Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

「もも」その後・・・

2011年06月29日 | Weblog

              

病理組織検査の結果が出たのは先週日曜日(19日)で、人間の都合がつかなくて病院へ連れて行ったのが23日(木)だった。その間も右目と喉のリンパ腺の腫れは少しづつ大きくなっているようで、第三の膜(?)と呼ばれる眼球の下から持ち上がってくる薄い保護膜が半開き状態で1/4ほど出っぱなしになっている。

健康組織分析の結果ではリンパ腫の初期段階とのことだったがけれど、病理組織サンプルは殆んど壊死していて明確な判断が下せなかったようで、「扁平上皮癌の疑いも否定できない」などという曖昧な結論だった。分析医からは再度組織サンプルを取って再検査することを勧めるとのコメントがあったけれど、「もも」を再び全身麻酔にかけるのは危険なので、獣医と相談の結果「リンパ腫」の可能性に賭けてその治療をしてもらうことに決めた。
もし癌であった場合は抗癌剤を投与することになるのだけれど、強い薬なので間違って健康な組織まで破壊する恐れが高く、しかも100%完治するという保証は得られないので医者は薦められないという。

「もも」はリンパ腫治療のため隔週で注射を打ってもらうことし、食事に混ぜて食べさせる薬を2週間分もらった。これ以外に、カミサンが「酵素が良い」と何処からか聞いてきて、毎日それも与えている。相変わらず腫れは引かないが、上顎に出来ていた腫れ物は白っぽく変色して出血は止まっている。鼻血も止まっていて今は普通の鼻をたらすようになった。期待が先行してしまうのだけれど、何うにかして治って欲しいものである・・・

                     


陶板浴

2011年06月27日 | Weblog

               

知人に薦められて陶板浴なるものを体験してきた。この冬坐骨神経痛(と思われる)による腰の痛みと左脚の痺れに悩まされ、4ヶ月経った今ようやく略正常に戻ったところなので、ものは験しと行ってきた。知人は松戸の陶板浴に通っているのだけれど我が家からは遠い。もっと近場の牛久にもあるとのことで調べたら車で30分ほどのところにあった。

田舎のやや混み合った住宅地の奥にその浴場はあって、30台分ほどある駐車場は土曜の昼過ぎで1/3くらい埋まっていた。手入れの行き届いた庭の奥には思ったより立派な建物があって、入り口を入ると広い喫茶室の更に奥に受付があった。

予め電話で連絡しておいたので、入浴料1000円を払うと直ぐに受付の50がらみの女性が設備や入浴方法の説明をしてくれた。それによると、活性酸素は身体の老化や健康を損ねる働きをするので、抗酸化効果のある物質を塗った陶板(タイル)の上で一定時間寝ることにより、身体に抗酸化物質を取り込むのだそうである。その物質はタイルだけでなく建物の各部屋全体にも塗ってあり、この浴場で過ごす間中効果が期待できるらしい。

更衣室で持って来たパジャマに着替え、バス・タオルとフェース・タオルを持って浴室にはいる。中は30畳ほどの総タイル張りの床になっていて、両側の窓際に沿って畳一つ分くらいの広さに簡単な木枠で仕切られていて、枕は厚さ5cmほどの木製。先ずバス・タオルを自分の寝るところに敷き、フェース・タオルは枕に被せる。床の温度は素手で触れる程度だが素肌では寝ていられないくらい熱い。健康な初心者の目安、30分ほど寝ころんでいたら上半身に汗が滲んできた。そのまま更に10分ほどいて出てきたらパジャマのTシャツは汗でびっしょり濡れた。説明では汗はサラサラで敢えてシャワーを浴びなくてもよいとのことだったけれど、Edは気持ち悪いからシャワーで流した。

効能は癌、神経痛、腰痛、内臓疾患などに効くとの説明だった。Edは自分で納得するまでは簡単には信用しないヤな性格だから(^^!黙って聞いてはいたけれど、大体「抗酸素効果とは一体何ぞや・・・」とか「どうやって体がそれを吸収するのか・・・」とかがイマイチよく解らなかった。陶板浴すると血がサラサラになり数日間持続するのだそうで、だから週二回くらい通うのがお薦めだとのことだった。朝鮮のオンドルみたいな暖かい床に寝転んでいるだけで、二人で毎週4000円かあ・・・(笑)
ま、ホントに効果があるなら安いもんなのだけれど

               


さくら と けやき

2011年06月24日 | Weblog

 
 

JR武蔵浦和駅の埼京線6番ホーム中央から正面右寄りに見える工事現場は、さいたま市の区画整理・再開発事業計画によると、武蔵浦和駅周辺地区の第一街区に当たり、
業務・商業・住宅等の建築物をはじめ、駅西口の駅前広場及び南区役所等の公共施設の建設が進行中である。

基礎工事のあと、2機の大型クレーンが敷地の両端に据えられた。 知らなかったけれど、クレーンには呼び名が付いているらしく、左側には「さくら」右側には「けやき」の銘板が見える。
少し前「さくら」の背が急に高くなったと思ったらビルの鉄骨が見え始め、日に日に成長している。「けやき」の方はまだ背が低いままなので何が現れてくるのか分らないけれど、毎日ホームで電車を待つ間興味深々眺めている。

2年ほど前も、同じ場所から第三街区の高層マンションが出来上がるのを飽きず眺めていたっけ・・・ いつまでも子供のようなジジイだな・・・と思たら、我ながら可笑しくなった^^!

     


信州・山田牧場

2011年06月20日 | Weblog

17日(金)、ひと月前に約束してあったツーリングなので、雨が降っても行く覚悟はしていたけれど、やはりイザ朝から降っていると気勢を殺がれる。

関越道・嵐山SAに9時45分集合だから、雨でスピードが出せない分余裕をみて6時45分には出発することにした。昨晩ポツリ、ポツリ降っている中準備万端整えておいたから、エンジンさえ無事に掛かれば直ぐ出られる。雨カッパ(旧いね^^!)を着て、ブーツカバーを履き、首にはタオルを巻いた。こうしておかないとヘルメットの雫が少しづつ首筋に入ってきて長い間走っているとシャツの襟が湿ってくる。

幸いエンジンは一発で始動してくれたので一安心。小雨の中常磐道・柏ICへ向かった。
朝の高速は車の数こそ多いけれど外環も渋滞はなく、8時過ぎには大泉JCTから関越道に入った。集合時間には少し早すぎるので、一つ手前の高坂SAに立ち寄り給油して時間調整。序でにウィンド・シールドが全然雨滴を弾かないので、車のガラス用グラコを塗ってみた。

 

40分ほど過ごしてから嵐山SAへ向かった。SA少し手前で、嵐山ICから入ってきたオジンライダーさんがEdの目の前を行く
。そのまま後についてSAに入り、バイク置き場へ止めたら既にクロちゃんが来ていた。Gライダーのグループに紅一点、よく若い娘が一人で我々に付き合ってくれるものだ・・・^^!
暫くしてシローちゃん到着。4人揃ったので上里SAへ。上里でフーさんと合流して全員揃ったところで、昼食とルートの相談。生憎の空模様なので計画していた軽井沢での途中下車は止め、長野の善光寺を目指すことに。お昼は少し早いけれど横川SAで釜飯を食べることにして上里を出発。

既に雨はかなり弱くなっていて霧雨になった。横川SAで昼食をすませたら12時、次の休憩地点東部湯の丸SA向かう途中、佐久平あたりで雨は上がり薄日が出始めた。ラッキー!
 


善光寺はツーリングでは2度目。平日なので人出も余り多くなく、境内をゆっくり散策できた。説明によると、本堂は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されている。国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれている。屋根は総檜皮(ひわだ)葺き。きらびやかではなく、どっしりと落ち着いた雰囲気がある。
前回は山門前に露店が沢山出ていて賑わっていた中で、露店のおばさんから数珠を買った。今回は特に買うものはないので売店はパス。

 
 


見学を終わって喉も渇いたし、少し疲れたところで、今日の宿「レッド・ウッド・イン」へ向かった。冷たいビールを思い浮かべながら小布施の町は素通り。いつもの峠道を登りきった辺りがレッドウッド・インのあるロッジ集落だ。チェックインを済ませて部屋に入り、早速温泉へ。大木をくりぬいた風呂は変わらず以前のままだったけれど、大分あちこちに補修の跡があって年月を偲ばせる。

                
 

風呂から上がったら表のテラスで生ビールで乾杯。クゥ~・・・うまい!
泊まりのツーリングでは、この瞬間が待ち遠しく、応えられない^^!
この旅館のもう一つの売りは食事である。この宿の洋食(フランス料理)は絶品である。クロちゃんが選んだワイン(白)と実によく合う。久しぶりに”美味い”食事を堪能した。唯一残念なのは畳の部屋にせんべい布団というアンバランス。これで清潔なベッドだったらいうことないのだが・・・(笑)

楽しく飲んで食べた後はみんなバタンキュー・・・



 
 

翌日(18日・土曜)は雲が厚くなった。朝食後すぐ出発して峠のテッペンを越え志賀高原へ抜けた。暫くするとポツポツ降りだしたので路肩でカッパを着て、そのまま長野原を目指して走行を続ける。霧が濃くなり時々視界が極端に悪くなって30m先の前車も見えないくらい。ようやく霧が晴れて後僅かで長野原というところで予定変更、渋川へ向かう。実は長野原でお昼を食べるつもりだったのだけれど、10時ではいかにもまだ早すぎる。雨は殆んど上がっていて濡れるほどではなくなったので渋川のレストラン・ガストでカッパを脱いで身軽に。

朝食がボリュームたっぷりだったので、Edは軽く「うどん」だけにした。食後はガストでフーさんとお別れし、残る4人で渋川ICから高速に乗った。その後は一旦上里SAで挨拶して解散となった。Edは来たときと同じルートで関越、外環、常磐とつないで3時半に帰宅。走行440キロほど。梅雨の今時としてはまずまずの天候に恵まれたのかもしれない。


高速増殖炉

2011年06月16日 | Weblog

先日 当ブログでも、福井県敦賀市の原子力発電所”もんじゅ(高速増殖炉型)”で起きている事故とその危険性について触れた。(既投稿「トイレのないマンション」)

       

昨日もう一度「もんじゅ」について調べていたら、実は茨城県大洗町にある原子力研究開発機構の実験用高速増殖炉”常陽”でも2007年に照射実験装置の上部機構が引きちぎられる事故が起きていて、”もんじゅ”同様制御が出来なくなっている。冷却剤のナトリウムは水のように透けては見えないから破損して炉内に落下した部品が何処にあるのか見ることもできないし、探して取り出すのは困難を極める。落下物によってもし冷却剤の流れが阻害されれば炉心溶融につながり、反応度が増大して暴走事故につながるかも知れない。何とも恐ろしい事態ではないか!

例によって原子力開発機構はこの事故の報告を公にせず、翌年2008年になって原子力学会の分科会で「ナトリウム冷却型高速炉の原子炉容器ない観察・補修技術の観察」という目立たないタイトルでこっそり事故のあったことを発表したのだという。(
元京都大学原子炉実験所講師・小林圭二先生

NHKもその他マスコミもこの事実を知ってか知らずか沈黙したままだ。原子力学会も原子力安全委員会も口をぬぐって真実を一切国民に語ろうとはしない。一体この国の原子力政策を推し進めている人達には国民を危険に晒してはならないという「自覚」があるのだろうか?事故や都合の悪いことが起こればひた隠しにし、表に出させない政府とこの業界全体の隠蔽体質こそ、実は我々国民にとって最も危惧すべきことなのではないか。こういう重大な問題を報道しない、あるいは出来ないこの国のマスコミの良識が求められるし、その責任は重大だと思う。

福島原発事故でこれだけ国民に迷惑をかけ、放射能の危険に晒してておきながら、そして未だに福島原発が収束の目処すら立っていないというのに、経産大臣は軽々しく停止中の原発の再稼動に協力しろと国民に要求した。原発安全神話が完全に崩れ去ったこの期に及んで、「他の原子力発電所は政府の指示通り安全を確認したから大丈夫」などとよく言えたものである。

これまでの原子力政策を強引に推し進めてきた自民党にいたっては、「これまでの原子力政策は間違っていなかった」などと言い張っている。何という見識の無さ、良識の欠如か!あきれて物も言えない・・・

                    
           ★上の略図は「ガジェット通信」より借用


「もも」に腫瘍が・・・

2011年06月14日 | Weblog

             

11日の土曜日、”是非に!”とお願いして”神の手を持つ”院長先生に「もも」を診てもらった。それというのもこの一週間で右目と喉のリンパ腺が目に見えて腫れてきたからで、これは素人目にも明らかに異常である。ネコ風邪と診断されてから既に3ヶ月半、症状が一向に改善されないばかりか、むしろ徐々に悪化してきている。
これまで3人の違う医者に診てもらったけれど診断は皆同じだった。全員が誤診だったのではないだろうか・・・

彼は先ずこれまでの経過を我々に詳しく訊ね、それからももの腫れている患部を触診してから、眼球の腫れている原因が膿が溜まったためか腫瘍なのか調べたいという。「もも」は例によって激しく暴れるのでこのままでは無理と判断、全身麻酔で眠らせることにした。麻酔注射をして1分も経つと「もも」はだらりとして騒がなくなった。そのまま隣室の手術台に連れていかれた。

暫くして呼ばれたので行ってみると、「もも」は昏睡状態で心臓と肺の動きを示すオッシロ・グラフに繋がれていた。大きく開けた口の中が良く見える。医者の説明によると上あごの咽喉部の腫れは単なる炎症ではなくて、腫瘍だという。ショック!!
眼球にも腫瘍が出来ている恐れが大きい・・・
とりあえず、組織細胞をサンプリングして大学病院で詳しく分析してもらうことに。
治療の可否、方法については分析結果が出てから相談しましょうといわれ、自宅に戻ってきた。「もも」はこれからどうなるのだろうか・・・

             


車検完了

2011年06月13日 | Weblog

             

土曜日の朝ディーラーに預けた車は翌日夕方には車検が終わって戻ってきた。諸掛り費用(7万円足らず)の他、バッテリー、ブレーキ・パッド、A/Cエア・フィルター、ワイパー・ブレード、エンジン・オイル交換、ブレーキ・アクチュエーター & ピストンのオーバーホールで締めて166,000円。その他信号待ちで時たまアイドル回転不安定、始動時のカラカラ音(時々)の苦情に対してはメーカー保証で部品取り寄せ後対策してくれることになった。序でにリア・ショック・アブソーバーに不具合が見付かった(担当セールスマンの説明では良く分らない・・・^^!)とかで、こちらも無償で部品交換するとのことだった。最初の見積もりより26,000円増えたけれど、メーカー保証でやってくれる部分などを考えたら、やはりディーラー車検は安心できるし高くないのではないだろうか・・・

ことの序でに、担当セールスマンから任意保険の勧誘があった。しかしEdは費用の安い外資A保険に切り替えて数年になり特に不満がないので日本のM保険はお断りした。最近は保険会社のロード・サービスも結構充実してきて、JAFと比べても遜色ない。牽引なども無料でやってくれる。(JAFは毎月雑誌を送ってくるだけで、これまで一度も利用したことがないので、会費4000円がもったいないから最近脱会した!ハハハ・・・)

代車でお借りした新しいマークXについての印象は、カミサンが熱弁を振るった^^!(彼女、買い換えるわけでもないのに、内装とかデザインについてなかなかウルサイのだった)。
「静粛性、乗り心地が良い。シートの造りが固めで疲れない。けれどもダッシュ・ボード、計器板、各種コントロール、シフト・ノブなどのデザインがゴテゴテしていて頂けない!それにやたらメッキ部品がちりばめてあって疲れる。折角乗り心地が向上したのに、これで台無しです!ダッシュ・ボードは今乗ってる旧車のほうがよい。どうしてベンツのようにすっきりとしたデザインができないのかしら・・・?」(最近知人のベンツに乗せてもらったらしい(笑))
担当セールスマンは「貴重なご意見をありがとうございます」と優等生な答えだった^^!若いのになかなか
エライ!

                   


車検

2011年06月12日 | Weblog

         

車が2回目の車検時期を迎えた。去年ドア・パネルの板金塗装修理をお願いした修理工場からも車検をやらせて欲しいと何度か誘いがあり、つい先日も電話があった。しかし我が家では以前から車検はメーカーのディーラーでやってもらっていたので今回も既に予約してあったので丁重にお断りした。町の修理工場でやれば多少安いのだろうけれど、我が家ではトコトン乗る主義なので耐用年数は長く(10年以上)、やはり車検は安心できるディーラーに任せることにしている。

前車のマークIIは13年半で29万キロ走った。エンジンの冷却系統の劣化が進んできたので、5年前に現在のマークXに乗り換えたのだけれど、生涯路上故障はファン・ベルトが切れた一回だけで殆どトラブルがなかった。

車検の時はいつも代車を貸してくれる。大抵は一クラス車格の低い中古車なのだが、今回は最新のマークXを持ってきた。同じ車格の250Gだけれど、乗り心地は5年前の自分の車より一段と向上している。しかもレギュラー・ガソリン仕様である。ウ~ム・・・買い替えを促しているのだな、きっと(笑)

Edにとって初めての装置はキーレス・エントリー。フロント・ドア・ノブに触れるだけでドア・ロックが開錠・施錠ができ、エンジン始動はダッシュボード隅のボタンを押すだけ。便利ではあるけれど・・・
車検が終わるまでの2日間、新しいマークXの乗り心地、使い勝ってを確かめてみよう^^!

           
           


爪あとの修復

2011年06月10日 | Weblog

             
             

3月の震災で、自宅から国道へ出る道路が水門の付近で路面が割れたり盛り上がったりして壊れていた。更に西側の歩道は川に向かって大きく崩落してしまい歩道部分は通行止めになっていた。人口3万にも満たない小さな田舎町のことだから当分歩道は使えないだろうと思っていたが、先月中頃から修復工事が始まって昨日から歩道が使えるようになった。

震災直後、この程度の小規模な道路破損は町のあちこちで見受けられたので、町の最西端に位置するこの団地の補修は後回しにされるだろうと思っていたから意外だった。その上この水門に連なる車道も中央部がマンホール付近で大きくヒビ割れていたが、こちらもアスファルトを剥がして修復工事が始まっている。貧乏な小さい町にしてはなかなか素早い対応でありがたい。

           

被災地では既に3ヶ月も経ったのに未だに瓦礫の処理さえ十分進んでいない。福島県では放射能で汚染された瓦礫処理という二重の困難に直面しているけれど、責任者である国(政府)はモタモタしていて何もやらず、一向に事態は進展していない。放射能で汚染された瓦礫の処理を他県に運んでやるという案が出ているけれど絶対に反対である。放射能で汚染された廃棄物が全国のあちこちへバラ撒かれて所在が分らなくなり、どうせいい加減な最終処理が行われるに決まっている。命に関わる毒物を全国にばら撒くようなもので、危険極まりない。他県も安易に受け入れるべきではないのだ!

武田邦彦先生(中部大学)の仰る通り、放射能で汚染されたものは福島原発の敷地内に処理施設を造って、全て国と東電が責任を持ってそこでやるべきです!国と電力会社は原発などという不完全な装置がいかにコストが高くつこものか身をもって理解すべきです。これ以上放射能汚染を他の地域に拡散させてはならない。


町内一斉清掃

2011年06月08日 | Weblog

             

Edの住む町では年に何回か町内一斉清掃日というのがあって、遊歩道や各自宅前の道路を皆で一斉に掃除することになっている。5月29日(日)に予定されていたのが雨で延期となり、6月5日(日)に行った。
これ以外にも公園の掃除があって、こちらは当番制で25ある班が持ち回りで行うので年に2回まわってくる。

2週間ほど前の公園掃除当番の時は日にちを間違えて結果的にサボってしまい参加できなかった^^!なので、今回は少し早目に表に出たら既にお隣さんが数人、本日の作業場所”遊歩道”に向かって歩いていく。Edもすぐ剪定ハサミ、鎌、箒などを持って現場へ。以前はこういうとき出てくるのは圧倒的にバサマが多かったのだが、最近は定年を迎えたジサマが増えて今は男が1/3くらいだろうか・・・

ジサマはあまり社交性がないから皆夫々黙って作業に専念しているが、バサマは皆揃って手をより先に口が動いてしまって手がなかなか動かない(笑)。今はまだ草が余り生えてないからジサマは灌木の剪定に専念し、バサマはお喋りと剪定した小枝の袋詰めだけして遊歩道の掃除が終わった。終わっても未だお喋りが終わらないバサマ数人を残して、今度は各自宅まえの道路側溝の掃除に移った。各戸に一箇所くらいの割合で道路側溝に沈澱槽が設けられているので、重たいコンクリートの蓋を開けて底に溜まった砂泥をスコップで掻き出す作業だ。掻き出した砂泥は遊歩道脇の川渕に捨てるのだが、ジサマとは言えEdのようなロートルには結構キツイ仕事なのだ。

お喋りを続けていたバサマの一人が「私たちも手伝いましょうか?」と暢気なことをいう。そうではなくて”沈澱槽は自宅前にある夫々の家が掃除する”ことになっているので、「・・・ムム!・・気に食わぬ言い草!」と思ったけれど、そのバサマの家は今ジサマが病気で寝ているので代わりにやってあげることにした。病気で臥せっているそこのジサマは元気な頃は口うるさくて可愛げのない奴なので、ホントはやってあげたくなかったのだけれど、そうもいかず仏心を出してバサマに代わってやってしまった(笑)。

来年は班長の当番がまた回ってくるので、今から気が重い。15年に一度のことだから多分次回が最期になるとは思うのだが・・・

                        


ウォーキング

2011年06月07日 | Weblog

                

ようやく略(ほぼ)普通に歩けるようになった。3月初旬に左足に痺れが走って以来だから丸3ヶ月になる。先月から降らなければ週末だけ少し歩いてみたが長くは歩けない。それが、このところ暑いくらいの陽気になったせいか痺れがかなり薄らいできたので今朝いつものコースを歩いてみた。かなり改善している!これならまた高尾山にも登れるかもしれない。近いうちに独りで試してみようか・・・

                

ウォーキングが出来なかったもう一つの理由はネコの世話に時間がかかることだ。目薬(インターフェロン入り)を冷蔵庫から出しておき、缶詰のペースト状の餌に砕いて粉にしたドライフードをまぶして準備する。最近ではこの準備をしているとスーっと居なくなってしまう(笑)。また無理やり餌を押し込まれるのが分っているからスタコラ逃げ出すのだ。こっちは時間がないから直ぐ連れ戻してタオルを身体に巻き付けて動けないようにする。ネコはタオルを巻くと凄く怒る。(笑)

諦めたころを見計らって先ず目薬を両目に、次いで鼻の穴に一滴づつたらす。ネコは目を堅く閉じてしまうので、押さえつけたまま目をこじ開けるのは一人ではなかなか難しい。それから餌をたべさせる。右手人差し指の腹に少しだけペースト状の餌を載せ、左手で口をこじあけながら餌を頬の内側にこすりつけるようにして入れてやる。一回の分量が多いとウェッ!と吐き出しそうになるので、少しづついれる。ゆっくり騙しだましだから時間が掛かる。一回の食事につき30~40分は掛かるのでEdの出勤前は大変なのだ。今まで元気な頃は散歩に使っていた時間が今では全部”食事”の時間にとられてしまった。だからネコは今散歩はしていない。

話が逸れてしまったが、この頃は歩くのを止めた途端に脚の筋肉が衰えてくる。人混みで押されるとすぐよろける。踏ん張りが利かないのだ。なので、これからはまた毎朝のウォーキングを復活だ^^!


アマチュア無線

2011年06月06日 | Weblog

             

総務省から今年も300円の電波利用料納付書が届いた。バイクに無線を取り付けてある(アマチュア局を開設してある)からである。年間300円が高いのか安いのか分らないけれど、年数回のツーリングで利用するだけだから、利用頻度からすれば極めて高い通話料ということになるのかも・・・

アマチュア無線局の有効期間は5年間なのだけれど、前回は更新を忘れてしまい、期限切れ半年後にやや面倒な手続きを踏んでようやく再免許してもらった。そんな経緯があったので序でに期限を確認したら来年の5月だった。再免許の申請は有効期間満了の1年前から1ヶ月前までなので、忘れないうちに申請しておいたほうが良さそううだ^^!

無線はオジンライダーさんに薦められて、二人で還暦祝いに能登一周ツーリングしたのが切っ掛けで急遽取り付けた。”アマチュア無線の免許試験は易しいから小学生でも受かる”、なんて云われて勉強したけれど、そう簡単でもなく60の手習いで新しいことを覚えるのは結構大変だった。幸い一度でパスしたから良かったものの、落ちていたら笑いものにされていたかもしれない^^!

無線は、しかしあれば便利である。何人かでまとまって走るとき、次の休憩場所や給油の連絡、右折、左折、Uターンなどの事前案内、先頭と離れた時の連絡など数キロないし十数キロは交信範囲なのでお互いに無用な心配をしなくて済む。但し電話のように双方向で同時に喋ることが出来ないから、誰jかが送信中は聞くだけ(受信)で、他人が話し終わってから送信ボタンを押して喋る。また高速で走行中は風でよく聞き取れなくなるから、一般道での走行中が交信のメインとなる。尤もEdは殆んど聞き役で自分からはあまり喋らない。時々トラックのアマチュア無線であろう、ダラダラと無駄話を続けられると周波数が被っているときは耳障りで迷惑である。必要な連絡だけするのが本来の使い方だろうと思う。

                


カルガモ

2011年06月02日 | Weblog

                     

先日鯉が沢山群れていた道路沿いの水田用導水路に今朝はカルガモの親子がいた。生まれてまだ間もない5,6羽のヒナが母親の後を追って、かなり流れの速くなった川を遡っていく。手のひらに全部乗ってしまいそうなくらい小さいのが元気に泳いでいるのを見ると自然に頬が緩んでくる^^!

彼等がやってきた方角およそ10m先は長い暗渠で、恐らく結構な距離を薄暗い中泳いでここまでやってきたのに違いない。我等人間の感覚からすれば「・・・こんな暗いトンネルの中を・・・」と思うけれど、案外彼等にすれば明るいオープンなところより外敵の目につきにくい安全なルートなのかもしれない。

カルガモの親子が何処へ向かっているのか知る由も無いが、このまま川の流れを遡っていけば道路下の短い暗渠を越えると直ぐに田圃に出られる。全員無事に育って欲しいものだ。

雨で両手が塞がっていたので残念ながら実物写真が撮れなかった・・・

                   

                     ☆上の写真は写真素材集足成より借用


ラーメン

2011年06月01日 | Weblog

                    

ラーメンに特別なコダワリがあるわけでも、物凄く大好きというわけでもないのだけれど、これほど日本人に愛され続けている手軽な食べ物も少ない。

若い頃家族でよく行ったのは船橋の金杉にある「ぎょうざんぽう」という店(チェーン店)で、カミサンと子供たちは醤油か塩ラーメン、Edは味噌タンメンで、餃子も4人前焼いてもらった。当時マンションを買ったばかりで財政が逼迫していたから”外食”といえばラーメンだったのだ^^!
ぎょうざんぽうのオヤジさんは釣りが好きで店には大きな魚拓が飾ってあり、女将さんはラーメン屋の女房にしておくのはもったいないような美人だった。女将さんは「休日はオヤジは釣りばっかり・・」と笑っていたが、夫婦二人きりで毎日顔突き合わせて店にいれば、お互い珠の休みは独りになってのんびりしたかったのだろう。

                    

スイスのBBCという会社に勤めていた頃は事務所が帝劇ビルにあったから、昼は大抵B1のラーメン屋だった。肉の万世の系列店で、太い麺に豚の空揚げを載せたパーコ(排骨)ラーメンが定番でひところ毎日のように通っていた。若かったし食後は屋上でバトミントンに熱中していたから脂は激しい運動で結構よく消化したと見えてメタボにもならなかった。

                   

去年お隣の旦那さんが都内でラーメン店「甚九郎」を開業した。Jinさんを誘って一度挨拶に立ち寄った。味はまあまあだったけれど他の繁盛している店のように大忙しには見えなかった。最初はチェーン店を沢山増やしたいと夢は大きかったけれど、最近になって道路拡幅計画で店が整理対象地域に組み込まれてしまったとかでやむなく廃業したらしい。世の中上手くいかないものだ。

川越では昼は殆んど「吉利(割烹)」で日替わり定食を食べる。時々相棒がいないことがあり、その場合は適宜歩いていける範囲で独りで食べに行く。昨日はその日だったので久しぶりにラーメンを食べにいった。ウニクス・ショッピング・センターを通り越した先の映画館のビルに「青葉(ラーメン屋)」がある。広い厨房は磨き上げられたステンが光って清潔である。客席はL字型のカウンターのみ。定番は特性ラーメン¥850でボリュームも程よい。厚切りのチャーシューが3枚、半熟卵1個、シナチク、海苔が載っている。スープが温いのがEdの好みに合わないけれど・・・味は悪くない。

                   

思えば、何処へ行ってもいくら歳を重ねてもラーメンから縁が切れたことがないなぁ・・・(笑)