気まぐれ五線紙 Entertainment

 韓国エンターテインメントブログ

NC.A、要チェックな女の子かも知れない

2013年08月31日 | NC.A



私が、初めて彼女を見たのは(知ったのは)YouTubeでの8月23日Music Bankのステージ映像でだが、この時はAOA Blackの真似っ子のグループのデビューかと軽くスルーした。
(彼女の初ステージは21日のShow Championだったようだ)
しかし今週に入ってから何度か映像を聴いているうちに、ソロ歌手であると認識し、いわゆるアイドルにしては、なかなか声が出ている印象を持ち始めた(ただし、低音域の力が弱く、まだまだ粗いいのだが)。
単に顔かたちが私の好きな作りだったからかも知れないが、声色には魅力を感じる。

で、ちょっとその気になって調べてみた。
すると、まず事務所が凄い。なんと、ソ・ヨンウン(서영은)、ユリサンジャ(유리상자)、M4、CAN(캔)が所属する事務所JJ Holic Media(제이제이홀릭 미디어)である(彼らと彼女は親子の歳の差だ(笑))。
まさに、「なんと」という感想、というか違和感さえ感じる。

       JJ Holic Media(제이제이홀릭 미디어) Artist Page


そのNC,A、読み方は「エヌシア:앤씨아」のようだ(また、CとAの間は「,」が正しいようだが・・・)。
1996年10月7日生れの現役高校生のようで、デビュー曲もそれらしく「교생쌤:教育実習の先生」(訳は微妙)で教育実習生に恋する話のようだ。
彼女には、そのような経験は無く、当初は自分には似合わない曲と、抵抗があったようだ(笑)。
本名はイム・ソウン(임소은)のようで、データーによると、恐怖映画が好きで、日本語が出来るようだ。
よくある話だが、歌手への道には、ご両親は強く反対したようではある。

彼女は8月12日にデビューしている。

       NC.A(앤씨아) 「교생쌤:教育実習の先生」  (Daum Music)
       NC.A(앤씨아) 「교생쌤:教育実習の先生」  (YouTube)

この曲「교생쌤:教育実習の先生」の作曲者はユリサンジャ(유리상자)のパク・スンファ(박승화)で、まず間違いなくプロデュースもパク・スンファではないかと思う。
(また、当然、先輩ソ・ヨンウンも何らかの影響(指導)はあった(ある)ものと想像する)
彼は、NC,Aの、当初この曲に共感出来ないという気持ちに、歌詞への感情移入の演習も行ったようである。

JJ Holic Mediaに入ったのは代表の目にとまりオーディションを受けたようで、1年あまりの練習生の時は、同じ世代の者がいない大人たちだけの世界での練習で、彼女の言う曲は先輩たちに分からなくて、先輩たちが教えるための曲は彼女が全然知らないという状態のようだった(笑)。

グループは考えたことがなく、本当に歌が巧い歌手になりたいということだ(好感)。
というか、踊りは苦手なようだ。

Ailee(에일리)が好きなようで、パワフルなパフォーマンス歌手に魅力を感じ、Aileeの公演をみてそのステージには魅了されたと言っている。

彼女は、幼い時から音楽には関心が強く、中学生の頃から歌詞を書いてメロディー作ることをしていてようで、これからはきちん学びたいと希望を膨らませている。

現時点での彼女の技量、所属事務所を考えても、NC,Aには将来を期待してもよさそうである。


       NC.A 「교생쌤:教育実習の先生」 8月21日 Show Champion  (YouTube)
       NC.A 「교생쌤:教育実習の先生」 8月23日 Music Bank  (YouTube)
       NC.A 「교생쌤:教育実習の先生」 8月28日 Show Champion  (YouTube)
       NC.A 「교생쌤:教育実習の先生」 8月29日 FanCam  (YouTube)
       NC.A 「교생쌤:教育実習の先生」 8月30日 Music Bank  (YouTube)


       NC.A 앤씨아  (facebook)
       NC,A  (twitter)
       NC,A  (YouTube)


      
      
      
      
      
      
      
      



Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SPICA、すっかりイ・ヒョリと師弟の体

2013年08月29日 | SPICA



私がしばらくネットのチェックを怠っていた間に、イ・ヒョリ(이효리)の「이효리의 X언니:イ・ヒョリのX姉さん」なる番組が始まっていたようだ。
この番組は、有線放送のOn Style(온스타일)で、8月8日(夜の11時放送)から始まっていたようで、On StyleはCJ E&M放送事業部門が20~35才の女性を対象に運営しているテレビチャネルのようだ。

       On Style(온스타일)


で、この「이효리의 X언니:イ・ヒョリのX姉さん」の切れ端をひと通り覗いてみると、イ・ヒョリが、まさに言葉通り、SPICA(스피카)をプロデュースしているようである。
(※以下のページのログインしない1篇は2~3分程度なので全16編を観ても知れている)

       이효리의 X언니:イ・ヒョリのX姉さん  (On Style)


< PS: 08.30 >
Daily motionのサイトでelike2005さんが11ファイルほどフルでアップしてくれているようだ。
fooさん、ありがとうございました。(下記コメント欄参照)

       elike2005  (Daily motion)


また、この映像の内容は、Kstyleが各ニュースサイトを翻訳して全編に渡って記事にしてくれている。

       イ・ヒョリのX姉さん  (Kstyle)


私は、Fin.K.L(핑클)時代から、いまもイ・ヒョリは好きだが(ただし、一番はソン・ユリ(성유리)である)、SPICAがあまり色濃くイ・ヒョリの色に染まるのには、なんとなくだが少し抵抗を感じているのだが・・・(?)。

昨日(28日)9ヶ月ぶりにカムバックしたSPICAの「Tonight」はイ・ヒョリがコンセプトはもちろん録音、ジャケット、 ミュージックビデオ、衣装スタイリングまですべてををプロデュースしたようだ。
(パク・チュヒョン(박주현)が涙を流して髪を切ったのもイ・ヒョリのプロデュースである)
作曲の方も、イ・ヒョリの5集「Monochrome」の16曲中、6曲に見られるNermin Harambasic、Anne Judith Wikの名前が見られる。(イ・ヒョリにも、バックがあるということだろう(?))
とりあえずは、明日(30日)のMusic Bankの初カムバックステージは楽しみにはしている。


       SPICA(스피카) 「Tonight」  (Daum Music)
       「Tonight」  (YouTube)
       「Tonight」 MV  (YouTube)


      
      
      
      
      
      



Comments (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とりあえずのご挨拶  ~ きょうは月命日 ~

2013年08月26日 | Wan



6月25日に本家「気まぐれ五線紙 K-pop」の更新記事をあげて以来2ヶ月が経ってしまいました。
なんの断りも無く、大変長い間ご無沙汰をしてしまいました。


もともとは、事務所絡みによるグループメンバーの入れ替わりの激しさに、少々、ガールグループへの興味が薄れてきていたところに、韓国語の教科書の新刊書を見つけ、しばらくその本に集中したいと考えたのが、このブログの更新を怠ったスタートでしたが、その後、自動車免許証の更新が近づき、視力アップのために画面をあまり見ないようにしていたこともありました(免許証はなんとか無事更新できました)。
しかし、8月からは少し方向性を変えて、女声ソロをメインにしたブログで再開しようかと思っていました。

ところが、7月26日の未明4時40分頃、14年間ともに暮らしてきた愛犬シェリー(パピヨンの女の子)が、予想していた以上に早く、というか突然に、あっけなく逝ってしまい、ブログどころでなくなってしました。
14歳と3ヶ月でした。
もっとも、14歳の誕生日を迎えられたこと自体が、もしかしたら奇跡的だったかも知れません。
亡くなる1年10ヶ月前、左後ろ足の膝に問題があり(悪化をさせたのは私の責任です)、整形外科専門の病院で診てもらったところ、その問題以上に、心臓、肝臓、腎臓の機能の低下が見られ、特に腎機能は正常の2~3割程度しか働いていなかったらしく、元気なのが不思議なくらいの尿毒症の状態だと分りました。
それからは、週に1度の点滴に通う日々で(最初は2週に1度だったのですが)、時折り吐いたり、フードを食べなくなり手作りに変えたり、薬を飲ますための食事に苦労させられたりはしましたが、24時間彼女中心の生活が私の生き甲斐でもありました。
(※点滴とは人間の人工透析にあたる皮下注射です)

この数ヶ月は一段と白髪も進み、耳も聞えなくなり、かなり歳を感じるようにはなっていましたが、ほとんど吐くことも無く、食欲も旺盛で、もしかして、16歳の誕生日も迎えられるのではとさえ思ったりしていました。
(※換算はいろいろですが、16歳で人間の80歳、3ヶ月で人間の1年になると思います)
日誌を見てみると、7月11日からは軟便の時が多く見られるようになり、7月25日の数日前からは下痢と言える状態とはなっていました(7月25日も軟便の後、少し下痢をしていました)。

その7月25日は、いつものように暑さが少し和らいだ夕方には散歩にも行き元気な様子でしたが、彼女の夜の食事の準備をしている時、いつもであれば近づいてきてウロウロしたり催促をするのでしたが、その日は寝そべったまま、食べることに無関心な様子で、ご飯を口元に持っていって嗅がせても食べる気配すらありません。
というか、その時の目は何処か別世界にでも行ってしまったかのようで、少し異様な感じすらしました。
ついには食欲が無くなってしまったかと思ったのですが、諦めず何度もご飯を嗅がせることを繰り返していると、突然1口食べ、さらに1口と食べ、その後はいつも以上の、異常なほどの食欲で、いつもは警戒して嫌がる薬やサプリメントをお菓子で包んだ小さな団子もペロリと食べてしまいました。
そして、寝る前には、いつものように、言われるとオシッコもちゃんとして、2階の部屋で私とともに寝ました。

日付が変わって26日の午前3時40分頃、突然(1階にある)トイレに行くというので、慌てて戸襖を開けてやると、オシッコの方は間に合わずに階段の降り口付近の廊下でしてしまいましたが(下痢の時はよくあることでした)、急いで彼女のお尻のオシッコを拭いてから抱いて階段を下り、トイレの前に降ろしてやると急いでトイレに入り、本当にほんの少しの下痢をし、その後かなり長い間点々と10回ぐらいお尻から滴を落とし、しかし特別そんなに痛そうでもなく、終わるとケロッとして元気よく土掘り動作をし、私がお尻を拭いてやった後は機嫌よくまた寝ると言って階段の上り口で私を待っていました。
私はオシッコシートを新しい物に替え(いまも、それはそのままです)、彼女を2階の寝室に戻すと、私の布団の方で寝ようとしたので「そこでウンチせんといてよ」などと言い残してオシッコの後始末をしにいきました。
彼女がこれ以上足を滑らせて痛めないないようにと、彼女が歩くフローリングの床の上には滑り止め敷いていたのでしたが、それを洗って敷き直していたのでした。
なので、私がなかなか戻ってこないものだから、彼女は寝室の部屋から廊下に出て来て「まだ?」と言いたげに、私が何をしているのかを見に来たので、私は「すぐに行くから先に寝てなさい」と言ったのですが、これが彼女との最後の会話となってしましました。(もちろん私の声自体は聞えてはいないのですが)
その時の、元気そうで、大変機嫌のよさそうな顔が、いまだに目に浮かんできます(一生忘れないでしょう)。

しして、それは、突然にやってきました。
トイレに行ってから、ちょうど1時間後の午前4時40分頃、突然に。
暑い時はもちろんですが、元気で、機嫌のいい時に土掘り動作をした後にも、時折りハアハアと言うのですが(これは、いま考えると心臓の関係かも知れません)、この時、いつも以上にハアハア言うので不思議に思って温度計を確認すると26度で、いつも通りなのにどうしたのだろうと思いながらも、とりあえずはエアコンの温度を下げましたが、ちょっと尋常でないハアハアが1分足らず続いた後、突然、伸びと言うか、仰け反るような姿勢を見せ、私は、ここでやっと普通ではないことを悟りました。
(もっと早く気付いて、彼女を触れるそばに、もっと早く行くべきだったと、いま、悔やまれてなりません)
この仰け反りは、おそらくは、ほんの10秒も無かったであろうと思います。
この時、既に彼女の心臓も肺も止まっていたのでしょう。
しかし私は、これを理解するのに数分はかかっただろうと思います。
本人も何が起きたのか、死んだことすら分っていないであろうと思います。
後日、先生にお聞きしたところ、もしかしたら、単純な心臓発作ではなくて、脳(小脳)に障害があって臓器への信号が止まったのかも知れないとのことでした。

それにしても不思議な逝き方です。
医学的には、彼女の体は耐えに耐えていたのかも知れません。火葬してくれた人の話でも、ずいぶん頑張った骨であったようです。
しかし、外見には、かなり歳は感じさせてきたものの、先生が不思議と思えるほど元気であり食欲もありました。
体重も、本来は尿毒症は減ってくるもののようですが、足への負担の軽減のために減らしたかったのですが、注意していないと、むしろ増えてしまうほどでした。
そんな彼女が、逝く時は、いまだに理解出来ないほど、あまりにもあっけなく、哀れな姿は一切見せないまま、手を煩わすことも無く、一人勝手に、親孝行に逝ってしまいました(死に姿もきれいで美しいままでした)。
上の子(シェルティー)の最後は血を吐くほど苦しむ姿を見せてから逝きましたので、覚悟をしていたのですが。
(彼は、バベシア症で、一度は死の淵から戻ってきてくれたのですが、再発をして二度は無かったのでした)
私は子供の頃から、数多くの猫や犬の臨終には立ち会ってきましたが、こんな、彼女のような最後は初めての経験で、不思議でなりません。
ここに書ききれない色々なことを考え合わせてみても、なにか意図を持った力によって、生かされ、そしてまた、逝かされたかのように思えてなりません。

その日の午後に彼女は火葬されました。
九州にいる長男が無理してでも顔を見に帰りたかったようでしたが(彼女を家に連れてきたのは長男でした)、その時の私の頭には彼のことが無かったということも事実ですが、夏ということもあり2日もそのままにして置くことは出来ず、それよりなにより、あまりに自然な、まったくのいつものように寝ているかのような、きれいな姿が変わっていくのを記憶に残したくないという想いがありました。


この日を境に、なぜか、次から次とやるべき事が出てきて、心身ともにヘトヘトになるほどでした。
しかし、そのおかげで、家の中にいて彼女の影を見ることを最小限にして時を過ごすことができました。
もしかすると、これも意図されたものだったのかも知れません。

その翌日になって、上の子レック(シェルティー)には位牌が有るのに、シェリーには無いことに気付き、位牌を購入すべく、どんな位牌にしようかとネットで探すうちに、位牌はやめて、2人の為の祭壇を作ろうと思い立ち、そのための骨箱やフォトフレーム、ガラス容器、そしてそれらを置く祭壇としての台などを、かなり時間をかけて探して入手する日々を過ごすこととなり、この作業でもずいぶん気を紛らわすことができました。
(位牌の替りのフォトフレームは宮内庁御用達という、黒檀、白檀の漆塗りという私が初めて手にする物です)
また、病院へのお礼の挨拶、そしてその挨拶に行く際の気持ちを買いに走ったりもしました。


これと平行し、二男が予て独立のためのアパートを探していたのですが(親元を巣立って行く最後の子です)、その物件が見つかったということで、それを見に行き、一人住まいの一通りの家電製品、家具などを買い揃え、搬入などもすべて段取り終えて、疲れ果てて帰って来た日に、既に仲介業者への入金なども終えているのに、突然アパートのオーナーが貸すのをやめるという話が舞い込んで(翌日、単に賃上げだったと分りましたが)、となると親として介入せざるを得なくなり、その翌日の夜に新たな物件探しに息子に付いて見に行きましたが、そのアパート以上の物件が無く、結局は、そのアパートがいいということになり、家賃が上がった分は親がみるということで、最初のそのアパートに落ち着きましたが、その間電気店などへの支払い、搬入日などに気をもむ時間を過ごさなければなりませんでした。
そのあとも仲介業者の担当者が引越し日を勘違いしていて、契約から鍵引渡しまでの段取りが出来ておらず、このままでは息子が予定していた入居日に間に合いそうにもなく、それを打ち合わせしようにも、それが分った翌日に担当者が休んでいて夕方まで連絡が取れなかったりで、またまた気をもむことに。
さらには、今度はこちら側が頼りない話で、郵送する書類の中の引落し用口座の印鑑が2つの内どちらだったかがはっきりせず、しかし時間が無いのでとりあえずは確率の高い方で郵便局に出した後に、本人に代わって銀行で確認しようと試みましたが(本人は仕事なので)、やはりダメで(親なのでゴリ押しすれば、と思ったが)、銀行の人がその書類を持ってくれば確認は出来るということで、一度出した郵便局から、その書類を引き上げ再度銀行へ持って行って確認してもらい(結果、その印鑑で合っていたのだが)、そんなことで時間が無くなり、親が(私が)仲介業者の事務所まで届けるという顛末(お粗末)となりました。
その帰り道、疲れ果てていたのか(あるいは、毎夜飲んでいた薬が影響したのか)、昼食のファミレス駐車場で柱に後部ドアを当ててしまい、修理代の見積りはなんと18万円という高額で、ならば、修理はしないということで現在もそのへこんだまま乗っています。
引っ越しそのものは、親元から車で1時間足らずの所なので、自家用車で数回荷物を運んで無事終えた。

その後、今月の16日に、上にも書いた祭壇を設けて、子供たちを集めて、家族全員で7月26日に逝った下の子シェリー(パピヨン)の家族葬、そして上の子レック(シェルティーの男の子)を偲び、また、家族が若かった頃を振り返る思い出の写真、動画を観る会を行いました(ついに、老夫婦2人だけが残されたので)。
そして、それを行うためのファイル作りや、テレビ画面とカメラの接続方法を電話で調べたり、ケーブルを買いに走ったりと、準備にあれこれと忙しい毎日でした。
おかげで、それらをやっている時、あるいは、息子のために外出している時は、彼女のことを忘れていることが出来、また、それらやるべきことが不思議なほど、次から次と出てきて時間稼ぎをすることは出来ました。
ただ、しっかり泣く過程を経ず今日に至っているため、後々、それが影響するかも知れません。

どこの親ばかも言うことは同じなのかも知れませんが、彼女はIQがかなり高かったようで、理解力が優れているだけでなく、なにか抽象的なイメージ(想像)をすることも出来るようでした。
だからかどうか生理的に触られることを非常に嫌い(生理的に神経質)、人が30㎝以内ぐらいに近づくと距離を置こうとしました。つまりベタベタするのが嫌いで、また性格も自分の考えをしっかり、頑固に持っているようで、それだけに薬を飲ますのには大変苦労させられました。(上の子はその点は大変楽でした)
しかし、だからといって気難しい性格というのではなく、一見は大変大人しく、本気で怒ったことは後にも先にも一度しか無く、しかもそれは、上の子が公園で他の犬にしつこく追いかけられた時に、自分よりずいぶん大きい犬に対して威厳をもって威嚇した時だけでした。
また笑えるのですが、(当然でしょうが)何か不安な時だけは人にくっついては来ていました。
にしても、犬で、しかも女の子ではありましたが、彼女の器量は、その死に様といい、人間の私が尊敬すべき(見習うべき)ものを持った子でした。


      


      
      

      
      


レックとシェリー、2人とも私の人生に、本当にありがとう。感謝します。
(そして、私が子供の時のコロ(雑種の男の子)に懺悔します)

      




で、そんなこんなで、このブログの世界からは、2ヶ月の永きに渡って抜け出すこととなってしまい、2005年から続いていたブログをしない生活に少し馴染んでしまいました。
家族皆で見送った今月16日からは今日で10日が経ち、この数日前からは少しYouTubeなどネットのチェックは再開していますが、いまだ記事を書くまでの気力は湧いて来ず、以前の生活には戻れない状況です。
つまり、その戻るべき以前の生活に居た小さい者が、いまは居ないという喪失感がかなり大きいのです。
なので、おそらくは、まだしばらくはこのブログも更新は出来ないであろうと思います。
(しかし、韓国エンターテイメント、韓国CDのコレクション、そして韓国語は今後も続けていきます)
ただ、更新を再開しても、視力の問題もあるので、おそらくは以前のようには出来ないであろうとは思います。
いずれにしても、このブログは、少なくとも、もうしばらくは開店休業とします。

fooさん、yozohペンさん、コメントをいただいて返信も差し上げず大変失礼しております。
この記事のコメント欄にて返信をさせていただきますので悪しからず。
(「B級ミチゲッソ日記」には、またお邪魔させてもらいます)



Comments (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする