Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

RLC志賀高原ミーティング

2010年08月30日 | Weblog

28日、29日は志賀高原でスズキLC乗りのミーティングがあり、相変わらずの猛暑のなか涼を求めて出かけた。Turboさんと関越の高坂SAで10時に待ち合わせたので、家を7時半に出た。混んでなければ9時頃には着いてしまう距離だけれど、十分に余裕をみての出発だ。

柏ICから常磐道に乗り、外環道へ出るまでは順調で予定通りだったけれど、川口あたりから混みだしてその後はづっとノロノロ走行。こういう場合はバイクの特権で車と車の間をすり抜け走行する。とは云え並んで走る2台の車の隙間を行くわけだから車に接触しないように神経をつかう。

渋滞は大泉JCTから関越に入って更に酷くなった。幸いこの日午前中は曇りがちの天気だったから焼かれるような暑さではなかったものの、湿った空気と長時間のすり抜け走行の緊張感で、9時半高坂SAに着くころはすっかり汗ばんでしまった。15分ほどしてTurboさん到着。暑いのでガスを給油してすぐ出発。渋滞はその後も続き、結局藤岡JCTまですり抜けを余儀なくされた。

上信越道に入ってからは車の流れはよくなりようやくストレス解消した。関西から来る仲間4人とは東部湯の丸ICを出た所のコンビニで12時半に待ち合わせたので、30分ほど間があった。出口のサービスエリアで小休止したらVienaさんからメールが入っていて既にコンビニで待っているという。西組は速!急いで給油をしてコンビニへ。
Vienaさん、Tobiuoさん、AYAさん、D51さん、ご無沙汰!みんな元気!
AYAさんは新車・HDローライダーでお目見え。ピッカピカのHD・・・いいなあ^^!

          
          
          
          

ジリジリと陽が照りつけはじめたのでD51さんの案内で近くのそば屋「一心」へ。食後はD51さんの先導でK94へ入り湯の丸牧場、鹿沢高原キャンプ場を通過、R144を左折。万座ハイウェイ(有料)には行かない。少し行くと嬬恋パノラマライン・北ルート(無料)へ出た。初めて走る道だ。遠くに山々を頂く一面のキャベツ畑で北海道を思わせるような景色。ここまで来ると風も涼しくなり快適なツーリングを楽しめる。今晩の宿泊先万座高原ホテルへ行くのはまだ少し早いので、草津温泉の中心街に立ち寄って見物。しかし狭い道に人と車が溢れてなかなか前へ進めない。折角高原の涼しい空気で引いた汗がまたドッと噴き出した。

          

草津は早々に切り上げて、いよいよホテルに向かう。R292を万座方面に登り始めて暫くすると直ぐ先を行く車から警官に止められた。皇族の車が通るとかで交通規制だ。チェッ・・何で渋滞を助長するようなことをするのか?
10分ほど待たされてようやく動きだした。その間にD51さんだけ列お離脱、ガスを入れに来た道を戻った。ホテルまではそこからホンの僅かで到着。到着後西組の残る3人も給油のため来た道をまた引き返していったので、Turboさんと二人でチェック・インを済ませて部屋へ。スキー客向けのこじんまりした3ベッド・ルームだ。

暫くするとD51さんが戻ってきた・・・が、給油したあとコケたという。悪いことにクラッチ・レバーが根元で折れてクラッチが使えなくなってしまった。ホテルまではどうにか戻ってきたが明日はこのままでは走れないという。一先ず温泉に浸かって汗を流すことにした。ここの露天風呂には6つの岩風呂があって全て男女共用である^^!
女性たちはバス・タオルや水着をつけて老若を問わず大勢入ってくる。もう昔とは日本人も意識が変わってきているのだと改めて感じた。

サッパリして部屋に戻るとMOMOさんを含めて全員が揃った。今回はMOMOさんも新しいバイクのお披露目だったので、早速玄関前へ行ってみるとピカピカのC109が大型のハード・ケースを装備してデンと鎮座している。エンジンをかけてもらう。貫禄のある重低音が1800ccの大排気量を彷彿とさせる。新車いいなあ・・・^^!

          
          
          240/55タイヤ・・・デカッ!

夕食は大食堂でバイキング式の食事。ビールで乾杯!元気で再会を祝した。
私はチョッと呑み足りなかったので売店で缶チューハイを買ってきて部屋で飲んだ。集合の声が掛かったので全員「喫煙部屋(?)」へ集まって1時間ほどバイク談義に花が咲いたころ眠くて仕方なくなり、部屋に戻った。寝る前の一風呂浴びに露天風呂へ。外気は涼しくて心地よい。これならエアコンのない部屋でも眠れそうだ。バタン・キュ~・・・

          

翌日も晴れ。この集まりでは必ずといっていい位毎回雨に祟られるのだけれど、今回だけは何だか”らしからぬ”LCミーティングだ・・・(笑)。

ホテルをチェックアウト後、峠の上で記念撮影。MOMOさんと私の二人は盤越道経由、福島回りで帰ることにしたので、ここで他の皆さんと再会を約してお別れ。R292を中野へ抜け、R117を北上して十日町へ出た。そこからはR252で更にドンドン北上し、只見を経て会津坂下から高速に乗った。このルートは初めてで、以前オジンライダーさんと山田牧場で一泊した帰りはいつも草津の渋滞を通って帰ったけれど、関越道、東北道が混雑するときはいい迂回路になる。距離はあるけれど走りやすいし景色もよくツーリングにはもって来いだ。

往路は300キロ、復路は460キロほど走って夜7時過ぎに帰宅。よく走った!

          
          田子倉ダム
          
          お昼に食べたスイカ乗せ冷やし中華


ついてない・・・

2010年08月25日 | Weblog
             

今週初日は朝から次次にトラブルに見舞われ、凹んだ。

ケチのつき始めは千代田線の僅かな遅れだった。乗り換えた武蔵野線は並んだ列の後方だったから席が取れず、40分立ちんぼ!
武蔵浦和に着いたら次の埼京線・川越行きが25分も遅れ、しかも満員。大宮でようやく座れたが、下車駅まではたったの10分^^!

前日(日曜)の夜は地域の親睦会があって遅くまで呑んでいたせいか今朝はやたら喉が渇く。勤め先まであと少し我慢すれば冷たいソフト・ドリンクが130円で買えるから、と駅前コンビニをパスして会社に向かった。

急いで作業衣に着替え、早速ベンダー・マシンにお金を投入。コーラのボタンを押すもボトルが出てこない。自販機を叩いたらり蹴飛ばしたりしたけれど出てこない。チェッ!機械にお金盗られた!
仕方なく別の自販機で気の進まない紅茶ドリンクを買ってお茶を濁す。クソッ!

その後がいけない。先週納めた製品が仕様違いだと客先から厳しいクレームをつけられ、代品の手配で朝からてんてこ舞い。仕様違いを事前に連絡しなかったカドで営業担当からは厳しいお叱りも受けた。ヤレヤレ・・・今日は嫌なことばっかり続くわい。

午後からは殆んど現場作業で全身汗みずく、上から下までベトベトで気持ち悪いことおびただしい。すっかり疲れて帰りの電車に乗ったら、またまた10分の遅れ。今日はよくよくついてないのだ・・・

               

ゆり

2010年08月22日 | Weblog

          

水道メーターの周りに敷き詰めた小砂利の隙間からユリが芽を出して、いつの間にか背が伸び50cm程に育った。駐車場の入り口だったので、車の出入りでその内轢かれてしまうのでは・・・と思っていたのだが、幸い轍から30cmほど離れていたおかげで無事に育ちあがった。

一週間ほど前に最初の蕾が開き白い大きな花が二つ咲いた。台湾からの帰化植物のタカサゴユリらしい。近所でよく見かけるので去年の種が風で運ばれてきたものであろう。毎朝植木に水やりするのでついでにユリにも散水していたが、蕾が次々開いて目を楽しませてくれる。

それにしても、狭苦しい砂利の隙間から芽を出し、猛暑にもめげず立派な花をたくさんつけるとは、見上げたド根性ユリだ。

猛暑はまだ暫く続くという気象庁の見立てではあるが、千葉県のこの辺りでは朝晩多少涼しくなってきた気がするけれど、さて・・・

          


蜘蛛の巣城

2010年08月21日 | Weblog

          
                

欧米諸国の町並み・景観を観ていつも感じるのは、そのスッキリとして自然と調和した美しさである。それは田園地帯の小さな集落(Village)に限らず、市街地でも同様である。日本と比べてその違いはどこからくるのだろうか?

日本も国全体で見れば緑は多く町は整然としていて清潔である。しかし残念なことに全国津々浦々蜘蛛の巣のごとく上空には電線が張り巡らされ、無闇やたらに電柱が立てられて折角の景観をぶち壊している。一歩家の外に出て周囲を見わたしてみれば、上空を覆う”蜘蛛の巣”に誰でも気付くだろうし、狭い道路では電柱が交通の妨げにもなっている実態は、もう当たり前のように皆が受け入れてしまっている。欧米諸国同様、もし日本から全ての電柱と頭上のケーブル無くすことが出来たたら、どれほどスッキリすることだろう。

経済大国だの先進国入りだの自画自賛している向きもあろうが、ケーブルの地中化すら出来ない貧しいインフラ整備しかやってこなかった日本は、先進国たり得ないし世界第二位の経済大国としてはお恥ずかしい限りである。

かつて国会議員たちは毎年、国費を使って海外視察旅行をやっていた。どうせ単なる物見遊山だろうとは思っていたけれど、誰一人としてケーブルの地中化を推進せよと強く主張したやつはいなかった。折角欧米の美しい町並み・景観を観てきても、それを美しいと感じる感性も持ち合わせていないければ、政治家として日本もこのように美しい国にしたい、などという崇高な理念もなかったのだ。

ケーブルの地中化を国策レベルで進めれば、その投資額は莫大なものになり、経済効果も計り知れないと思うのだが、どうせ電力業界やNTTが猛反発して実現は難しいだろうなあ・・・

世界に冠たる”蜘蛛の巣城”わが日本・・・か^^!

          


2010年08月19日 | Weblog

           

千葉県は梨の出荷額が全国一らしい。以前住んでいた船橋でも近くに梨園がたくさんあった。そのせいか子共たちは梨が好きなので、毎年季節になると身内の数人に送る序でに送っている。

自分自身はあまり食べないのだけれど、送った先の評判はなかなかよい。今年もいつも行く香取市のS梨園からハガキがきて、6,7月の天候が不順だったせいで例年より収穫量が少なく、期待に添えないかもしれない旨の連絡があった。

そうではあっても毎年のことなので休むわけにも行かなず、お盆休みの一日香取市まで出掛けて行った。S梨園では書き入れ時でもあるし家族4人総出で働いておられたが、確かに収穫して積み上げてある梨の箱が少ない。例年だと地方発送の他に近所から買いに来る客が引きもきらないのだが、今年は当日売りは予約の客以外断っていた。

我が家でも当日売りを2袋ほど買うつもりでいたのだけれど、遠くから来たということで無理に頼んで一袋だけ分けてもらった。

ロシアでは干ばつで小麦の生産が激減し、今年は輸出ができなくなったらしいけれど、梨でこの騒ぎだから主食の米や小麦だったらそれこそ大騒ぎになることだろう。どうやら本当に地球規模で天候が変しくなってきているみたいだ。

         


一周忌

2010年08月18日 | Weblog

         

14日は義兄の一周忌・新盆で、猛暑のなか親族一同あきるの霊園に集まり墓参りをしてきた。多摩丘陵を切り開いて造成した段丘状の広大な墓苑で、周囲を緑に囲まれた清々しい環境で気持ちがよい。尤もそう感じるのは生きている者だけで、亡くなった本人は分かる筈もないのだけれど・・・

新盆ということで坊さんにお経あげてもらったのだけれど、日に7組も8組もあって仏殿の予定表が一杯である。これから益々高齢者が増え墓と坊さんは商売繁盛である(笑)。

先日TVの番組で、葬儀を業者任せにせず自分たちの望む方法で行う人が増えているそうで、従来のお仕着せの葬式から一歩踏み出した「家族葬」や「お別れの会」を紹介していた。死は大抵の場合”突然”だから、残された者は心の準備も何も出来ないうちに、葬儀屋の言うなりに事が進められてしまい、終わってみれば心残りと法外な支払いが残る、というのが大多数の経験者の感想らしい。

そういう経験から学んだ提案としてEnding Note(終末手帳)なるものが紹介されていた。つまり生きているうちに、どの様な葬儀にしたいか、知らせるひとは誰々か、散骨を希望するのか等々予め決めておけば残された者があとで困らないという寸法である。カミサンとこれは是非やっておこうと珍しく意見が一致した^^!

墓参りのあとで八王子で食事会があった。「とうふ・うかい」は以前から知っていたけれど入るのは初めてだった。名前の通り豆腐がメインの和食で、静かな和室で箱庭を眺めながら故人を偲んで頂く料理は美味しかった。全員車なのでアルコールは無く、ウーロン茶だけというのが酒飲みとしては少々残念だったけれど・・・ま、仕方ありません。

         
         
         
         
         


受信レベル

2010年08月13日 | Weblog
           

TVを新しくしてから、観たい番組の録画が出来るようになってカミサンは喜んでいたのだが、民放のBSから録画したものがモザイク模様のように画面が壊れたり音が入っていなかったりで使い物にならない、と苦情が出た。
買った店では電波の受信レベルが低いのでブースターを取り付けないと駄目だという。TVを買ったときはそんなこと一言も説明がなかったので、少々腹がたった。

わが家ではケーブルTV会社と契約していて、BSアンテナが無くてもBS放送は観られる。何故録画すると画面が壊れるのか合点がいかずケーブルTV会社の担当者に来てもらった。彼の説明によると、メーカーによってTVのシステムが異なり、録画ではBSアンテナからの電波を使っている場合があり、電波が弱いとこのような不具合が生じるという。
彼に調べてもらったら、わが家の受信レベルは30。必要最低レベルの50に達していない。電気屋は最初にTVを設定したとき既に判っていた筈なのに・・・いい加減なやつだ!

ケーブルTVの若い担当者S君はなかなか親切な若者で、BSアンテナの調整をしてくれたのだが残念ながらベストで30にしかならない。彼は隣家の屋根が邪魔していると見て、アンテナの設置場所を変えてみようという。彼と二人でよさそうな場所に移動して再調整してみた。するとレベルは42くらいに改善した。その状態で仮止めだったアンテナをシッカリ固定したら、また狂ってしまった。アンテナ調整は微妙なところですぐ狂ってしまい簡単ではなさそう。明日感度計を持って出直してくる、ということで彼は帰っていった。

これでもし、ブースターを買わずに済んだらS君のお手柄だ!何かお礼をしなくては・・・

           

足慣らし

2010年08月11日 | Weblog

           

今月28日、29日は志賀高原でLCミーティングがあるので、今日はバイクの足慣らしをしてきた。前回乗ったのが6月中旬だったから、もう略2ヶ月ご無沙汰だ^^!

何しろ梅雨が明けた途端に連日35℃の猛暑が続いたから、とてもじゃないがバイクに乗ろうなんて気が起きなかった。今日もホントは蒸し暑さに怯んで迷っていたのだけれど、台風の影響でこの数日天気が不安定で、今日を逃すと乗るチャンスが無くなる惧れもあるので思い切って少し走ることにした。

先ずはバイクを引き出すための準備(橋架け)をするべく気合をいれる(笑)。終わるともう玉の汗だ。暑いから着替えはクーラーの効いた居間でする。半袖で走りたいところだが、最低限の安全のためジーンズとメッシュのジャケットは着る。既に手足は汗で湿っているから身につけるもの全てがベタついて気持ちわるい。

7時45分、セル一発で始動。直ぐに出発・・・はいいけれど、何処へ行くのか未だ定まってもいない^^!今朝の予報では関東地方は曇りで俄か雨、山沿いは時に激しく降るとか。ま、少しくらい濡れても仕方ないけれど渋滞だけはゴメンだ。太平洋沿いに北へ向かえば比較的天気は安定していると見て、先ずはR51で大洗へ。今日はそのまま直進してR6で水戸へ抜け、十王町まで行こうか迷ったのだけれど、日立市内の渋滞が怖くて左折、R349でいつもの里美村へ。

ここまで来たら緑が多いせいか少しだけ涼しい気がする。今日は2、300キロ距離だけ稼げばいいので道の駅で一休みして直ぐ折り返す。トリップ・メーター表示は家から145キロ、水戸市内でガスを入れるつもりでいたが、今日はどういうわけか180キロになってもまだ燃料警告ランプが点かない。そのまま水戸市内を抜け、R51へ入って200キロを越えたところでようやく警告ランプ点灯。ランプが壊れたかと心配した。(笑)満タンにしたら11.47L入ったから、リッター当たり17.4キロ・・・燃費がよくなったわけではないのだ^^!

今日は途中パラパラと雨滴が落ちてくる場面もあったけれど、曇りで時々晴れるまずまずのツーリング日和であった。照り返しで顔が大分やけて赤黒くなったな^^!

           
           


末広亭

2010年08月10日 | Weblog

           

お盆休みに入ったら、連日の猛暑を逃れて、久しぶりに奥多摩にでも行こうと計画していた。ところが当日9日はそれまでの晴天とは打って変わって生憎の曇天、時々パラパラと俄か雨もふる。
日原鍾乳洞へ電車とバスを乗り継いでで行くのは思ったより大変で、バスに至っては日に5便しかない。それでも一応予定は立てておいたのだが、この天気ですっかり気落ちしてしまった。

このまま何もしないで一日ゴロゴロして過ごす気にもなれず、取り敢えず新宿まで出た。携帯で映画を探してみたけれどこれと言って観たいものも見当たらない。
そこで以前一度は行ってみようと考えていた寄席に行くことにした。新宿には確か「末広亭」があった。i-modoで調べたら3丁目なので確か伊勢丹の近くだったと思い出して、末広通りをウロウロしていたら、ありました! 隣の飲み屋と見紛うばかりの小さな建物で、うっかりしていたら見過ごしてしまいそうだ。昼の部は12時からで、まだ11時を少し回ったばかりだったので先に食事をすることにした。

伊勢丹7階レストラン街の南国酒家で中華定食とビールを一杯。末広亭に戻ったら12時少し過ぎだったので丁度良いかと思って直ぐチケットを買った。嬉しいことにシニア割引があって65歳以上は¥2500也。中に入ると案に相違して椅子席はもう満席。裾の畳席にされてしまった。落語、漫才、曲芸、独楽回し・・・と、お馴染みの日本古典芸能。残念ながら、あまり好みでない林家一門がメインだったが、それなりに面白かった。
ここは入れ替えなしで、夜の部(6時から)もそのまま居続けていていいのだけれど、畳席で疲れたのでキリのよい4時で引き上げてきた。

久しぶりで大口開けて笑ってきたせいか喉が乾いた。ライオンの2階がアイリッシュ・バーだったのを思い出し、立ち寄ってハーフ・アンド・ハーフを1パイント引っ掛けてから帰りの電車に乗った。「奥多摩」変じて「末広亭」となる、とんだ暑気払いの一日でした^^!

           


「ママ」

2010年08月08日 | Weblog

                                           
20年ほど前までカミサンは喫茶店をやっていた。店は20席ほどのコーヒーと軽食だけの小さなものだったが、自動車販売店のセールスマンとか銀行の営業マン、近所の商店主、保険外交員などで結構賑わっていたようだ。

豆はKコーヒーから仕入れていたが、担当営業マンの話ではその地域でいつも1,2位を争う売り上げだったらしい。残念ながら、それでわが家に利益をもたらすようなことは全然なくて、専ら彼女の”生きがい”としての役割だけしかなかったのだけれど・・・^^!

当時はお客さんから普通に「ママ」と呼ばれていたから、本人もそう呼ばれることには特段の思いを抱くことはなかった。ところが昨日、行きつけの魚屋へ刺身を買いに行った折、カミサンが刺身を選んでいたとき魚屋が何気に「ママ、こっちのほが・・・」という。

一瞬エッ?と思ったカミサンが「・・・エ、私がママなの?^^!」と反問すると、魚屋は返す言葉がなくて黙ってしまった。(笑)

帰りの車のなかで二人で暫し大笑いしたのだが、まさか20年も前に辞めた仕事の名残がカミサンに残っているとも思えないけれど、何気なく魚屋の口をついて出たその言葉は、彼にカミサンが「水商売の女将さん」というイメージを抱かせた証しなのかも・・・^^!

                                            


広島・長崎

2010年08月07日 | Weblog

                 

毎年8月のこの時期になるとマスコミは原爆記念日の特集で賑々しくなる。実際に被害に遭われた方や家族を失った方は、そういう世の喧騒とは別のところで核の恐ろしさと失った人への悲しみを新たにしていることだろう。

広島は8月6日、35万市民の実に4割にあたる14万人を、三日後の9日長崎では全市民の3割7万4千人を、夫々たった一発の原子爆弾で失った。町は完全に破壊されて更地のような荒漂とした景色に一変してしまった。
1943年、米国はマンハッタン計画によって開発を進めていた原子爆弾の使用対象を日本に定めた。そして既に日本の敗色濃かった1945年5月、投下目標を4都市(京都、広島、横浜、小倉)に絞った。

良識ある米国の人々(理論物理学者ニールス・ボーア、原子力の平和利用だけを提言するジェフリーズ委員会、シカゴ大学ジェイムス・フランク、軍人のアイゼンハワーなど)は原子爆弾の使用そのもの、あるいは都市への使用に反対していたけれど、それらの声は時の大統領、ルーズベルトやトルーマンを翻意させるに至らなかった。

投下目標都市についてその後絞り込みが進められ、横浜と小倉が外された。更に京都に投下した場合歴史ある日本の文化財を数多く失うことになり、戦後日本国民の大きな反感をかうとの懸念から京都を除外し、代わりに小倉を戻して広島、新潟、小倉の3都市になった。爆弾の効果を確かめるのに京都の地形は最適であるという根強い意見があったけれど、最終的に京都は外されて長崎が新たに加えられた。
運命の広島は彼等の計画通りリトルボーイが投下された。6日小倉は視界不良のため次の候補地長崎に二つ目の爆弾ファットマンが落とされた。

アメリカは人類史上初めて核爆弾を日本に投下した。その、あまりにも強烈で残酷な兵器を実際に使用した当の米国は内心たじろぎ、政府の公式説明では「日本との本土決戦を避け、早期に戦争を終結させるため」としている。その一方で、戦後の世界制覇を狙い、強大な軍事力を誇示するためと放射線障害の人体実験をするとい目的があったことも事実であろう。

非人道的な兵器を実戦使用した米国を非難するのは容易い。しかしその前に、何故このようなことになったのか、その真の所以を考えなければならない。アジアの覇権を求めて中国、満州、朝鮮を植民地化し、無謀な対米戦争を仕掛けて国民を苦難の道へ追い込んだのは一体誰だったのか。日本を太平洋戦争へと駆り立てたもの、国民を扇動したもの、それらこそがこの悲惨な結果を招いた真の原因である。
世界唯一の被爆国として核爆弾の恐ろしさを思うとき、同時にそれら狂気の原因が何だったのか改めて考えてみる機会でもある。

           

            ☆写真は長崎及び広島の原爆資料館より


New Passport

2010年08月03日 | Weblog
          

新しいパスポートが先月23日から受け取り可能になっていたのだけれど、仕事で都合がつかなかったり猛暑で行く気をそがれたりで伸び伸びになっていた。

ようやく今日、出勤前に松戸の旅券事務所に立ち寄ってもらってきた。発行手数料16,000円はチト高い気もするが、まあ仕方がない。
色かデザインでも変わっているのかと思いきや、十年前とちっとも変わってなかった^^!

けれども中央ページにICチップが埋め込まれていて、曲げたりねじったりできなくなったから、取り扱いに注意が必要だ。持ち運びと保管については、他の電子製品と同様に丁寧に扱って欲しいそうである。ヤレヤレ・・・

もう仕事で海外に行くことはないから、これまでのようにスタンプでページが埋まることもないし、冷蔵庫にでも保管しておこうか?(笑)