Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

お手軽紅葉鑑賞

2006年11月26日 | Weblog
この一週間で急に朝晩冷え込んできたせいか今が庭先の紅葉真っ盛り。結構楽しめます。はなみずきは私の好きな桜の葉に似た形と風合い。どうだんは鮮やかな朱。南天の実は緑の葉に添えられた赤いアクセント。鳥たちが時々つつきに来ます。
紅葉の本当に鮮やかな時間は案外短くて、精々一週間。春の花同様、自然の素晴らしい芸術作品も、その命は儚い。
人間も死の前には、一瞬でも鮮やかに輝くことができたら良いのに・・・







もも

2006年11月15日 | Weblog
             

私の名前は「もも」です。生まれて、多分8ヶ月の女の子です。・・・多分というのは、つまり、草むらに捨てられて鳴いていた私がここの家のお母さんに助けられて、病院で診てもらった時、先生が「生後約1ヶ月ですね」といったからで、ホントの事はわかりません。
寒くて危険な草むらで必死にミャ-ミャ-鳴き叫んでいた私をお母さんが抱き上げてくれた時、私は全身ネバネバした粘着液にまみれて、身動きすら自由に出来ないような状態でした。お母さんが嫌がる私をお風呂にいれて石鹸で洗ってくれましたが、そのネバネバはしつこくて全然とれず、仕方なくお母さんが病院の先生と相談してバリカンで全身の毛を刈ってもらいました。だからその当時の私は、ネコだかねずみだか判らないような超惨めな格好でお家の中を這い回っていました。
今でこそ、高いタンスの上でも屋根の上でもヒョイっと飛び乗れるようになりましたが、ネバネバがなくなり毛が生え揃うまでの2ヶ月は、私本来の動きができなくて不自由な思いをしました。
さて、命をたすけてもらって不平を言ってはバチが当たるかもしれませんが、目下の私の願いは家の外に自由に出して欲しいことなのですが、お母さんは病気とか怪我を心配して私を外には出してくれません。だから自由に動けるのは家の中だけで、遊んでくれるお父さんが私のストレス解消にホンの少し役立ってくれます。
そんなわけで、この写真のように、毎朝お父さんがベットから起き出すと、私は遊んで欲しくてジッとお父さんの顔を見詰めるのです。「早くあそんで!」

日光・赤城ツー

2006年11月13日 | Weblog
急に寒くなった雨上がりの日曜日(12日)地元バイク・クラブ企画のツーリングで日光方面走ってきました。残念ながら雪のため目的地の金精峠越えはおろか、いろは坂へも登れず、急遽赤城山へ方向転換。
しかしここもまた雪で峠は越えられず、またまた引き返して山は見るだけにして帰ってきました。まさかツーリングで初雪に見舞われるなんて・・・
残念ながら日光の紅葉は来年までお預け!



スケッチ

2006年11月10日 | Weblog
絵を描くのは子供のころから好きだったから、上手い下手はともかく、素描だけは何となくづっと、細々とながらも続けている。
人前に出すわけではないから、気の向いたときだけ風景やら花やら何でもササッと鉛筆で描き、水彩で淡く色つけしてお終い。とても"My Work" と呼べるような代物ではない。
しかし思い起こせば、学生のころは文化祭などで発表の機会があり、それが励みになってそれなりに力が入っていたような気がする。学校ではほんの一握りの観衆が相手だから、評価だって極めて限定されたものに過ぎないのだけれど、それでも誉められたら悪い気がする筈もなく、煽てられてズルズルと今日まで子供の頃のソレを引きずって来ただけなのかもしれない(笑)

私の周りにも絵の上手い人(それも玄人はだし)が何人もいる。アメリカには、若いころは生活に苦労しながら子供たちを育て上げ、老いて自分独りきりになってから初めて絵を本格的に描きだして、有名になったグランマ・モーゼスだっていることだし、「自分だって将来・・・」と考えている人も中にはいるかもしれない。
だが残念ながら自分自身には、もうそんな熱い思いはない。せめて同好会などで発表の場があれば、もっと真面目に描くようになるかな、と思う程度である。所詮は自己満足・趣味の範囲内に収まっている。幸せなことである。

 

十王ダム

2006年11月06日 | Weblog
11月3,4,5の3連休の最後の一日、ようやく家事+野暮用から開放されたのでショート・ツーリングに出掛けた。出発した時間が時間(9時半)なのでそう遠くまでは行かれず、さりとてあまり近いのもシャクなので、道の駅里美まで往復と決めた。
ルートは春先に走った道をもう一度なぞってみることにして、先ずはR51で水戸へ抜けてR6までいつもと同じコース。その後いつもは日立太田からR293経由でR349へ出るのだが、わずか6Kmほど走るだけのR293が時々渋滞するので、今回はR6をそのまま北上して日立から県道10号で十王町へ出る。前回来た時の記憶がもうアヤフヤになっているので、少々不安になりながら、それでも一本道なので素直に十王ダムまで辿りついた。
ダムに着く数キロ手前から、白のDSが後ろから付いてくるのに気付いていたが、先に着いて一休みしているとそのDSも駐車場に入ってきて、20mほど離れて停まった。
その時フッと思い出したのだが、前回も確かDSの若者が同じ場所にいて言葉を交わした。勿論半年も前のことだし、顔など覚えているはずもないのだが、ただ何となく同じ人のような気がした。そのまま少し景色を眺めてからバイクに跨り、エンジンをかけて出ようとして何気なく彼の方を見たら、笑って挨拶している。慌ててこっちも頭を下げたが、どうも向こうも私と同じことを思っていたのではないかという気がして、走り出してから独りでに頬が緩んでしまった。
11月だというのに十王里美線の深い林森はまだ緑のままだった。



歳月

2006年11月04日 | Weblog
先日、卒業50周年記念という中学校の同窓会があった。
214名いた同窓生のうち凡そ60名ほどが集まり、先生も
二人お見えになった。
50年という歳月は半端ではない。最初はお互い誰だか俄か
には判断できず、しかし薄っすらと残った面影を頼りに胸の
名札をみてようやく納得するありさま。
先生だって、予め云ってくれなければ同級生の誰だったっけ、
と考えてしまいそう。
女性はもっと難しい。名前を聞いても、顔をまじまじ見ても
一向に思い出せない人もいる。
それでも、2次会でお酒が少しまわってくる頃には、何となく
打ち解けて、記憶も少しづつ呼び覚まされてきて、あーそう云
えば彼だった!ということになる。
自分の記憶は極めて曖昧で、完全に消滅している部分と50年
も前の旧いことが片隅にシッカリ残っていたりして、さながら
精神分裂状態。
何とも不思議な時間を過ごしてきました。

終わって、最も強く印象に残ったことは「個人差」。
同じ年月を積み重ねてきたのに、何時までも若々しい奴がいる
かと思うと、もうすっかり年寄りじみてしまったのもいて、ど
こからそういう差が生じてくるのか考えさせられた。

ことはじめ

2006年11月02日 | Weblog
学校終えて、世の中に出てから45年。考えてみたら、その間3回も勤め
を変えたのに、途中唯の一度も長期休暇なんて取った事もなく、づーっと
働き詰め。まるで、休まず働くことが使命であるかの如く・・・
今年65で定年を迎え、今また新しい職場へ毎日片道2時間もかけて通勤
している自分! 45年間で培った習性は容易には変えられないものなの
かも・・・
だからこの辺で、一度後をゆっくり振り返ってSlow Lifeに挑戦してみる
のもいいかなと思う。さてしかし、Slow Lifeって一体何をどうすればいい
のか皆目見当もつかない。

まあ、とりあえず趣味のバイクや絵を通じていろいろな方達と「ゆっくり
生活」についてお喋りができたら楽しかろうとブログに挑戦してみた次第。
皆さん、よろしくね!