このブログのタイトルについて、すでにご承知の方も多いと思うのだが、今まで一度も触れたことがなかったので、一応説明を。
『論語』の述而篇に、
昔から好きな言葉で、このような生き方がしたいものだとずっと思っている。聖人・孔子の生き方に自らを重ねるのも恐れ多いが、日々の行いの基準とし、いつか少しでも近づくことができればと思って、タイトルにいただいたのである。
ただ昨年、実家に帰ったときに、母親から、この字は何と読むのだと「厭」「倦」の字を指され、何だか申し訳ない気持ちになった。学問や教養をひけらかすつもりはないけれど、かなりとっつきにくいタイトルだし、これだけでブログの閲覧を敬遠する人も、きっといるだろう。自分でも、「しょってるかな?」と思いつつ、しかし他に思いつく言葉もなかったので、「後から変えてもいいし。」と開き直ってブログを開始した。
母親の言葉のあとで、だいたい同じ意味なのだから、ひらがなだけで、「うまずたゆまず」にしようか、と思ったこともあった。実際、ブログを書き続けるにつれて、勉強と教育だけでなく、かなりエンタメ色が強くなっているので、もう少しポップなタイトルにした方がいいのかもしれないとも思う。
しかし、自分でまだこれという言葉が見つからないので、それまでは今のまま続けようと思う。
読者の方、いつも読んでいただいてありがとうございます。この場を借りて日頃のお礼を。
『論語』の述而篇に、
子曰く、黙して之を識(しる)し、学びて厭(いと)はず、人を誨(をし)へて倦(う)まず。何か我に有らんや。
〔通釈〕
孔子言う、学び得たことを心に記しきざんで忘れないようにし、また、ひろく学び求めてあきることがない。かくて自分に得たことを人に教えて倦むことを知らない。せめてこの三つだけは自分の為しうることで、これ以外には自分には何のとりえもないのだ。(新釈漢文大系による)
という言葉がある。〔通釈〕
孔子言う、学び得たことを心に記しきざんで忘れないようにし、また、ひろく学び求めてあきることがない。かくて自分に得たことを人に教えて倦むことを知らない。せめてこの三つだけは自分の為しうることで、これ以外には自分には何のとりえもないのだ。(新釈漢文大系による)
昔から好きな言葉で、このような生き方がしたいものだとずっと思っている。聖人・孔子の生き方に自らを重ねるのも恐れ多いが、日々の行いの基準とし、いつか少しでも近づくことができればと思って、タイトルにいただいたのである。
ただ昨年、実家に帰ったときに、母親から、この字は何と読むのだと「厭」「倦」の字を指され、何だか申し訳ない気持ちになった。学問や教養をひけらかすつもりはないけれど、かなりとっつきにくいタイトルだし、これだけでブログの閲覧を敬遠する人も、きっといるだろう。自分でも、「しょってるかな?」と思いつつ、しかし他に思いつく言葉もなかったので、「後から変えてもいいし。」と開き直ってブログを開始した。
母親の言葉のあとで、だいたい同じ意味なのだから、ひらがなだけで、「うまずたゆまず」にしようか、と思ったこともあった。実際、ブログを書き続けるにつれて、勉強と教育だけでなく、かなりエンタメ色が強くなっているので、もう少しポップなタイトルにした方がいいのかもしれないとも思う。
しかし、自分でまだこれという言葉が見つからないので、それまでは今のまま続けようと思う。
読者の方、いつも読んでいただいてありがとうございます。この場を借りて日頃のお礼を。
実を申しますと(笑)
以前からずっーと気になって居りました。
ちかさださんのブログのタイトルが・・・(笑)
お聞きして今「そうだったのか~」と深く頷いております
確かに、ちかさださんが仰るように正直誰もが直ぐに意味を読み取れるかと言えば難しいですね。(笑)
あまり普段見慣れている字体ではありませんので、私も凄く気になって・は・いました。
厭わず(いとわず)・・・と・・・その後の(倦まず)これ!コレ!これですね、(うまず)これが正直分からなかった・・・(笑)
実を言うと暫し考え込みましたね~
プロフィールを拝見いたしまして、ちかさださんが国語教師をされていらっしゃるとのこと、これは古典文学、言語能力に長けておいでの方だと思いましたのでなるほど~と(笑)
「おそらくは古くからの書体?で何か深い意味があるのだろう」と思っておりました。(笑)
いい言葉ですね~
ああ~そうですね・・・
やっぱりちかさださんらしいな~と(笑)
この度すっきり致しました、ありがとうございました(笑)