犯罪したことには合理的な疑いが残り、犯罪の証明がない」ということだ。

▼『状況証拠』や『印象操作』で、基本的人権を守るという姿勢は、裁判長として「公平」な判断のように思える。

▼身近な函館市の『市長パーティー券販売』問題について考えてみる。大まかな内容は、現市長の政治パーティーの券(5000円)を、元副市長が市役所内で販売したというものだ。

▼この内容は事実のようだ。元副市長から頼まれれば、市幹部であれば購入するのは‟常識”だ。つまり「社会通念上」許容できる範囲だと思うからだ。

▼長年仕事での付き合いであれば、それが‟常識”だからだ。特に役所組織としては、長い間の常識的なのだ。常識には一般的には悪意はない。

▼役所幹部も「押し売りなどなかった」と、市長の聞き取りに返答したという。これが市役所職員の常識的回答だ。

▼私も以前に友人から、市長のパーティー券の購入をすすめられている。私は市民の一人として、我が市長はどんなことを考えているのかを聞きたいと思っているから購入している。

▼今まで後援会主催の政治パーティーに、何度か参加しいているが、政治家というのは自分を支持してくれるこの種のパーティーでは‟本音”を漏らすのが一般的だ。

▼つまり支持者に向かって、普段言えぬ‟本音を披露する。なので自分が支持していなくても、その人物を理解するには、最適な場所なのだ。

▼今までには会場に市幹部の顔もあり、議員の顔もある。さらに会社からの参加で、どんな人物が、市長を支持しているかというも理解できる。

▼隣のテーブルには、若い会社帰りのサラリーマンの一団がいた。「上司から券をいただいたので、飲んで食事もできるので参加した」と素直に笑う若者たちもいる。

▼現市長も、以前秘書課長を経験していたはずだ。そんな役所内部の‟常識”は十分知っていたはずだ。

▼このパー券の中心人物は、なんといっても市長だ。指示しなくても職員は販売してくれるからだ。忖度は国会だけにあらず、田舎都市にも存在する。

▼それを市長自ら直接幹部に聞き取りをしたら、そんな強制はなかったと言ったという。上司から強制されたというわけがない。それが役所の常識だからだ。聞き取りする市長が常識外だ。

▼市長は次回から役人にはパー券を、販売しないという独善的な回答だ。一気に幕引きを図ろうという魂胆のようだ。

▼役所の職員こそ、現市長の‟本音”を聞きたい方もいると思う。それを一方的に制限するのは常識的でない。

▼言いたいのは、市長は裁判長ではない。市長はパー券販売の最高責任者だ。それが裁判長の如く、自分で判決を言い渡してはならないということだ。

▼議員からも第三者委員会での調査を求められている。だが「違法性はない」と市長は言い切る。何度も言うがあなたは裁判長ではない。

▼7万票という圧倒的な差で、前市長を打ち負かし当選した市長だ。3期続いた前市長は、市民から「死刑を宣告」されたような投票差だ。

▼それを背景に、市長が自らの案件に裁判長を兼ねたら、独裁政権に近くなるということを自覚しなければならない。

▼前回の選挙の差は、市民が前市長を「やめてほしい」という意思表示で、現市長に全幅の支持を与えたということではない。

▼前市長的な行政運営に、市民はそれにノーを突きつけただけだ。現市長も前市長と同様市役所の職員上がりだ。

▼首長が変わったからと言って、役所の体質など全く変りようがない。市民が最も嫌うのは『答弁調整』だ。それが‟不変”だからだ。

▼単純な一市民の声だが、そんな現状なのが『函館市長のパーティー券販売事件』だ。「違法性はない」と主張する市長。

▼それに対し『根拠がない』という市議。ただし函館市議会と役所の‟十八番”は≪答弁調整≫だ。

▼傍聴人は市民だ。一件落着しそうな事件だが、函館市役所全体の民主主義度が試される事件でもある。

頭痛解消の特効薬!

2024年12月10日 10時57分05秒 | えいこう語る
▼前回がいつだった記憶にないほど、久しぶりに風邪をひき2日間寝込んだ。悪寒と軽い頭痛を覚えたので、その晩は「熱燗」をひっかけ布団に入った。

▼‟寝ぐせ”の前座である読書。いつも通り本を手にした。そのせいで翌朝ちょっぴり悪化していた。

▼「風邪をひくとお酒を飲めなくなるので、熱燗飲んで早く寝る。それが特効薬だというのはただの屁理屈だ」と言っていた妻も、半世紀も経つともはやその言葉も、忘れた様な顔をしている。

▼だがその眼の奥には「早く死にたいならそうし続けなさい」と言っている。「目はものを言う」とは、言霊の力でも相手を説得できない時、目で相手を説得させるという「諦念の力」を、長年連れ添った妻は体得しているのを実感させられる。
 
▼風邪と自己診断した夜、頭痛を少しでも和らげようと、最も大好きな本を選んだ。内田樹と白井聡共著「日本戦後史論」徳間書店だ。

▼これが悪かった。夢の中でもこの内容について二人の作者にあれこれ、話しかけているという状態だった。この本が原因で、二日間寝込んだというのが正しい診断だ。

▼二日目の夜は「頭がすきっとするもの」と考えて、先日購入した俳人夏井いつき著「赤ペン・俳句教室」朝日出版を開いてみた。

▼いわゆる‟添削”だが、作品の景色まで変わり、知的に変化する内容に、頭がすっきりしてしまった。

▼「5・7・5」は、世界最小の詩ともいわれる。あらゆる感情から無駄なものを省き、そこに残ったエッセンスを17文字に表現する。だが俳人は「17文字の世界」の配列をより正確に並び変える。

▼そこにちょっぴり忘れかけている日本の心を呼び覚ます、また新たな言葉を挿入することで、世界が一変する。

▼次ぎ次と添削に感動しながら、気が付けば頭の中が「すっきり」し、頭痛が和らいだ。風邪で寝込んだ時の特効薬は「俳句の添削本」だと気が付いた。

▼風邪は体力・気力が衰えたときやってくる。身体を維持する配列が、正常でなくなった時だ。頭が混乱すると身体全体の機能も弱まる。

▼頭の混乱状態である頭痛は、酒をあおって治るものではない。こんなことはとっくの昔から私もよく知っている。

▼頭の混乱状態を正常に戻すのが「添削」だ。とにかく頭が「すっきり」する。そうすれば快眠もできる。このことを夏井先生に伝えたいものだ。

▼「おっちゃんも時にはいい考えをするね」と言ってくれるかもしれないからだ。私の風邪はや
んだら次は妻だ。

▼頭痛がすると休んでいる。妻に添削の本は勧められない。目がものを言いそうだからだ。
「私の頭痛の素はあなただ」と、いうはずだから。














熊の駆除と防衛意識

2024年12月04日 11時00分03秒 | えいこう語る

▼熊が人間の生活域に侵入して来ている。人命の防衛のために駆除が望まれている。しかし銃使用の規制では、民家付近での発砲は禁止されている。

▼敵が侵略してきそうなのに【憲法第9条】があるため、自衛権を行使して武器を使用するのを、禁止しているのと似たような感じがする。

▼先日東北のスーパーに熊が侵入したが、銃の使用は認められていないので、オリで捕獲し人家のないところで射殺したようだ。

▼銃を持ち人質を盾にこもった犯人は、さらに危害を加える恐れがあれば、警官に射殺される。これは建物内での発砲だ。

▼熊は建物付近では射殺されないで、人間は射殺されるというのも、考えればおかしな話だ。人間は裁判にかけられた上で死刑にされる。熊は問答無用で、人気のない場所で私刑だ。

▼私は戦後まもない頃、北海道の小さな漁村に生まれた。家の前は海で後ろは山に囲まれている。

▼海や川でよく釣りをした。小学校高学年頃からは、一人で渓流釣りに出かけた。その頃は熊もたくさんいたに違いない。

▼釣りをしながら山ぶどうや野イチゴ、こくわの実を採って食べた。山は食料が豊富だった。熊も充分お腹を充たしていたに違いない。

▼その渓流釣りも、20年ほど前から中止した。いつもの釣り場に熊のオリが仕掛けられていて、そこが獣道だとハンターから聞かされたからだ。

▼今考えれば私の背後にも熊がいて、熊は食べ物が豊富だったので、人間には興味がなかったのではないかと考えている。

▼戦後間もなくの燃料は薪だったので、山が禿山と化したのを記憶している。その切り株にキノコがたくさんなっていた。その後国の政策で植林が行われ、山は針葉樹に代わった。

▼だが蘇った山も近年の木材の需要で、伐採が戦後同様の禿山と化した。現在は重機による伐採で、動物たちも騒音や住む土地を奪われたに違いない。

▼熊の生活圏に人間が侵入したというのが、熊出没の最大の原因だろう、だが熊が反撃したのではない。人間の領域が近くなったので、たまたま迷って出没したに違いない。

▼人間の生活圏には食料があると、知能の高い熊が学習したという専門家もいる。そうであれば知能の高い熊は尊敬されても、蔑視されてはならない。

▼アイヌ民族は熊を「カムイ=神」と崇めたてる。そのアイヌは和人の侵入で、土地を奪われてしまった経緯もある。そこに住んでいるのが私だ。

▼昔は「里山」という、野生動物と人間の国境?が存在していた。里山を壊し越境してきたのは人間だ。領土を奪われた野生動物は住みづらくなったのは確かだ。

▼熊が侵入したのではなく、人間が侵入し熊の土地を「植民地化」したからだ。しかし熊には奪われた領土を奪還する意識などない。

▼かといって動物園に強制移住させられ、芸をおぼえ食料をもらい生きるのも惨めだ。昔のように「里山」を復活してもらい、自分たちの生まれた土地で、子育てをしたいと思っているのかもしれない。

▼熊には人間の言葉が伝わらない。言語能力を持っている人間に与えられているのは「創造力」だ。熊が何を望んでいるのか、それを読み取ることが『万物の霊長』たる、人間の役割なのではないか。

▼熊の駆除から国家防衛を考えてみるのも、人間しか持ちえない「創造力」ではないか。危害を加える熊は殺してもいい。それなら危害を加える人間を殺すことも然りだ。

▼しかし人間同士の戦いは「戦争」という大虐殺につながる。人間こそ『悪魔』ではないかと思う歴史的事実がたくさんある。

▼そして言語を持つ人間は「戦争」を『聖戦』と呼ぶ。人間が自分勝手に使う『聖戦』という言葉を神は最も嫌う。自分の仲間を正当化し、相手を無視する言葉だからだ。

平成の大合併・函館市の場合

2024年12月02日 15時15分26秒 | えいこう語る

▼函館市の周辺「戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町」が、2004年12月1日函館市と合併してから、20年目を迎えた。私は旧椴法華村の住民だ。

▼行政から説明を受け、記憶に残っているのが「財政難」と「人口減」という、その二つが主な理由だ。

▼行政側の意向も、国の方針だから‟しかたがない”というのが、最大の理由に思えた。充分な住民討論会など記憶にない。それは【自治権放棄】を意味する。

▼「合併特例債」が鼻先に突きつけられ、行政主導の『合併在りき』で進む。当時の首長に「住民投票」を行ってみてはと言ったが、「必要ない」と言われたのも記憶にある。

▼合併された議員たちは残りの任期まで、ほぼ全員が市議会議員となった。市議会は倍以上に膨らみ、議席部分は拡張されたのも記憶にある。

▼市会議員となったが旧町村の議員の報酬は据え置かれ、函館市議の報酬と大きな格差がついたというのも記憶している。

▼同じ議員なのにそこまで差別されても、市議会に臨んだ議員たちの心情は想像し難い。自分たちが選んだ議員が「下目に見られている」と思い、私たち住民も同じ目線で見られているという、いやな気分を感じた。

▼市議会が開催される時には、行政と市議との間で「答弁調整」が行われていることも、その時担当者から聞かされた。

▼合併の誘導条件として「合併特例債」が、目の前に突き付けられた。使い勝手が良い補助金だが使えば借金が残る。

▼住民が希望するものでもなく、事前に行政が考えたメニューで、特例債は使用された。住民の代表から構成される「地域審議会」も、特例債が適正に使われているかをチェックするだけの会議で、新たなまちづくりを話し合う場ではなかった。

▼合併後の人口減少は急激に進んだ。私も村民から市民になったが、函館市民自体がまちづくりに対し、積極的ではないということを感じた。

▼合併後「函館市市民自治条例」が施行された。『まちづくりの主体は市民』だと書き込まれているが、行政の幹部からは「市民は行政の言うことを聞いていればいい」という発言を何度か聞いた。

▼私が参加している市町会連合会も、市民自治という考えは低い。「行政の下請け機関」の様な存在だ。

▼まちづくり講演会で、外部講師から『函館市町会連合会は昭和のままだ』と言われたことがある。

▼さらに合併後「中核都市の中で幸福度が最低レベル」と指摘されても、意外と歯牙にかけない無頓着な市民性があるようだ。

▼日本一の観光都市と言われる現状に甘んじる市民性と、村社会のような庶民感覚の港まちゆえに、行政にお任せの体質が根底にあるようだ。

▼市が主催する会議も、行政に対する批判が希薄な自治体のように感ずる。市民の政治意識が決して高いといえないのが函館市だ。低いのではなく低くされているのかもしれない。

▼思想学者・丸山眞男の言葉を借りれば『個人は国家を媒介としての具体的定位を得つつ、しかも絶えず国家に対して、否定的独立を保持するごとき関係に立たねばならぬ』という。

▼さらに70年代に、ドイツ哲学者ユンゲル・ハーバーマスは、そんな停滞化した社会を【行政組織による生活世界の植民地化】と称している。

▼「市民・議会・行政」というのは民主主義の構成要素だ。「国民主権」の国家では、市民が主役だ。私の村は「議会・行政・市民」という、上下関係のいびつな構図がはびこっていた。

▼函館市民になって感じるのは「行政・議会・市民」という、民主主義の形態がいびつな社会構造だ。それは行政と議会が「答弁調整」を続けている体質に原因がある。

▼「函館市自治基本条例」も制定されているが、そこには『市民が主役』と謳われている。行政も議会もそれが円滑に進むよう、心掛けなければならない。

▼【市民の憲法】と言われる「自治基本条例」。これを作った側が市民に理解させる努力に欠け「絵に描いた餅」にしている。

▼日本最初の開港都市と言われる函館市。開港で真っ先に得たものは「進取の精神」であり「民主主義の空気」ではなかったのか。

▼合併20年、市民の一人として実感するのは【市民が主役のまちづくり】だ。「行政や。議会が主役のまちづくり」ではないということを、市民自身が自覚しなければならないということだ。

▼私が一番心配するのは「観光都市」から【軍事都市】になりそうな気配を感じるからだ。

▼元熊本県知事であり、その後総理となった細川護熙氏の言葉を借りれば、函館市は『知的感動を得られる偉大なまち』そんな未来にしたいものだ。

▼函館市民は『歴史的なこのまちに誇りを持つ市民』が多いからだ。