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シークレット・サンシャイン - 神は既に許していた

2009年10月16日 | Movie




「シークレット・サンシャイン:Secret Sunshine」を観た。原題は「밀양:密陽」、2007年5月封切りの映画だ。
チョン・ドヨン(전도연)主演というだけで、この映画を観たのだが、観終えて、私にはこの映画に「神への抗議」があるように思えた。

チョン・ドヨンに対するキャスティングはソン・ガンホ(송강호)、これだけでもこの映画の重たさは想像がつく。監督はイ・チャンドン(이창동)監督。
また、この映画は数々の賞をもらっているようだ。輝国山人さんの記載によると、2007年第60回カンヌ映画祭女優主演賞、2007年第6回大韓民国映画大賞最優秀作品賞・監督賞・男優主演賞・女優主演賞、2007年第28回青龍映画賞女優主演賞、2007年第27回韓国映画評論家協会賞女優演技賞等々他多数である。
この映画、日本では2008年公開のようだが、今年も上映していたようで、話題的には、まだ新しい映画のようである。私が観たのが9月で、DVD化は2009年1月1日だったようだ。

タイトル名「밀양:密陽」は、実存の「밀양시:密陽市」なんだろうか。映画の舞台設定としてはそんな感じの町が設定されていたが。あるいは、「密陽」に意味が有るのか。つまり、「密陽」とはキム・ジョンチャンなのかも知れない。
(密陽市:밀양시は釜山市:부산시と大邱市:대구시のちょうど真中に位置する)







まず、この映画、物語として(筋立てとして)、いまひとつすっきりしないのが(納得できにくいのが)、主人公イ・シネの行動だ。亡くなった夫の生まれ育った町でやり直そうと(おそらく新たな気持ちで、もしかしたら謙虚な気持ちで)やってきたはずだが、町の人たちに自分たちが不幸であると思われたくなかったからだと思うが、金持ちであると思わす必要があっただろうか。子供の「誘拐」、そして殺人にだけ必要だっただけのように思えるのだ。
それ以外の筋立て、設定には納得できるが、いちばん肝心な子供を殺される必然さに説得力が弱いと感じる。

本題、私としてのこの映画のテーマは、「私が許す前に、神は既に許していた」という点だと思う。つまり、イ・シネの神への怒りだ(ここでいう神はキリスト教だが)。この映画は、宗教の根底への問いかけともとれるものが有る。
この「私が許す前に、神は既に許していた」という部分は、宗教批判には当たらないとは思う。が、イ・チャンドン監督が描く、宗教を信じる人たち、そして「私が許す前に、神は既に許していた」ことを知った後のイ・シネが彼らに示す行動にはそういう部分が感じられる。
そして、それに付随して、罪を犯した者も神に救われると点だ。人を殺しても「悔い改め」れば許される。神様は許してくれる。本当にそうでいいのだろうか。
私が思う「神」は「人間」それぞれの内に在るもので、対するものではないと思うのだが(これって、無神論?)。
つまりは、キム・ジョンチャン(ソン・ガンホ)が神であり、神が複数ある所以ではないかと思うのだが ・・・ 。

   シークレット・サンシャイン



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