Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

金券ショップ

2013年05月31日 | Weblog

                

半年ぶりで会社の帰りに浜松町へ行った。金券ショップに用があったからである。

株主優待券が相場で換金できると知ったのは、6、7年前のことで、それもJinさ
んに教えてもらったのである。それまでは使わないから、と捨てていた。勿体ない
事をしていたものである。

Jinさんが生きていたころは、帰りに西日暮里辺りで逢って一杯やるから、遠いと
いう気がしなかったのだが、金券ショップだけのために行くとなると、随分遠いし
億劫になる。電車が浜松町に着くまで時計ばかり見ていた。

浜松町のその店は数年前NETで調べて買い取り価格が一番高かったからで、
以来づっとそこまで足を運ぶようになった。高い時は1枚7~8000円で売れた
のだけれど、今回は一頃の半値だったから、新旧6枚あっても2万円強にしか
ならなかった。(ま~、我ながら欲の深くなったことよ・・・^^!)

しかし株はカミサンの所有だから、金額の多寡にかかわらず一旦全額敵に渡す。
しかる後、分け前を少しだけ頂くわけだから、決して折半にはならない。
良くて1/3から1/4、悪くすると全部没収されてしまうので、正直に申告して成
るべく敵の心象を良くすることに努めている。(笑)

浜松町も新橋ほどではないが、駅前はサラリーマン相手の焼き鳥屋や焼酎専門
の一杯飲み屋が繁盛していて、だれかと一緒だったら立ち寄りたいところだ。
イスが満席らしく、女性までも独り焼き鳥でビールを立ち飲みしている。
最近の女は勇気あるなあ・・・^^!

帰りは夕方のラッシュに当たってしまったから、電車も混んでいて、久しぶりに1
時間も立ちんぼで揺られて帰ったら疲れてしまった。もう浜松町の金券ショップは
これで最期にしよ!

                 


忘れ物

2013年05月30日 | 通勤

           

今朝、武蔵浦和駅のいつもの場所で電車を待っていると、脇で半べそかきなが
ら女高生らしき女の子が駅員と何やら話しており、駅員は携帯でどこかと連絡を
取っている様子。

聞くとはなしに耳に入ってくる、「黒のバッグ」とか「・・網棚・・」とかの断片から察
して、どうやらカバンか手荷物でも置き忘れてしまったらしい。^^!

暫く携帯で話していた駅員が「下の改札口で担当の者が待っていますから、直ぐ
行って下さい」と云うのが聞こえ、彼女が急ぎ足で階段を下りていくのが見えた。
手ぶらだったところを見ると、学生鞄でも置き忘れたのだろうか・・・(笑)

                                    

Edは、しかし”オッチョコチョイ度”では他人を笑えないのだ。小学生のころ日光へ
遠足に行った。卒業旅行だったかもしれない。夕方旅館へ入るまえに、中禅寺湖
の畔で暫く休憩してみんなで遊んだ。先生の号令がかかり、遊びをやめて50m
ほど離れた近くの旅館へ入った。

部屋に入って、さて・・・と荷物を下ろす段になってハッと気付いた!
降ろすべき荷物が無い!

ある筈はないのだ。先程遊んだ湖の畔のベンチに自分のリュックサックを置いた
まま、手ぶらで旅館に来てしまったのだ。アホッ!(爆)

そのあとは、すっ飛んで旅館を飛び出し、ベンチに駆け戻ったら自分のリュック
が1個だけポツンと残っていた。先生もあとから追いかけてきてくれたが、子供
ながらえらく恥ずかしかったのを憶えている。^^!

我が子(長男一茂)を置き去りにして家まで帰ってしまった長嶋茂雄さんほど酷
くはないが、Edも相当なオッチョコチョイだ。よく今まで大過なく生きて来られたも
のである・・・

この時のことがトラウマになっているのか、時々何か大切なものを何処かに置き
忘れたり、失くしたりして慌てている夢を見る。(笑)

死の間際には、きっと何か忘れ物を探してウロウロしながら、あの世に旅立つ
のではないだろうか。(ハハハ・・・)

           


遊歩道の清掃

2013年05月29日 | Weblog

 

この前の日曜の朝、のんびり朝食を食べていたら、窓越しに近所の人達が箒や
塵取りなどを手に手に通り過ぎてゆく。一斉清掃の日かな・・・?とカミサンの方を
見たら「アッ、もしかして今日お掃除の日かもしれない!」と甚だ頼りない答えが
返ってきた。

オイ、オイ、居留守でサボっちゃ評判わるいじゃないか!

去年一年間、班の世話役やっていたから回覧は自分自身で回していたし、掃除
当番を忘れるようなことはなかった。それなのに、このところ回覧はカミサンが中
をロクに確かめもせずメクラ判で回してしまうものだから、今日の掃除のことは全
く知らなかったのだ。

急いで身支度をし、カマや熊手それに軍手をはめて表に出た。我が家から一軒
挟んだ直ぐ南側が遊歩道だから近い。数人集まったところで、誰もまだ手つか
ずの状態。それもその筈、草が茫々に伸びてしまって、どこから手を付けてよい
やら困ってしまっている。

班長のAさんが「電気バリカンを用意するから」と長いコードを持ち出してきた。
裏のTさんが大きい電動芝刈り機があるからと、自宅へ持ちに帰った。暫くすると、
もう一台小型の
電動剪定バリカンを持ってくる人もいて、合計3台の動力機械が
集まり、広い持ち場も何とか綺麗に草を刈ることができた。

Edは機械の入れない狭い角や木の裏側を専門に、カマ(鎌)で刈り取る作業に
汗を流した。お喋りが止まらないオバサン達は、オジサンたちが刈り取った草を
袋に詰める軽作業だけに専念していて、あまり汗をかいている風でもなかった
が・・・ま、いいっか(笑)

年々町で行う街路樹の剪定や遊歩道の草刈りは回数が減らされ、その分住民
の使役が増えてきたように感じる。事前に頼んでおけば、エンジン刈り払い機な
ど町が貸し出すらしいが、慣れない機械は誰も使い手がない。個人の電動バリ
カンでは広い面積は出来ないし、何台も使えば電気代も嵩む。

それより何より、腰の痛い老人ばっかりになってしまって、その中こういうボラン
ティアに出てくる人が居なくなってしまいそうである。

終わってオジサンたちの腰痛自慢(?)になり、Edさんは姿勢が良いだの、まだ
まだ元気だの、ウッカリ煽てられてしまったが、油断はできない。(アセ、アセ)
私だって腰痛持ちだし、出来ればボランティアの草刈りなど出たくないのだ。^^!


これからの季節、一月に一回の草刈りではとても間に合わない。自宅の庭だっ
てあるし、草むしりが年々辛くなってきたなあ・・・

ヤレ、ヤレ・・・

    


梅雨入り前に・・・

2013年05月28日 | Weblog

 

昨日(月曜日)は仕事は休みを頂き、RBへ行って気になっていたバイクのメンテ
ナンスを済ませてきた。もう手放そうか、どうしようかと逡巡しているのだけれど、
取り敢えず所有している間は走れる状態は維持しておこう、
と思ったのだ。

                                   

メンテと云ってもオイル交換だけであるが、エンジン・オイルとクラッチ、それに
前後ブレーキ・フルードの交換をすると、1時間半はかかる。いつものことながら、
展示バイクを眺めたり、バイク雑誌を見たりして待つのである。

今乗っているバイクも、12年前そうやって店内を見て歩いている時、見付けたも
ので、あの時は乗っていたスティード600の下取り価格がかなり良かったので、
即決した。新車から2年落ちで走行僅か500キロほどだった。

バイクに慣れて、トラブルが無くなるまで紆余曲折があったけれど、クセを呑みこ
んでからは、大きな故障もなく今年で13年目になる良いバイクである。

あのころは、ホンダの”X4”やヤマハ”Vmax”にも興味があった。けれども速い
バイクに乗れば、きっとそれなりに飛ばす。楽しいかもしれないが、運動神経も
反応速度もそれなりに低下している。年寄には危険が増す・・・そう思ってゆっく
り走るクルーザーにしたのだった。

中古のGL1800が2台展示してあった。179万と187万でいずれも未だ綺麗
である。重厚で滑らかな加速、楽そうなタンデム・シート、一度は乗ってみたい
バイクだった。

しかし新車(300万)から5年も6年も経った車が200万近いとは・・・尤も、もう
買い替える余裕も体力もないから、どうでもいいけど(笑)

                                    

11時半、オイル交換完了。5400円ほど(エンジン・オイルはリザーブ有)支払っ
てR51で成田空港道路へ。薄曇りだけれどツーリングには快適。空いた田舎道
を銚子・君ヶ浜まで行ってUターン。150キロほど走って午後3時半帰宅。

これでまた1、2ヶ月放置しても大丈夫だろう・・・

 
 

  


599mと8848m

2013年05月24日 | Weblog

          

いやぁ~・・・素晴らしい!

冒険家の三浦雄一郎さんがエベレスト登頂に成功した。しかも80歳で!
これは世界最高齢記録らしい(・・・従来は外国人の76才)。

70才、75才そして今回と、5年おきに3回も・・・

たゆまず努力を続けている人というのは、ホント吃驚するようなことを成し遂げる
ものである。Edなどは10才も若いのに、もうヨレヨレで情けないかな高尾山に登
るだけで疲労困憊してしまう。^^!

登頂して、
「もうこれ以上ないくらい疲れた」と云っていたけれど、僅か45分ほど
して下山を始めたというから、持久力も精神力も超人的な人である。どれほど鍛
えたらそんな風になるのか、ボンクラのEdなどには想像すらできない。

父親の三浦敬三さんは101才で亡くなったけれど、100才で現役スキーヤーだ
ったらしいから、どこまでもたゆまぬ努力の「家系」なのだ!凄っ!

酸素が平地の1/3しかない「デス・ゾーン」、氷河の崩壊が続く{アイス・フォー
ル」、45度の巨大な氷壁「ローツェ・フェース」などの難関を次々とクリアーして行
き、一見極めて順調そうに思えるけれど、それなりに周到な計画と準備があって
のことらしい。

勿論、ロシアン・ルーレットとも呼がれる「アイス・フォール」は、運が悪ければ崩
れた氷と共に押し流されてしまう危険を伴うそうで、まさに命がけなのだ。

出発前、「登れれば一番いい。もしエベレストが自分の墓標になっても、それ以
上最高の墓標はないと思う」とコメントしていたらしい。

それくらいの覚悟で、自分がやりたいと思った事に挑戦したということであり、普
通の人には到底真似できない。

76才の時スキーで、骨盤・大腿骨の付け根骨折という全治6ヶ月の大怪我をし、
2ヶ月半で退院して6ヶ月後にはもうトレーニングを再開したという。

最近我々は長生きするようになったというけれど、老いても目標を定めてそれに
向かって努力を続けるような生き方でなければ、本当に「生きている」うちには
入らないのかもしれない。長生きバンザイなんて軽々しく言えないw!

三浦さんの爪の垢を少し分けて欲しいものである・・・^^!

                 


眠りジジイ

2013年05月22日 | Weblog

               

余程疲れていたり前の晩寝付かれなかったりしない限り、朝寝過ごして学校や
会社に遅刻するようなことは滅多にない。若いころから目覚ましで他人を煩わせ
たことは殆ど無かったと思う。お袋はEdのことをよく「この子は目ざといから・・・」
と云っていたが、直ぐ見付ける(気が付く)という意味では、勿論ない。

娘もEdに似て、翌日予定があれば決して寝過ごさない。ところが息子は朝起き
られなくて、起こす方が何度も声をかけてやってようやく目が覚め、遅刻ギリギリ
で家を飛び出していく。カミサンに似たのである。^^!

                                    

しかし電車に乗っているときの居眠りは、チョッと違う。最近あまりやらなくなった
けれど、ひと頃時々一駅乗り過ごしては勤めを大幅に遅刻した。大抵前の晩寝
不足だったりする。

あれは、気が付いたときは不思議な感覚で、「次降りなければ・・・」と思っていた
のがつい数秒前だった筈なのに、見えている景色が全く想像と違うのだ。それで
初めてハッとして、「シマッタ!」と内心大いに慌てるのだ。

自分では、ホンの数秒のつもりでも、実際には少なくとも1分や2分、正体なく眠
っていたのだ。「次降りなければ・・・」と思いながら、次に気が付いたら電車はま
るっきり違うところを走っていたりするワケで、これは慌てる。

けれども、そういう時は内心の慌てぶりとは裏腹に、ゆっくり次の駅まで坐って
いて、降りたらすかさず反対側ホームに入ってくる電車でUターンする。見てい
る他人などいるわけはないのに、何となく後ろめたく思うのは何故だろうか・・・

今朝は、ハッとして目が覚め、「またやった・・・!」と思って覚悟したら、車内
放送で・・・「次は~武蔵浦和~武蔵浦和~!」

そうだ、思い出した、手前の南浦和で電車が走り出して直ぐ、緊急停止信号と
かで止まっていたんだっけ・・・^^! ヤレ、ヤレ


            


晩酌

2013年05月21日 | Weblog

                  

ほんの数年前までは、この言葉はEdにはあまり相応しくないという感じがしてい
た。何となれば、「晩酌」のイメージはゆっくり夕飯を食べながら軽く一杯・・・とい
うものだったからで、その当時
は仕事が終われば大抵真直ぐ帰宅せず、友達と
何処かへ呑みに行っていた。


今はもう、哀しいかな仕事帰りに一杯という愉しみは無くなってしまい、その代り
真直ぐ家に帰ってカミサンと二人で「晩酌」というスタイルになった。変われば変
わるものである。この頃では「晩酌」がすっかり板についてきた。^^!
ジジイになったということだ(ハハハ・・・)

普段の日はEdは缶チューハイ350mlを一本。カミサンは日本酒をグイ呑みで一
杯。土日は安いワインを二人で一本空けるが、呑み切らなくて余すこともある。
ワインは紀伊国屋系のECOPIERで買う。通ではないから銘柄や産地には拘ら
ない。良く冷えた白が好きである。

カミサンは日本酒が好きで、久保田の千寿か碧寿、八海山、越州などが好きらし
い。Edが呑まない日(・・・偶には休肝日)もカミサンは呑む。半分アル中バアさん
かも知れない。ま、いいっかお互いそう先は長くないだろうから。。。(笑)

先週日曜の晩は二人ともワインでほろ酔い加減になってしまい、饒舌になった。

カミサンが喫茶店をやっていた頃の話になり、Edが子供たち二人(中学生、高
校生?)の食事の世話や弁当作りで毎日クルクル忙しく立ちまわっていた時期
があった。オヤジの作った弁当や毎日の食事を子供たちは一体どう感じていた
のか、まだ一度も訊いてみたことがない。

カミサンは面白がって、「今すぐ電話してみよう!」という。もう夫々家庭がある、
酔って親が夜中に電話するのも悪い気がして止めた。今度話す機会があったら
確かめてみたい。^^!

          


健康体

2013年05月20日 | Weblog

             

周りの人たちから「Edさんは丈夫ですね」とよく言われる。自分でもそう思う。何し
ろ病気で仕事を休むということが殆ど無く、風邪もあまり引かない。今でも。

いや、風邪は引く。引くけれど、そのせいで学校や仕事を休むことは、余程の重
傷でなければ、しない。多分、落ち着きのないセッカチな性格だから、家でジッと
していられないのだと思う。

カミサンは、風邪でコンコン咳をしながら出掛けて行くEdを、「皆さんに迷惑だから
2、3日寝ていなさいよ」と引き留めようとするが、それでも出掛ける。少しくらい頭
痛がしても行く。そうやって働きながら風邪は治す。^^!

チョッとくらいのことで、なまじ寝たら多分本当に悪くなるような気がする。元々丈
夫だからそう出来る、と云えなくもないが、お蔭で学校でも勤め先でもよく、忘れた
頃に”皆勤賞”を頂いた。”天はニ物を与えず”という。私は天から健康な身体を授
けられたようだ。

昨晩、カミサンと夕飯を食べているときその話が出た。「健康な身体を授けてくれ
た両親に感謝しなければね」と云う。確かに。。。

けれども、小さい子供(小学生)の頃はひ弱で痩せこけてい、しょっちゅう高熱を出
しては、学校を休んでいた。現在のこの頑健さからは想像もできない。終戦の年に
4才、蒸かしたさつま芋、トウモロコシの粉の団子、前の晩食べた秋刀魚の骨、石
コロの混ざった外米(配給の輸入長粒種)・・・で育ったのだ。(笑)

こんなに長生きするとは自分でも思っていなかった。

もうこれ以上の長生きはいい。あの世の親兄弟、友達にそろそろ迎えに来て欲し
いものだが、そう思い通りに都合よくはいかないだろうなあ・・・

            


水神社

2013年05月19日 | Weblog

 

近くに水神社がある。正式名称は布鎌惣社水神社といい、宝暦七年(1757年)の
建立というから250年余の歴史がある建築物で、町指定文化財になっている。

かつてこの辺(布鎌地区)は利根川、将監川、長門川に囲まれた3角形の土地で、
近隣との往来は数少ない橋と船に頼る陸の孤島であったらしい。そのため住民が
最も恐れたのが水害で、この地の先祖たちは毎年堤防工事に心血を注いできた。

度重なる水害から地域の生活を守るため、現在の地に守護神として水神社が建て
られ、以来4月23日にはその年の安全祈願と五穀豊穣(旧いっ!)を願う春の例
大祭、10月には水害からの無事と五穀豊穣に感謝する秋の例大祭が毎年行われ
ている。

Edの住む住宅団地もこの布鎌地区にあり、自治会を通じて毎年水神社から奉納
金の依頼がくる。付き合いなので500円納めると御札と紅白の菓子が配られる。
しかし我々新住民は、代々この地に住んでいる地元農家と違い、それほど土地に
対する愛着心も、「守護神」にたいする畏敬の念も持っていない。

ただ、この地域に残る豊かな自然と建物の文化財的価値を残しておきたいという趣
旨には賛同できる。

建物の老朽化が進み、一昨年の震災で損壊も被っているらしく、本殿改修を計画し
ているため、向こう3年間は従来年間1000円だった寄進を5000円にするらしい。

新住民が果たしてそこまで協力すべきか否か分からないが、従来500円だった寄
進の依頼は今年から倍くらいにはなるかもしれない。

念のため神社に行って建物を外から見回してみたが、正直「震災による損壊」がど
こなのか分らなかった。^^!

 
 
 
 
 


人の群れ

2013年05月17日 | 通勤

                

今朝は武蔵野線から埼京線に乗り換える際、武蔵浦和駅で身動きが取れなくな
った。電車を降りてホームを歩き出した途端、いつもと少し様子が違うな・・・と感
じた。下車する人の数が多いのだ。

コンコースに入ったら人の流れが止まってしまい、少しづつしか前に進まない。こ
こで初めて構内アナウンスがあり、人身事故のため京浜東北線も宇都宮線もスト
ップしているとのこと。通勤客が埼京線集中してマヒ状態なのだ。トイレにも寄りた
いし、ジリジリしながら待つこと5分、ようやくトイレにたどり着いてホッと一息。^^!

出てきたら驚いた、前よりもっと人が多くなっていて、武蔵野線に向かう人と埼京
線に向かう人の波がぶつかって全くの停止状態。こうなると人波も不気味である。
時々何処かで誰か押す奴が居るらしく、ドドッと抗いようのない力で動かされると、
パニックになったら・・・という恐怖感に襲われる。

これでは埼京線のホームには暫く出られそうにないと思い、一旦改札から外に
出ようと決めた。隙間のある方へある方へと僅かづつ移動しながら改札口へ向
かう。階段もどこもかしこも人でビッシリ埋まっている。クネクネと移動しながら、
ようやく改札口に辿り着いたが、改札は入場制限されていて外も人であふれか
えっている。

とにかく改札を通って駅構外に出た。しかしそこから外に向かう通路も人で満杯、
他人の後ろに付いてようやく外気を吸い込めるところまで出た。

酷いものだ。構内アナウンスは何もなく、忘れたころに「構内の移動は走らない
で下さい!」などと、この状態とは的外れな意味のない放送。却って腹が立つ。
馬鹿め!この人波の中、どうやって走るというのか!

暫く時間を潰そうと思い、コーヒースタンドを探したがけれど、スターバックスも
ミスタードーナッツも、マックもどこも行列で、とても座れそうな所はない。仕方な
く駅から少し離れたところまで歩いてみた。けれども駅から離れると、寂れる一
方でやっと見付けたモスも10時開店!疲れた・・・

もう駅を出てから彼此40分、ホームはまだ人であふれているようだ。駅北側の
ロータリーの奥に公衆トイレと腰掛ブロックを見付けた。空いているブロックがあ
ったので、そこに腰かけて休憩。もうすぐ9時だ。1時間もブラついていた勘定に
なる。ヤレ、ヤレ・・・

改札に向かったら、もう人が少なくなっていてスンナリ6番線ホームに行けた。
5分ほど待って大宮行きが来たのでそれに乗った。南古谷に着いたのは普段よ
り1時間も遅い9時半だった。

今日は仕事に入る前に既に疲労困憊である。参った~!

                 


言多令事敗

2013年05月16日 | Weblog

               

”言多ければ事をして敗れしむ”、と読むのだそうである。(陳舜臣の中国名言集・
弥縫録より)

                                    


三国志でお馴染みの、魏の曹操が天下の実権を手にしていた頃、孔子の子孫と
称する政府高官に孔融という人がいた。ある年曹操が天下に酒造りを禁止する命
令をだした。孔融は、前後400年に亘る漢の時代で最も優れていたと云われる武
帝の出生のエピソードを持ち出し、酒の効用を挙げてこれに反対した。

曹操はその頃、連年に亘る不作に悩まされて兵糧の調達に苦労していた。そんな
折に酒造りなどに米を回されては余計兵糧の調達が困難になると思ったのである。
そこで曹操は「酒は亡国の元である」と断じ、酒におぼれて国を滅ぼした例を挙げ
て反論した。

すると孔融は「なるほど、酒におぼれるのは良くない。徐は仁義におぼれて国を滅
ぼし、魯は儒学をやりすぎて衰え、夏と殷の最期の王(傑王と紂王)は女におぼれ
て国を滅ぼした。であるから、酒だけでなく道徳も学問も婚姻のことも全て禁じなけ
ればならない」と更に余計なことを言って曹操を怒らせた。

孔融は昔からの癖で一言多く、他人を怒らせることが度々あった。曹操は理由を付
けて孔融を捕え処刑してしまった。首を刎ねられるまえに、辞世の詩を作ったが、そ
の第一句が”言多令事敗”であった。^^!


                                     

東京の猪瀬都知事は先般アメリカ訪問時、オリンピック招致に絡んで候補地の一つ
であるトルコ・イスタンブールの悪口を言った。「もうNYタイムズのインタビューは終
わっていたと思った・・・」と言い訳したけれど後の祭り。悪口は世界中にシッカリと
バラ撒かれてしまった。(ハハハ・・・)

IOCは一応不問にしたらしいが、日本こそ招致の資格に欠ける話ではないか!
東京にその資格なし!

               


やらずもがな

2013年05月15日 | Weblog

                 

仕事で使っているPCは勤務先の会社から貸与されている。今日、無駄なファイル
を整理していて、マイ ドキュメントのOutlookファイルの中にあったクリックしても
開けないファイルがあったので、6個ほど削除した。

Outlookに戻り、さて受信トレイの既読メールをArchiveの個人ファイルに転送し
ようとしたら、自分の専用ファイルが開けない。ありゃりゃ・・・困ったぞ!
どうしたんだろう・・・??? どうやったら直るんだろう・・・?(頭真っ白!)

こうなると素人のEdは手も足も出ない。もう専門家に助けを乞う以外ない!
で、京都のIT担当Sさんに電話。

「もし、
もし、・・・あの~、ファイルの整理していて、要らないと思ったファイルを削
除したら、Outlookの自分専用ファイルが開かなくなっちゃったんですが・・・復元
できるでるしょうか?」

「どのファイルを削除したんですか? 削除したファイルが残っていなければ復元
出来ません」(・・・つれない返事><;


「こちらから操作してみますから、画面が出たらYESをクリックしてください」
「ハイ、お願いします」

数分後、削除したファイルは幸いゴミ箱に残っていて、Sさんが見付けてくれた。
元の場所に戻してPCを再起動したら正常に戻った。

ヤレ、ヤレ・・・余計なことをしてしまったものである。

”マイ・ドキュメント”のファイルだから、まさかOutlookの機能に係わるファイル
が保存されていたとは知らなかった。改めて自分の無知を悟ったw^^!

             


車検が近づいた

2013年05月13日 | Weblog

               

そろそろ車検が近づいてきた。前のセールス担当は煩いくらいに小まめに連絡
してくる人だったから、こちらが車検の時期を気にかける必要もないくらいだった
。^^!

ところが今の担当者は、不真面目というわけでもないのだが、要領がよくないと
いうか手際が悪いというか、我々顧客との応対がバカ丁寧で恐縮した態度をと
る割には、平気で客の手を煩わすようなことをする。

前回の車検時に、任意保険をこれまでEdが個人的に掛けていたAXAから自社
の扱い保険(安田火災?)に変えて欲しいというので、承諾した。AXAはネットで
更新してコンビニ支払だから手間が掛からない。その積りで簡単に考えていたら、
やれ3年間は継続しろだの、銀行口座引き落としにしろだのいろいろメンドイ。

おまけに届けた銀行口座の印鑑が違っていただのトラブルもあって、こちらが
わざわざ一日休んで銀行まで出向く破目になったりして散々だった。

その担当から車検(6月)の案内が郵送されてきたのが昨日である。既に先月
中旬、抜け目のない板金塗装修の専門業者から車検の誘いがきている。
もしディーラーの彼から連絡がなければ、今回は別の安い会社に頼もうか・・・
とも考えていたところである。

今回はタイヤ交換を予想してか、タイヤ交換のキャンペーン・パンフレットだけ
は同封してあった。しかし肝心の価格情報が何も入っていない。これでは勧め
られても他店との比較が出来ないので、前回タイヤを交換したYH店へチャリ
で行って調べてみた。

Yokohama”A”が¥80,800、”B”¥65,600、ミシュラン¥62,800、
そして最廉価品はZetro・C-4¥39,600だった。

”Zetro”とは一体何者・・・?と思って調べたら、HYの自社ブランド品で、韓国の
タイヤ・メーカーHANKOOKからOEM供給されている製品だった。口コミ評価で
は空気圧が一般の国産タイヤなどより高めに設定されているので、道路継ぎ目
や段差乗り越え、その他装着時のバランス取りにもややシビアであるとか。

ま、コスト・パフォーマンスで許容範囲内かどうかは、実際に取り付けてみないこ
とには分らないだろうが、少なくとも安全性に係わるような問題はなさそうである。
選択肢の一つではあるが・・・

      


諸葛孔明

2013年05月11日 | Weblog

            

先日、もう一度読み返してみよう、と本箱から引っ張りだした本がある。陳舜臣の
「諸葛孔明(中公文庫本)」である。

この本は、今からもう20年近く前に買ったもので、同じ文庫本の「秘本三国志」を
読んだあと、かなり年数が経ってから出された本なのだ。三国志が面白くて印象
が強かったものだから、是非読まなければと思って買い求めたものだ。

諸葛孔明に関するエピソードは良く知られているから、断片的には2、3憶えてい
るものもあったけれど、この本の内容は完全に忘れ去っている。

略20年の歳月はEdの記憶をすっかり風化させてしまって、まるで初めて読むか
の如くである。ストーリーも登場人物の名前も悉く忘れてしまっていて、読んだ後
から「・・・あ~、そうだった」と思い出す始末である。^^!

                                   

凡そ2000年前の中国後漢末は、腐敗の極に達したした宦官政治が終末を迎え、
世の中は群雄が割拠する戦乱の時代を迎えていた。

曹操率いる強大勢力「魏」に対するは、二弱勢力である遜権の「呉」と劉備の「蜀」
である。幼いころ、曹操軍の行った残虐な大量殺戮を目にした孔明は、曹操に天
下を取らせてはならないと心に決め、三顧の礼をもって迎えられた劉備陣営に就
いた。

孔明が考え出した策は、二弱の蜀と呉が同盟を結んで強大な魏に当たり、3勢力
が均衡を保つようにする「天下三分の計」であった。

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好きな作家の本は全部残してあるのだけれど、残念ながら昔の本は活字が小さ
い上に、老いて目が悪くなっているから余計読み辛い。いつかまた読み返そうと
いう積もりで残しておいたのだけれど、なかなか戦意が湧かない。

視力の衰えまでは計算してなかったなあ・・・^^!

            


倉庫会社のソーラー発電、その後

2013年05月10日 | Weblog

           

勤務先のある倉庫会社が、倉庫の屋根を貸してソーラー発電事業(売電)を始
めたことは以前書いた。

その工事が一月ほど前に完成して、いよいよ発電が始まったのだけれど、Edが
勤めている会社の事務所(倉庫内に設けたスーパー・ハウス)の直ぐ脇に発電
用コントロール・ボックスが設置されていて、発電中常時そこから”ビーッ”という
電気の不快な低周波音と冷却ファンの音が出ている。

音にもいろいろあるから全てが不快ということもないのだろうが、かなりの音圧
で常時切れ目なく聞かされる低周波音は、生身の人間にとっては暴力的でさえ
ある。冷却ファンの音はこれから夏に向かって発電量が増えるにしたがって、更
に回転が上がるのでもっと騒々しくなるらしい。

幸か不幸かEdは両耳とも難聴気味で、もともと左耳では「セミ」が鳴き続けてい
るし、右耳は「雨降り」のような音がしているせいか、他の皆さんほど気にはなら
なかったのだけれど、同じ事務所内の女性と、事務所の外側だけれど倉庫内の
現場作業の人が音をあげてしまった。

「これでは仕事が出来ない!」「難聴になった!」という我々のクレームを受けて
倉庫会社は、完成して僅か2週間ほどで発電を一時停めた。防音シートで周囲
を覆ってみたけれど、低周波電子音には効果なく、結局倉庫の外へ移設するこ
とに決まった。

設備会社は、コントロール・ボックスから音が出ることは最初から承知していた
であろうに、環境への配慮を無視した工事をするから、こんな無駄が出るのだ。
我々には移設費用の面で何も迷惑は掛からないけれど、工事に際しては物の
移動や車の移動で協力せざるを得ない。

ま、室外への移設が決まったから良しとしよう^^!