Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

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コンデジ

2011年08月31日 | Weblog

                 

仕事でRicohのCaplio R4を買ってから彼是5年になるハズだ。川越の倉庫で品質管理の手伝いを始めたとき、会社の一眼レフでは重いしデカイし一々三脚持ち出しているようでは仕事にならないので、いの一番でコンデジを買うことにしたからである。

同僚のTKさんに相談したらRicohを薦めてくれた。近くの量販店Y電気で、確か4万円前後だったと記憶しているが即刻購入し、以来仕事に旅行にブログねた用に、と愛用している。それまでは、以前(大昔)7万円で買ったキャノン・イオス・キッス(自動焦点・フィルム式)を使っていたが、このデジカメを使いはじめたらお蔵入りになった。

R4はかなり接写も利くので仕事で必要な写真は殆んどこれ一台で間に合う。ズームは7倍しかないから遠くの小鳥さんは撮れないけれど、仕事でも遊びでも一般的な写真だったら先ず過不足ない。唯一Edが不満なのは夜間撮影だけで屋内外を問わず上手く撮れない。買い替えのときは参考にしよう。

購入して間もなくのころ、レンズが出たまま元の位置に引っ込まなくなった。ザックに入れて持ち歩いていたため、何かの拍子にスイッチが入り、カメラが押さえつけられた状態でレンズだけ伸びようとしたのかも知れない。その時は保障期間内だったので無償で直してもらった。

最近、スイッチの接点が磨耗でもしたのか、押しても時々作動しない。それとバッテリーの固定爪が壊れたらしく、所定位置に押し込んでもカバーを閉じないと跳び出てきてしまう。修理に出さなきゃ・・・だな^^!

                                          

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2011年08月30日 | Weblog

                

35℃などというとんでもない暑さが続いたせいか、このところの30℃前後の暑さはさほど厳しく感じなくなった。地球上の生き物はすべて環境に適応して生きてきたわけだら、人間もその言でいえば将来もっと高温にも耐えられるように進化していくのだろうか^^!

それは兎も角、朝晩は涼しくなって寝るときエアコンをつけることが無くなったのはありがたい。いつも通り朝4時ころから始める早朝ウォーキングも、そろそろ短パンTシャツでは少々涼し過ぎるかな・・と感じるようになった。早いところでは稲の刈り入れを済ませた田も2、3ヶ所Edの近所であり、秋は知らぬ間に近づいているようである。

                                                        

昨日は東京オフィスのAIさんが川越の倉庫に見え、出荷製品(サンプル・ユニット)の点検と再梱包をするというのでお手伝いをした。大きな木箱でたった7セットのサンプル製品(15x15x40 立方cm、重さ3Kgほど)がポーランド工場から空便で届いた。開梱してみたら品物本体は箱の底部、真ん中辺りにチョコンと鎮座しており、箱の6割方を占める周囲の空間にはダンボールの空箱と軽量緩衝材が詰め込まれていた。何とも無駄な梱包の仕方である。

AIさんは一旦これらを取り出して目視点検し、製品は2個づつ厚地のダンボール箱に詰めなおした。輸出梱包ではないとはいうものの、容積は木箱の1/3くらいに縮まった^^! 海外工場から送ってくる場合、結構大雑把な梱包が多く、中で製品が踊って傷ついたり破損したりするケースもあるけれど、今回のように滅多矢鱈に贅沢(無駄)な梱包で来たりする。日本人のように「適切」という言葉の意味が適切に理解されていないか、「適切」の巾が広すぎるのだろう。

涼しくなったとはいえ、エアコンのない倉庫内の力仕事で一汗かいた。

                         

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お金

2011年08月28日 | Weblog

                        

我等と同年輩でカミサンと共通の友人でもあるKさんご夫妻宅は裕福な家庭で、現役時代のご主人の収入はEdの倍ほどもあったらしいし、親からと親戚からも遺産相続を受けて、我等ビンボー夫婦からすれば羨ましいほどのお金持ちなのだった。

最近そのKさん宅でマークXを購入したらしい。彼等にしてみれば車の一台や二台どうということもなく買えるのだろうに、カミサンには「もう年金生活だし、シッカリ倹約しないとやっていけないの・・・」とか話すらしい。
「彼女のところはお金持ちなのに、口を開けば直ぐお金がないだの、倹約しなければだの云うけど、おかしいわねえ・・・」と、他人の云うことをまともに信じてしまうカミサンでも不審に思うらしい。
Edは他人のサイフの中身にまで興味はないから「ただそう言ってるだけでしょう!」と適当に生返事しておいたが、お金には魔力があるような気がする。

Edのようなビンボー人はお金を持ったことがないから、お金持ちの気持は分らないが、人はどうやら沢山持てば持つほど使うのが惜しくなるらしく、お金持ちほどシミッタレになる傾向がありそうだ。反対にビンボー人ほどお金の使い方が大雑把、というかいい加減で仲間と飲んで割り勘にするときなど、時として見えてくる。(笑)

お金の嫌いな人はあまり居ないだろうが、有れば直ぐ使いたくなるのがビンボー人で、有っても使いたくないのがお金持ちなのだ、ということをEdが分るようになったのはつい最近のことだ^^!

ビンボーが骨の髄まで浸み込んでいるEdは、3億円の宝くじが当たったら”思いっきり使ってやろう”と目論んでいるのだけれど、やはりビンボー人には運がないと見えて掠りもしない。Edがいつも利用している近くの宝くじ売り場で先日サマー・ジャンボの一等(3億円)が出てしまった。これで今回はEdに3億円が当たるチャンスは無くなったな・・・残念^^!

ま、「シミッタレにはならないで済む」と思って諦めましょ(笑)

                

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2011年08月27日 | Weblog

                 

前線が梅雨時のよういに日本列島の上に居座っているものだから猛暑のあとは悪天候ばっかり続いている。前線の南側に入った地方では連日あちこちで集中豪雨に襲われている。

昨日(26日・金曜)は午後から東京や千葉県でも所々激しいゲリラ豪雨に見舞われ、道路の冠水や住宅の浸水被害もでたようである。

Edは食料の買い出しをする日だったので普段より3時間ほど早く、午前11時頃家を出た。正午に薬円台の生協に着き、13時半ころ買い物を終えて買ったものを車に積み込んでいる時ポツリポツリ大粒の雨が降り出した。滑り込みセーフ!ホッとして走り出した途端、土砂降りになった。歩いている人や自転車の人はずぶ濡れだ。雨期のタイやインドネシアのスコールみたいだ。
しかし雨域は案外狭くて、20分ほど走ってR16を越えた辺りから小雨に変わり、自宅に着くころはすっかり止んでいた。ラッキー!

晩になってニュースを観ていたら、都心部で川が溢れそうになっ
たり電車が一時止まったりしたようだったけれど、この辺りは殆んど降っていない。寝るときは涼しくなっていたのでエアコンはつけず、南と「北の窓を半分づつ開けてベットに入った。

夢の中で「少し涼し過ぎるなあ・・・」と思いながら毛布に潜り込もうとしているとき目が覚めた。ベランダを激しく叩く雨音に、最初は唯「・・・何??」と思っただけだったが、雨と分って飛び起きた。幸い部屋の中までは吹き込んでおらず急いでガラス戸を締めた。窓を閉めても外はザーザーと激しい雨音だったけれど、時計も見ずにまた毛布を被って眠ってしまった。

朝4時、目覚ましで起きたらもう雨は止んでいて空気もヒンヤリしている。このまま秋になってくれたらいいのに・・・と思いながら仕事に出かける支度を始めた。

                 

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戦争

2011年08月25日 | Weblog

            

96歳のジャーナリスト「むのたけじ」さんの”戦争のない社会の実現”(NHK・BSP)を観た。対談相手がアナウンサーの有働さんでは少々物足りなかったけれど、むのさんの実体験を通して語る話には一つひとつ重みがある。

朝日の従軍記者として戦地へ赴き、死を覚悟して取材活動をしながら、戦争の理不尽で真実が報道できなかった無念さとジャーナリストとしての反省から、終戦後記者を辞めて故郷へ帰った。そこで再び、戦後初めてのゼネストをめぐって占領軍の理不尽と横暴を見て、同じ過ちを犯せないと奮起、地元新聞「たいまつ」を発刊、30年間に亘って地方から権力への監視と批判を続けてきた。彼は日本の大マスコミが戦時中、揃って軍指導部の報道機関としての役割しかしてこなかったという思いから、新聞は本来地方から草の根のように広がって行くべきもの信じて、苦しい生活の中で家族の協力を得ながら「たいまつ」を発行し続けた。

「戦争というものは一旦始まってしまえばもう押し留めようはなく、人間の理性などは時勢の流れにむなしく押し流されてしまう。だから戦争を本当になくそうと望むなら、戦争がはじまらないようにしなければならない」というむのさんの意見には、強い説得力を感じた。

もう一つ関心させられたことは、相手が子供とか大人とか男女とかで区別せず、一個の人間として接するように努めているということだった。有働さんが「今の若いひとたちは自分たちと違う・・・」というようなことを云ったとき、むのさんは「それは違う!」と言下に否定した。「それはあなた自身が大人の目線で話しているからではないかと思う」といった。今の若い人たちや子供たちと直かに話していると年齢の差を気にせず友達のように話してくれる、とむのさんはいう。それは、つまりむのさんが小さな子供でも”まだ子供だから”などと考えず、一個の人間として尊敬しながら接しているからだという。

本当に立派な若々しい人だと感じた。

            

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透視術

2011年08月24日 | Weblog

                        

品質管理に携わっていると、毎日検査業務を行っている人の透視能力には時々ビックリさせられる。他とのほんの僅かな違いから内部に組み込まれている部品の加工不良を見付け出したりする!

先日、スピードメーター・ギアという部品の組み込み位置が通常のものより僅かに(2mmほど)低いことに気付いた検査員のKさんが呼びに来た。現品を見てみると確かに他のものより沈み込みがやや多い。ギアとギアを押さえているスリーブという部品を外して他の同じ部品と比べてみたが異常は見当たらない。並べて置いてある隣りの正常なユニットとギアとスリーブを入れ替えてみた。結果は同じで異常なユニットの方は相変わらずギアの沈み込みが大きい。

念のため回転を調べたが、スムーズに回るし回転比も合っているところみると中のドライブ・ギアも誤品ということは考えられない。製造した工場に状況を説明して、どういう原因が考えられるか訊ねてみた。するとスピードメーター・ギアを収納しているリア・ベアリング・カバーという部品の加工不良かもしれないとの返事があり、指定部位の寸法を測ったらやはりオーバー・サイズになっていた。

結局リア・ベアリング・カバーを交換することになったわけだけれど、Kさんが僅か2mm程度の違いに気付いてくれたお陰で、表には出てこない内部部品の加工不良が検出できたわけである。改めて人間の能力の素晴らしさに驚いてしまった。

                         

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リサイクル・ゴミ

2011年08月23日 | Weblog

以前は大型ゴミでも何でもかんでも、決まった曜日に町内のゴミ集積場へ置いておきさえすれば町で持っていってくれたものだが、今はそうはいかない。ゴミ処理にはお金がかかる、という理の当然がようやく一般家庭でも認知されてきて、今では各自ゴミの減量と分別収集に協力している。

各自治体で多少の違いはあるようだけれど、Edの住む町では可燃物(黄)、有価物(緑)、不燃物と有害物(赤)、大型不燃物(シール)などと四つに大きく区分されていて、それに応じて収集袋を使い分ける決まりになっている。大型不燃ゴミはサイズに応じた枚数のシールを張り、町に電話してして引き取りに来てもらう。

有価物は町がリサイクル品として集めるので、Edは袋をガラス瓶、缶、ペットボトル、その他用の四つに分けている。プラスチックについては、町のガイド・ブックで事細かく表示の説明をしてあるけれど、とても全てをそれに従って分別するなんて出来ない。生協で食材に使う容器は集めてくれるので、それ以外のプラスチックは全部「その他」として一つの緑袋に詰め込んでいる。ペットボトルと生協が集めている食材用のプラは材質が揃っているからリサイクルし易いだろうが、「その他」として町が回収した雑多なプラスチックは本当にリサイクルされているのだろうか? 甚だ疑問である。

それより、造られている似たようなプラの種類が多すぎると思う。もっと種類を絞って使う方もそれに合わせるよう国が指導できないものだろうか。

紙類のうち、ダンボールや厚紙、本などは地元の小学校のPTAが有価物として回収してくれる。新聞だけは月一で販売店が回収してくれるので指定日に玄関先に置いておけばよく、手がかからない。

困るのは電気・電子機器で、町では回収しないことになっている。だから買い替えの場合は必ず販売店に引き取ってもらわないと、後で有料で廃棄してもらう羽目になる。Edは廃品回収業者の巡回も時々利用する。殆んどの製品は無料で持っていってくれる。

カミサンはごく大雑把に、可燃物と不燃物の二つしか分けない。だから生ゴミ以外は全てEdに押し付けてくる。Edが死んだらどーすんだろ・・・^^!


ドイツでは日本よりもっと厳密に分類させられるそうだが(例えば、ファスナーなどは金属部分と布を切り分けるなど・・・)そこまでいかない日本でもかなりメンドイ。快適生活と引き換え・・とは言えタイヘンな世の中になったものだ。

                   
         ★水道メーターの隙間に今年も咲いたド根性ユリ(タカサゴユリ)

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ストリーキング

2011年08月22日 | Weblog

                     

ブログを始めて5年近くになる。中身の無い空疎な文章をダラダラと恥ずかしげも無く、我ながらよく続けて来たものだと思う^^!

先日のミニ・クラス会で、ブログを読んでいれば(Edの)生い立ちから経歴、ものの考え方、近況、親兄弟のことまで大体判ってしまう、と笑われた。別に隠しておくようなことも余り無いけれど、身内のことでも差し支えない程度はバラしてしまうから、云われてみればそうかも知れない。ストリップとまではいかないが、ストリーキングくらいはしていることになるのかも。(笑)

おかげで、これまで嫌がらせの様なことは一度も受けたことはない。けれども少し前、ごく親しい友人から思わぬ指摘(お叱りかも・・・)を受けた。

”チョッと上から目線じゃないか・・・”というのである。書いている本人にはそういう意識がなくて書いているので、これには参った。カミサンに話したら「そうよ!あなたはいつだって高飛車じゃない!そういわれても仕方ないわよ!」と言下に賛成されてしまった^^! なるほど、そういうことなのか・・・

そうか・・・そうなのかもしれない! 
でも、どういう部分だろうか・・・

などとあれこれ考えてはみたものの具体的には特に思いつかなかった。(スミマセン!)
なので反省を込めて、先ずは政治的な話題や批判的な内容はできるだけ避けることにした。折角アクセスして下さった方に不快感を与えるようであれば、自分としては甚だ不本意ですから。

でももしかして、全ての投稿に本人の気付かないそういう傾向があるなら、どうしよう・・・
何だかコワくなってきたなあ。

                          

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親鸞

2011年08月21日 | Weblog

                    

遅まきながら五木寛之の「親鸞」を読み始めた。先日図書館へ行った折見つけた一冊だが、「上」しか見当たらず取りあえず「上」を借りた。面白かったら「下」はあとで探せば良いやと思っていたのだが、読み始めたら引き込まれた。

親鸞は鎌倉時代前半に生きた僧で浄土真宗の宗祖、中世日本の思想家ともいうべき人物らしい。自伝的著書が無く未だ研究中で諸説あるためその生涯については不明確なところが多いという。龍谷大学で仏教学を学び広く海外まで脚を伸ばして文献を調べた作家は、存分にその想像力を働かせて親鸞の実像に迫ろうとしたのではないだろうか。

吉本隆明氏と糸井重里の対談(ほぼ日刊イトイ新聞)によると、親鸞は僧の戒律などは端から守らず破戒僧のごとく振る舞い、普通のひとのすることは何でもやった。彼は800年も昔に「どうせ坊主は普通の人と同じようになるだろう」と洞察していた。そのことは今の坊主を見れば自ずと知れる、つまり魚を食い、妻帯し、子を生み、酒を飲む。その意味において何世紀にも亘って通用する考えを持った人間はマルクスと親鸞くらいだろうと、吉本氏はいう。親鸞の師である法然は「念仏を唱えよ、死ねば誰でも浄土に行ける」と説いたが、親鸞はそうではないと思った。親鸞は寺も仏像も戒律もお経も、何も要らない、皆が集まって世間話が出来るところさえあればよいと考えた。死んだら浄土へ行けるなんて嘘で、宗教(浄土教)のほうから普通のひとの生活に近づくべきだ、という思想だった。浄土真宗の教義の根本を成す考えだったとか。

上・下読み終えたらまた感想を書いてみたい。


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多摩湖線

2011年08月20日 | Weblog

                
                

18日(木)猛暑の中小平へ行った。普段は墓参りのため車でしか行かないところだけれど、高校時代のいつものミニクラス会があって一杯飲るから車というわけには行かない。

朝10時15分前カンカン照りのなか自宅を出て駅まで歩いた。朝7時ころ既に室内で30℃は越えていたから33、4℃はあっただろうか、駅に着いたころは頭が朦朧として電車が来るまでの間5分ほど日陰で休んでいた。

西武線小平へは、通勤で使っている武蔵野線新小平駅からタクシーに乗るのが一番早くて便利なのだが集合時間の12時半にはやや早すぎたので国分寺から西武・多摩湖線で行くことにした。
多摩湖線に乗るのは何十年ぶりだろうか。小学校は多摩湖線のすぐ脇にあったし、当時Edの自宅も線路の東200メートルほどのところにあったから電車に乗る機会はめった無かったけれど何となく馴染み深い。

その頃は戦後間もなくだったからマッチ箱のような電車が一両だけで走っていて満員の乗客はドアやステップにまで鈴なりで、時には屋根の上まで乗っていて振り落とされる人もあった。小学校脇の踏み切りには番をしているお爺さんの小屋があって、電車が通るたび手動で遮断機を上げ下げする。その踏み切りの際には駅が造ってあったけれど時々子供たちが遊びで訪れるだけで、そこに電車が停まることは無かった。Edたちが育った戦後の東京西部にはのんびりした時間がゆっくりと流れていた。

久しぶりに降りた国分寺で多摩湖線ホームに立った。線路は昔のままらしいが電車は4両編成でホームには立派なエアコン付き待合室もあった。萩山までたった三駅だけれど車窓から昔の面影を探してづーっと目を凝らしていた。家が建て込んでしまい町並みはすっかり変わっているけれど、道路、小学校、日立などは昔のままの場所だから懐かしく、昔を思い出した。

小平は萩山で西武新宿線に乗り換えて一駅、この日の会場はクラスメートのTNさんのお店の一つ「永田珈琲倶楽部・こもれび」。彼女の好意で我々だけの貸切り。落ち着いた雰囲気のゆったりした空間で贅沢な時間を過ごした。料理も酒も美味しくて話は弾み、この年代特有の話題「身体の不具合、病気、健康診断、薬、お墓」で時間を忘れた(笑)。この分では皆まだまだ生きそうだな・・・^^!

               

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急病

2011年08月17日 | Weblog

                  

14日から発熱と酷い咳でカミサンが寝込んでしまった。すぐ近くにある行きつけののクリニックへ電話したら10日から17日までお盆休みで休診だという。仕方なく他所の病院へ行くように勧めたが、本人は市販の薬を飲んで寝てれば治るといって行きたがらない。

昨晩夕食後、カミサンは二階の寝室へ上がったのでEdは下でTVニュースを観ていた。やおらして電話が鳴ったので取ると二階にいるカミサンからで、「具合が悪い・・・胸が苦しいから何処か病院を探して欲しい」という。

スワ、大変・・・と時計を見たら7時半である。電話帳で探して二ヶ所当たってみたが、いづれもテープが回っているか留守電に切り替わる。3軒目でようやく相手が出たけれど当日の診察はすでに終了しえいるので、と断られた。カミサンは絶対ヤだというけれど救急車を呼ぼうかと考えていたら、電話口の看護婦さんが親切な人で、成田市に急病の患者を診てくれる診療所があると教えてくれた。

電話をしたら11時まで受け付けてくれるというので、ホッとして直ぐ車で連れていった。夜だし初めての場所だったけれど迷わず「成田市急病診療所」へ到着。8時過ぎだった。
待合室には先客が3、4人いたけれど30分ほど待って診察してくれた。診断の結果は「アレルギー性の咳」ということで、薬を一日分出すので明日掛かりつけもしくは他の病院で診てもらってほしい、と帰された。

一安心して帰宅したけれど、急病なんてめったにあることじゃないのでこういう時はうろたえる。もうそろそろ普段から考えておかなければならない年齢だな・・・

                  

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零戦

2011年08月16日 | Weblog

日本では終戦記念日を8月15日としているが、アメリカその他海外では9月2日、つまり米軍艦ミズーリでのポツダム宣言受諾調印の日であるらしい。今週はBS・NHKも終戦に因んだ番組が多い。

Edは終戦の年、まだ4歳のガキだったから終戦の日の明確な記憶もないし特別な思い入れもないのだけれど、戦後の物資不足と食料難の真っ只中で育ってきたから間接的には敗戦というものの惨めさ、大変さは肌で感じてきた。もっと云えば、子供ながら身近に戦争で亡くなった人の話も数多く聞かされてきたし、町で傷痍軍人の姿も見てきているから、平和を求める気持ちは人後に落ちないと思っている。

          *  *  *  *  *  *  *  *  *

大学では飛行機を学んだ。卒業後も当初9年間ほどは航空エンジンの整備に携わった。そんな関係で今でも飛行機への関心は高く、その種の話には直ぐ目が行く^^!

            
            

今朝のBSプレミアム名作選で2009年に放映された「零戦~栄光と悲劇の航跡」を観た。零戦はアメリカとの開戦当初は、最高速度、航続距離、運動性能、上昇能力のどれをとっても米軍の主力戦闘機F4Fワイルドキャットを遥かに凌ぐ戦闘能力を備えた優れた戦闘機であった。米軍はこれに対処する方法として、必ず2機編隊で飛行し、零戦に背後を突かれたら他の一機は反転上昇し、上空から急降下して零戦を攻撃したら直ぐ戦闘離脱するという苦肉の策を編み出した。

1942年、日本は出力、最高速度を向上した52型と呼ばれた新型零戦を投入し終戦までに5000機ほど造った。しかし零戦の唯一の弱点である防護能力は新型でも改善されることはなかった。パイロットの命より戦闘機の運動性能を重視したのである。
その後戦況は徐々に悪くなって行き、零戦を凌ぐ性能を有する米軍の新型戦闘機F6Fヘルキャットが投入されると日本は制空権を悉く失い防戦一方となった。最後は零戦に250キロ爆弾を搭載して片道の燃料だけの「神風特攻隊」を組織し、経験未熟な若いパイロットたちを大勢死の戦闘に送り込んだが殆ど戦果は無かった。

            

アメリカの元パイロットは言う。「日本は戦略を誤ったと思う。人命を大切にしなかったこと、そしてもっと優れた戦闘機を開発しなかったこと」と。

しかし一番の過ちは、日本が無謀な戦争を仕掛け、経済はトコトン疲弊し、新しい戦闘機を開発するどころか国民は食べるものすらロクに無くなり、兵士・一般人を問わず沢山の人命を失ったことだろう。合掌。

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お盆休み 2011

2011年08月15日 | Weblog

           
           

8月10日から始まったEdのお盆休みは、今日から後半に入った。今日を含めて残りあと5日、休み前の宣言通り今年は何処へも出かけず、専ら自宅近辺で過ごしている。
もう少し暑さが和らいでくれたら一日くらいツーリングに出掛けてもいいと考えていたのだけれど、連日34℃前後の日が続き、おまけに夕方からはあちこちでゲリラ豪雨にあうようでは、一寸涼しい山側へ行ってみようかという気にもならない。

それでも朝のウォーキングだけは欠かさず毎日続けている。前日夜更かしでもしない限り4時半~5時から3、40分いつものコースを歩いている。流石に朝は少し涼しいから汗が出ても苦にはならない。田圃の稲も元気に育ってきて早稲は既に実った穂を深々と垂れている。

用水路の草の茂みから足音に驚いたかアオサギとチュウサギが慌てて飛び立った。チュウサギは子育て中らしく、あちこちでまだ親より一回り小さい子供を連れているのを見かける。警戒心が強いから、写真を撮ろうと思っても簡単には近づけない。2、30メートル離れていても、人間が立ち止まって彼らを見ていると、直ぐに察知して飛び立ってしまう。Edのコンデジではアップで撮ることは叶わない。

千葉のこの辺りでも農家は放射能の汚染が心配だろう。県では新米は全てチェックするつもりらしいが、たとえ暫定許容値を越えていなくても消費者は沖縄や関東より西の産地の米を選ぶに決まっている。誰だって目に見えない放射能を恐れているのだ。昨日観たTVドキュメント「内部被爆」では、4半世紀以上経った今でもロシアのチェルノブイリ周辺に住む人たちが、放射能汚染に苦しめられている実態をレポートしていたが、福島や近隣県も決して他人事ではないのだ。

朝もやのなかから陽が登ってきた。一日がまた始まる。道端の朝顔のような花が少しづつ開きはじめている。今日もまた暑くなりそうだ・・・

           
           

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水の郷さわら(川の駅)

2011年08月14日 | Weblog

          

以前住んでいた船橋近辺にも梨園はたくさんある。敢えて佐原にあるS梨園に毎年出かけて行くのは、ここがカミサンの知り合いであることに加えて、送った先(親戚スジ)の評判がよいからで、殆ど食べないEdには真偽のほどは定かでない^^! ま、産直だから新鮮なことだけは確かなのだけれど・・・

帰りに野菜が安いと評判の水の郷さわらに寄ってみた。ここは別名道の駅ならぬ「川の駅」だそうで、なるほど利根川べりだからマイ・ボートを川に下ろせる河川マリーナやカヌー遊び、観光船など水遊びの施設も揃っているらしい。売店は盛況で値段も確かに他スーパーなどより安く、今週の野菜の買出し分は殆どここで賄った。

3月の震災で佐原も旧市街は大きな被害を受けたようだが、見た限り国道沿いの街中は他所と変わらず屋根瓦の落ちた家が少し見える程度だった。

今日は夕方から義姉夫婦の家で夕食を招待されているので、お土産に梨と先日Jinさんに購入してもらった明太子を持っていく。

          

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陶板浴

2011年08月12日 | Weblog

           

週一回のペースだけれど陶板浴「竹屋」に通い始めて一ヵ月半になった。冬になって坐骨神経痛が出なくなるのを期待してのことだから、まだ先は大分長い^^!

床に張ってある陶板(タイル)の温度は58℃で、素足で歩く分にはさほど熱くは感じないけれど、柔らかい皮膚を直に押し付けると熱い。大きい湯上げタオルを自分の横たわる場所に敷き、フェイス・タオルは木製の枕に被せて横たわる。そのまま健康体なら40~50分寝転んで過ごす。
この時期は流石に相当汗がでる。途中喉が乾いたら入る前に渡される「還元水」なる水を飲む。そうやってEdはいつも45分位入ることにしている。

毎週木曜日に決めていたのだけれど、夏休みにつき金曜日の今日行ってみた。着いたら駐車場に車が2台しか止まっていない。あれれ、休みかな・・・?と思って玄関を入ったら、大丈夫平常通り営業中でした。お盆休みだし、暑いからお客が少なかっただけでした。

終わるといつも待合室で発酵ジュースや還元水を飲みながら汗が引くのを待つ。その間に店の人がいろいろ雑談しながら還元グッズを勧めにくる。勧めるといっても無理やり買わようといった雰囲気ではなく、唯の製品説明程度である。

前々回は野菜が長持ちしたり、お菓子が湿気らないビニール袋を勧められた。高いものではないので数枚買って試しているが、ナルホド効果はある。今回は冬場の帯電防止と保温を兼ねたマットの紹介だった。
例によってEdは疑り深いヤな性格だから唯黙って聞いていただけだったけれど、素直で信じやすいカミサンはもう買う気になっていて・・・2セットで2万6千円くらいだから、と計算を始めていた。

冬の電気毛布や保温マットも電磁波を出すので、PCや携帯などと同様人体に対する影響があると云われると、それはそうかも・・・と納得はしたけれど、そうなると身の回りの物全て(TV,冷蔵庫、レンジ、ヘアドライヤー等)が危険ということになりそうで際限がなくなる。
カミサンには「取り敢えず自分の分だけにしておいて!」とお願いしておいた
。(笑)

            

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