Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

流転

2014年10月30日 | Weblog

   

企業は利益追求が目的だから製造拠点も手狭になればより広いところへ移り、あ
るいは新しい事業が始まれば新たに別の拠点を設けたり、常に拡大、縮小、設備
の更新など時代とともに変化し続けている。


Edの勤務先の会社でも、欧州製品の一つは当初Manchesterで製造を開始しや
がて生産が増えて手狭になると北の田舎町Aycliffeへ工場を移した。10年後、企
業がより安い人件費を求めて製造拠点の海外移転が流行りだすと、工場はイギリ
スからポーランドへ移った。今また会社は更に人件費の安価なインドへ工場を移転
中である。


工場が替わる度に我々QC部門が苦労するのは、品質が安定するまで数年間を要
することで、これまでの経験では「ようやく安定して来たな・・・」とホッとするのも束
の間、安定期を数年経過するると大抵次の移転計画が持ち上がってくる。エンドレ
スなのである。


                                                 

物造りは図面があって造る人がいれば何処で造ろうが同じものが出来る、と思った
らお間違い。ましてや地域、国が違ったらそれこそ一から始めないと設計通りの製
品は出来上がらない。メーカーは心得ていて、規格や基準、検査、確認手順まで事
細かに決めているけれど、所詮は人間のやる仕事。必ず間違い、手違い、誤解は
付きもので、我々購入する側が本当に満足するような製品になるまでには紆余曲
折があるのである。


一つの物を造るという行為の中には、書いたり記録したりすることが出来ない沢山
の経験が生かされている。だから図面とか規格、手順書の類は唯の指針に過ぎな
くて、実際の作り手はベテランがこれまで積み上げてきた技を学び、自ら修練を積
んで初めて製品を作れるようになる。


                                                 

例えば先日、極めて単純なHHCという部品を新しいインド工場からサンプルを取り
寄せてみた。プレス成型した鉄板にテーパーネジを切ったボスを溶接してあり、最
後に全体に黒の塗装を施してある。これまでのポーランド製と比較してみたら、溶
接が凸凹して滑らかでなく塗装も艶がなくてくすんでいる。使用上差し支えないとは
いえ、外環品質では一ランク落ちる。単純な製品であるだけに、こういう違いは理
解してもらえないこともあるし、理解できてもなかなか差が縮まらない場合もある。


実際、新しい製造拠点からの製品に品質クレームが発生すると、客先も我々サプ
ライヤーも対応に追われててんてこ舞いする。日本では不具合が生じた場合、対
策への客先の要求は内容、時間ともに厳しいから、不慣れな新工場にとっては厳
しい経験になる。


ま、トラブルの繰り返しが品質の向上につながるという面があるから、歓迎はしない
けれどお互いに必要な経験なのかもしれない。QC(品質管理)の仕事は、品質問
題があればこその存在価値だから問題ゼロでは仕事が無くなってしまう。因果な商
売でもある。(笑)


                


西高東低

2014年10月29日 | Weblog

                  

通年同じ時間(朝4時ころ)にウォーキングに出ていると、太陽を廻る地球の動き
つまり昼と夜、日向と陰の時間軸変化が良く分る。それに伴う気温の変化も日を
追って季節に染まってゆくので、天気予報を見ながら自分なりに今日着て行くも
のを決めたりしている。


今週は気圧配置が冬型になって太平洋側は晴天が続いている。まだ左程寒くは
ないけれど気温は確実に下がってきている。今朝は左手の中指がそれを敏感に
感じ取っていた。


何故かと云うと、Edの左手の中指は、数年前から老化で血行が悪くなってきたら
しく、少し冷えると夏でも指の先端が白っぽくなって痺れてくる。今朝は手袋をし
てウォーキングに出たのだけれど、それでも戻ってきたらやはり痺れて感覚がマ
ヒしていた。自分の指がチョッとした気温センサーなのである。^^!


しかしこの”センサー”は敏感過ぎてこれから先が思いやられる。手袋をはめてい
ても体温か室温が上がらないとづっと痺れたままなのだ。特に朝は通勤途中の車
内で反対側の手でマッサージを続けていないと指先が真っ白になってしまい、指
が壊死しそうで自分でも気持ち悪い。冬は、だから行儀が悪いけれど、外を歩くと
きはいつもズボンのポッケに右手を入れている。


                                               

冬は、しかし安定した晴れの日続くので好きである。今振り返ってみると、バイク
は寒くても秋から冬にかけて走るのが一番適していたような気がする。最も頻繁
にツーリングに出掛けたのは春から夏にかけてだったけれど、泊まりではしばし
ば降られて辟易した。雨では折角のツーリングも台無しで、そういう時は無口に
なり、ひたすら早く帰ることを考えて走っていた。^^!


バイクを降りてから10月で丸一年経った。時の経つのは早いものである。今は
もうバイクの無い生活にすっかり馴れて、面倒な車検だの定期メンテだの、草臥
れてきたライディング・ギアの買い替え費用などの悩みから解放されてホッとして
いる。身の丈に合った生活に戻ったような気がするのである。(笑)


来年、孫がこちらの高校へ進学するようなことになったら、今の仕事はもう少し続
けなくてはならないだろうし、後3年間は元気でいられたら有難いのだけれど・・・
さて。


             


もの忘れ

2014年10月27日 | Weblog

               

もの忘れが多くなった。何気なく置いたものは、3歩あるけば必ずもうその場所を
忘れているし、やろうと思っていたことを後回しにしたら、とんでもない後になって
忘れていたいたことを思い出す始末だ。困ったものである。^^!


それで何か対策は取れないものかと”いい頭(^^!)”で考えたのであるが、フッ
と思いついて「そうだ!後回しにするのを止めればいいのだ・・・」ということにな
った。しかし置き忘れの対策にはならない。これは結構難問である。いい解決策
は一向に思いつかない。とりあえず、手にするものは所定位置を決めておいて
必ず元通りに置くように努めよう。


「後回しにしない」というのは、つまりむかし有名になった松戸市の”すぐやる課”
の自分版である。これは結構いい案だとは思うのだけれど、疲れる。休む間が無
くクルクル一日中動きまわる破目になった。何も考えなければいいのだが、落ち
着きのない性分だからついあれやこれや考えてしまい、その都度腰を上げるか
ら身体を鍛えるためならいいが、夕方にはヘトヘトである。ボケた頭をカバーしよ
うと思えば、体力が必要だということか・・・


                                                

もの忘れがあまり無かったカミサンも、このところ結構増えてきたような気がする。
部屋の電気を点けっぱなしで外出してしまったり、折角用意しておいた還元水の
ペット・ボトルを置き忘れて行ったりする。Edは気が付いても、(目くそ鼻くそなの
で)一々云わないことにしている。(笑) どうせ本人が後で気付けば「・・・しまっ
た!」と思うだろうし、他から指摘されて自信を失い、落ち込んでも困るから・・・


しかしこの先もっと忘れっぽくなって、例えば銀行カードの暗証番号とか、貴重品
を入れた抽斗の場所とか、確かに置いた筈のものが無いとか・・・困るだろうなぁ。
カミサンは今精力的に断舎利を進めているが、「あれ、何処へ仕舞ったっけ?」と
捨てたものの仕舞い場所を訊くのだけは勘弁してよね。^^!


                   


情報連鎖

2014年10月26日 | Weblog

                 

先週、水曜日のこと。いつものようにお昼を食べに割烹・吉利へ行った。以前も書
いたことがあるけれど、この店のランチは秀逸である。しかも今時たったの750円
である。更に食後はコーヒーまで付く。これはどう考えても採算割れ、女将さんの
道楽としか思えない。^^!


常連客は我々のほか、近所の少人数の会社の従業員3、4人、それにいつも一人
でやってくる60がらみのオバサンだけだったのが、最近若い人や、タクシーの運転
手さん、老ご夫婦などちょくちょく見かけるようになった。Edたちは倉庫が若葉から
今の川越に移って以降だから8年くらいになる。、多分最も古くからの常連だろう。


何しろ、人数だけ言って勝手にテーブルに着けばお茶が出され、待っているとそ
の日の料理が一人分づつ盆にセットされて出てくる。メニューで一々注文をとる
わけではなく、客は出された料理を黙って頂く。^^!


先ず、お盆に乗ってくる品数が多い。刺身、お新香、煮物、和え物、味噌汁かお
澄まし、ご飯にその日のメインの惣菜が付く。揚げ物、焼肉、煮魚、天ぷら、野菜
炒めなどなど多種、多様で毎日変るから飽きが来ない。女将さんの料理の腕は
達者でどれも美味しい。ボリュームだって十分あり、Edはご飯は一番少ない10
0gにしてもらっているくらいである。


食後には季節の果物とか小さな菓子などのデザートと一緒にコーヒーが出される。
夏はコーヒーをホットにするかアイスにするかわざわざ訊いてくれるのだ。至れり
尽くせりである。それなのに・・・御代は8年前かっらづっと750円のままで変らない。
客のほうが「これでやっていけるのか・・・?」と心配になるくらいだ。^^!


                                             

随分前にカミサンに「吉利」の話をしたことがある。それをカミサンが一緒に仕事を
している画商のEさんに話した。Eさんは彼の知人Nさんが川越に住んでいたので、
「いい店がある」と教えてあげた。Nさんは早速「吉利」を訪ねて「なるほど、これは
今時珍しいくらいお得な店である」と実感したらしい。


Nさんはもうかなり以前から吉利に来ていたらしいのだけれど、Edとは逢ったこと
がないから店の人に尋ねて、ようやく木曜日Edを見付けてくれたらしい。


「・・・あの~、〇〇さんですか?千葉の」と、NさんがEdの傍らにきて恐る恐る訊く。
「ハイ、そうですが・・・」

「私、Eさんからこのお店のことをお伺いして・・・」(それで直ぐ思い出した)。
「あ、Eさんと私のカミサンが仕事を一緒に・・・」
「ハイ、奥様のこともEさんから伺って存じております」

ということだった。


40代中頃でEdの知らない綺麗な女性だったから、最初は吃驚したけれどわざ
わざ挨拶にきてくれたのだった。カミサンに話した吉利の情報が、めぐりめぐって
思わぬ他人に波及したのだっだ。(笑)



              


もの思う秋

2014年10月24日 | Weblog

                    

昼間の時間が大分短くなってきた。これから夏至(12月22日)に向かって増々
日が短くなるから朝のウォーキングは街灯を頼りに歩く。それとともに気温もグ
ッと下がってくるから、年寄には辛くなる季節である。


腰痛と手足の指先が血行不良で痺れたり白っぽい紫色に変色してくるので、そ
うなったら朝のウォーキングは中止である。結局真夏と真冬に中止していたら、
合計では年間3、4ヶ月も休むことになり、甚だ不本意であるが致しかたない。
歳をとると、こういうことでも思い知らされるのだ。


                                            

先日、中孫と久しぶりにスカイプで話したのだが、昨日その孫から手紙が届いた。
何やら厚い紙が入っている感じだったので、開けてみたらやはり手紙と皆の写真
が沢山出てきた。厚紙を額縁のように加工して中に3人一緒に撮った写真を入れ
てあった。これは部屋の一番良く見えるところに飾らねばなるまい。^^!


”おじいちゃん、おばあちゃん、いつまでも元気でなが生きしてね”と書いてあっ
た。ハイハイ、精々頑張りますよ。(笑) ・・・でもねえ、あなたたちが大学へ行く
ころには、もうこの世には居ないかも。それがじいちゃんの望みでもあるんだよ。
(云わないけど・・・^^!)


息子夫婦は孫を3人も生んでくれて皆健康で真直ぐに育っており、遠く離れて
暮らしていても親には何一つ心配をかけず、考えてみればこれ以上の親孝行
はない。有難いことである。


娘は我々が育て方を失敗したから、チョッと落ち着きのない人間に育ってしま
ったけれど、紆余曲折の末に良い人に巡り合って嫁にしてもらい、今はそれな
りに主婦の座に落ち着いている。

しかし、子を持たないという考えに頑なにかたまっていて、その点だけが残念で
ならない。ま、これもまた致し方ない。
運命といえようか・・・

                    


危険な仕事

2014年10月23日 | Weblog

              

会社の仕事をしていて身の危険を感じたことは滅多にないのだけれど、30代前
半で従事していた舶用ターボチャージャーのサービスでは、港から通船で数千
から数万トンある本船まで行ってタラップに乗り移るか、最悪縄梯子を伝って昔の
海賊みたいによじ登ることもあるので、波が少しでも高いときは緊張した。


船も1万トンを超える大型船になると傍に行けば小山のようだし、エンジン・ルー
ムに入って下を見下ろせば目もくらむ高さである。高所恐怖症の人では務まらな
い。^^!


大きさで云えば、Edが経験した最大級の船は何と言っても8~10万トンのタン
カーである。全長300m、幅60mくらいはあるからデッキ(上甲板)は広い運動
場さながらで、船員は前後の移動に自転車を使っていた。^^!


                                             

大型舶用エンジンは当時2サイクル・ディーゼルが主流で、勤めていた会社は外
国籍の船を専門に扱っていたから、スルザーやバーマスタ・ウェイン、マンなどの
欧州メーカー製ばかりで、それらのエンジンに勤務会社のBBC製ターボ・チャー
ジャーが搭載されていた。


車や小型飛行機のエンジンしか目にしたことがない者にとっては、全ての部品が
バケモノみたいに大きくて圧倒される。ターボ・チャージャーも然り、ローター(ター
ビン+コンプレッサー)は直径1mを超え重さ500キロもある。ローター・ハウジン
グは中に人間が十分入れる位大きいい。


                                            

仕事はターボ・チャージャーの分解掃除や点検で、重量物を扱う仕事なので、実
際の作業は専属の下請け業者の作業員を5、6人連れていって行う。Ed(監督)
は船の機関長との打ち合わせと最終組立作業の確認、そして心臓部であるメイ
ン・ベアリングの締め付けボルトの安全ワイヤ掛けと試運転の立ち会いだった。


謂わば船の煙突掃除みたいな汚れ仕事だったけれど、北から南まで日本全国
の港、それに時たま台湾や韓国(出張)など、あちこち旅が出来たから仕事は楽
しかった。


そんな中、一度だけ新日鉄千葉の私設バースに停泊中のノルウェー船で若い
下級船員に脅されたことがある。


                                         

帰り間際に「チョッと自分の部屋に来て。見せたい写真がるから」と誘われて彼に
ついて行った。するとアルバムを取り出し写真を見せられた。それにはナイフを
持って仲間とふざけているような彼の姿が映っていて、似たような写真が他にも
数枚あった。酔っているようで「恰好いいだろう」とか「俺がどう見える?」とか同
じことをしつこくくり返す。適当に返事しながら帰ろうとしたら、「まだ、帰さない!」
と云って壁に備え付けの緊急用斧を手に持った。吃驚仰天。


Edは緊張のあまり脇の下から冷や汗が出てきた。成るべく彼を刺激しないよう、
云う通り椅子に座り直し、またアルバムに戻ってクドクドと、怪しい呂律で話しか
ける彼の不毛の話に付き合った。斧を握ったままなので逃げ出すわけにもいか
ず途方に暮れていたが、やがて外からドアが開いて別の船員が入ってきた。
渡りに舟で、Edはそれを契機に酔った船員から解放されたのだった。


後から聞いた話では、件の酔った船員は前の晩陸にあがってバーで呑み、日本
人と諍いを起こして袋叩きにあったという。その腹いせに日本人なら誰でも構わ
ないから脅しをかけて、憂さを晴らすつもりだったのである。飛んだ災難だった。


                                             

後から考えると唯の「脅し」だったに違いないのだが、その時は斧が凶器に思え
て心底怖か
ったのである。^^!

                   


サウス・ピア

2014年10月22日 | 通勤

                 

朝、武蔵浦和駅の埼京線ホームで川越行の電車を待っている時目の前にさい
たま市役所の南区役所のビルが見える。「さいたま市」という名前の後に、「SO
UTH PEER」という英語の表記が見える。

むかし、外国籍の船舶相手の仕事をしていたから各地の港湾を訪れた。大きな
港には突堤が沢山あり、訪れる船の停泊場所を特定するのに「中央突堤」とか
「3番突堤」などという。中には「ノース・ピア」や「サウス・ピア」という英語名もあ
るので、Edの頭の中では「ピア」というと、直ぐ「突堤」を思い出す。


しかし突堤を表す「ピア」はPierであり、Peerではない。最近老眼で字がボヤケ
テ見えるから何度も目を細めて確かめてみたが、どうやら”PEER”となっている
ようだ。^^!


桟橋や突堤を表す「Pier」であれば、空港などで建物の突き出た部分を意味す
ることもあるようだから、あるいは”支所”の積りで使われることがあるのかもし
れない。しかし「Peer]には何処を探しても”支所”や”市役所”らしき意味合い
が見付からなかった。


                                             

日本は西洋コンプレックスのせいか、難しい外国語の単語や凝った翻訳で人目
を引くのが好きである。今ではマンションは集合住宅の代名詞であるが、メゾン
やタワーだけでは物足りないらしく、レジデンス、コート、グレース等々やたら意
味不明のカタカナ名が出てくる。英語だったら簡単にFlatあるいはCondomini
umなのだろうが、それではあらかたの人に安っぽく思われる、という住宅販売
会社の考えなのだろう。


しかしそれにしては、日本のマンションは相変わらず部屋数のLDK表示が主流
で、肝心の占有面積では130㎡を超える大型は少ない。狭い面積をチマチマ
した狭苦しい部屋に仕切って部屋数を表示し、難しそうな名前を付けて高級感を
演出するのはトリッキーでは・・・


若しかして、市役所も訳の分らない英語にして、時代の先端を行ってるかのように
見せかけてるだけじゃなかろうね・・・(笑)



                     


ろーとる

2014年10月21日 | Weblog

                  

今週はカミサンは仕事で一週間忙しい。夕飯は、だから早く帰宅したほうが”用意”
しなければならない。遅い者勝ち・・・である。(笑)


昨日は展示品の搬入の日だったから、疲れたと云って夜家に戻ってきた。土日は
Edが夕飯(・・と云っても酒の肴程度だけれど)の支度をすることになっているから、
帰宅早々「悪いけれど少し横にならせて・・・」と云いながら、一休みしていた。^^!


この一年カミサンは坐骨神経痛が再発したらしく、3年越しの陶板浴以外にも整体
に通い、痛み止めの高い市販薬を呑んでいるようだったけれど改善せず、ついに
先日嫌いな病院へ行った。レントゲン検査の結果、別の指定病院でMRI検査を命
じられ、来週予約が入っている。


カミサンの腰痛はもう若い頃からのもので、原因は脊椎(の一部)が少しづれてい
るために神経が圧迫されるせいで、根治は無理らしい。病院ではMRIの結果で
治療方法を決めましょうと云われたけれど、選択枝の一つ「手術」だけはしない、
と頑張っている。”歩けなくなる”のが一番怖いので、いまのところ何とかして痛み
止めや運動で治すか改善する事を目指している。


                                              

Edも坐骨神経痛持ちである。震災のあった年、半年間くらい歩くのが辛くて往生
した。カミサンの勧め(半ば命令?)で陶板浴に通い始め、その効果あってか否か
定かではないが、兎に角今のところ少し腰痛があるだけで幸い歩行に支障は来
たしてない。


お袋は老いてから神経痛を痛がっていたけれど、自分がそういう年になってみて
初めてその不快な痛みを知った。


子どものころ、兄たちが草臥れてくると良く「だめだなあ・・・もう疲れたよ。ろーとる
になったなあ」といって笑っていたのを思い出す。ろーとるの意味は分からなかっ
たけれど、何となく年を取ったことを言っているのだろうとは思った。

「ろーとる」とは中国語で年寄を意味する”老頭児”と書くそうである。今は正しく「ろ
ーとる」になった。^^!


                     


ローカル線

2014年10月19日 | Weblog

 

先日筑西市の友だちIさん宅を訪ねた帰り、ローカル鉄道(常総鉄道)に乗った。
久しぶりの一両だけのディーゼル・カーで懐かしかったけれど、小一時間の乗車
時間でうるさいエンジン音と揺れとカックンと利くブレーキを”満喫”した。最近の
快適な通勤電車に乗り慣れた身にはもう十分な距離で、取手まで行くのは止め
にして途中の守谷で下車した。^^!


毎日通勤に利用している成田線も川越線も単線のローカル線である。が、こちら
は使っている車両が10両連結の”電車”で埼京線や常磐線に直通運転している
新しい車両だからディーゼル・カーとは大違いである。


最寄駅の成田線小林駅は目下駅舎の建替え中で、完成まであと2年ほどである。
これまでは駅員さんが一人詰めていて、みどりの窓口になっていたから、新幹線
の切符や定期の購入に便利だったのだけれど、先月から窓口が廃止となり、全
部自動の販売機で行うように変えられてしまった。


Edたちのような高齢者にとっては人間でなくて、機械を相手に慣れないパネル操
作を強いられるので、真に要領を得ない。初めての人はまごつく事請け合いであ
る。


                                           

新しい駅舎は改札口が橋上でかなり立派な造りになっているようだけれど、やは
り今のまま無人になるのだろうか・・・。乗降客の数が少ないローカル駅の宿命な
のかもしれないが、あらゆることを無機質の機械でこなすようになると、生身の人
間だがら間違えると機械にあーせいこーせいと命じられることになりそうである。


例えば、定期券で乗車駅のICゲートから入場し、下車駅改札でICゲートを通らな
いで降りてしまったり、IC改札の誤作動(実際にある)で、電子記録上”下車”して
いないことになっていると、次回乗車駅で改札を通ろうとするとゲートが開かない。
そういう場合駅員が一人もいなければ、改札を通れず甚だ困る。


効率化と利益追求のためとはいえ、やはり相手は生身の人間である。JRほか鉄
道会社は、人間が犯す間違いや機械の誤作動を完全に無くしてから、無人化を
図って欲しいものである。


                   


福島原発事故その後

2014年10月18日 | Weblog

      

東日本大震災とそれに続く福島第一原発の爆発事故から3年半が経過した。震
災で家を失ったり原発事故の放射能汚染で故郷を追われた沢山の方々は未だに
仮設住宅で先の見えない不自由な生活を強いられている。


口先だけの政府はもうすっかり忘れたかのように、やれアベノミックスだ、やれ
東京オリンピックだと浮ついたことにばかりに血眼で、地に就いた支援とはほど
遠い自治体任せで、復興そのものは遅々として進んでいない。


中でも震災被害と放射能汚染という二重の被害に苦しむ福島県と近隣地区は、
これから先どうしたものか・・・と思い悩み苦しんでいる。原発で電力の利用だけ
してきた東京を筆頭とする大都市部に住む我々は、もう過去の事として半分忘
れかけてしまっているのではないだろうか。


                                           

TV,新聞の大マスコミはその後の福島第一の事故処理について東京新聞以外
は、継続的且つ地道に報道しなくなってまったけれど、依然として汚染水は増え
続け、地下水の漏れは止められず、最新の放射能濾過装置もトラブル続きだっ
たり、現場で働く作業員のずさんな健康管理と危険手当のピンハネなど、問題は
積み上がったままで、処理収束するのは一体何十年先になるのか誰にも分らな
いという。


放射能汚染の怖さは、それが五感では何も知覚できないことで、強烈であれば
即死につながるけれど微量であれば自覚のないままジワジワと肉体を蝕み癌を
発症させ、そしてそれが放射能によるものか否か確たる証明ができない。ロシア
のチェルノブイリ原発事故では子供たちの甲状腺癌が多発し、そのことは手術の
応援で行った日本の医師も確認している。政府は公表しないけれど独自に調べ
た医師によると、普通10万人に一人である小児の甲状腺癌の発生率が、福島
では実に130倍だそうである。


                                          

放射能の「除染」という言葉が良く使われる。「除染」と云われると、何だか放射
能が除去されて無害になったように錯覚させられるけれど、実は汚染された土
瓦礫を集めて他の場所に移動しただけのことで、放射能そのものは半減する迄
でさえ何十年、何百年、何千年とかかるのである。つまり「除染」ではなくて正しく
は「移染」というべきなのだそうである。政府や東電に騙されてはならない。


この先、政府はまだ原発を再会させようとしているが、愚の骨頂である。日本は
使用済み核燃料が既に溜まりに溜まっており、最終処分の場所も方法もないま
ま原発を動かせば動かすほど高レベル放射性廃棄物は増え続け、子々孫々に
亘って処理不能の膨大な「負の遺産」を残すことになる。現政権、自公議員たち
は真に無責任極まりない!

                                     


ドイツはロシアのチェルノブイリの事故で放射能汚染という問題を重くみて原発の
是非で世論が盛り上がり、福島の事故を受けて危険は明確になったと判断して
いち早く脱原発に舵を切った。


片や日本ではどうか。国民は”原発は必要である”などという政府、東電の嘘に
騙されて、未だに再稼動を許そうとしている人間も大勢いる。我々は明日のパン
だけのために、子や孫の世代に危険極まりない「負の遺産」をのこしてもよいの
か、各自が真剣に考えるべき時に来ていると思う。

                 


お姫様だっこ

2014年10月16日 | Weblog

                  

TVで女優?タレント?の「はしのえみ」さんが出ると直ぐ思い出すのが”お姫様だっ
こ”のこと。多分彼女が何かの番組にお姫様の恰好で出ていて、「私、お姫様抱っ
こされたい」とか騒いでいたのが印象に残っているせいだと思う。


欧米では、よく結婚式で花嫁を新郎が横抱きにするあれである。欧米人は大抵腕
力があるから、いとも簡単にそういうことをするけれど、我々日本人で真似できる
男はそうそういない。あれは余程男女に体格差があって男が力持ちでないと出来
ない。


大むかし、子どもが未だ小さかったころ、ふざけてカミサンをお姫様抱っこしてみた
が、とてもじゃないが必死で持ち上げなければ横抱きは出来ず、カミサンを床に落
として叱られた。上背はEdの方が7、8センチ大きかったのだけれど体重はどっこ
いどっこいだったから無理もない。あれは女性が小柄で華奢な人以外止めた方が
よい。(笑)

                                     


内緒だけれど、今カミサンの体重はEdを僅かながら超えてしまった。彼女もダイエ
ットに励んでいるのだけれど、どういう訳かなかなか減らない。一進一退といったと
ころだろうか。


女性は主として自分のスタイルと衣服のために、男性は健康のために肥満を気に
するようであるが、Edは得な体質らしく何をどれほど食べても体重が殆ど上下しな
いので肥満を心配したことがない。しかし流石にこの頃は胴回りに贅肉がついてき
てしまった。


唯、Edの場合ズボンでもなんでも旧いものがサイズが合わなくなって捨てるという
ことは無く、大抵は生地がへたったりデザインが古びてきて廃棄している。旧いもの
をいつまでも着ていられるというのは、かなり経済的、貧乏人向きでもある。^^!


そんな訳で我が家ではオヤジの体重がづっと一定なので、相対的にカミサンの体
重が増えた。
どうやらお姫さま抱っこは、Edがカミサンにしてもらうほうが似合って
きたかも・・・(ハハハ・・・)

                                        

冗談はさておき、これから老々介護の時を迎えるにあたり、お姫さま抱っこの真似
ごとすら出来ないようでは情けない。ジジイもバアさんも少しは筋トレに励んでおか
ないとイザというときタイヘンだなあ・・・

これから高齢者健保の個人負担も増えるらしいし、日本の長寿社会はますます生
き辛くなる。死ぬまで元気でいられる人はシアワセ!途中でコケたら最悪!
丁か半か、年寄の最後はまるで博奕だな・・・^^!


                  


エネルギッシュ

2014年10月16日 | Weblog

 

オートバイで、足かけ6年もかけて世界をたった一人で走り周っている元気な古希
オジサンがいる。Edより二つ若いだけの71才の松尾清晴さんである。走りながら
数日置きにブログを更新しているのでづっと読ませてもらっている。


一ヶ月15万円位の予算で旅を続けているらしいが、相当切り詰めた宿泊費と食事
代ではあるけれど、なかなか豊かな内容で素晴らしい経験を積み重ねていらっしゃ
る。なかなか真似の出来ることではない。小柄な体の一体どこにそんなエネルギー
が隠されているのだろうか、と思えるくらい頑健で、性格も明るい。


医者の日野原さんとか冒険家の三浦雄一郎さんとか、世間一般より突出している
人のことは承知しているけれど、自分とほぼ同年代の方で、しかも同じオートバイ
趣味の人である。こういう並はずれた”元気”に接すると圧倒される。^^!


中でも一番驚くのは彼の食事である。殆ど地元のマーケットや商店で買った野菜
や果物とハム、ベーコンの類を安宿で自炊(と云っても、火を使う調理は極めて少
ないのだけれど・・)である。しかも必ずしも衛生的とは言えない国や地域もあるの
に、病気一つしないみたいなのだ。夕飯では必ずアルコールをたっぷり呑むようだ
から、消毒されるのだろうか・・・(笑)


時々レストランで暖かい食事にありつくと本当に美味しいと感じるのだろう、その
喜びが伝わってくる。旅の楽しみの一つは何と言っても食事だろうから、その土
地でしか食べられない珍しいものや美味はきっと忘れられない記憶として残るに
違いない。


仮にもし、今の自分が彼のように独りで見知らぬ外国をバイクで走ることを想像し
てみると、多分次から次へと心配事が出てきて毎日おちおちしていられなくなるよ
うな気がする。次の目的地までのルートは間違っていないか、ガス・スタンドはあ
るのか、今晩泊まる場所は見付けられるのか、バイク修理のショップはあるのか、
次の訪問国のビザは何処で・・・等々きりがないのだ。


そういう日々の諸々を、淡々と乗り越えてしまう松尾さんという人は身体だけでなく
精神も豪胆なのであろう。年齢を少しも感じさせないその気力には脱帽である。
常人にはとても真似はできない。^^!

 

  (上の写真は二枚とも松尾さんのブログから転載させて頂きました)


誕生日?

2014年10月14日 | Weblog

                   

今年は運転免許証の書き換えに当たっていたので、否応なく自分の誕生日を
シッカリ思い起こさせられていた。普段はその日が過ぎ去ってから「・・・あ、そう
だ、昨日で72になったんだ!」てな具合だから、カミサンだって亭主の誕生日
なんてすっかり忘れている。^^!


                                            

そんな折、思いがけずイギリスのMFさんからBirthday Emailを貰った。彼に
自分の誕生日なんて話したことあったかなあ・・・と思いながらも、嬉しかった。
Edが60の定年を迎えた13年前、初めてカミサンを連れて2週間、これも初め
てのプライベート旅行をしたとき、Manchesterでのレンタカーや宿泊の手配で
彼にいろいろお世話になった。


勿論、それ以前には仕事でお互いに日本と英国を行ったり来たりしていたから、
親しかったのだけれど、その旅のおかげで彼の家族とも逢ってもっと仲良くなっ
た。以来毎年、年末の挨拶は欠かさないようにしている。


あの当時、彼の二人の息子さんは未だ十歳かそこらの小学生だった。それが
今は、上の子は大學で薬学を修めて学校の講師をしており、下の子は大学生
で数学と化学を勉強中という。父親である彼本人はやはり教育機関で企画・計
画管理を教えているそうだからインテリ家族である。Edの家族とは大分違うな
あ。^^!


メールを貰った日の晩、カミサンと夕食を食べながら「お誕生日、おめでとう!」
と云って乾杯のグラスを挙げたら、カミサンはそこで初めて気が付いて大笑い
になった。この歳になるとお互いに、誕生日は”年取ったなあ・・・”という、やり
たくない再確認をするだけのことだから、本当は忘れていたいのである。(笑)


                  


転居

2014年10月13日 | Weblog

 

GM時代の友人TIさんが、少し前千葉県から茨城県へ転居した。今まで住んで
いた自宅を売却して子どものころ育った故郷の町へ引っ越したらしい。蜘蛛膜下
で倒れて以来右手が不自由になってしまったので、旧友もいて生活しやすい故
郷の町に戻って一軒家を借りたという。


昨日(12日)嘗ての飲み仲間3人と連れ立って逢いに行った。TXのつくば駅で
待ち合わせ、彼の車で昼を食べに行った。旧い大きくて立派な農家の建物を蕎
麦屋に改装したような造りで、駐車場には遠方からの客の車が停まっており、
店はなかなか繁盛している様子だった。


20分ほど待たされて席に着いた。丁度昼時とあって仲居さんたちはてんてこ舞
いしていたが、手際がまだ余り良くないところをみると、客が多すぎて戸惑ってし
まったのかも・・・


Edはもりそばと野菜の天ぷら盛り合わせを注文した。TIさんは運転するので飲
まないという。申し訳ないけれど、我々3人だけ軽く一杯ビールをご馳走になっ
た。前回逢ったのは8月で、千葉の佐倉城址公園だった。あれから僅か2ヶ月、
急転直下の彼の転居だったけれど、こういうことはチャンスで成立するものだし、
彼にとっては良い結果だったではなかろうか。


転居先は広い庭付きの大きな二階家で、独りで住むにはもったいないくらいだ
けれど、今度の家の方が使い勝手はよいようである。つくばからこれほど離れ
ていると想像しなかったので、気軽に訪問させてもらったけれど、半身不自由な
彼に長い距離を運転させてしまい、申し訳なかった。


近くにローカル線の常総鉄道が走っており、帰りはその最寄駅まで送ってもらっ
た。久しぶりにディーゼル・カーの懐かしい音を聞きながら守谷まで行き、TXに
乗り換えた。昨日は天気もよくて爽やかだったから、ハイキング気分で過ごした
一日だった。^^)

 


軽井沢

2014年10月11日 | Weblog

 

随分前からカミサンが「一度行ってみたい」と云っていた、軽井沢の千住博美術
館へ昨日(10月10日)ようやく行ってきた。土日は渋滞がヤなので、仕事は休
みを貰った。


早く出て早めに帰りたいというカミサンの希望で、朝は5時半に家を出た。朝が
苦手な彼女にしては珍しく頑張って4時半には起きて身支度を整え、お茶も飲
まずに出発したのだ。前日買い込んでおいたペット・ボトルの茶と、山ほどの駄
菓子は買ったまま袋ごと後の座席に。


いつもの様に柏ICから常磐道で三郷から外環道へ出た。足元から冷えてきて
冬用の下穿きを履いてくればよかった、と後悔する。大泉で関越道に入ったの
が7時近く、道路は空いていて順調である。練馬からは100キロ少しだから楽
勝である。三芳SAでトイレ休憩序でに暖かいコーヒーとサンドイッチを摘んで
軽い朝食代りにする。


美術館に着いたのは9時丁度・・・だが開館は9時半より。アプローチの手前に
都合よく軽食喫茶店あり、そこでコーヒーを飲みながら暫く待つことに。上手く出
来てる。^^!


モダンは建物は周囲をよく整備された樹木と草花で囲われ、展示場内側にも何
ヶ所か中庭があって、そこも外と同様に樹木と草の空間になっている。床面は自
然のままの傾斜を生かした造りにしてあって、自然の中で絵を鑑賞しているよう
な感じを演出している。なかなか凝った美術館である。


展示してある絵は瀧をモチーフにしたものと自然の静寂を表現した景色が主体
で、ビエンナーレ展で最優秀賞に輝いたという瀧を表現する技法は今までにな
い描き方なのだそうである。Edは滝の絵も素晴らしいと思ったけれど、好き嫌い
で云えば、朝もやに霞む林の中で水辺に鹿が一頭佇む4枚つづりの風景が一
番好きである。


                                                

見終わってまだ11時前、昼には少し早い。暇つぶしに熊野神社へ行って紅葉
見物をしようと行ってみた。しかし、紅葉はまだこれからの様子だったから、直ぐ
引き返して教えてもらった万平ホテルへ。旧軽井沢の奥まったところにある有名
なホテルらしい。11時半に着いたのだけれど、目当てのダイニング・ルームは
まだ開いておらず、売店で時間をつぶす。


12時きっかりにダイニング・ルーム(レストラン)が開いたので直ぐ列に並んだ。
通されたテーブルは中央の窓際で正面に広い庭が!ラッキー!NETで予め調
べておいたお得なランチ・セットを注文。飲み物はグラス・ワイン白。前菜の鶏肉
サラダもスープも文句なしに旨い。メインは豪州ビーフのワイン煮。パン以外はど
れも美味しくて満足だった。


食後、史料館という部屋があったので覗いてみた。なんと、田中角栄や米国キッ
シンジャー、ジョン・レノンなどが訪れていたらしい。隠れた名門ホテルだったのか・・・


往路はカミサンの運転だったから、帰りはEdが運転。途中でりんごを一箱買っ
て高速へ。4時半に無事帰宅。走行440キロ。車の旅はバイクのような感動は
ないけれど、ラクチンではあるな。^^!