Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

零戦

2011年08月16日 | Weblog

日本では終戦記念日を8月15日としているが、アメリカその他海外では9月2日、つまり米軍艦ミズーリでのポツダム宣言受諾調印の日であるらしい。今週はBS・NHKも終戦に因んだ番組が多い。

Edは終戦の年、まだ4歳のガキだったから終戦の日の明確な記憶もないし特別な思い入れもないのだけれど、戦後の物資不足と食料難の真っ只中で育ってきたから間接的には敗戦というものの惨めさ、大変さは肌で感じてきた。もっと云えば、子供ながら身近に戦争で亡くなった人の話も数多く聞かされてきたし、町で傷痍軍人の姿も見てきているから、平和を求める気持ちは人後に落ちないと思っている。

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大学では飛行機を学んだ。卒業後も当初9年間ほどは航空エンジンの整備に携わった。そんな関係で今でも飛行機への関心は高く、その種の話には直ぐ目が行く^^!

            
            

今朝のBSプレミアム名作選で2009年に放映された「零戦~栄光と悲劇の航跡」を観た。零戦はアメリカとの開戦当初は、最高速度、航続距離、運動性能、上昇能力のどれをとっても米軍の主力戦闘機F4Fワイルドキャットを遥かに凌ぐ戦闘能力を備えた優れた戦闘機であった。米軍はこれに対処する方法として、必ず2機編隊で飛行し、零戦に背後を突かれたら他の一機は反転上昇し、上空から急降下して零戦を攻撃したら直ぐ戦闘離脱するという苦肉の策を編み出した。

1942年、日本は出力、最高速度を向上した52型と呼ばれた新型零戦を投入し終戦までに5000機ほど造った。しかし零戦の唯一の弱点である防護能力は新型でも改善されることはなかった。パイロットの命より戦闘機の運動性能を重視したのである。
その後戦況は徐々に悪くなって行き、零戦を凌ぐ性能を有する米軍の新型戦闘機F6Fヘルキャットが投入されると日本は制空権を悉く失い防戦一方となった。最後は零戦に250キロ爆弾を搭載して片道の燃料だけの「神風特攻隊」を組織し、経験未熟な若いパイロットたちを大勢死の戦闘に送り込んだが殆ど戦果は無かった。

            

アメリカの元パイロットは言う。「日本は戦略を誤ったと思う。人命を大切にしなかったこと、そしてもっと優れた戦闘機を開発しなかったこと」と。

しかし一番の過ちは、日本が無謀な戦争を仕掛け、経済はトコトン疲弊し、新しい戦闘機を開発するどころか国民は食べるものすらロクに無くなり、兵士・一般人を問わず沢山の人命を失ったことだろう。合掌。



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