9月は年に一度の倉庫(Edの勤務地)の棚卸があった。東京の本社事務所か
ら物流担当のマネージャーと部下の女性二人が二日間、こちらの倉庫の事務
所に詰めていた。二人とも何か特に倉庫に用事でもなければこちらには顔を見
せないけれど、Edは現役だった頃から面識があるから「やあ、暫くでした!」
と気安く声が掛けられる。
マネージャーのKさんとは随分長い付き合いで、仕事だけでなく飲み会にもよ
く誘ってもらい、彼女を通じて他の女性たちとも一緒に呑んで楽しく過ごす機会
が多々あった。
彼女はどちらかと云えばハッキリした性格で、歯に衣着せぬ物言いをするから
時として(特に)男から反感をかうことがある。彼女が間違ったことを言っている
わけではないので、相手は正面切ってズバリ言われると内心面白くない。そう
いうことが悪口になって外野から彼女の耳に聞こえてきたりするらしい。^^!
Edに「先日辞めた〇〇さんは、私のせい(つまりキツイことを言ったから)なん
だって!」と笑いながら云う。「そんなことはないよ。誰が云ったの?」と訊いた
けれど笑って「・・・そうなんだって!」というばかり。
「〇〇さんが辞めるとき彼と直接話したけれど、今の仕事の将来に期待が持
てなくなったので転職することにした、と云ってていたよ」と教えてあげたけれど
・・・信じていないみたいな顔をしていた。^^!
Edは相性がいいのか、これまで彼女から一度も突っ込まれたり非難めいたこ
とを云われた記憶はない。それどころか、何かにつけて良くしてもらい助けてく
れるのでいつも感謝しているくらいである。
Kさんが一緒にお昼に行こうと誘ってくれるので、初日うどん屋さん、二日目は
モスバーガーへ行った。若い女性3人と爺さん一人という変な組み合わせで
嗤えるけれど、Edとしては男だけより女性のほうが気詰りでなくてよい。^^!
彼女たちは、我々が頻繁に行く割烹「吉利」はヤだという。750円でコーヒー
まで出してくれる日替わりのランチは、味も良いし我々オジサン仲間では人気
なのだけれど、若い女性たちには余り好まれないみたいである。小洒落た都
心部のレストランに通いなれた彼女たちには、古ぼけた田舎の飲食店としか
思えないのだろうか・・・
よく気を使うKさんは、Edが普段は5時で退社と云うのを憶えていて、5時近く
なると早めにEdの居る事務所は引き上げてゆく。こういう細かなことにも気が
付く人は、男女を問わずそう多くはいない。貴重な存在である。^^!
先月3週間ほどこちらに来ていた上孫は、現在こちらの高校受験目指して猛勉
強を始めたらしい。祖父ちゃん(Ed)に「先ずは勉強して目指す高校に入ること
だ。サッカーがやれるかどうかは、それからの話だ・・・」と云われた、と親(息子)
に話したらしい。「そうだな・・・」と本人納得したのであろう。^^!
カミサンは「本当にこっちへ来たら、どうしよう。困るなあ・・・」と今からビビッてい
る。たった三週間孫の世話をしただけで、疲労困憊の体である。(笑)
彼は何しろ動きがのんびりで、周囲が急かさないとなかなか前に進まないタイプ
で、食事に至っては2時間もかけていつまでもノロノロ食べている。途中でトイレ
に行ったりするのは少々節度がないので、本当に我々と一緒に暮らすようになっ
たら注意する。それでも、学校や友達と一緒のときは早く食べられるそうだから、
家ではリラックスしているせいかも知れない。
カミサンが、孫が本当にやってきたら困る、と心配するのも近頃の我々夫婦の体
力低下を思えば無理はない。常に足腰の痛みを抱え、ヤレ整体だ、ヤレ陶板浴
だと体調を整えておかなければならない現状では、確かに孫の三度三度の食事
の世話だって一苦労ではある。^^!
TVで「老後破綻」などという暗いドキュメンタリー番組を観てしまったから、余計
不安になったのだろうが、いつかは誰でも動けなくなる日がやってくる。PPKで
あの世に行ける人は極稀なのだ。動けるうちは、身体がえらくても、大変でも、自
分に鞭打って頑張ったほうがよいのだ。
「それほど気を使う必要はない。適当にやっておいて、足りない部分は本人にや
らせれば良い・・・」とEdは云うのだが、何でもきちんとしたことがやっておきたい
性格のカミサンは、それでは気が済まないらしい。ま、大変かも知れないけれど、
3人で一緒に暮らせたらきっと楽しい思い出になるに違いないのだが・・・
休みの日、ゆっくり朝食を済ませて居間で本を読みながらリラックスしていると玄
関チャイムが鳴った。カミサンが「誰か来たよ。出てみて」という。
仕方ない、宅配や自治会の人かな・・・と思って本を置いて玄関の扉を開けた。知
らないオバサンが小さいパンフレットを表の扉越しに見せながら笑顔で立ってい
る。・・・またキリスト教系の布教活動である。
断っても、断っても訪ねてくるその熱心さというか、しつこさには恐れ入るけれど、
宗教には一切興味はない。けれども家を訪問されれば、押し売りでも来たかのよ
うに、半開きの扉から顔だけ出して追い返すわけにもいかない。一応は玄関から
外に出て、面と向かって”お断り”の説明をする。もう何遍同じことを繰り返してきた
ことか・・・
もういい加減で我が家は彼等のブラック・リストに載せておいて欲しい。信心して
いる人には申し訳ないが、Edは特定の宗教があがめる”神”とか”教え”などとい
うものには全然興味が無いのである。”可哀そうなひとだ・・・”と思ってもらっても
一向に構わない。
連日ニュースで報じられている「イスラム国」にしたって、つまりは宗教絡みで欧米
主導の世界に反発しているから、狂信的であり、残酷なことも平気で見せしめの
ために行う。宗教などというものは、人々を纏めるための都合のよい道具なのだ。
宗教で人々を救うことは出来ないし、平和を創りだすことも出来はしない。むしろ
争いの元になり、殺し合いまでするのが宗教である。
仏教には、輪廻転生という言葉がある。人は死んでも魂が残って時空を超え、他
の人や動物にまた生まれ変わるという思想である。これはある意味、地球、太陽、
銀河系、宇宙などの成り立ちが理解されつつある現在では、昔の人がそのように
考えたことは正解であったと思える。
何故なら我々生き物の成り立ちを化学的に突き詰めてみれば、H2OやCO2やN2
やP・・・などの寄せ集めであり、地上の無機質から造りだされた有機物であって、
元を正せば宇宙に散らばっている塵、元素に過ぎない。^^!
これまでの科学者や宇宙物理学者の研究と観測と推測によれば、我々が生息し
ている地球が所属する太陽ような星は、銀河系内だけでも無数にあり、宇宙は銀
河系のような無数の集団で成り立っているらしい。人類はまだ自分たちが属する
銀河系の半分ほどしか見ていないらしいのだけれど、星にも寿命があって質量の巨大な恒星は最後に爆発して再び宇宙の塵になってしまう(超新星爆発)。ガス
になったそれら宇宙の塵はいつか又新たな星を形造るのだとすれば、この世は
まさに輪廻転生を繰り返しているわけである。
人が死んで魂が残るとは思わないけれど、肉体が滅びて骨と気体に戻ってしまえ
ば、いつか地球の寿命が尽きて宇宙の塵になるとともに、我々の肉体を形造って
いた原子、分子も塵やガスになって無限の世界に浮遊し始める・・・
宇宙もまた仏教でいう”無常”の世界なのである。^^!
今週の日曜(21日)のBS日テレ・久米書店のゲストは、静岡大学大学院教授・
農学博士稲垣栄洋先生で、その著書「雑草は踏まれても諦めない・・・逆境を生
き抜くための成功戦略」について、だった。
世間一般には”雑草のように強く逞しく”とか、”雑草は人に踏まれても踏まれ
ても必ずまた起き上がってくる”などと、雑に扱われても直ぐ復活してくる”逞し
さの象徴”みたいに思われているけれど、話を聞いていてこれまでの雑草に
対する認識が一変した。
先生によると、雑草は生命力が強いと思われがちだが植物学的にはとても弱
いのだそうである。実は人間が現われる前、太古の地球では彼等の生息地じ
ゃ驚くほど少なかったらしい。雑草は人間が切り開いた土地に進出することで
大繁栄したのだという。
先生の研究によると、勝ち抜くのは強いものとは限らないそうで、10年、20年
と土の中で根を伸ばす雑草、臨機応変に伸びる方向を決める雑草、踏みにじ
られても足の裏に種子をくっつけて別の場所に根を下ろす雑草等々、どんな苛
酷な土地でも全力で生きる道端の雑草たちは、弱くても決して諦めない強かさ
が”逞しさ”につながることを示唆している、という。
政治や経済を見ていると、世の中は強者の理論で回っているように我々弱者
には思える。いくら反対しても批判しても弱者の声は強者には届かない。弱者
は空しく騒いでいるだけなのだけれど、雑草を見習って我々はもっと逞しくなら
なければならない。
雑草の如く決して諦めることなく、無い知恵を絞って逆境を撥ね退けて行こう・・
ね、御同輩^^!
自分はもう10年以上も前に定年を迎えた人間だから、現役だったころ一緒に働
いていた同僚も次々辞めて行き今日現在まだ残っている(当時)若手だった人た
ちも少なくなった。
Edは65で営業技術職を最後に事務所勤めを辞め、引き続き会社と個人契約を
結んで品質管理絡みの現場仕事をさせて貰っている。勤務先が東京の事務所
ではなくなったけれど、同じ会社の仕事なので元同僚たちとも接触は保ってきた。
そういう元同僚が、今月と来月相次いで現役を退いていく。一人は脱サラで起業
し、もう一人は定年退職する。彼等が居なくなると、Edと一緒に働いていた古株
は残り二人だけになる。時は流れ、中心的な現役組は入社後3~4年の若手ば
かりになった。
世の中全体の傾向なのかもしれないけれど、この会社も以前のように、仕事を通
して”人”を教育するという事は止めてしまったように思える。新しいマネージメント
は、若い人を育てて、いづれ組織の中心に置こうといった手間のかかることはせ
ず、即戦力となる経験者や高学歴で理解の早い人だけを、採用するか派遣会社
から一定期間だけ調達する。
促成栽培で野菜でも育てるかような、効率的”速成栽培”である。だから、上司も
同僚もお互いに仕事上の接触だけで、人間的な繋がりが殆ど無くなってしまった。
外から見ていると、互いが事務的な接触だけで、ドライで冷たい人間関係しか見
えてこない。
辞めていく二人と新たに加わった社員二人の歓送迎会をやるそうであるが、街中
の飲み屋でもないし気の利いたレストランでもなく、事務所の会議室で有り合わせ
の酒で一杯やるだけらしい。なんとも侘しい人間関係ではないか・・・^^!
外資(アメリカ)会社なんだから人間関係は”ドライ(冷淡)でもいい”と云えなくもな
い。しかしEdの知る限り、欧米の会社(オペレーション)だって今のここより人間
関係はづっと温かみがあると思う。むしろ彼等欧米人のほうが人間を大事にし、も
っと心豊かに接してくれる。
例えば今回のような歓送迎会だったら、誰か辞めていくメンバーに親しいひとが
発起人となって、同僚皆に働きかけ、適当なレストランかパブで集まってワイワイ、
ガヤガヤ飲んで楽しく過ごすに違いない。そう・・・以前の我々がそうだったように。
時代が変わったと云ってしまえば、それまで。今は以前よりもっと冷たく、ギスギス
した人間関係になりつつあるのではないだろうか。
3日続きの晴天に誘われて、23日(秋分の日)は昼から足腰をチョッと鍛錬すべく、
印旛沼サイクル・ロードへ出掛けた。
薄曇りと青空が交互に現れて、暑からず涼し過ぎず丁度良い具合である。家から
サイクリング・ロード入口までは凡そ5~6キロあり、国道を逸れる手前のコンビニ
でペットボトルの清涼飲料を買った。後から思うと虫のしらせだったか・・・
国道から1キロほど長門川に沿って走ると水門があり、その辺りから自転車専用
道路が始まる。専用道路に入って暫くするとラジコン・飛行機を飛ばしている草原
があり、大抵そこで一休みする。この日は飛行機ではなく、模型ヘリを飛ばしてい
た。
ヘリはラジコンでも操縦が難しいそうだが、見ていると皆上手にホバリングさせた
り、飛行機と同じように急上昇、背面、急降下そして着陸させている。あれは若し
かして、最近の自動でバランスが取れる構造になっているせいではないだろうか。
本物のヘリは、どう見てもあんなに身軽に反転したり、宙返りなどは出来ない。^^!
そこからさらに先を目指し、1キロほど走ったヘアピン・カーブを過ぎた辺りで、バチ
ンと音がして突然前輪が沈みハンドルを取られた。パンク?!
ペシャンコになった前輪タイヤを調べてみると、摩耗して劣化したタイヤの一部が
完全に破れている。枯れ草の固い茎でも踏んで刺さったのかも知れない。最悪で
ある・・・
先ず考えたことは、ここまで一体何キロくらい走ったのだろうか・・・そして歩いて帰
るには何時間かかるだろうか・・・ということ。
しかし躊躇していても仕方がない。とにかく覚悟を決めて自転車を押しながら歩き
だした。先を思うとウンザリするのだが、最初に目指したポイントは1キロほど先の
ラジコン飛行場。何処までも平坦だからその場所が見えてはいるれどなかなか近
付かない。タイヤがバルブの所でブレーキに擦れるらしく、周期的にシャーシャー
いう音とコトンという振動が伝わってくる。
額の汗が目に入り始めたのでチョッキを脱いでハンドルに引っかけ、ウェスト・ポー
チも外してサドルにぶら提げた。少しは身軽になったけれど大差ない。ようやくラジ
コンの広場に到着したので清涼飲料で喉を潤し一休み。まだまだ先は長い。次の
目標はさらに1キロほど先の水門まで、この自転車専用道路の終点である。
そうやって、次々先の目標を心の中で決めながら、殆ど休まず歩き続けた。多分8
~9キロはあった筈で、正味2時間強で家に戻り着いた。足が棒になるとはこうい
う時のこと。二日経った今でも脛の筋肉が張って歩くと痛い。
その晩カミサンに事の顛末を話したら、「大変なことや災難があった時は、天から
課せられた試練だと思って謙虚に耐えれば、人間は成長するものよ・・・ハハハ」
と笑われてしまった。
チェッ!他人事だよなあ・・・ 参った、参った
先週の金曜日は休みをもらったので、週末は3連休になった。最後の日曜日(昨
日)は良く晴れて特に予定もなかったから、どう過ごそうか迷った末自転車で2時
間ほど走ってきた。
今週、仕事があるカミサンは、今朝出がけに「洗濯ものを取り込んでおいて下さ
い」としか言い置いて行かなかったので、Edが一日何をしていたのか気になった
らしく、帰宅早々「今日はいい天気だったけれど、何してたの?」と訊く。
そう云われても、今日一日何をしていたかなんて一々覚えてはいないのだけれ
ど、カミサンが出掛けたあと、食器を洗ったり、猫のトイレを掃除したり、TVでア
ジア大会の柔道を少し観たりした後、思い立って自転車を引っ張りだしたのだっ
た。
いつもながら、長いこと放ったらかしにしてあるからタイヤの空気はスカスカで、
先ず空気入れから始まる。スポーツ・タイヤのエア・バルブは、一旦コアを弛めて
おかないと空気が入らないので少し面倒なのである。タイヤがコチコチに固くな
るまで入れたら息が切れた。^^!
昼ころ家に戻ってもまだ陽が燦々と降り注いでいたので、押入れから出して未だ
一度も陽に当ててない羽毛布団をベランダに干した。”主夫”は結構やることが
あって、その気になれば暇つぶしには事欠かない。(笑)
同じ町内にも、所在なく一日唯道行く他人や車を眺めている人や、あるいは住宅
地の通りを行ったり来たり闇雲に歩いている人が居る。定年後、することが無くな
って暇を持て余している様子がありありなのだけれど、身体が動くうちは趣味の
こととか、何か多少なりとも役に立つことが出来たらいいなと思う。
年とって現役を退くと、途端に何をして良いのか判らなくなるのが世の常。「元気
か?」と訊かれて「死ぬのを待ってるだけさ・・・」と答えて苦笑を誘ったJinさんの
友だちがいたけれど、突き詰めればそういうことなのかも知れない。^^!
認知症のお年寄りで”食べる”ことをしなくなり、口に入れたものをいつまでも噛
んでいて、呑みこむことを忘れてしまった人もいるそうである。こういう状態にな
った人にも、なんとか普通に食事を楽しませる工夫が介護の場でなされている
らしいが、何だか空しい気もする。
Edは思う。人間も他の動物たちと同様、食べられなくなったら、それは死を意味
することなのではないだろうか・・・
全国にあり、特に関東には数が多いそうである。千葉県のこの辺り(農業地帯)に
もいたるところに庚申塔が祭られていて、一寸農道を歩いてみれば必ず目にする。
今日は気持ちよく晴れて風も爽やかだったので、デジカメをポケットに、自転車で
田舎道を2時間ほど走ってきた。庚申塔と彫られた石碑の横には、見ざる言わざ
る聞かざるの三猿の上に青面金剛(?)が乗った形を彫ったものか、青面金剛と
漢字だけ彫ったものが多く見られる。
庚申信仰は中国の道教から来たものらしいが、青面金剛は仏教の神様であり、日
本が大昔から多神教の国だったことを伺わせる。迷信が幅を利かせていたその昔
は、神様と名がつけば兎に角何でも大切に祭っていたのだろうか・・・^^!
その名の通り、道端にはあちこち彼岸花が咲いていて、田圃の中のお墓には似
合っている。沢山咲いているのも綺麗だけれど、曼珠沙華の花はやはり小さな忘
れられたような墓地に少しだけあるほうが、あの世の人を思い出させるような感じ
がするのだ。
田圃のどん詰まりは長門川なので、国道の橋を渡って住宅団地へ抜けた。住宅
地の中では流石に庚申塔は直ぐには見付からない。多分道端の目立たないとこ
ろにひっそりと残されているはずである。また別に日に住宅地を走ってみることに
した。
我々が生きてゆくためには他の生き物の命を奪っていかなければならない。植物
にしろ動物にしろこの地上では皆夫々生きているわけであって、人間も否応なくそ
れらから命を頂いている。そう思えば、食べ物全てをおろそかにできないし、無駄
にも出来ない。
生活が苦しくて食うや食わずの貧しかったころは、もったいないという言葉が普段
の生活で極当たり前に使われていたけれど、飽食の時代の現在はどうかすると
そういうそういう言葉はすっかり忘れ去られて、TVの食べ物の番組などでは視聴
率第一で平気で無駄なことをしている。
田舎の漁港の観光客目当てのイベントで、狭いプールに放した魚をつかみ取りさ
せて騒いでいたけれど魚だって生き物、必死で逃げ回る。無邪気な子どもたちに
罪はないけれど、命を遊びの道具にしているみたいで、どうも見ていてあまり気持
ちよいものではない。
Edはあの魚の生き造りや海老の踊り食いみたいなものは嫌いである。半分生か
された状態で身を削がれたり、生きたままの海老を無造作にボキッと折ったりして、
「美味しい、美味しい」といいながら食べるのは残酷である。一辺だけ経験すれば
もう十分、という気がする。
野生の動物が他の生き物を襲って食べるのは、まさに己が生きるための止むを
得ざる行為であって、遊びや美味を求めて襲ったりはしない。第一逃げるほうも
必死だから、常に狩りが成功するわけではないらしく、自然界では一切の無駄が
ない。食べ物を捨てたり無駄にするのは飽食になった人間くらいのものであろう。
Edはパックされた食材に表示してある”賞味期限”にはあまり頓着しない。冷蔵庫
で保存している加工食品なら(生物以外)1~2週間”期限”切れでも食べてしまう。
それで腹を壊したこともないし平気である。戦後の食糧難を生き抜いてきた我々旧
い人間は、無菌状態の今の若い人たちよりバイ菌に大して強いのである。(笑)
高齢者は、休みの日(土曜日)に免許センターで更新しようとしても、受け付けてく
れない仕組みになっている。なので、今日(金曜日)は仕事を休んで管轄の警察署
へ出向いた。既に教習所で高齢者講習を終えていたから、今日は更新手続きとい
っても視力検査だけだった。
先日眼科医で検眼してもらったら、左は0.6~0.7だったから、眼鏡使用の条件
付きになるのでは・・・と恐れていたのだけれど、裸眼でOKとなった。大型と牽引も
あるので深視力検査も行った。こちらはもう実際に使う必要もないので、検査に落
ちたら返上するつもりだったのだけれど、2回やらせてくれて、こちらも裸眼で大丈
夫だった。案ずるより生むが易し、で結局もって行った眼鏡は使う必要がなかった。
手数料は2,500円なのだけれど、新しい免許証を受け取りに来るか郵送にする
か訊かれたので郵送にしてもらったら、これが吃驚!郵送手続きには850円もか
かる。郵送用の封筒には本人が住所と名前を書かされるのだから、公安委員会の
お姉さんは免許証を封筒に入れて郵便局へ持っていくだけなのに・・・
ま、田舎の警察だから窓口が込み合うこともなく、ノンビリしたものである。新しい
免許証は2ヶ月以内で届くので、そうしたら旧いほうはハサミを入れて廃棄してく
ださい、とのこと。送り返せとは云われなかった。^^!
Edはゴールド免許なのだけれど、今回から有効期限は3年になってしまった。次
回更新時は後期高齢者になるので認知症のチェックが入る。更に、更新後一度
でも違反で捕まると、専門医による認知症の検査を命じられるそうで、段々肩身
が狭くなるのだ。年とったら大人しく家で何もせず寝ていろというワケか・・・
ヤレ、ヤレ
思ったより簡単に済んだので、カミサンから頼まれていた部屋の掃除(掃除機かけ
)をした。昼時になったので、以前から気になっていた近所のラーメン店「一番亭」
へ行った。900円のAセットを注文した。ラーメンに、鮭そぼろ飯、餃子2個、半熟
玉子、ザー采が付く。ラーメンはこってりした豚骨スープで旨かったけれど、年寄り
には少々胃がもたれた。
やっぱり若い頃の癖でつい脂っこいものに食指が動いてしまう。ほどほどにして、
ラーメン単品にしておけばよかった・・・
朝日新聞の誤報問題でメディア業界が揺れたけれど、福島原発事故の東電・吉
田書簡について言えば、本来謝るべきは情報を即開示せず悉く秘匿しようとする
政府側ではないのだろうか。別に朝日の肩をもつわけではないが、何かというと
情報を操作しようとする政治家、官僚グループにこそ大きな問題がある。
残念なのは、これで少しは政治に批判的だった朝日まで、権力側にねじ伏せら
れて権力迎合メディアになってしまうことである。読売、日経、産経などは云うに
及ばず、日本には気骨あるジャーナリストや反骨精神溢れるマスメディアが本当
に少ない。
安倍総理は朝日がこの誤報問題で国益をそこなった等と的外れなことをいうが、
本当に国益を損なっているのは、日本のメディアを牛耳ろうと目論んでいるご当
人ではないのか。
ネオナチ・グループと繋がりを持つ極右思想の持ち主たちを側近に集めて閣僚
に用い、NHKの経営委員会に本来そぐわないその種の人間を送り込み、ヘイト
スピーチは取り締まらず、従軍慰安婦問題は無かったことにし、特定秘密保護
法を成立させて世界の潮流である情報開示に逆らい、福島原発事故は完全に
コントロール下にあると嘘をつき、世界に誇る憲法9条を閣議決定で踏みにじり、
武器輸出三原則を破って武器輸出を図り、やがて自衛隊を日本とは無関係な
他国の戦争に送り込んで要らぬ他国の憎しみまで買おうとしている。
これまで世界から尊敬されていた平和な国、日本を戦争の出来る危険な国に
変え、若い自衛官を戦場に送り込んで血を流し、相手になった他国の恨みを
買う・・・
これこそ日本の国益を損なう行為そのものではないだろうか?
大臣になることだけが目的の、バカな為政者に権力を握られた日本は、あらぬ
方向へと流されつつある・・・
今年は9月に入った途端に、この辺りでは秋の訪れを思わせるように涼しくなっ
た。残暑がなくてありがたい。夜は涼しさを通り越して毛布一枚では寒くて寝られ
ない。早速押入れに仕舞ってあった羽毛布団を引っ張り出したが、こんなに早く
から掛け布団が必用になったのも珍しい。
近くの田圃は大方稲刈が済んでしまい、刈り取りが早かったところは切り株から
孫生えが青々と育っている。毎年のことながら稲の生命力の強さには驚嘆させ
られる。
この時期、白鷺の親子らしき大小の群れを良く見かける。小さい方はまだ巣立っ
て間もないらしく、飛び立つ時は小鳥のようにパタパタしていて親鳥のような優雅
さはない。子が餌を探している間親は辺りを警戒するように首を高く伸ばして動
かない。動物たちの親子の愛情はこまやかである。自分の子どもを虐待したり殺
したりする人間世界は病んでいるのだ。
前日の予報では、敬老の日(15日)は東京近郊は快晴の筈だった。久しぶりに
高尾山へ行こうかと思って、朝カーテンを開けたらどんより曇っていて青空は何
処にも見えない。機先を制された感じで今回は行くのを中止した。このところ大分
足腰が衰えてきたし、体力に自信がなくなってきたので自分を試してみたい気も
あったのだけれど、天候が安定してからにしよう。^^!
東日本大震災後早3年半になる。次は首都直下か東海沖かなどと騒がれなが
ら、毎日の生活に追われて普段は忘れている。
昨日昼過ぎ、いつもの店「吉利」で食事していたら突然下から突き上げるような
激しい揺れ。続いて横揺れがかなり長く続いて、誰かの携帯が鳴っていた。エリ
アメールが殆ど同時に入ってきたのだ。震源は茨城県で震度5だという。我が家
は1~2キロ先の利根川を隔てて茨城県だから、もっと激しく揺れたかもしれな
い・・・
電車が止まると困るなあ・・・と思いながら、事務所に戻って地震情報を調べて
みた。M5.2で、震源地真上より西側の方が揺れは大きくて震度5だった。千葉
県側は3だった。ヤレヤレ・・・
今回震源地となったこの辺りは「地震の巣」だそうで、フィリピン海プレートとユー
ラシプレートがせめぎあっている場所らしい。ま、日本はあと北米プレートと太平
洋プレートの境界線にも跨っているのだから、全国どこへ行っても地震の巣の上
とも言えそうである。運悪く遭遇してしまったら日本人の宿命として諦めるしかな
いな。
こんな地震の巣だらけの火山列島に危険な原発は即刻廃止するべきなのに、ま
だ続けようとしている利権絡み、金の亡者たちには唯々呆れ驚くのみ。日本には
地熱発電やその他利用可能な自然エネルギーはまだまだ沢山残されているのに、
危険で高価な原発に固執している。愚かなことである。
毎回のことながら彼岸の前に、昨日実家の墓参りを済ませてきた。小平へ向かう
車でラジオを聴いていたら、高速はどこもかしこも大渋滞らしい。三連休の中日だ
というのに、久しぶりに好天に恵まれたせいだろうか、みんな出かけたくなったに
違いない。
いつもは殆ど混まない新青梅街道も保谷から小平霊園までづっとノロノロで、いさ
さかウンザリだった。霊園にも沢山のお参りの人が来ていて、中の公園では草叢
にはシートを広げた家族連れが、ピクニック気分でお弁当を広げていた。
先日行った成田メモリアル・パークと違って小平霊園は墓地の区画に余裕があり、
道路沿いには並木が大きく育って日陰を作っているから散歩にもよい。都営だか
ら管理費は民間墓地の半分ないし1/3程度らしく、これから必用になってくる我
々には望むべくもない。
墓は草が生え植木も枝が伸びてやや荒れた感じになっている。30分ほどかけて
草を毟り少しだけ植木の剪定をしたら小ザッパリした。線香を焚き手を合わせ。
Edは特に何も願ったり祈ったりしないから10秒で済んでしまうのだが、カミサン
はなにやら時間をかけている。多分”自分を先に逝かせてください”なんてお願い
しているのだろう。(笑)
小平霊園はカミサンの実家の墓地で、次はEdの実家の墓がある国分寺の祥応
寺へ。こちらはEdの親が檀家になっていたからもう相当旧い。子どもの頃から、
白木の柱を一本立てただけの粗末な墓だったから、周囲の墓が立派になるにつ
れて益々みすぼらしくなった。
”〇〇家みんなの墓”と墨で書かれてあり、後にはこれ又粗末なコンクリート・ブロ
ックだけの卒塔婆立てがあって、ひとりで居たらお化けでも出てきそうな寂しい墓
だった。数年前跡をとった長兄が立派な石造りの墓にしたから雑草も玉砂利の下
から少し顔を出す程度で掃除が楽になった。もう一人の兄の墓は実家の隣にある
ので、必ずそちらもお参りする。
終わって車に戻ったら、祭りの半纏を着た人が傍を通ったので、ふと見たら隣の
八幡様の境内が賑やかになっている。こどもの頃楽しみだったお祭りだ。立派な
神輿が中央に鎮座しており、担ぎ手の集まるのを待っているのだろうか。出店も
これからの営業を控えて準備しているところだった。なんだか酷く懐かしい。子ど
もの頃は大人の神輿の他に、台車に乗った大太鼓と立派な子ども神輿もあった。
今は子どもの数が減ってしまい、それらは小屋の中に仕舞われたままののだろ
うか・・・
今回は途中、姉のところ(といっても娘夫婦の家)へ立ち寄ることになっていたの
でお祭りは早々に引き上げてきた。思えば、お祭りの太鼓の音やお囃子の鉦笛
のかすかな音を家で聴きながら心躍ったのは、もう半世紀以上も昔のことだった
のだ・・・
先日動かなくなってしまったバリカンを放っておくことも出来ず、メーカー(リョービ)
の販売店に直接電話して修理について訊ねてみた。
保障期間(1年!)はとっくに切れていたので、有償修理はどのような手続きでや
るのか訊いてみた。それによると、何処でもよいから最寄の取り扱い店経由で、
先ず修理見積もり(無料)をとり、納得できたら実際に修理したら如何ですか、と
のことだった。
なので、近くのホームセンターに壊れたバリカンを持っていって修理見積もりをお
願いした。担当の店員さんは、壊れた時の状況を尋ね、Edの説明を黙って聞い
ていたが、やおらして壁際の電源コードにバリカンを接続してみた。
なんと、バリカンは少しも止まらず快調に動き続けている。家では確かにバリカン
を裏返したり揺すったりすると動いたりまた止まったりしていたのに・・・
店員さんの説明だと、そういう場合は大抵コードに原因があるとのこと。コードだ
ってバリカンと一緒に購入した新品だし・・・と思いながら、とりあえず持ち帰った。
電気のコードは作業中間違ってよく切断することがあるから・・・という理由で、バ
リカン購入時お奨めに従って予備コードを追加しておいたのが役に立った。家に
戻って早速予備のコードでバリカンに電源を繋いでみたら、何の問題もなく動き
続ける。HCの店員さんの言う通りだった。
ヤレ、ヤレ無駄な手間と修理費を払わずに済んで助かった。^^!
R356(利根川)沿いの滑河辺りに農産物直売所があり、併設されている蕎麦
店が美味しい蕎麦を食べさせるとカミサンが知り合いから聞いてきて、一昨日
(10日)お昼を食べに行こうという。丁度眼科の検査が済んで帰宅したのが11
時半ころだったから、二つ返事で出かけた。
バイクで走り馴れた道なので凡その見当は付いていたから直ぐに分かった。
田圃の中だから周囲は他に何もなく、お昼時なのに店は空いていた。
Edはもりそばと日替わり天ぷらを、カミサンはとろろ蕎麦を、そして食後に蕎麦
がきを2つ注文した。待つこと10分くらいで、もりそばと天ぷらがきた。Edが食
べ終わるころ蕎麦がきか2つ来たけれど、カミサンのとろろ蕎麦が来ない。痺
れを切らしたカミサンが「私が頼んだものは未だですか?」と云うと、店員が慌
てて「あっ、未だでした!・・・直ぐにお持ちします」。
店員はカミサンの分をすっかり忘れていたらしい。カミサンはムッとしてしまい、
「もう要らないわ!だって主人はもう食べ終わってしまったし」と怒ってしまった。
注文を受けた娘が「ごめんなさい」とオロオロしながら謝りにきたけれど、カミサ
ンは席を立とうとする。
仕方がないのでEdがとりなして、店員に「・・・とろろ蕎麦なんて直ぐできるでし
ょ?」と訊くと、「ハイ、直ぐに出来ます」と云う。「じゃあ、お願いします」というと、
安堵したように調理場に引っ込み、本当に5分くらいして運んできた。カミサン
が機嫌を直して食べ終えたころ責任者らしきオバサンが再度カミサンに謝りに
来た。
蕎麦はコシがあって美味しかったけれど、カミサンが諍いを起こしてしまったか
ら少々気まずかった。カミサンは腹が減っていたから怒りっぽくなっていたのか、
それとも年取って丸くならずに四角になってきたのだろうか・・・^^!
食べ終わって支払いをしに行ったら、請求額が随分少ない。Edが食べた分し
か乗せていないのである。「家内の食べた分もちゃんと入れてくださいよ。一時
だけカッとしただけですから、お支払いしますので・・・」といっても「いえ、お客
様にご迷惑お掛けしましたので・・・」と固辞する。仕方なく言われた金額だけ
支払って出てきたが、少し後味悪かった。
「もう年とったんだから、そんな些細なことで怒らなくても・・・」と思ったのだけ
れど、それを云えばカミサンがまた怒り出すに決まっているから、黙っていた。
触らぬ神に祟りなし!コワイ、コワイ・・・^^!